熱海 その 1 旧日向別邸、創作の家

前回の MOA 美術館での「山中常盤物語絵巻」の記事に続き、熱海の文化スポットを幾つかご紹介したい。熱海を、温泉と貫一・お宮 (って、若い人は知らないか 笑) だけの街と侮ってはいけない。1500年の歴史を持ち、鎌倉時代には源頼朝ゆかりの地となり、江戸時代には徳川家康お気に入りの湯となり、そして明治以降は財界人は別荘を持ち、あまたの文人墨客がこの地で創作し、またお互いに交流を持った。そのように歴史の蓄積のある街であるから、今でも実は多くの文化的スポットを抱える見応え充分の場所なのである。私も若い頃は仲間の不良連中と、何度も熱海や伊東に遊びに行ったものだが、正直当時の熱海は、ちょっと寂れたかなぁという感じがあった。それに比べると今回実感した賑やかさは、ちょうど 3連休の中日ということもあって、それはそれは大したもの。これからご紹介する文化遺産には、近年になって整備されたもの、あるいは今現在整備中のものもあり、これからまだまだ熱海の歴史的意義にスポットが当たって行くものと思うので、このような記事が文化に関心を持つ方々のなんらかの参考になればよいと思います。

何はともあれ、まずこれだ。
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これは熱海駅のまん前、ロータリーに面した場所にある足湯。その名も「家康の湯」と名付けられている。家康は熱海の「大湯」という温泉 (現存する) の湯を愛し、わざわざ江戸まで運ばせたといい、1604年に家康がこの地を訪れてから 400年を記念してこの駅前の足湯が作られたらしい。実はこの家康の湯の横には、大湯を模した間欠泉が設けられ (ということは、実は帰ってきてから調べて分かった。上の写真の向きからだと左側に間欠泉があったらしいが、見逃してしまった・・・)、そこから流れる湯に足を入れることができて、大人気スポットになっている。すぐ横にはタオルの自動販売機もあり、いかにも気が利いている。なので、熱海に列車でお出かけになる女性の方、決してストッキングを履いていかないように、との家人からのアドバイスであります (笑)。
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さて、それでは熱海駅から徒歩で行ける大変貴重な場所をご紹介しよう。それは重要文化財、旧日向別邸 (きゅうひゅうがべってい)。熱海駅前のロータリーを抜けて、突き当りを左に進み、右手に東横インを見て、その先の春日町という交差点に着いたら、右手にある細くて急な坂道を登って行く。ウェブサイトの表示では徒歩 7分だが、春日町からの上り坂はかなりの急勾配。歩いて行く人は、時間と体力の余裕を見ておく必要がある。この看板が見えたら、左手の石段を下り、右手に見えるのが旧日向別邸だ。
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なぜに時間的なことを気にすべきかというと、上の看板に記載がある通り、この場所は完全予約制。土・日・祝日の一日数回のみ、事前予約をした人たちだけが入れるのである。いやいや、大人気の観光スポットならともかく、この場所はそれほど人気殺到というわけではなかろう。予約しなくても大丈夫では、と思う方もおられよう。だが現地の入り口にはこのような表示が。
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実際私たちは、熱海駅から徒歩で現地に向かい、細い坂道を上るとは知らずに海の方まで一度出てしまうという方向音痴ぶりを夫婦で発揮していたため、予約時刻ちょうどに到着すると、その時刻に予約した他の人たち 10名はすべて到着済で、少々恐縮してしまったのである。日本人は時間厳守なのである。さてそれでは、これは一体いかなる場所か。上の看板にはっきりと書いてあるのだが、ドイツの名建築家、ブルーノ・タウト (1880 - 1938) が設計した建造物なのである。タウトについては私もこのブログの過去の記事で触れているので、もしご存じない方がおられれば、以下をご参照。

http://culturemk.exblog.jp/24559203/

http://culturemk.exblog.jp/23671987/

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タウトはドイツでいわゆる表現主義の建築や集合住宅などを手掛けて活躍していたが (そのうちの幾つかは現在世界遺産に登録されている)、共産党寄りの思想の持ち主で、実際にソ連で活動していたこともあったため、1933年に反共産主義のナチスが政権を取ると、迫害を逃れて日本に亡命。高崎に居を構え、わずか 3年とはいえ、桂離宮をはじめとする日本の建築を研究し、弟子も育てたのである。それゆえ彼の名前は日本でも半ば神格化されていると言えるほど知られているのであるが、実は彼が実際に設計した建造物は、少なくとも現存するものはこの旧日向別邸のみなのである。それゆえこの建造物は極めて貴重で、重要文化財に指定されている。だがその指定は 2006年のこと。つい最近なのである。現在でも未だ、充分観光地として整備されているとは言えず、私が現地を訪れた日には、「この施設の案内 DVD がちょうど昨日完成して、今日初めてお見せするんです。でもナレーションも音楽もないんですけど」と、熱海市の職員の方であろうかまたはボランティアの方であろうか、現地の案内の男性が笑って説明して下さった。

タウトが設計したのは、アジア貿易で成功した日向利兵衛という実業家が熱海に持っていた別邸の、その地下の部分なのである。地上に建っている母屋自体も、このように一見何の変哲もない日本家屋に見えるが、設計は、銀座和光や横浜ニューグランドホテル、また東京国立博物館の原案を手掛けた渡辺仁。こちらは現在公開されていないが、将来的には補修の上公開する計画はあるようだ。
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現地で入手したチラシに、母屋と地下室の見取り図があるので掲げておく。タウトが設計した地下部分は、いちばん下に記されている部分。
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現地は写真撮影禁止なので、この施設を現在所有する熱海市のホームページからいくつか写真を借用する。まず、地上から階段を下りた場所がこれ。竹をうまく使って機能的にできている。
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この部屋は社交室になっていて、当時ダンスなどを楽しんだようだ。あまり広くはないが、和風のようでもあり、モダニズムの匂いもする、タウトらしい建築である。天井からやはり竹を接いだ長い棒が横に吊るされていて、そこに多くの電球が並ぶ。だが係の人によると、直列式なのであまり明るくはないようだ。
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真ん中の部屋は洋間と上段。敷地内に段差があるので、木の階段が設けられ、落ち着いたような敷居が高いような、一種独特の空間になっていて面白い。
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そしてその奥は日本間とやはり上段。空間構成は洋間と似ているが、天井が違うし、手前左のびっくりな位置に床の間まである。またこの部屋には天井に照明がなく、行灯を移動して使用したらしい。
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実はその奥にももうひとつ部屋があるのだが、これは用途不明の和室。ネットでも写真が見つからないので、こればかりは、是非現地でご体験頂きたい。実はこの建造物、日向家が手放したあと、自宅として使用した人が 2人いたが、どうも住居には向かないということで都度売却され、結局企業の保養所として 1952年から 50年ほど使用された。その間少しの改修はあったようだが、かなり原型をとどめたまま使用されたのは何よりであった。その後、東京の篤志家の婦人がこの建築の価値を認めて寄付をし、それによって 2004年に熱海市の所有となったとのこと。貴重な文化財を伝えて行くのは、その価値を認める人たちの思いと、その思いを実現するための資金。タウトが日本に残した唯一の建築、長く後世に伝えて行くのは我々の役目である。

次に向かった先は、創作の家と名付けられた場所。誰の創作かというと、洋画家の池田満寿夫 (1934 - 1994) と、そのパートナーでヴァイオリニストの佐藤陽子 (1949 - ) である。この 2人の芸術家がともに暮らした旧居が、当時そのままの状態で公開されていて大変興味深い。尚、池田が比較的若くして亡くなったことは知っていたが、死因は知らなかった。Wiki によると、地震が起こった際に犬に飛びつかれて昏倒し、急性心不全で亡くなったとショッキングなことが書いてあって驚く。調べてみるとほかの情報もあるようで、真実は分からないが、突然の死であったことは確かなようだ。このワンちゃんだろうか・・・。犬好きとしては何やら胸に来るものがある (涙)。
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この創作の家、熱海駅から MOA 美術館の方向に向かう途中にあり、やはり徒歩ではかなりきついが、歩けないほどではない。
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家の中は撮影禁止なので、詳細はご紹介できないが、上記のように急逝してしまった主の佇まいが今でもそこに残っていて、まるで芸術家夫婦に温かく迎え入れられたようだ。池田が使用していた古い音響機器などもそのままだし、洗面所やリビングの佇まいも、人間の生活の匂いがする。また、入り口近くに来訪者用の岩風呂 (もちろん温泉) とサウナがあって、池田の手作りのステンドグラスなどもあり、芸術家風のもてなしが微笑ましいし、一介の観光客でも、まるで歓待されているように感じるのである (笑)。また、佐藤が若い頃に斎藤秀雄の指揮で演奏したチャイコフスキーのコンチェルトの CD が地下の音楽室から流れていて、屋内が音楽に満たされている。主を失ったアトリエも、その BGM のもと、なんとも落ち着いた雰囲気で、大変気持ちよかった。佐藤は未だ現存だが、近くのマンションに居住しているという。きっと、死を看取った池田との大事な思い出が、この家には満ちているに違いない。観覧する方も、そのようなことを感じながら、芸術が生まれ来る瞬間に思いを馳せたいものである。

熱海文化の旅、次回に続きます。

by yokohama7474 | 2017-03-28 01:18 | 美術・旅行 | Comments(0)
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