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熱海 その 2 伊豆山神社 (伊豆山郷土資料館)、起雲閣

先の記事でご紹介した、池田満寿夫と佐藤陽子の「創作の家」から我々が向かったのは、伊豆山神社。タクシーの運転手さんに、「イズヤマ神社までお願いします」と言うと、「はい、イズサン神社ですね」との返事。そうなのだ、「伊豆山」は「イズサン」と読むのである。この神社が位置している山の名前であり、これが伊豆の名前の由来なのだそうだ。私がここに行きたいと思ったのは、上古の昔に遡るというその古い歴史もさることながら、神社に併設された伊豆山郷土資料館に、面白そうな文化財がありそうな気がなんとなくしたからである。実際その勘はバッチリ当たったのであるが、その前に、この神社に辿り着いた際に運転手さんが説明してくれるには、「あれが小泉今日子が寄進した鳥居です」とのこと。小泉今日子ってあのキョンキョンかい、と思ったらその通りで、なんでも、この神社の宮司さんの嫁? がキョンキョンの友人であるとか。鳥居の裏にはしっかりと、「平成 22年 4月15日 奉納 小泉今日子」と書いてある。
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ここ熱海の地は、日本でも珍しい横穴式源泉を持ち、山中から湧き出した温泉が海岸に走り落ちる様子から、「走湯」と呼ばれており、そもそも熱海という名は、その走り落ちる温泉によって海が熱くなるということが語源になっているらしい。ここ伊豆山神社は、その走湯を神格化したもので、古くは伊豆権現とも走湯権現と呼ばれて信仰を集めていたとのこと。その格式は非常に高く、関八州総鎮守という位置づけであり、昭和天皇や現在の皇太子も訪れたことがあるとのこと。興味深いのは、この神社には等身大をはるかに超える平安時代の男神像が伝わっていること。日本最大の神像彫刻であり、重要文化財に指定されている。通常は本殿に安置されていて絶対拝観は叶わないが、昨年、奈良国立博物館で開かれた「伊豆山神社の歴史と美術」展には出品されたとのこと。ここで私は自己嫌悪に陥る。そんなに貴重な彫刻が展示されていたのに、私は全く愚かで、当時この伊豆山神社も知らなければ、展覧会の開催自体も知らず、その貴重な機会を逃してしまったのである。実に惜しいことをした。これが、私が一生見ることが叶わない可能性大の、その神像。素晴らしい保存状態であり、なんとも堂々たる存在感ではないか。
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この神社はまた、源頼朝とも縁が深い。平治の乱のあと伊豆の蛭ヶ小島に流された頼朝は、その後 20年を経て平氏打倒の兵を挙げることとなるが、その流刑中にこの地を頻繁に訪れ、ここで北条政子と出会ったとされている。境内にはこのような石があり、頼朝と政子がここで語らって恋に落ちたとの解説がある。真偽のほどはもちろん定かではないものの、当時この神社が持っていた兵力による保護がなければ、頼朝が挙兵するのは無理であったということらしい。その意味で、日本の歴史において極めて重要な場所なのである。
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タクシーの運転手さんは、「この神社に行く人で、資料館に行きたいと言う人はほとんどいませんよ」といぶかしげであったが (?)、本殿横の資料館に向かったのである。ただ、本殿を素通りするのは神様に失礼であると思い、資料館に行く前にお参りした。本殿の手前の建物、拝殿の欄間の彫刻がちょっと気になったが、色も綺麗だし、そんなに古いものではないのかもと思い込んだ。その後、これが私にとって大変に価値のあるものだと判明したのであるが。
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そうして向かった資料館。えっ、なんだ、こんなに小さいのか・・・。
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タクシーを待たせているし、このように小さな場所だから、ささっと見て出ようと思ったのだが、受付の男性が「説明しましょうか」と出て来られ、ほんの数人しかいない観覧者に対して展示品の説明を丁寧に始めた。それゆえ、結果的に 30分前後その資料館にいることになったのだが (笑)、実に興味深い話をあれこれ聞くことができて大変楽しかった。まず最初の衝撃は、上述の拝殿の彫刻である。正面に見える現在極彩色になっている龍の彫刻の、素木版が置いてある。なんでもこちらがオリジナルで、関東大震災だかの時に落下してしまったので、現在のものはその複製に彩色したものであるという。
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驚きはその作者である。波の伊八だ!! この新聞記事にある通り、つい最近、2012年に判明したばかりだという。
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波の伊八 (1751 - 1824) は、一般的にはあまり知られていないかもしれないが、江戸時代に活躍した彫刻家で、寺社の装飾を専門に手掛けた人。千葉の出身であり、同県に多くの作品を残しているほか、関東一円で作品が確認されている。波を得意とし、彫刻家仲間では、「関東に行ったら波を彫るな」(= 伊八に勝てるわけがない)と言われるほどの腕前であった。最も有名な作品は、千葉県行元寺の欄間の彫刻で、これはまさに波なのであるが、その地を訪れた葛飾北斎が、その伊八の彫刻にインスピレーションを得て、あの有名な「神奈川沖浪裏」を制作したと言われている。私は数年前にその行元寺を訪れたことがあり、周辺の寺にある伊八の彫刻も併せて見て回って痛く感動し、地元で作成している伊八作品の写真集まで購入したものだ。その伊八作品のご紹介は、以前からこのブログの使命 (?) であると私は考えていて、いずれ現地を再訪して記事を書くつもりである。従って、ここではそれらの伊八作品の写真を掲載するのはやめておこう。いずれにせよ、熱海で思わぬ伊八との再会を果たし、私の心は、熱海の海なさがら、熱くなったのである。

それ以外にもこの資料館には、平安時代の経筒 (経巻等を銅の容器に入れて地中に埋めたもの) や宝冠阿弥陀如来やその脇侍、伊豆大権現の扁額や、銅製の伊豆大権現像などが展示されていて、大変な充実である。以下、宝冠阿弥陀 (これと一具であったもう一体の宝冠阿弥陀は現在、広島県の耕三寺所蔵であるが、快慶作であると近年判明し、重要文化財に指定されている)、扁額 (八咫烏、鳩、ヤモリ等が隠れている。江戸時代、姫路藩主酒井忠道 (ただひろ) --- あの大画家、酒井抱一のいとこである --- の揮毫)、伊豆権現像 (鎌倉時代の作で、近年修復されたが、温泉をかけて礼拝されたらしい)。
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またこの神社には極めて特異な絵画作品も伝わっている。それは、法華曼荼羅。北条政子の髪を使って梵字が表されているという。本当に政子のものか否かは不明だが、実際に人の髪を使っていることは確かである由。私が乗ったタクシーの運転手さんは、以前これが公開されたときに奥さんと一緒に見に行ったが、それはそれは不気味だったとコメントしていた (さすが地元の人、そのような稀なチャンスを逃さずにお宝に接していますね!!)。
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このように大変充実した伊豆山神社と伊豆山郷土資料館を離れ、最後に向かった先は、起雲閣 (きうんかく)。もともとは 1919年に、海運王と呼ばれた内田信也の別荘として築かれ、岩崎別荘 (非公開)、住友別荘 (現存せず) と並ぶ熱海三大別荘のひとつと謳われたとのこと。その後、一時は、東武鉄道を創立した、こちらは鉄道王と呼ばれた根津嘉一郎の所有にもなったが、1947年に旅館となり、熱海を代表する宿として多くの文人墨客が訪れたという。2000年には熱海市の所有となり、大正・昭和のロマンを残す貴重な場所として一般公開されている。入り口の門は、極めて簡素で品がよい。
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庭に入ると、誰もが感嘆の声を上げるであろう。大変よく手入れされた豪快な日本庭園だ。
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建物の中に入ると、高級旅館そのままの雰囲気だが、いくつかの部屋にはこの宿にゆかりの文学者の資料が置いてある。こんな具合である。
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太宰治がこもって執筆活動をしていた建物は現存していないらしいが、この場所で撮影されたこのような豪華なショットがあって、大変興味深い。
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左から山本有三、志賀直哉、そして谷崎潤一郎である。私の敬愛する谷崎の書が展示されている。
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また、室内の装飾にも興味が尽きない。根津嘉一郎が建てた洋館には、玉姫 (たまひめ)、玉渓 (ぎょっけい) と名付けられた部屋があり、まさに古きよき日のロマンの息吹を今に伝えている。
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それから、金剛と名付けられたローマ式浴室。三島由紀夫もここで自らの裸体を鏡に映して、惚れ惚れしていたのであろうか (笑)。午後の光が、過ぎ去りし日の残照をたたえている。
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このように熱海には、遥か古代から近代までの興味深い場所が目白押しなのである。今回は訪問できなかったが、中山晋平、佐々木信綱、坪内逍遥らの旧宅も残っているらしいし、谷崎の別荘も、公開はしていないが現存しているらしい。その他、もうひとつの古い神社である来宮神社などもあるし、これはまたいつか時間を見つけて、再度出かけていかねばならんな、と思っている。それから、前の記事で熱海ゆかりの貫一・お宮は若い人は知らないだろうなどと書いたが、もちろんこれらの人物が登場する尾崎紅葉の「金色夜叉」が、私にとって親しい存在であるわけもない (笑)。だが私の書庫には、どうやらこの作品の初版本の復刻とおぼしい書物が存在している。「近来絶無之奇書」とある!! (笑) 以前読みかかって中断したままになっているので、できれば再度取り掛かり、次回の熱海訪問までには貫一の気持ちになれるよう、がんばりたいものだと思っている。熱海、おそるべし。
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by yokohama7474 | 2017-03-29 01:05 | 美術・旅行