1940 リヒャルト・シュトラウスの家 (演出 : 宮城聰) 2017年 4月29日 静岡音楽館AOIホール

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これはコンサートホールで行われた催しであり、一流のプロの音楽家の演奏を含むことから、内容的にはコンサートに分類してもよいくらいなのだが、熟考の末、やはり演劇として紹介することとした。そもそも私がこの催しを知ったのは、ある東京の演奏会で配られたチラシであった。1940年のリヒャルト・シュトラウスというと、ちょうど皇紀2600年の頃。今日一般に演奏されることはまずないが、当時ドイツ最高の作曲家であった R・シュトラウスがこのときに奉祝音楽を書いたことは、音楽ファンにはよく知られている。私は、戦時中のドイツの音楽家と政治の関係には大いに興味を抱いていて、生涯をかけて勉強して行きたい分野のひとつなので、この芝居が扱っているのがそのテーマであると知ったとき、大いに好奇心が刺激された。だが、これは静岡市でのイヴェントだ。ちょっと遠いのは事実。だが、カレンダーを確かめてみて、この GW 初日には東京でコンサートが入っていないことが分かったので、あまりこの分野に知識がないと思われる (笑) 家人を誘って、出かけることとした。もちろん前後に静岡観光も行い、それはまた別途記事でご紹介する通り、なんとも素晴らしい小旅行になったのだが、まずはこのコンサート風演劇について書いてみたい。

私がこの公演に出かける決心をしたのは、ただその主題だけによるものではない。それは、演出家がこの人であったからだ。SPAC (Shizuoka Performing Arts Center = 静岡県舞台芸術センター) の芸術総監督である演出家、宮城聰。
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1959年生まれの宮城さんは、私より 6歳年上だが、私は随分以前から一方的に存じ上げている (ゆえに、「さん」づけなのである) だけでなく、一度だけだが、二人で話し込んだこともある。それは今を去ること 31年前、1986年のオイゲン・ヨッフム指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 (未だ「王立」を冠していなかった頃) の演奏会のあと。衝撃のブルックナー 7番の超名演の興奮を醒まそうとして入った喫茶店でのことであった。当時から彼はアマチュア劇団の主催者として異彩を放っていて、舞台での彼を何度も見ていた私は、今となっては恥ずかしい限りだが、当時は素人演劇などに少し関与していたものだから、やはり同じコンサート帰りにひとりで静かにお茶を飲んでいる宮城さんを見つけ、話しかけてしまったのであった。私の厚かましい行いに嫌な顔ひとつせず、芸術的な話題につきあって頂いた。高校・大学の先輩である野田秀樹がいなければ自分は芝居をやっていなかったであろうと話していたのが印象的であったし、ムラヴィンスキーのファンで、当時入手が難しかった (が、私はアナログレコードを持っていた) 彼のベートーヴェン 7番の録音が超名演だという話で盛り上がったことをよく覚えている。その後も何度かは彼の芝居を見に行ったものだが、最近はすっかりご無沙汰だ。2012年にシャルパンティエ作曲になるモリエールの「病は気から」の演出を見に行って以来のこととなる。

さて、会場の静岡音楽館 AOI (もちろん徳川家の葵のご紋からの命名であろう) は、静岡駅前にあって、交通至便である。このような近代的なビルの 8階にあり、618席の中型ホールである。東京で言うと紀尾井ホールに少し近い、いわゆるシューボックス型の長方形のホールだが、ユニークなのは、1階席の奥行が狭く、2階が始まるあたりの位置で 1階は終わってしまうような構造なのである。音響は素晴らしい。
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今回の演劇では、日本政府が皇紀2600年奉祝曲を欧米の作曲家に依頼することを決定するところから始まる。ドイツ以外にも、米国、英国、フランス、イタリア、ハンガリーの作曲家に委嘱をすることで、日本の威信を世界に見せつけようという試みで、その中でも音楽の国ドイツでは、最高の作曲家であるシュトラウスに作曲してもらうことが重要。ドイツでの経験を買われてその使命を負った若いビジネスマン (この芝居の登場人物中、唯一の架空の人物) が、アルプスに近いガルミッシュのシュトラウス邸に赴き、直接交渉をする。その後無事に作曲がなされて、初演されたあとの情景までが描かれているが、その間に、シュトラウスのトラウマ (父や、悪妻と言われたパウリーネ、そして息子) が現れたり、日本政府の思惑が暴かれたりする。そして時折、ソプラノの佐々木典子、バスの妻屋秀和という日本を代表するオペラ歌手たちが歌ったり、ピアノの中川俊郎、クラリネットの花岡詠二という達者な演奏家の演奏もなされる。演奏されるのは、1940年の雰囲気を表す、李香蘭が映画の中で歌った「蘇州夜曲」、シュトラウスの「無口な女」から「音楽とはなんと美しいものか」、シェーンベルクの 6つのピアノ小品作品 19、ワーグナーの「タンホイザー」から「夕星の歌」、ヴェルディの「椿姫」から「さようなら、過ぎ去った日々よ」、そして米国のポピュラー・ソング「私の青空」、最後にシュトラウス晩年の傑作「4つの最後の歌」と、実に盛り沢山。いずれも優れた演奏であったが、既にヴェテランでありながら深い声を響かせた佐々木典子と、最近大活躍の妻屋秀和のよく通る声には脱帽である。実はこの公演には音楽監督がいて、それは私が敬愛する作曲家でありピアニストである野平一郎。彼は SPAC の芸術監督なのである。
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まず私はここで、この公演の音楽の部を高く評価した。では一方の、演劇の部はいかがであろうか。ここでは 6人の役者たち (いずれも劇団 SPAC 所属) が様々な役柄を演じたが、ひとつの難点は、コンサート用のホールであるゆえに、残響が邪魔をして俳優の喋る声を聞き取りにくくしていたこと。そして、舞台上にはシュトラウスらが座るデスクをイメージした簡易なセットがあるだけで、ほかには酒の瓶等の小道具が出てくるくらいと、非常に簡素。照明も通常の演劇に比べれば効果が限られていて、きっと俳優たちとしてもちょっと演じにくかったのではないだろうか。脚本は、自ら演出も手掛ける SPAC 文芸部スタッフである大岡淳。正直なところこの脚本は、史実に基づい実在の登場人物たちに喋らせる箇所と、空想の力でドラマを作る箇所との切り替えの苦労が窺えるような気がした。正直な感想を言ってしまえば、なぜ今、1940年の日本政府の思惑とか、戦争に翻弄されたシュトラウスの創作活動というものを題材とした演劇を見る必要があるのか、まさにその点において疑問を拭うことはできなかった。つまり、この時代の音楽の在り方について興味のある人にとっては、(最後に少しサスペンス調もあるとはいえ) この演劇のテーマは既知のものだし、もしその点に興味のない人なら、これを見たから目から鱗で新たな世界が広がる、とはならないという難点がある (家人もそう言っていた 笑)。客席は満席であったが、実際のところ、一体どのくらいの人たちがこの演劇に満足したものだろうか。

とは言いながらも、地方都市においてこのような意欲的な催しがなされていることの意義は大変大きいと思う。また追って記事を書くが、今回初めて静岡の街を見る機会を得て、さすが東照権現のお膝元、なかなかに文化的なインテリジェンスある雰囲気の街だなと実感したこともあり、その観点に立ってみれば、今回の公演はそのような都市にふさわしく、関係者の皆さんの苦労には拍手を送りたい。あ、それから、宮城さんの演出だが、このような簡素な演劇であるからあまり演出の余地もないように思うが、それでも、俳優のセリフの抑揚に、昔見た彼の芝居を思い出させる何か懐かしいものを感じる瞬間もあったし、音楽の使い方も、例えばシェーンベルクを選曲するなど、さすがのセンスだなと思ったものである。

さて、シュトラウスの戦争との関わりへの私自身の思いを書きだすときりがないのでやめておくが、一言で言えば、この作曲家は政治には徹頭徹尾興味のない人であった。なにせ、戦争末期に、オペラにおいてセリフが先か音楽が先かという優雅なテーマのオペラ「カプリッチョ」を書いていた人である。だが一方で彼はしたたかな人物でもあり、この演劇での人間像においてもそれが表現されていて、例えば、日本政府からの委嘱を受ける理由は、義理の娘がユダヤ家の家系であることから、日本政府による保護を条件にするのである。また、奉祝曲を書くにあたって、特に日本の音楽を勉強することはせず、ただ当時ドイツで公開された日本映画を見てイメージを膨らませたという設定になっている。確かに当時ドイツで公開された日本映画があり、それは 1937年の「新しき土」という作品。私はこの映画のことを、数年前に読んだ原節子についての本で知った。当時彼女はまだ 16歳。この映画のキャンペーンでベルリンにまで出向き、その後米国に渡って世界一周をしている。この映画、私は見たことがないが、今では簡単に DVD が手に入るようだ。果たしてどんな映画なのであろうか。日本側の監督は伊丹万作である。
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それから、皇紀 2600年の奉祝曲と言えば、当時の貴重な録音を集めた CD が出ている。私の手元には、発売時の 2011年からこの CD があるが、すみません、未だ聴いていません・・・。聴いていない人間が言うのも説得力がないが (笑)、当時の貴重な音源の数々が入っている上に、現代日本の碩学、片山杜秀の詳細な解説がついているので、お薦めです。因みにアマゾンでは、あと在庫 1点になっています。
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最後にもうひとつ。皇紀 2600年といえば、最も有名な曲は、英国のベンジャミン・ブリテンによるシンフォニア・ダ・レクイエム (鎮魂交響曲) である。この曲は作曲されたものの、おめでたい機会に鎮魂とは何事かという日本側の拒否によってお蔵入りされ、世界初演は 1941年にジョン・バルビローリ指揮のニューヨーク・フィルで、日本初演は 1956年に作曲者自身指揮する NHK 交響楽団によって行われた。実は経緯はもう少し複雑であるようだが、確かにこのような機会に委嘱される音楽として鎮魂をテーマに作曲するという発想は、なかなかにユニークである。今日では 20世紀の名曲のひとつとして知られるこの曲、想像力で補いながら聴いてみるのもよいかもしれない。そんなわけで、この曲は上記 CD には収められていないので、念のため。

静岡音楽館 AOI、また機会あれば是非行ってみたい。駅前の家康像と、巨大な葵のご紋との再会を心待ちにしている。あ、AOI とはもちろん葵のことだが、もしかして、知的な街静岡ということで、"Art of Intelligence" のことなのかもしれない、と想像力を逞しくしております。なにせ今回の芝居は、インテリジェンス、つまりスパイ活動とも関係があるし・・・。
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by yokohama7474 | 2017-05-01 01:08 | 演劇 | Comments(0)