モーツァルト : 歌劇「魔笛」(指揮 : 川瀬賢太郎 / 演出 : 勅使川原三郎) 2017年 3月18日 神奈川県民ホール

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昨年の 9月に名古屋で勅使川原三郎 (てしがわら さぶろう) 演出による「魔笛」の上演が行われたのは知っており、首都圏でも上演されることも頭に入っていた。だが、月日の経つのは早いもの。ふと気づくと神奈川県民ホールでのこの上演まであと僅かという日程に迫っていた。しかも、週末とはいえ会社の予定が入る可能性はあるし、巨匠ピアニスト、アンドラーシュ・シフのリサイタルもあるし、いろんな要素が絡み合っていたのであるが、直前になってなんとか今日のチケットをゲットして見に行くことができたのである。

上記の通り、いちばんのお目当ては、勅使川原三郎の演出である。勅使川原は言うまでもなく日本が世界に誇る前衛ダンサー。このブログでも何度かその名前に触れているが、なんと言っても、今年 1月23日付の本拠地カラス・アパタラスでの公演に関する記事において、私の彼に対する熱烈な思いのたけはぶちまけておいた (笑)。この記事は一生懸命書いたのに、本当に悲しいほどにアクセスが少ないので、ここでもう一度宣伝する。文化に興味のある人なら彼のダンスは必見なのである。
http://culturemk.exblog.jp/24073769/
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その勅使川原がオペラの演出をする。随分以前にオーチャードホールで上演された井上道義指揮の「トゥーランドット」で演出をしていた記憶があるが、私はそれを見ていない。だが彼の経歴を見ると、海外 (ヴェネツィアやエクサン・プロヴァンス) ではバロックオペラの演出をしたり、2015年にはパリのシャンゼリゼ劇場で「Solaris」というオペラにおいて台本・演出・美術・照明・衣装を手掛けたという。これはもちろんあの「惑星ソラリス」の原作によるもので、作曲は藤倉大。あぁ、なんということ。 日本人のクリエーターたちによるその作品が日本で上演されていないとは、国家的な恥である。どこかの団体が採り上げてくれないものであろうか。これがその演奏のカーテンコールの写真。右から 3人目が勅使川原。その左が藤倉。そして右端が、今回の「魔笛」でも大活躍の、勅使川原のもとでずっと踊っている佐東利穂子。
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さて、「魔笛」は言うまでもなくモーツァルト晩年のメルヘンオペラである。ジングシュピールと言って、ドイツ語による歌芝居の形式で書かれているので、音楽のない場面で歌手がドイツ語で演技をする場面が頻繁に登場する。なので日本での上演では、そのセリフのところだけ日本語にするケースもある。例えば 2010年の二期会の公演 (指揮 : テオドール・グシュルバウアー、演出 : 実相寺昭雄) ではそのような方法を取っていて、歌はすべて原語のドイツ語でありながら、演技の部分では日本語が使われていた。指揮者もオーケストラも演出もその他スタッフも全員日本人の中で、唯一の外人である指揮者はどんな感じなのだろうと思って見ていた記憶がある。この言葉の問題はなかなかに難しく、セリフだけ日本語にすると、どうも話の流れが不自然に聞こえてしまう部分があるし、かと言ってドイツ語だと、日本における公演であれば、それはそれで何か隔靴掻痒の感を否めない。今回の上演ではその折衷的な方法が取られた。すなわち、歌はもちろんすべてドイツ語であるが、芝居の部分は一切排して、その部分のストーリーの展開を語り手が日本語で語って補うというもの。この方法ゆえに、「魔笛」にしては上演時間が短かった (14時に始まり、25分の休憩を経て 17時に終了)。だが、やはりこれも物足りない。このオペラになじんだ人間にとっては、特にパパゲーノが喋らないのはやはり淋しい。喋りすぎた罰として口枷をはめられる箇所や、パパゲーナが老婆として現れては消える場面は芝居を見たいし、また、首を吊ろうとしてパンフルートを手に「1、2、3」と数えるところはやはり、「アイン・・・ツヴァイ・・・・・・ドラーイ」でなければ!!

その一方、この上演方法のおかげで、音楽だけに集中して聴くことができたという面もあった。実は今回の上演、歌手陣と合唱団は二期会の人たち。手元に上述の 2010年の上演プログラムを持って来て比べてみると、ザラストロの大塚博章、タミーノの鈴木准、パミーナの嘉目真木子という主要キャストが今日の公演と全く同じ。また、今回の夜の女王は、前回もダブルキャストとして、私が見た日とは違う日に歌っていた安井陽子。逆に言うと、今回の上演は、二期会の主要歌手がずらりと出演するレヴェルの高いものであったと言える (ところで二期会はそれ以外でも最近では 2015年に宮本亜門の演出で「魔笛」を上演していて、そのときのキャストも今回と多くが重複する)。今回特に私の印象に残ったのは、まず、もともと芸達者でよく知られる、パパゲーノ役の宮本益光。本当はベラベラ喋って欲しかった。
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それから、パミーナ役の嘉目真木子 (よしめ まきこ)。母親の夜の女王とその敵にあたるザラストロの狭間で翻弄されながらも、一途にタミーノに思いを寄せる芯の強さを表現して素晴らしかった。
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さて今回の上演、勅使川原三郎は、演出だけでなく、装置、照明、衣装を担当している。と言っても装置は、何もない空間に何種類もの金属のリングが上がったり下がったりするだけのもの。極めてシンプルであるが、リングの動きそのものは、上下だけでなく、くるくる回ったり位置関係が変わったり、かなり複雑。第 1幕では大小 9つのリングが登場し、第 2幕の開始部分では舞台全面に円弧を描くような巨大なリングが圧倒的。以下は名古屋での公演から。
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スタイリッシュな空間なのであるが、そこに出てくる歌手たちは奇抜な衣装をまとっていて、なんともおかしい。上の真ん中の写真でボーリングのピンのように見える (笑) 2人は、ザラストロおつきの神官であり、いちばん下に見える 3人のベイマックス (笑) は、パパゲーノを導く童子たちなのである (今回は子供ではなく女性が歌っていた)。いずれも印象的だが、特にボーリングのピン風の神官の衣装は動くのもなかなか大変そうで、もし転んだら収拾がつかないほどの危険と隣り合わせなのだ!! これらは極めて単純な造形であるが、発想の源泉は、モダニズムの旗手でバウハウスでも教鞭を取っていたオスカー・シュレンマーではないのかなぁ、などと勝手に想像するのも楽しい。私はシュレンマーの大ファンなのである。
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だが、このモノスタトスの衣装はどう説明しよう。両腕は体の後ろからニュッと出てくる仕組みなのである。通常の怖いモノスタトスとはちょっと違った雰囲気だ。
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そして勅使川原の演出なので、当然のごとくダンサーたちが登場する。中でも、ソロで踊りながらも場面場面で語り手としてセリフ代わりのストーリーの説明をする佐東利穂子は、文字通り勅使川原の片腕。以前私が見たダンス・パフォーマンス「青い目の男」でも彼女の朗読を使っていたが、今回は実際に舞台で口元にマイクをつけての語りであったようで、これは大変だったのではないか。その声は淡々としていて、過剰な情緒をまとっていないところがよい。
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オペラの中であちこちにダンスが入るというのは、私は正直なところ、あまり好きではない。今回も (以前武満徹の「秋庭歌一具」の上演についての記事でも書いた通り) 場合によっては音楽自体の流れを乱してしまう面があったと思う。一方、第 2幕の群舞で、ダンサーが一人一人、倒れては起きる振付を見たときは、若き日の勅使川原自身の踊りを思い出してよかったし、荘厳な音楽にもよく合っていた。全体として見て、勅使川原の演出には何か決定的に素晴らしいというものは感じなかったが、理屈っぽくならずに新たな挑戦をしている点には好感を持った。

忘れてはならないのは、川瀬賢太郎指揮の神奈川フィルの演奏である。この指揮者は 1984年生まれと未だ大変若いのであるが、この神奈川フィルの常任指揮者を務めている。序曲の冒頭、古楽風の硬い音のするティンパニが耳に入ってきて、新鮮に響く。主部に入ってからの疾走する感じもなかなかよい。順調な滑り出しだと思ったが、その後も一貫して実に若々しさ溢れる清新な音楽で、きめ細かく歌手たちをリードした。なかなかの手腕である。川瀬と神奈川フィル、今後注目しよう。
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そんなわけで、今回の演奏は、歌手も合唱団も指揮者もオケも演出家もダンサーも、全員が日本人。意欲的な試みには拍手を送りたい。

by yokohama7474 | 2017-03-18 23:26 | 音楽 (Live) | Comments(0)