小澤征爾音楽塾 ビゼー作曲 歌劇「カルメン」(指揮 : 小澤征爾 & 村上寿昭 / 演出 : デイヴィッド・ニース) 2017年 3月26日 東京文化会館

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昨年の「こうもり」に続く今年の小澤征爾音楽塾は、ビゼーの名作「カルメン」である。以前、2月 6日付の山田和樹指揮のこのオペラの上演に関する記事でも述べた通り、東京では昨年 12月から 4ヶ月連続でこのオペラが演奏されることとなり、その掉尾を飾るのがこの公演である。小澤征爾が心血を注いで継続しているプロジェクトの、今回が 15回目。日本のみならず、中国や台湾、韓国からもオーディションで選ばれた若者たちによる小澤征爾音楽塾オーケストラと、日本人からなる小澤征爾音楽塾合唱団が、国外からやって来たソロ歌手たちとともに奏でる今回の「カルメン」、昨年からはロームシアター京都という本拠地もでき、より一層練習から本番に向けてのよい環境が整った中での演奏である。その京都で 2回、東京と名古屋で 1回ずつ、計 4回の上演。尚このシリーズでは、2007年にもこの作品が上演されているが、歌手陣は総入れ替えである。81歳の小澤率いる、情熱と怨恨のオペラの出来や、いかに。これはプログラムに掲載されている、今回の稽古場における小澤の写真。
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昨年の「こうもり」同様、今回の指揮を小澤と分担したのは、水戸やウィーンで小澤のアシスタントを務めた、村上寿昭 (としあき)。残念ながらオペラ全曲を振り通すだけの体力がなくなってしまった小澤のいわば「分身」として、プロジェクトへの多大な貢献を果たしているが、2008年から 2012年まで、ドイツのハノーファー州立歌劇場の総監督を務めた実績の持ち主だ。
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2014年のこのプロジェクトで「フィガロの結婚」を他の指揮者と小澤が振り分けた際には、ある場面で指揮を交代すると、彼は袖に引っ込んでいた。だが昨年の「こうもり」と今回の「カルメン」では、オーケストラ・ピットの中に指揮台が 2つ設けられ、村上が指揮する場面でも小澤はそこにいて、このプロジェクトの「音楽監督」としての責務を果たそうとする意欲が見える。「カルメン」は 4幕から成るオペラであるが、第 1幕と第 3幕は小澤が、第 2幕と第 4幕は村上がと、交互に幕の冒頭を指揮したのである。全体を通した分担は、ほぼ折半か、もしかすると小澤の持ち分の方が若干多いのではないかと思われた。今や小澤の指揮を聴くには、水戸室内管と室内楽アカデミー (スイスと奥志賀)、そして夏のセイジ・オザワ松本フェスティバルに、あとはこの小澤征爾音楽塾しかなく、本当に一回一回が貴重なのであるが、今回のオーケストラ演奏は、私自身、過去 35年程度に亘って身近に親しんできたこの稀代の名指揮者の音楽としても、何か新たなものを示してくれるだけの素晴らしいものであったと思う。端的に言って、今回の小澤の指揮における発見はふたつ。ひとつは、指揮の身振りが多くの場面において極端に小さかったこと。もうひとつは、譜面をめくりながらの指揮であったことである。いかなる複雑で長大な曲も、暗譜で精力的に指揮する姿に親しんできた身としては、もちろん複雑な思いを抱かざるを得ないが、しかしこれは、80を超えて小澤が到達している高みを実感させるだけの意味のあることである。とは言っても、冒頭の前奏曲では力強く椅子から立ち上がっての指揮であり、遅めのテンポに音の密度はぎっしりだ。小澤がフランス国立管弦楽団と 1980年代に録音したビゼー作品集におけるこの曲の演奏も、確かこんな感じだったと思う。その数年後同じオケを指揮し、ジェシー・ノーマンを主役に迎えての録音ももちろん手元にあって、その演奏はまた確認してみたいが、やはり同じようなテンポだったのではないか。颯爽と駆け抜けて弾き飛ばすというよりも、来るべき悲劇すら予感させるような重みのある音での丁寧な音の流れに、小澤の変わらない解釈を見る思いである。そしてその後の音楽の展開において、やはり小澤ならでは切実感が聴かれたのが本当に嬉しかった。例えば第 1幕の「ハバネラ」では、舞台を見ていて急に音の重みが増したと思って指揮台を見ると、その曲から指揮が村上から小澤に交代していたのである。また、同じ 1幕で児童合唱 (京都市少年合唱団) が入るところでは、小澤の熱血指導が目に見えるような、子供たちの溌剌とした歌が楽しく耳に飛び込んできた。そして、曲が進むごとに 2人の指揮者の違いを判別するのは難しいほど、水準の高い演奏となったのであり、このような演奏に参加することのできた若者たちにとっては、まさに生涯誇るべき経験になったことだろう。様々に活躍する管楽器たちは常にクリアで音楽的。また、終幕の鬼気迫る音楽においても、実に仮借ない、まさに切れば血が出るような充実した音が鳴っていて、この曲の真価が発揮されるのを聴くことができた。小澤という指揮者の持つカリスマ性が、全体の公演を引っ張ったことは間違いないだろう。上記の通り、譜面を見ながら小さな身振りで凄まじい音を引き出すのを目の当たりにして、これからの小澤の新境地が本当に楽しみになったのである。

主要歌手陣は、米国人の若手が中心。ドン・ホセのチャド・シェルトン、ミカエラのケイトリン・リンチ、エスカミーリョのボアズ・ダニエル、それぞれに持ち味を出していたとは思うが、全体的な出来はまずまずというところであったと思う。カルメン役のサンドラ・ピクス・エディは、そのスリムで華やかな容姿がまさにこの役にぴったり。心が震えるような歌唱とまでは言わないが、終幕の情念の表現は卓越していたと思う。
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二期会や藤原歌劇団のように、全員日本人または主要な役柄だけ外国人というキャストの組み方ではなく、外国人がキャストのほとんどを占めているのであるが、だがそこはやはり、若手演奏家にオペラに接する機会を与えることを目的とした小澤征爾音楽塾。必ず日本人だけのカバー・キャストが組まれているのである。この点が、昔小澤が日本でシリーズとして行っていたヘネシー・オペラと異なるところ。カバー・キャストとは、メイン・キャストが何らかの事情で出演できない際に代役を務めるということであろうが、できればカバー・キャストが実際に舞台に立つ公演もあれば、歌手たちのモチベーションは著しく上がると思うがいかがなものか。尚、そのカバーの歌手たちの紹介を見ていると、藤原所属、二期会所属、それ以外と、日本的な派閥とは全く異なる幅広い人選であり、やはり小澤という名前と彼の発想が、日本のしがらみを取り払っているのを感じる。

演出は、このシリーズではおなじみのデイヴィッド・ニース。それなりに気が利いていて、しかも過激すぎたり理屈っぽくならない安定した演出を行う人である。プログラムに寄せた文章では、この「カルメン」には (先の 2月 6日の記事にも書いた通り) フランス語のセリフを入れるか、音楽に乗せたレチタティーヴォにするかという版の選択の問題があるが、ニースと小澤は、迷うことなく、オリジナルのセリフ版 (オペラ・コミック版) を選んだという。ただ、フランス語を母国語としない歌手たちのために、フランス語による演技は極力少なくすべしという方針から、セリフはかなり切り詰めたとのこと。それはそれで一見識だったと思う。演出の細部には興味深いものが多々あり、例えば、冒頭の前奏曲のあとの「運命の動機」では、終結部でドン・ホセが銃殺される場面の前兆になっていて、円環構造を示していた。また、1幕でミカエラとホセが二重唱を歌う場面では、カルメンが煙草を吸いながらこっそりそれを見ているという設定で、その後カルメンの起こす騒動が、彼女がホセの気を惹くための自作自演ではなかったと思わせる作りとなっていた。終幕では闘牛士たちの入場に対して真っ赤なテープが門の上層階から投げ入れられるが、その長いテープが地面で渦を巻いているところに、その後ホセに刺されたカルメンが横たわり、祝福のテープが一瞬にして鮮血に変わってしまうのである。なかなかに奇抜な演出で、面白かった。終演後はもちろんスタンディング・オベーション。すべての音楽ファンが慕い、その音楽を熱望する小澤の、その健在ぶりが本当に嬉しいのだ。これは京都公演のカーテンコール。
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このような元気な姿を見ると、今年のセイジ・オザワ松本フェスティバルが楽しみになるのであるが、先般発表された今年のスケジュールを見ると、若干複雑な思いにとらわれる。一昨年・昨年と小澤が指揮する予定であり、結局果たせなかったブラームスの 4番は、今年は予定されていない。8月25・27日にベートーヴェンの「レオノーレ」序曲第 3番、そして、9月 8・10日に内田光子の伴奏でベートーヴェンのピアノ協奏曲第 3番。小澤の登場はそれだけだ (その他では、今年もファビオ・ルイージが登場して、大作、マーラー 9番を振るのが注目だ)。うーん。例えば、ブラームス 4番 1曲だけのプログラムとし、途中に休憩が入ってもいいから、全曲やってもらえないものだろうか。今回のような元気な指揮姿を見ると、そのように思わざるを得ないのである。元気といえば、今回のプログラムに文章を寄せているドナルド・キーンを、会場で見かけた。既に 94歳ながら、しっかり歩いていた。小澤さんもまだまだ頑張って欲しいのである!!
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by yokohama7474 | 2017-03-26 23:39 | 音楽 (Live) | Comments(0)