木 × 仏像 飛鳥仏から円空へ 日本の木彫仏1000年 大阪市立美術館

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このブログで既に採り上げた、アラン・ギルバート指揮東京都交響楽団の大阪公演に出かけた週末、せっかくの機会なので大阪の別の場所を見ようと思った。いくつかの候補を頭の中で考え、結局選んだのは、天王寺公園内にある大阪市立美術館で開かれているこの展覧会だ。この美術館には随分長いこと行っていない。多分 30年以上だろう。うーん、確かにそれは長い (笑)。その間にこのエリアがきれいに再開発されたことも知っているが、なかなか出かけることができなかった。今回は、私としては必見の展覧会が開かれているということで、この歴史ある美術館 (1936年開館) に行くこととした。

この日は天気がよく、天王寺公園ではドッグランで犬を遊ばせる人もいれば、家族で芝生の上でくつろぐ人たちも。
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実はここに来る前にすぐ近く (だと思い込んでいたが意外と遠かった 笑) の四天王寺に行っており、そこから市立美術館まで歩くと、未だ 4月だというのに汗ばんでくる。だが、ようやく見えてきた、この立派な建物の威容。この美術館の前から階段の向こうを見晴るかすと、新世界名物、通天閣が見える。
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さて、現在この美術館で開かれているのは、日本の仏像彫刻の中でも木彫りの作品を集めた展覧会。まさに飛鳥時代から江戸時代の円空まで、1000年に亘る日本の木彫り仏が集合している。日本は森林が多く、建物にも木を使うし、歴史的に我々の日常生活には木が欠かせない。そんな環境で営まれてきた日本の仏教文化も、当然のことながら樹木と密接な関係がある。この展覧会を通してそのような感覚を再確認してみよう。最初に我々を出迎えてくれるのは、東京国立博物館所蔵の飛鳥時代の菩薩立像。いかにもこの時代の作品らしく、顔が大きく正面性のみ考慮された素朴な作品で、渡来仏の雰囲気満点だ。この時代には青銅製の作品が多く、木彫りは珍しい。どこの寺に伝来したものか興味があるが、明治以前の来歴は不明であるとのこと。
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これもやはり飛鳥時代の天王立像で、東京藝術大学の所蔵。これは確かに古く見える。法隆寺金堂や当麻寺の四天王像と共通するものがあると思うが、それにしても木彫りの小品がよくぞ今日まで伝えられたものだ。この像もやはり明治以前の来歴は不明である由。
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続いて、唐招提寺の有名な「講堂諸仏」(以前講堂に並べられていたことによる) から、重要文化財が 2点。薬師如来立像と伝獅子吼菩薩立像である。この堂々たるモデリングと、流れるような衣の表現は、奈良時代というよりも既に平安初期のスタイルであり、素晴らしい存在感だ。実は私は今、「仏像の樹種から考える古代一木彫像の謎」という本を読んでいるのだが、そこではこの唐招提寺講堂諸仏などを対象に、仏像に使われた木の種類を分析して、上代の仏像制作の謎に迫る試みがなされている。読み終えればまた記事にするので、お楽しみに。
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次も大変有名な仏像で、東大寺の弥勒如来坐像。この展覧会で唯一の国宝仏で、「試みの大仏」の異名で知られる。写真で見ると大きく見えるが、実際にはたったの 40cm 弱と小さな仏様である。東大寺の廬舎那仏、つまりは奈良の大仏という巨像を作る前に小さなサイズで作ったといういわれがあるが、多分、聖武天皇が作らせた最初の大仏よりも、この仏様の方があとの時代のものではなかろうか。その異国風の雰囲気はいわゆる貞観彫刻のイメージにふさわしい。その彫りの鋭く深いことは、いつ見ても感心する。
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お次は、件の四天王寺から。地理的にこの美術館から近い (しつこいようだが、歩くとそれほど近くない 笑) せいか、この展覧会にはこの寺から何体も興味深い仏像が出品されている。その中でもこれは有名なもので、重要文化財の阿弥陀三尊像。いずれも平安時代の作品ながら、その作風の違いから、もともとは一具のものではなかったのではないかと言われている。この脇侍の姿勢は、死者をお迎えに来たところであろうが、それにしてもなかなかの体のひねりぶりで、ユーモラスなほどだ。
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次も平安時代の重要文化財で、宮古薬師堂の薬師如来坐像。この仏像は、奈良の田原本町の小さなお堂に祀られている。私は現地に行ったことはないが、話には聞いていて、大変興味を持っている。今も地元の人たちの篤い信仰を受ける仏様であり、展覧会への出展は今回が初めてという貴重な機会なのである。
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この仏像も初めてお目にかかるものだが、なんとも可愛らしい。大阪の長圓寺の十一面観音立像。平安時代の作で、重要文化財である。一部が欠けている顔も、差し込んであるのではなく、明らかに本体と同じ木から彫り出されていて、お顔の優しさとは裏腹の、超絶的技術によって制作されている。
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次の仏像とは久々の再会。大阪貝塚市の孝恩寺の重要文化財、虚空蔵菩薩である。孝恩寺は国宝の本堂が釘無し堂という異名で知られている。大阪における文化財の宝庫だが、私はこれまでに一度しか訪れたことがない。この仏像 (当初は吉祥天として制作された可能性があるという) の存在感は大変なもので、久しぶりに現地を訪れたくなった。
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さて、会場のメインのスペースには、一体の大変珍しい仏像を囲んで、4体の地蔵菩薩立像が並んでいる。その珍しい仏像はこのあとにご紹介するとして、まずは 4体の中で私が最も興味を惹かれたお地蔵様だ。大阪、蓮花寺に伝わる平安時代の地蔵菩薩立像。頭の部分が痛々しく段になっているのは、木目が現れてきたということだろうか。いずれにせよ全身傷みが激しいのであるが、凄まじい執念でこの世にかたちを残しているといった雰囲気だ。このような仏像を見ると、仏が大地から生えた樹木から現れ、時の流れとともにいつかはまた大地に戻って行くのだという神秘性を感じる。応仁の乱の際は寺の池に沈められて難を逃れたという伝承もあるらしい。21世紀の我々は、あなたにお会いできて本当に嬉しいですよ!!
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そして、今回の展覧会の目玉である。冒頭に掲げたポスターにも使われている、京都、西往寺の重要文化財、宝誌和尚 (ほうしおしょう) 立像。まずはそのお姿を見て頂こう。
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な、なんということだ。お顔が真ん中から二つに裂けて、そこからもうひとつのお顔が覗いているではないか!!
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宝誌和尚とは、中国で 5世紀から 6世紀にかけて実在した人物で、梁の武帝が彼の姿を画家たちに描かせようとすると、宝誌が自分の指で顔を引き裂き、十一面観音がそこから現れて様々な表情をするので描けなかったという伝説によるものである。うーん、それにしてもこの造形は奇抜である。ここでは宝誌自身も、中から現出する観音も、非常に静謐な表情であって、なんとも神秘的だ。私は以前にもどこかの展覧会でこの像を見た記憶があるが、今回はガラスケースもなく周囲をぐるっと回って見ることができるのが嬉しい。そして、後ろに回って足元を見て気付いたことには (その部分の写真がないのが残念だが)、この仏像は明らかに一本の木から彫り出されている。つまり、裾の裏側は加工されておらず、本当に木の根っこのように見えるからだ。つまりこの像は、宝誌の肖像というよりは、自然の中から仏が現れてくるところを表現しているのではないだろうか。ひとつの証拠と考えられるのが、顔や手に明らかに残る鑿あとである。これはいわゆる鉈彫りと言われる手法で、定説では関東に分布している形態。だがこの作品は京都に存在しており、鉈彫りの分布範囲から外れる。私の理解するところでは、鉈彫りは東国武士の好みの荒々しい手法であると言われたり、単に未完成なのだろうと言われたり、あるいは、木の中から仏が現れるところを表しているのだという説もある。この最後の説は、これまでちょっと美化しすぎではないかと思わないでもなかったが、この像を見ると、果たしてそうかもしれないと思う。はっきりと残る鑿のあとをご覧下さい。
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ところで、私がこの仏像を知ったのは、全く意外な書物からであった。日本でも一時期は多くの崇拝者を持った思想家ロラン・バルト (1915 - 1980) が日本について語った書物、「表徴の帝国」(1970) の表紙だ。
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今、久しぶりに手元にその本を持ってきて開いている。この宝誌和尚像の写真の下には、このような文章がある。

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表徴とは裂け目である。そのあいだから覗いているのは、ほかならぬもう一つの表徴の顔である。
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この本、難解ではあるものの、相撲から歌舞伎から学生運動やパチンコに至るまで、日本について縦横に語っていて面白い。エクリチュールだかオートクチュールだか知らないが、あまり思想用語に惑わされずに読んでみるのも一興かと。

さて、例によって話が脇にそれてしまったので、もとに戻そう。これも珍しい作品で、大阪、東光院の釈迦如来像。と書いて気付いたが、これは豊中市にある萩の寺ではないか!! 私は子供の頃何度か行ったことがある。こんな仏像があるとは知らなかったが、これは何かというと、京都清凉寺の霊像、釈迦如来の光背についていた化仏 (けぶつ) なのである。像高 8cmと非常に小さく、後世になって文独自の光背と文殊菩薩、普賢菩薩が添えられたということらしい。
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これもまたミクロの超絶技巧が見られる作。四天王寺が所蔵する重要文化財の千手観音・二天像箱仏で、像高さ僅か 12.4cm。携帯用なのであろうか。
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これは大阪、専修寺の阿弥陀如来坐像。重要文化財で、寺伝では運慶作という。私はその情報を興味深く聞いた。なぜならこの仏像が結んでいる印は説法印というのだが、運慶作であることが明らかな静岡県、願成就院の国宝阿弥陀如来 (そちらは指が折れてしまっているが) と同じであるからだ。顔の張り方なども共通点があり、運慶自身の作でなくとも、その周辺の仏師の手によるものではないか。
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展覧会にはまた、四天王像が数多く展示されているが、興味深いのはこの新薬師寺所蔵のもの。鎌倉時代の作で、いわゆる大仏殿様と呼ばれるスタイルである。つまり、鎌倉時代に東大寺大仏殿に祀られた巨大な四天王のポーズを踏襲しているのである。現在の大仏殿には、その後江戸時代に再興された際に作られた 2体 (広目天、多聞天) だけがあり、やはりこの新薬師寺像と似たポーズを取っている。尚、江戸時代の大仏再興に際しては、四天王の残り 2体は資金切れのため、首までしか完成していない。
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この展覧会、最後の方には江戸時代の放浪の僧、円空の作品が登場する。十一面観音立像。これは埼玉県蓮田市の神職家に伝わったもので、神仏混交の頃の修験道信仰との関係で、円空が作品を残したのではないかと考えられている。円空は明らかに、樹木の持つ霊性を取り入れた造仏活動を行った人であろう。
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これはなかなか見ることができない例で、大阪の延命寺所蔵になる、大元帥明王像の頭部。北川運長という仏師が、元禄14年 (1701年) に制作に着手したが、発願者であった浄厳 (じょうごん) という僧が没したため、未完成に終わった。大元帥明王は敵を降伏させる恐ろしい明王で、彫刻の例は非常に少ない (秋篠寺にあるが、年一回公開の秘仏であり、私も未だ拝観したことがない)。浄厳は将軍家綱の帰依を得て湯島に霊雲寺をいう寺を開いたそうだが、この明王を作ろうとした目的は何だったのだろうか。だがこの頭部、大元帥明王のイメージとは異なって穏やかな表情であって、あかたも木の中から慈悲の顔がのぞいているように見える。
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まだまだ興味深い仏像が多く展示されていて、例えばひとつの寺やひとつの宗派の仏像だけ、あるいは同時代の仏像だけを展示したケースよりも、この展覧会は多彩な内容になっている。だがその展示作品の共通点は木彫りであるということで、そのような視点は大変に新鮮だ。日本人の考える霊的なものと、樹木という素材の関係を様々に考えさせてくれる、興味深い展覧会である。さて、日本人のもうひとつの特性、いや、これは日本人に限らず人間全般について言えることかもしれないが、聖なる場所のすぐ横には常に俗なる空間があるということ。展覧会を見終えて美術館前の階段を下りると、そこは新世界と呼ばれる繁華街。その後のコンサートがなければ、危うく昼間からたこ焼きに串カツにビール!! と行ってしまうところでした (笑)。聖俗併せ呑む余裕は常に必要で、そのような多義性もまた、人間の本質であろう。・・・でもビール、飲みたかったなぁ!!
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by yokohama7474 | 2017-04-29 23:47 | 美術・旅行 | Comments(0)