静岡市 久能山東照宮、登呂遺跡、芹沢銈介美術館、静岡浅間神社、駿府城跡

このブログではしばしば、東京都内または近県で気軽に行ける、いわゆる安・近・短の旅による歴史探訪の例を提示しているが、これもそのひとつ。人々があちらこちらに移動するゴールデンウィークの初日、4/29 (土) に私と家人が出かけた歴史探訪をご紹介する。我が家ではかなり通例になっているパターンなのであるが、自宅から新横浜まで車で行き、駐車場に車を停めて、新幹線に乗る。現地でレンタカーを借りてガッツリ観光したあと、また新幹線で帰ってきて、自宅までスイスイ自家用車という方法である。これによって、東名高速または中央高速の渋滞を避けることができ、誠に快適なのである。この方法の唯一の難点は、帰りの新幹線でビールをプハーッと飲むわけにはいかない点にあるものの、その点のみ割り切ってしまえば、大変に効率的な日帰り旅行なのだ。今回は、午後に静岡駅前のホールで行われた演劇(5月 1日付の記事でご紹介済み) を見ることをメインにしながら、その前後の静岡観光も楽しみで仕方がなかったのである。そうそう、この方法のよい点のひとつには、こだま号に乗るチャンスがあること。寄り道大好き人間としては、小田原や熱海や三島に停車して、通過するのぞみを待つのも楽しい。特に三島駅からは、きれいな富士山を望むことができ、この日は天気がよかったせいもあって、気分は上々だ。これは車窓からの富士山。
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さて今回の観光の目玉は、なんといっても久能山東照宮。もちろん、静岡を晩年の居住地とした徳川家康が祀られている場所である。恥ずかしながら私は今回訪れるまで、久能山でいちご狩りをしたことはあっても、山頂にあるこの神社に詣でたことはなかったのである。その本殿が、2010年に重要文化財から国宝に格上げになったことは知ってはいたものの、これまで訪れる機会がなかった。これは気合を入れて臨みたい。久能山の山頂に位置する東照宮を訪れるには、海側から 1159段の石段をエッチラオッチラ登るか、さもなくば隣の山から日本平ロープウェイで谷を越えて行くしかない。今回私たちが選んだのは後者のアプローチ。ロープウェイに乗ろうとすると、そこにはこのような地図が。
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家康は江戸という都市を造営するにあたっても、風水を重視したと言われている。上の地図を見ると、自分が生まれた岡崎や、都であった京都と、霊峰富士の位置関係の中にこの久能山を置いていることがはっきり分かる。そこに江戸、日光、そして日光東照宮の最初の建物を移築した群馬県太田市の世良田東照宮 (私は未だ訪れたことがないので、いつか訪問してこのブログでご紹介することをここに宣言する) が加わって、「聖なる三本のライン」を構成しているらしい。家康は、百万都市江戸を中心とした統治システムを作り上げ、世界にも類を見ない、260年間に亘る平和の礎を築き上げた人。その彼が死後もその霊力を発揮し続けているとするなら、それはこの久能山からに違いない。これが日本平と久能山を結ぶロープウェイ。久能山の向こうには海が見え、その麓の温室ではいちごが栽培されている。
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このアプローチ方法であれば、山道を登る必要はなく、ロープウェイを降りたところが既に神社の境内の入り口になっているのである。見えてきたのは、重要文化財の楼門。1617年の建立。
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この門をくぐった裏手に、家康の手形なるものがある。38歳で身長 155cm、体重 60kg。当時の人は小柄であったとはいえ、やはり随分小柄で、そしてぽっちゃり型であったということか。家康が神格化されているこの場所で、彼の「人間」としての痕跡に触れられるとは、なんとも興味深い。
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少し進むと、石の鳥居があって、また、今は存在しない五重塔の礎石がある。神社に五重塔とは、もちろん神仏混淆の証拠である。
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そして見えてきたのが、国宝の本殿・拝殿に至る唐門である。
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そのエリアには、向かって右側から入るのであるが、その途中に、春なのに赤く色づく木があったり、重要文化財の日枝神社がある。この日枝神社、神仏混淆時代は薬師堂であった由。楼門と同じ 1617年の建立。
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そしていよいよ、国宝の拝殿が目の前に現れる。実はこの神社の主要建造物は、徳川秀忠によって 1年 7ヶ月という短期間で建てられたもの。日光東照宮に先立つこと 19年で、豪華さにおいては日光に譲るのは致し方ないが、この荘厳な美は実に素晴らしく、桃山の美学の延長上にあるが、日本の長い建築史の中でも、この時代にのみ見られる豪奢な様式であると言えるだろう。細部を見ていると本当に時間を忘れるのである。実はこの拝殿で結婚式を挙げられるらしく、私が行った日もその準備が行われていた。国宝建造物の中での結婚式とは、なんという贅沢だろう!!
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建物左右の唐獅子は、阿吽になっている。
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さて、この拝殿に向かって左手を進んで行くと、そこには家康の墓所がある。1616年、駿府城で亡くなった家康の遺骸は、遺言によってこの久能山に葬られた。もちろん後年、改めて日光に改葬されているが、この日ロープウェイの中で聞いた説明によると、日光には魂だけ移し、実際の遺骸は今でもここに眠っているという。墓所自体は、大きさは立派だが、石造りの簡素なもの。
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この石塔の周りを一周できるようになっているが、面白いのは、向かって右奥に、家康の愛馬の墓があること。家康よりも後に亡くなった馬であろうが、既にその頃には平和な時代が到来していたことを思わせるではないか。
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帰りがけに久能山東照宮博物館に立ち寄ってみたが、ここには徳川将軍十五代ゆかりの品々が多く保管・展示されている。特に家康に関しては、実際に使用していた眼鏡や鉛筆 (!) などが非常に興味深いし、彼が初めて戦で勝利を収めた際に着用していたと伝わる重要文化財の甲冑が展示されている。時に家康 19歳、未だ松平元康と名乗っていた頃で、織田信長方の丸根砦という場所を守っていた佐久間盛重軍に勝利したとのこと。この甲冑は金陀美 (きんだみ) 具足と呼ばれている。
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このように久能山東照宮は、家康という人の人柄まで未だに活き活きと感じられる場所であり、歴史好きなら一度は行くべき場所であると思うのである。さて、それからまたロープウェイで日本平に戻り、向かった先は遥か古代の遺跡。古くから有名な弥生時代 (1世紀頃) の集落の跡、登呂遺跡である。戦時中の 1943年に軍事施設建設の際に発見された遺跡であるが、幸いなことに一帯が公園として整備されており、最近でも 1999年から 5年間、再発掘調査が行われている。駐車場から歩いて行くと、徐々にこのような光景が目に入ってきて、何やらワクワクするのである。
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多くの建物が修復されているが、もちろん記録のない時代のもの。建物跡の基礎の形状に基づき、多分に想像力で補って再現されたものであろう。いくつかの住居では中に入ることができ、弥生人になったようなリアルな感覚が味わえる。もちろん住居だけでなく、倉庫もある。
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遥かな古代、家族は身を寄せ合って生きており、家の中は、邪悪なものから守ることができる安全な場所であったはずだ。夜は、果てしなく暗く、すべての生き物がなりを潜める時間帯。毎日毎日、太陽はその姿を隠し、また甦る。そして稲作をするには、昨日と今日、今日と明日が違った日であるという認識を持つ必要があり、いつ何をすべきか、常に考えて集団で行動する。それが人々の日常であったことだろう。この日は原始的な道具を使って火を起こす実演もやっており、大変面白く見学した。
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実はここで、思わぬ発見があった。日本を代表する染色工芸家で人間国宝でもあった芹沢銈介 (せりざわ けいすけ、1895 - 1984) の美術館及び旧居が、登呂遺跡に隣接した場所にあるのだ。私は芹沢についてさほど詳しく知るものではないが、それでも過去に何度か、なんとも郷愁をそそる作品、特に本の装丁などを見て感動したことがある。柳宗悦らが主導した民芸運動の中で創作活動を行った。作品のイメージとして、例えばこのようないろは歌の風呂敷などいかがであろうか。素朴でいて洗練された、なんとも不思議な世界を作り出していると思う。
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美術館も大変きれいに整備されていて、気持ちよいことこの上ない。
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このときには沖縄をテーマにした展覧会を開催中で、芹沢自身の作品のほかに、彼が収集していた沖縄の民芸品も多く展示されていた。なんとも気持ちが落ち着いてよい。そして、その裏にある芹沢の旧居。実はこれ、もともと宮城県にあった板倉であったものを気に入って東京・蒲田の自宅に移築。随所に手を加えて仕事場にしたとのこと。彼自身、「ぼくの家は、農夫のように平凡で、農夫のように健康です」という言葉を残している。現在、故郷静岡の地でこのように大切に保管されていることを知ると、本人も喜ぶであろう。春の風が気持ちよく吹き通って、清々しい精神が未だにそこに残っているようだ。
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この部屋でくつろぐ芹沢の写真が何枚か残っている。上のモノクロ写真は 1973年、下のカラー写真は 1976年のもの。創作の現場の緊張感はもちろん感じるものの、何より、この空間の主としての芹沢の自然な存在感が際立っている。こういうジイさんになれるとカッコいいだろうなぁ (笑)。
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さて、それから私たちが向かったのは、これまた驚きの隠れた歴史スポットなのである。それは、静岡浅間神社。何がすごいといって、この神社の建造物 26棟が、重要文化財に指定されているのである!! 「東海の日光」の異名もあるという。実際、私も行ってみて驚いたので、ここでご紹介しよう。まずこの神社、神部 (かんべ) 神社、浅間 (あさま) 神社と、大歳御祖 (おおとしみおや) 神社の三社を総称して、静岡浅間 (しずおかせんげん) 神社と呼んでいるとのこと。重要文化財に指定されているのはすべて江戸時代の建物だ。
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重要文化財の総門を抜けると、そこにはやはり重要文化財の楼門が。
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そして驚いたのはこの建物だ。やはり重要文化財の大拝殿 (おおはいでん)。切妻造りの建物に、入母屋造りの楼閣が嵌まったような形態で、大変巨大なもの。なにか竜宮城か、宮崎アニメにでも出てきそうな、ノスタルジックでいて畏怖すべき建物と言えないだろうか。
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あまり時間がなくて、残念ながら境内全域を見て回れなかったのだが、修復中の少彦名 (すくなひこな) 神社は、かかっているカバーの写真からその姿を偲ぼう。これも重要文化財。
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こちらは本物を見ることができた驚愕の美建築、八千戈 (やちほこ) 神社。東海の日光という異名もむべなるかなである。当然これも重要文化財。
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実はこの後、静岡音楽館 AOI において「1940 リヒャルト・シュトラウスの家」を観劇。見終わったあと、まだ新幹線に乗るまでに時間があったので、予定通り、駅から近い駿府城跡に出かけることにした。駅近辺からブラブラ歩いて行ったのだが、以前の記事にも書いた通り、なんとも落ち着いた佇まいの街で、さすが東照宮のお膝元と感心したことである。これが駿府城の石垣。この内側にも学校があったり、何やら公的機関の建物があったりして、江戸時代初期の街の中心地は、今でもその地位を自然なかたちで保っているのである。
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実は駿府城の天守閣は江戸時代初期に焼失してしまい、結局再建されなかった。それは、既に平和の時代が到来していたからで、その意味では、日本最大の城であった江戸城も同じようなことになっている。但し、この駿府城、家康のあとは結局その子孫は将軍として江戸城に入ったのだから、誰が城主であったのかと思うと、二代の城主を頂いたあとは結局城主なしで、天領として「駿河城代」なるポストが置かれたのみであったらしい。ここには実際のところ、古い建物は何も残っておらず、近年の復元による櫓や門があるのみだが、それでも公園として大変気持ちよく整備されていて、市民の憩いの場になっているようだ。
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今、天守閣跡近辺で大規模な発掘調査が進行中。明治時代に軍の設備を作るために埋められた堀を発掘すると、100数十年ぶりに石垣が姿を現したのである。
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この駿府城、これからどこまで発掘調査及び復元が続くのか知らないが、歴史の息吹がより一層感じられる場所になって行くのだと思うと、楽しみである。さて、城の近辺のそぞろ歩きも楽しいのだが、特に目を引く建物が向かい合って立っている。ひとつは静岡県庁。1937年完成というレトロな建物。もちろん、この写真で後ろに見える近代的なビルも県庁別館なのだが、この歴史的な建物も未だ現役として機能しているようだ。
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道路を隔てた向かい側にあるのが、静岡市役所。こちらはドーム型の頂部を持っていて、県庁よりも軽やかな建物だ。1934年完成。こちらは正面ドアが開いていて、中を少し見ることができたが、ステンドグラスが美しい!! これまた現役の建物なのである。
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この市役所の前に、興味深い説明版を発見。それは家康が行った灌漑工事に関するもの。私は従来より江戸の発展には大変興味があって、何冊か本も読んでいるが、秀吉によって、だだっ広くて何もなく、川は頻繁に氾濫する関東平野に放り出された家康が、治水によって街の機能の基礎を作り、その後長く続いた江戸の発展を可能にした点、勉強すればするほどに、ウーンと唸ってしまうほど感心するのである。そしてここ駿府でも、やはり灌漑工事を行って街作りをしていたわけである。神君、恐るべしである。
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このように静岡では、人間としての家康の足跡、神としての家康の威厳とともに、弥生時代の人々の暮らしから、華やかな神社建築、そして昭和の染物デザインまで、様々な文化的な要素に触れることができるのである。今回は美術館を訪問することはできなかったが、その所蔵品にも実は興味を持っている。新幹線を有効活用しての東京からの日帰り旅行の行き先として、これほど充実した街もちょっと少ないと思うので、ここで文化人の皆さまにはお薦めしておきましょう。

by yokohama7474 | 2017-05-13 01:07 | 美術・旅行 | Comments(0)