シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 2017年 4月 9日 東京芸術劇場

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この週末は、桜が満開だというのに、土曜も日曜も東京ではあいにくの天気。あぁ、今年も絶好の花見時を逃してしまった。だが、これも巡り合わせというもの。また来年を楽しみにしよう。来年の今頃桜が咲くことは、これはもう、まず確実なこと。なので、それを楽しめるように、まずは何よりも体調と、それから気持ちの余裕を持ち合わせるべく、来年に向けて準備しよう。春は必ずまた巡り来るのである。

そんな週末は、仕方がない。オーケストラでも聴きに行くか。あ、まぁ、どんな週末でも大体オーケストラを聴いているのが私の日常なのであるが (笑)。東京のオーケストラには、いわゆる日本の年度に合わせて 4月から新シーズンのところと、欧米に合わせて 9月から新シーズンのところがあるが、今回私が聴いた読売日本交響楽団 (通称「読響」) は前者。従って、4/8 (土)・9 (日) の 2日間に亘って行われた同じ曲目によるコンサートが、今シーズンのこのオケの開幕であったわけだ。指揮を取ったのはもちろん常任指揮者のシルヴァン・カンブルランで、曲目は以下の通り。
 ハイドン : 交響曲第 103番変ホ長調「太鼓連打」
 マーラー : 交響曲第 1番ニ長調「巨人」
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どこかの宣伝で、このコンサートの曲目を評して、「交響曲の最初と最後」とあるのを見たが、なるほど、番号付だけで 104曲の交響曲を書き、交響曲を器楽曲のメジャーな分野に押し上げたことで「交響曲の父」と呼ばれるハイドンと、19世紀末の頽廃の匂いを纏いながら、オーケストラ芸術の極限を実現し、伝統的な交響曲形式を破壊したマーラー。その意味では、確かにハイドンとマーラーは、交響曲の最初と最後ではあるのだが、さらに面白いのは、この「最初」のハイドンは、103番と、彼のほとんど最後の交響曲、「最後」のマーラーの方は 1番で、彼の最初の交響曲ということだ。だから「最初の最後と、最後の最初」という表現が正しい。

フランスの名匠カンブルランのレパートリーは広く、昨シーズンも今シーズンも、これぞフランス音楽の神髄という曲目も多い一方で、今回のようにドイツ系の音楽を振らせても、その鋭い切り口はそのままで、説得力のある音楽を聴かせるのである。そもそも、ハイドンの交響曲は、オーケストラの基礎となるべきアンサンブルを必要とする音楽であり、このようなレパートリーを愉悦感とともにきっちり弾きこなすことは、どのオケにとっても非常に重要なことであると思う。絵画に例えて言うならば、マーラーのような後期ロマン派の音楽が、色彩溢れる大作の油絵だとすると、ハイドンの交響曲はデッサンと言ってもよいだろう。画家が大作油絵をものするには、細部のデッサンが欠かせない。ともすると大作に圧倒されがちな鑑賞者ではあるが、その作品の裏にしっかりとしたデッサンが描かれているか否かによって、その大作への評価も変わって来ようというものだ。その意味で今回のハイドン、今の読響の充実を物語る、なんとも小股の切れ上がった素晴らしい演奏で、聴いていて本当に楽しかった。この曲はティンパニ (マーラーで使用されたそれとは異なる古いタイプのもので、サイズも小さく、バチも硬いもの) の連打で始まるために「太鼓連打」というあだ名があるのであるが、冒頭で太鼓だけがドコドコ鳴る部分は、なんとも祝祭的なイメージだ。これはシーズン開幕の祝砲であったのか。だが序奏では深いところで何かがうごめくような音楽になり、それがゆえに、主部に入ったときの溌剌感が強調される。すなわち、低音の充実が重要であるのだ。その点、チェロが 4本であったので普通なら 2本となるはずのコントラバスが 4本いて、しっかりと低音を支えていた。さすがカンブルラン、才気走っているようでいて、基本をきっちり抑えているのである。全 4楽章、読響の優れたアンサンブル能力がフルに発揮された、素晴らしい演奏であった。交響曲の最初と最後という観点でも、何か発見がないかと思って聴いていたのだが、この曲の終楽章には、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の大詰めの音楽に似た個所が現れる。また、第 1楽章の序奏では、ベートーヴェンの交響曲第 1番を思わせる部分があり、主部の勢いのある部分は、例えばシューマンの 2番を連想したくなる。うむ、そうなると、第 2楽章アンダンテはブルックナーの緩徐楽章に、第 3楽章メヌエットはマーラーのスケルツォ楽章に、つながっているような気がしてくるのである!!・・・まあさすがにちょっとそれは盛り過ぎですな (笑)。これが、「パパ」と呼ばれたハイドンの肖像。
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前半の演奏の充実になんとも楽しい気分になり、15分の休憩の後、後半のマーラーに入った。このような大作では、指揮者の持ち味が様々なところに出るものであるが、カンブルランの指揮は、決してオケを煽り立てることなく堅実に弾かせながらも、いざというところではテンポを落として溜めを作る。その自在な緩急が音楽に強い説得力をもたらしていたと思う。読響の音はここでも非常にクリアで、金管にほんのちょっとの課題が残った以外は、誰もが認める名演の域に達していたであろう。私はこれを聴きながら、昨今の東京のオケの充実に改めて思いを致していた。終楽章のコーダでスコアの指定通りホルン (と、トランペット、トロンボーン各 1人ずつ) が起立したのも、音の流れに乗った自然な行為と思われた。それを見ながら、日本のオケで日常的にこんなレヴェルの音楽が聴けるようになったことを改めて感じ、音の奔流に鳥肌が立ったものである。もちろん、この曲のクライマックスで鳥肌が立たなければ困るわけであるが (笑)。恐らくは西洋音楽の歴史において、少なくとも器楽曲の範疇でそれまでに達成された最大音量の記録を更新したであろうと思われるこの曲には、若きマーラーの青春が燃え立っているわけで、クライマックスに至るまでの長い長い道のりは、そのまま青春の炎なのである。私は今まで、実演及び録音・録画メディアを通して、何百回この曲を聴いたか分からないが、かれこれ 38年くらいに亘るこの曲とのつきあいの中で、控えめに見て年間平均 20回聴いたとすると、実に 760回!! ということになる。その中で、印象に残っているものそうでないもの、いろいろあるが、改めて今回の演奏に耳を澄ませてみると、演奏の達成度の高さが、曲の冗長さを排除しているように思う。思えば、朝比奈隆はブルックナーだけでなくマーラーにも造詣が深く、ほぼすべての交響曲を採り上げたが、唯一この「巨人」だけは採り上げなかった。その理由として、「いかに偉大なマーラー先生の作品とはいえ、終楽章が全くまとまっていない」という趣旨の発言をしていた。またクラウディオ・アバドは、ベルリン・フィルの音楽監督就任披露コンサートでこの曲を採り上げた際のリハーサルで、クライマックスで立ち上がったホルンに対し、確か「19世紀ではあるまいし、起立は不要」というような言い方で、着席での演奏を命じていた。だが時代は移り、ここ極東の地、日本では、聴衆はどんなに長くても終楽章の盛り上がりを楽しみに待っているし、ホルンの起立に鳥肌立っているのである。カンブルランもそのあたりの客席からの反応は、充分に感じていることだろう。これは若き日のマーラーの写真。
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さて、今回の演奏会の成功に重要な貢献をした人がいる。この 4月から新たに読響のコンサートマスターのひとりに就任した、荻原尚子 (おぎはら なおこ) である。
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私はこのコンサートに行くまで彼女のコンマス就任を知らなかったが、読響の 3月22日付の発表によると、これでこのオケのコンマスは、彼女と小森谷巧、長原幸太の 3人体制となり、日下紗矢子は、特別客演コンマスになった。この荻原さん、ベルリンやハンブルクで、豊田耕兒やコーリヤ・ブラッハーに師事、マーラー・チェンバー・オーケストラのメンバーを経て、2007年からケルン WDR 響のコンマスを務めたという。と書いていて、何か記憶の底がモゾモゾするので (笑)、自分のブログの過去の記事を調べてみると、おぉ、なんと、2015年12月 5日の記事で、オスモ・ヴァンスカ指揮の読響の演奏会で彼女が客演コンサートマスターを務めていたと書いていた。なるほど、しばらく準備期間を置いての就任であったわけである。もちろんこのオケの他の 2人のコンマスも素晴らしい人たちだから、刺激を受けることもあろう。思い出してみれば読響は、30年くらい前は弦楽器奏者は全員男性ではなかったか。それが今や、日下に続いてこの荻原のような才能豊かな人が率いることになっているのも、東京のオケの進化と言ってよいだろう。

このように、大変気持ちのよい演奏会であったのであるが、ひとつだけ不思議な現象を経験した。私の席はステージに向かって右側の方だったのだが、後半のマーラーの演奏中、ずっとどこかからほかの音楽が小さな音で響いていた。独唱や合唱が声を張り上げており、ひとつだけ判別できたのは、「グリーンスリーヴス」であった。私の周りの人たちは、もしかして自分の携帯から音が漏れているのかと、しきりにカバンを覗いていたものである (笑)。それにしてもあれは一体何であったのか。別の場所のリハーサルの音声だったのかもしれないし、ラジオのようにも聴こえた。いずれにせよ、熱演に水を差す忌まわしき雑音であって、聴衆としては許してはおけないものだ。もし関係者の方がご覧になっていれば、事実確認をお願いしたい。

カンブルランと読響の演奏、来週末も、もうヨダレが垂れそうな素晴らしい曲目を聴きに行くことになる。そのときにもしまたあのような騒音が聞こえれば、私は大声でわめいてしまうかもしれませんよ!!

Commented by 吉村」 at 2017-04-12 22:02 x
この日、私はちょうどBaden Badenでラトル指揮のベルリンフィルで、マーラーの6番を聴いていました。案外明るい音色でしたが、最終楽章の緊張感は鬼気迫るものがあり、二発目のハンマーの衝撃はすさまじく、担当のティンパニー奏者がよろけるほどでした。
ペトレンコの悲愴と、ラトルのトスカについては、また今度お目にかかった際に詳しくお話しますが、ペトレンコの指揮ぶりはドゥダメルを上回る雄弁なものでした。特に左手の動きは一度だけ聴いた(観た)カルロス・クライバーの動きを彷彿とさせました。
Commented by yokohama7474 at 2017-04-12 23:28
> 吉村」さん
うーん。お話をお聞きするだけでヨダレが垂れてきますねー (笑)。是非また詳細を聞かせて下さい。
by yokohama7474 | 2017-04-10 00:12 | 音楽 (Live) | Comments(2)