エリアフ・インバル指揮 ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団 2017年 3月13日 すみだトリフォニーホール

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2017年も始まって早くも 1/5 が過ぎようとしている。だが考えてみると、その間に海外からのオーケストラの来日は幾つあっただろうか。新年のウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団を除くと、恐らくは現在相次いで来日している、ハンブルクに本拠を置く NDR エルプ・フィル (旧北ドイツ放送響)、プラハ交響楽団と、それからこのベルリン・コンツェルトハウス管が、今年初めての本格的な外来オケの一群なのではないだろうか。今後、上半期全体にまで目をやっても、5月のフィルハーモニア管、6月のブリュッセル・フィルとドレスデン・フィルくらいしか思いつかない。ほかにもあるかもしれないが、いずれにせよ、上記の中には初来日の団体や若干渋めの団体もあり、超一流外来オケ猛襲来という感じはない (笑)。もっとも、秋以降になると、ベルリン・フィル、コンセルトヘボウ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス、ボストン響、ロンドン・フィル、チェコ・フィルなど、ビッグな名前が目白押し。シュターツカペレ・バイエルンもオペラの来日とともにオーケストラコンサートを開くし、なんとも過酷なスケジュール繰りを強いられることは必至なのである。

ともあれ、このベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の演奏会だ。上のポスターでも明らかな通り、2日前に行われた上岡敏之指揮新日本フィルによるマーラー 6番の演奏会とセットになっていて、「すみだ平和祈念コンサート 2017」と銘打たれている。この 2つのコンサートが捧げられる対象は 2つの悲劇。ひとつは 2011年の東日本大震災であり、もうひとつが 1945年の東京大空襲であることは、上記コンサートの記事に既に記した。いずれがいずれと明記はないものの、今回のコンサートの顔ぶれは、第二次世界大戦でやはり灰燼と帰したドイツの首都ベルリンのオケとユダヤ人の指揮者が、ドイツの音楽であるワーグナーとユダヤの音楽であるマーラーを演奏することに意義を見出すことを考えれば、東京大空襲の犠牲者に捧げられるべきとも思われる。その一方で、今回演奏されたマーラー 5番は、これも以前の記事に書いた通り、大震災当日にこのホールで演奏された曲目でもあるのだ。平和な時代に安心して音楽を聴くことができる我々は、幸せなのである。ここで改めて曲目を書いておこう。
 ワーグナー : 楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死
 マーラー : 交響曲第 5番嬰ハ短調

壮大で濃厚な音響が鳴り渡る、素晴らしいプログラムである。今回演奏するベルリン・コンツェルトハウス管は、聞き慣れない名前かもしれないが、旧東ベルリンに存在したベルリン交響楽団の現在の名称である。昔からのファンなら、巨匠クルト・ザンデルリンクの指揮した録音の数々を思い出すだろう。名称のコンツェルトハウスとは、以前の名前はシャウシュピールハウスというコンサートホールのこと。ドイツ新古典主義を代表するカール・フリードリヒ・シンケルの設計による建築。それこそ戦争で焼けてしまったが、戦後元通りに再建された、このように壮麗な建物である。
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ここは東ベルリン地域であり、ベルリンの壁崩壊後にあのバーンスタインが世界の一流オケのメンバーを集めて第九を演奏したのはこのホールであったし、東西ドイツ統一後まもなくの頃、ベルリン・フィルハーモニーホールが改修で閉鎖されていたときには、ベルリン・フィルの定期演奏会の会場にもなっていた。かく言う私も、初めてベルリンを訪れた 1992年、このホールでジュリーニやバレンボイムの指揮するベルリン・フィルを聴いたものだ。だが、建物自体は非常に素晴らしいのだが、肝心の音響は残念ながらよくなかったと記憶する (当時のコンサートマスターの安永徹もそのような発言をしていた)。今では改善されているのであろうか。

そして今回指揮を取るのは、かつて 2001年から 2005年までこのコンツェルトハウス管の首席指揮者を務めた、イスラエル出身の指揮者、エリアフ・インバル。日本でも既におなじみの指揮者であり、とりわけそのマーラー (とブルックナー) 演奏は、東京においても他を絶する偉大な足跡を刻んでおり、80歳になった今も精力的に活動する巨匠指揮者である。
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繰り返しだが、とにかく曲目がよい。そして指揮者がインバルと来れば、期待が高まるのを抑えることはできない。そして今回の演奏、大変深く心に残るものであったと断言しよう。そもそもインバルは、どちらかと言えば爆演系であり、きっちりアンサンブルを整えた流れのよい演奏よりは、マーラーの場合には特に顕著な、音楽の中の矛盾する要素をそのまま取り出して見せ、大きな弧を描いて劇性を強調するタイプである。指揮ぶりは決して華麗ではなく、私は以前から彼の指揮姿は、「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」だなぁと思っているのであるが (笑)、ここに来て彼の芸風は一段と凄みを増してきたように思う。今回の演奏では、それをはっきりと再確認することができた。最近の東京でインバルを聴く機会が多いオケは、もちろん東京都交響楽団 (通称「都響」) なのであるが、都響の、芯がありながら艶やかな音とは違い、このコンツェルトハウス管の音は、もっと渋くて地味で重めである。だが、「トリスタン」冒頭のチェロが鳴り始めたとき、極度の緊張や洗練はないものの、何かどっしりとした確信のようなものが感じられ、はっとした。この音楽は彼らの内部の深いところから響いている。頭で考えてきれいに弾こうとか情緒を表現しようとか思っているのではなく、彼ら自身の血の中にあるものを、そのまま出している。なんと大人の音だろう!! と思ったのである。このワーグナーの「トリスタン」前奏曲と愛の死という絶品は、私としても当然、限りなく心酔している曲であり、過去にも様々な演奏で体が震えるような感動を覚えてきている。今回の演奏は、超絶的な名演ということではないにせよ、この音楽の持つ怪しさと強さを巧まずして表したという点で、これからも長く記憶に残ることだろう。時に人間心理のひだの奥を抉り出すような深い音も聴かれ、気負いも衒いもなく、この凄まじい音楽の神髄を聴かせてくれたと思う。

メインのマーラーは、これまたインバルの面目躍如である。引き続きオケの音は、華麗とは言えないが独特の味わいがあり、冒頭のトランペットの表情づけも、若干地味ながら、やはり素晴らしい。私はこのブログでマーラーの演奏についての記事を書く際、時に「表現しがたい違和感」に触れることがある。これは私個人の感想なので、言葉で説明するのは難しく、異論も承知の上なのであるが、マーラーの音として鳴って欲しい、そんな音のイメージがあって、音楽が進行して行く中で、指揮者によってはその響きに違和感を感じることがままあるのである。ところがインバルの場合には、そのような違和感を感じることは一切なく、まさにマーラーの音があるべき姿で常に鳴っているという、そういうイメージなのだ。天性のマーラー指揮者と言うべきではないだろうか。喧騒が渦巻き、陰鬱な世界苦が表出され、絶叫や絶望や、だがそこからまた沸き起こる希望や、圧倒的な勝利の凱歌や壮麗な人間賛歌など、様々な感情や音楽的情景を強烈な色彩で描いたマーラーの音楽を、これだけ仮借なく描き出す指揮者が、バーンスタイン以降何人いただろうか。しかもその指揮ぶりは、「ちぎっては投げ」なのにである (笑)。もちろん私は、違うタイプのマーラー演奏も好きで、例えばマゼールの、例えばアバドの、あるいはメータやヤンソンスやシャイーや、それぞれの指揮者にそれぞれの持ち味があることは当然知っている。だが、インバルのマーラーには何か特別なものがあり、多くの人はその演奏にただただ打ちのめされるのである。しかしながら、今回の演奏で唯一、少し疑問符がついたのは、終楽章の中間あたり。まずこの楽章の冒頭で木管が旋律を受け渡して行くとき、クラリネットが少し詰まってしまった。それでケチがついたとは言わないが、その後トランペットが入りを間違えるシーンもあり、少し緊張感に隙が生じたように思い、このオケがいわゆる一般的な意味での世界の超一流という存在ではないことを想起してしまったのは、正直残念であった。だが、瞠目すべきはその後の終盤までの追い込みである。上記の通り、音が華麗とか艶やかではない分、その音楽には一貫した強い個性があり、大団円では聴く者すべてに鳥肌を立たしめるような勢いにまで達したことで、多少の技術的な問題など雲散霧消してしまった。これぞまさに生演奏の醍醐味。かくして終演後は、素晴らしい指揮者と素晴らしいオケの共同作業に、心からなる喝采を送ることになったのである。

ひとつ書き忘れていたが、このオケのコンサートマスターのひとりは、日本で読売日本交響楽団 (通称「読響」) のコンマスも兼任している、日下紗矢子。このように大変華奢な人なのだが、既に読響の数々の演奏会でも実証している通り、音楽に敏感に反応してオケを引っ張るリーダーとしての素晴らしい才能を持っている。今回は「トリスタン」でトップ、マーラーではサブを務めたが、今回の演奏の成功には、彼女の貢献も大きかったと思う。2008年からこの地位にあり、子育てしながら日欧で活躍しているというスーパー・ウーマンなのである。
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会場には、2005年にこのホールで開かれた、同じ指揮者とオケ (但し名称は未だベルリン交響楽団であったはず) による「すみだ平和祈念コンサート」の際のサイン入りの写真が掲示されていて、興味深い。
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また、なんと、会場限定販売という CD も 2,000円で販売しているので早速購入した。曲目は、フェルッチョ・ブゾーニの「踊るワルツ」という珍しい曲と、リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲。聴くのが楽しみだ。
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改めて思うに、東京の聴衆は本当にインバルに感謝しなければならない。彼のおかげで、どれだけマーラーの神髄を経験することができているか。80代の指揮活動の中で、またさらに円熟味を増して行くことを期待しましょう。

Commented by usomototsuta at 2017-06-09 01:00
またまたコメント致します。大変興味深く読ませていただいております。この演奏会も「クラシック音楽館」を録画して何度か楽しんでます。都響とコンツェルトハウス管の音の違い等、自分ではなかなか判りませんが勉強になります。例えばドレスデンシュターツカペレ(私はブロムシュテットのブルックナー7番のみCDを持っております)あたりが、渋い系と言われてるのを何度か目にする気がします。インバルといえば私が高校3年だったか、約30年前クラシック音楽を聴き始めた頃に、昭和女子大人見記念講堂にてフランクフルト放送響との「田園」と「幻想」を聴いたのが(テレビでですが)初めてでした。懐かしいNHK「芸術劇場」サブタイトルもそのまま「インバルの『田園』と『幻想』」でした。
Commented by usomototsuta at 2017-06-09 01:10
追伸。東日本大震災の日にこのホールでマーラーの5番が演奏されたという話、何かのテレビ番組で見たような記憶があります。すみたトリフォニーホール、見た感じですが渋い色調の素敵なホールですね。
Commented by yokohama7474 at 2017-06-10 00:55
> usomototsutaさん
こちらの記事にもコメント頂き、ありがとうございます。私にとっても、ブロムシュテットとドレスデンのブルックナー 7番は、いわゆる「渋い」という意味でのひとつの標準になっています。もっともこの指揮者はその後さらに深みというか、凄みを増してきておりますが。また、インバルのその放送は、私も昔のテレビの録画をブルーレイディスクにダビングして、手元にありますよ。考えてみればインバルは既に長いこと日本の聴衆を楽しませてくれているわけですね。
Commented by yokohama7474 at 2017-06-10 00:58
> usomototsutaさん
そうですね。NHK で放送していました。すみだトリフォニーホールは、私見では本当にいい音を、視覚が遮られずに聴くことができる席は限られておりますが、確かに渋い色調のホールです。新日本フィルがここを本拠にしてから、明らかに進歩したものと思います。オケにとってホールがいかに大事であるかということだと思っています。
by yokohama7474 | 2017-03-14 01:55 | 音楽 (Live) | Comments(4)