ピンカス・スタインバーグ指揮 NHK 交響楽団 2017年 5月13日 NHK ホール

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今月の NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の定期演奏会には、二人の指揮者が登場する。ここではそのうち、イスラエルの名指揮者、ピンカス・スタインバーグ (上の写真の左側) が指揮した演奏会をレポートする。スタインバーグは 1945年生まれだから今年 72歳。これまで、ウィーン放送交響楽団やスイス・ロマンド管弦楽団のシェフを歴任し、2014年からはブダペスト・フィルの首席指揮者である。実は N 響には過去登壇していることは知っていたし、ウィーン放送響との来日もあったが、私はこれまで彼を生で聴いたことがない。彼の父、ウィリアム・スタインバーグはやはり実績のあった名指揮者で、ボストン交響楽団の音楽監督にまで登りつめている (小澤征爾のすぐの前任者で、任期は1969年から 72年まで)。私は若い頃、この父スタインバーグとボストン響によるホルストの「惑星」がひそかな名盤であると耳にして、廉価版で出ていたアナログレコードを購入して楽しんでいたことがある。派手さはないが、職人的な信頼感を感じる指揮ぶりだったと記憶する。最近では彼のアンソロジーなど購入しており、再度聴き込みたいと思っているのだが、ちょっと待て。息子ピンカスは現在活動中なのだから、彼の実演をこそ聴くべきではないのか。そう思うとこの指揮者が無性に気になってきたのだが、今回の演奏会の曲目が面白い。
 スメタナ : 連作交響詩「わが祖国」

この曲はチェコ音楽の父と呼ばれるベドルジハ・スメタナ (1824 - 1884) による 6作の交響詩群で、チェコ人特有の強い愛国心に裏打ちされた名作なのである。極めて有名な第 2曲「モルダウ」以外にも、チェコの過去の英雄や民族の戦い、あるいは自然の美しさを謳い上げた 75分ほどの大作。
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だがその特性から、返ってこの連作全曲の一般的な演奏頻度は、低くなってしまっている。毎年チェコの首都プラハで開かれる音楽祭「プラハの春」のオープニングでは、チェコ第一のオーケストラであるチェコ・フィルがこの曲を演奏することになっており、チェコの人たちにとってはそれだけ大事な曲。なので、チェコ人以外の指揮者が全曲を実演で取り上げること自体がまず珍しいし、チェコ以外に存在するオケにとってもそれほど馴染みのあるレパートリーにはなっていない。今回のように、イスラエル人の指揮者と日本のオケによる演奏は従って、この音楽の価値に純粋に耳を傾けるよい機会なのである。プログラムによると、スタインバーグは N 響には過去 5回、1986年、1992年、1994年、1997年、2005年と登場しており、今回は実に 12年ぶりの共演。この「わが祖国」全曲は既に一度、初顔合わせの 1992年に採り上げている由。実に 25年ぶりということだ。世界で経験を積んだこの指揮者を聴くタイミングとしては、なかなかよいのではないかと思い、会場の NHK ホールに足を運んだのである。因みに、上記「プラハの春」音楽祭の初日、つまりこの「わが祖国」が毎年演奏されるのは、スメタナの命日で、それは 5月12日。ちょうどこの演奏会の前日であった。
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結果として私はこのコンサートを大変楽しんだ。スタインバーグは全曲を暗譜で指揮したが、全く危なげなく、完全に掌握したレパートリーであることが明白であった。また、爆発力も見せながら、一方で楽員の自主性を重んじるところもあり、例えば冒頭のハープ 2台の演奏には、後ろ姿だけから判断すると、キューを送っている様子も見られず、開始のタイミングは奏者に任せたように思われた。この「わが祖国」は、上述の通りのチェコの民族性の要素はあるものの、大変劇的な音楽であり、例えばチャイコフスキーほど気が利いた音楽ではないにせよ、時折思い出したように、素晴らしくカッコいい響きが鳴り響くのである。従って、各曲の性格をきっちり描き分けて、聴かせどころを外さなければ、チェコ云々という要素なしでも充分楽しめるのである。その点、今回の演奏では指揮者の意図が明確に感じられる箇所が多く、純粋に劇的な音楽として楽しむことができた。事前のイメージ通り、職人的な指揮ぶりと言えばそうかもしれないが、指揮者とはそもそも職人性がないとできない職業であり、長年鍛錬した究極の職人技からカリスマ性が出てくるケースが多いことは、例えば先般亡くなったスタニスラフ・スクロヴァチェフスキの例などでよく分かる。この指揮者も、今まさにそのような円熟の境地に達しているのではないだろうか。楽員たちを同じ方向に導き、必要なところで必要な音を、つまりは繊細な音、豪快な音、長い音短い音、まっすぐな音曲がった音、そのような様々な音たちを自在に引き出すことは、共演を重ねたオケでないと難しかろう。スタインバーグと N 響は、長い付き合いではあるものの、その間に何度も空白があるので、オケとの呼吸の点ではごくわずかな課題もあったかもしれない。だがそれでもこの演奏では、尻上がりに音の鳴りが自在になっていったと言えるのではないか。情緒に流れるところは皆無であり、常に明確に指示を出し、きっちりとリズムを刻む姿は、ちょっと意外なたとえかもしれないが、ゲオルク・ショルティを思わせるところもあった。つまりは、究極の職人であり華麗なるカリスマであった指揮者である。その意味では、このスタインバーグはこれからどんどん充実の音楽を聴かせてくれるのではないだろうか。N 響は本当によい指揮者を招いているものだと、改めて感心するとともに、今後のスタインバーグへの期待もまた高まったのである。

ところで今回のプログラムに、今年 2月から 3月にかけて N 響が行ったヨーロッパ演奏旅行の詳細なレポートが載っていて興味深い。指揮はもちろん首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィで、ベルリン、ルクセンブルク、パリ、アムステルダム、ロンドン、ウィーン、ケルンという一流の音楽都市ばかりでの勝負であった。ベルリンのリハーサルでは、ダニエル・バレンボイムや樫本大進らベルリン・フィルのメンバーも顔を見せたらしい。ちょっと不鮮明だが、なかなか興味深いツー・ショット。昨年サントリーホールで開かれたバレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンのブルックナー・ツィクルスをヤルヴィが聴きに来ていたことはこのブログでも記事にしたが、この 2人はパリ管の音楽監督として先輩後輩でもあり、意外と親しいのかもしれない。
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プログラムには、各地での新聞評が載っているが、どこもほぼ絶賛である。以前は日本のオケと言えば技術的には正確でも、精神的な部分で不足しているところがあるという評価が一般的だったが、これらの評を読んでいると、明らかにそのレヴェルを超えたと見做されており、率直な驚きが見られる。例えばアムステルダム、あの素晴らしいコンセルトヘボウ管を持つ欧州有数の文化都市での批評の最後の部分を引用しよう。

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弦楽器はクラシック愛好家が通常ウィーン・フィルの特徴とみなす輝きを放っていた。ヴィオラはベルリンなさがらであった。日本人は、このコンセルトヘボウ (注 : ここではオケではなく同名のホールのこと) という虎穴でアムステルダム的な切り札を切った --- どんなに指がまわっても、見せびらかしはありえない。このオーケストラを知らぬ間に世界トップに持ち上げた男の名前は、パーヴォ・ヤルヴィという。
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くーっ、痺れる批評だなぁ。これは是非楽員の方々も誇りとして頂き、日常の演奏の糧として頂くことを切望するのみです。ところで、今や押しも押されぬ音楽界のドンたるバレンボイムも、1973年に N 響の定期公演を指揮している。久しぶりに振ってみたいと思って頂けないものでしょうかね。上の写真でヤルヴィが大先輩のバレンボイムの肩に手をかけて話しているのは、もしかしたらそのことではないか、と勝手に想像するのも楽しいではないか。

Commented by エマスケ at 2017-05-15 08:17 x
突然、お邪魔します。

ピンカス・スタインバーグ氏は、私は録音・ライブとも初めて聴いたのですが、一大叙事詩が色彩豊かに表現された感があり、素晴らしかったです。
基調の弦を統率する一方、各パートの主体性を重んじ、最後はコントラバスにまで賞賛を送るという、細部にまで目配りの利いたマネジメントスタイルは、見習いたいと思います(^^;)
職人芸からか、容貌からなのか、ちょっとオットマール・スウィットナー氏を思い出してしまいました。

先月のルイージのマーラーといい、最近のN響の定演は、本当に水準が高いですね。
来月のコープマンとの共演など楽しみです。

いきなり、失礼いたしました。


Commented by yokohama7474 at 2017-05-15 16:30
> エマスケさん
コメントありがとうございます。おっしゃることはよく判ります。全くタイプの違うショルティにもスウィトナーにも喩えられたりするのが、スタインバーグという指揮者の個性なのだと思います。充実した演奏でした。コープマンは定期には出ませんが、確かにモーツァルト、聴いてみたいですね。是非またお立ち寄り下さい。
by yokohama7474 | 2017-05-14 01:08 | 音楽 (Live) | Comments(2)