2017年 04月 02日
ティツィアーノとヴェネツィア派展 東京都美術館
題名で明らかな通り、これはティツィアーノをはじめとするヴェネツィア・ルネサンスに関する展覧会。昨年 11月 3日の記事でも、国立新美術館で開かれた「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」という展覧会をご紹介したが、それを補完するような位置づけと思うと興味深い。日本においてはルネサンスはそのままフィレンツェの絵画運動かのように思われているかもしれないが、もちろん、当時のイタリアは数々の都市国家からなっており、東方貿易で富を築いたヴェネツィアは、その富にふさわしいだけの文化をその地で築いたのである。当然にして絵画の分野でも天才が現れた。私は 20年ほど前にこの街を一度訪れたきりで、長らくご無沙汰してしまっているが、中学生のときから、聖マルコ寺院を見るまで死なないぞと誓っていたほどの憧れの地であり、幸いなことにその人生の目標が 30代で達成できた時には、痛く感動したものである (笑)。その際、現地を訪れる前にヴェネツィア派についても一通りの勉強をして行ったものであるが、それが今でも私のヴェネツィア・ルネサンスの知識のもとになっている。それによると、代表的な画家はもちろんティツィアーノと、それに続くティントレット、そしてヴェロネーゼであるが、それに先立って、ヤコポやジョヴァンニらのベッリーニ家、そしてあの神秘的な「テンペスタ」を描いたジョルジョーネがいたことが重要なのである。その観点からこの展覧会を見てみると、もちろんポスターになっている「フローラ」等のティツィアーノの優品はいくつかあるものの、それ以外に瞠目すべき作品というものは、実はそれほど多くない。とはいえ、当然のことながら、16世紀のイタリア絵画をそう沢山一度に日本に集めることを期待するのは、そもそも筋違いというもの。それゆえ、フィレンツェとは一味も二味も異なるヴェネツィアならではの絵画の在り方を、限られた材料から考える機会としては貴重なものになったということで、納得すべきなのであろう。
会場はかなりの混雑かと思って出向いたところ、予想外のガラガラぶりで、そのあたりにも、ヴェネツィア派の日本での人気が決して高くないことが伺えた。音楽好きの私としては、ヴェネツィアと言えば、ワーグナーが亡くなった場所であり、またストラヴィンスキーが埋葬されている場所であることから、死のイメージが強い。もちろん、シェークスピアの「ヴェニスの商人」の街であり、トーマス・マン / ルキノ・ヴィスコンティ / ベンジャミン・ブリテンの「ヴェニスに死す」の街であり、また、ヴェルディのオペラでも (特に調べることなく思いつくまま列挙するだけでも)、「2人のフォスカリ」と「オテロ」の舞台になっている街。つまりは、とても明るく楽しい街ではなく、退廃と策略と陰謀の街であるということだ。そこには統領 (ドーチェ) がおり、その人はまず、怜悧で狡猾な奴と相場が決まっているのだ (笑)。試しに、この展覧会に出展されていラッザロ・バスティアーニ (1449 から記録 - 1512) の「統領フランチェスコ・フォスカリの肖像」(1460年頃) を見てみよう。
次に私の目に留まったのは、ベルナルディーノ・リチーニオ (1485/89 頃 - 1550 頃) の「騎士の肖像」(1520 - 23年作)。
そしてまた、あまり記憶に残らないいくつかの作品の前を通り過ぎると、そこにはティツィアーノのもうひとつの傑作、ナポリのカポディモンテ美術館の所蔵になる「ダナエ」(1544 - 46年頃) がある。上記の「フローラ」から実に 30年ほどを経た時代の作品である。
ギリシャ神話に題材を採ったヌードをもうひとつ。ティツィアーノに続く世代のやはり天才画家、ヤコポ・ティントレット (1519 - 1594) である。「レダと白鳥」(1551 - 53年)。未だに若い頃の作品であるだけに、後年のうねり上がるような迫力はないが、ヴェネツィアという怪しい土地柄の個性は、既に充分に表れていると思う。