マーティン・ブラビンズ指揮 東京都交響楽団 (ピアノ : スティーヴン・オズボーン) 2017年 5月16日 東京オペラシティコンサートホール

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今私がこの記事を書き出したのは、このコンサートが終了してから 2時間半後。既に夜半となり、風呂上がりのビールを飲んだ私は、いつものようにほろ酔い気分。このところの出張や業務や接待メシや文化活動、それに伴う移動などで、それなりに疲れが溜まっていて、少し眠気を覚える。だがそれにもかかわらず、私の耳の底には未だ、このコンサートで鳴り響いていた第一級の音が渦巻いているのである。実に素晴らしい演奏だった。

このブログをご覧になっている方は先刻ご承知かと思うが、東京におけるオーケストラ活動は、私の見るところ、間違いなく世界一。もちろん、何をもって世界一と評価すべきはなかなか簡単ではないので、例えばウィーンやベルリンよりも本当に上かと訊かれれば、即答はできない。だが、ここ東京に存在するオーケストラの数と、来日オケ公演を含んだ演奏会の数、それから、もちろんそこに登場する演奏者の顔ぶれ、ホールのクオリティ (この点は若干の例外もあるが)、聴衆のクオリティ、そして、演奏される曲目のヴァラエティ、それらをすべて勘案すると、やはり東京は世界一のオーケストラ都市であると言ってよいと思うのである。上記の要素のうち、曲目について考えてみると、マーラーやブルックナーの大曲が多いことは言うまでもないが、最先端の現代音楽や古典派のレパートリーも絶えず演奏されている。だがそんな中で、東京で聴く機会が決して多くない分野のひとつに、英国音楽があると言えるように思う。もちろん、尾高忠明は、かつて BBC ウェールズ交響楽団のシェフを務めた関係で、英国音楽を演奏するケースが多いが、彼のコンサートで演奏される頻度が多い英国音楽は、エルガーやウォルトンではないか。その点、今回東京都交響楽団 (通称「都響」) が取り上げた曲目は意欲的だ。
 バターワース : 青柳の堤
 ティペット : ピアノ協奏曲 (1955年作、日本初演)
 ヴォーン・ウィリアムズ : ロンドン交響曲 (交響曲第 2番) (1920年版)

日本では英国音楽の愛好家は決して多くないと思うし、正直なところ、私自身もそうである。昔は三浦淳史という音楽評論家がいて、随分と積極的に英国音楽を紹介していたが、最近そのような評論家がいるとは思えないし、そもそも音楽評論なんて、読む機会が激減してしまっている。なので、このような曲目ではきっと客席はガラガラかと思いきや、満席ではないものの、結構席が埋まっていたのである。つまり、あまり聴く機会のない曲への期待感が、聴衆の側にはあったはずだ。そしてこのような曲目であるから、指揮者も英国人である。1959年生まれのマーティン・ブラビンズ。彼はつい最近まで名古屋フィルの常任指揮者を務めていたのは知っていて、どうやら職人的手腕のありそうな指揮者のようで、ちょっと興味はあったのだが、実際に聴くのは今回が初めて。現在はロンドンのイングリッシュ・ナショナル・オペラの音楽監督だ。
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英国からは数々の名指揮者が生まれていて、私もその中の何人か、例えばエードリアン・ボールトとかジョン・バルビローリとか、あるいはコリン・デイヴィスのような巨匠たちは、心から尊敬するものである。彼らの誰もが多かれ少なかれ英国音楽を演奏し、多くの録音も残されているが、英国の管弦楽曲で最もポピュラーと思われるエルガーの交響曲ですら、私は溺愛するには至っていないし、英国の多くの作曲家の作品に聴かれる保守性に、少々うんざりすることもある。だがそれゆえにこそ、このようなすべて英国音楽というプログラム、しかも 1曲は日本初演というプログラムには、興味を持ったのである。

今回の最初の曲目、バターワースの「青柳の堤」は、題名は聞いたことがあるものの、実演で聴くには初めてだ。そもそもこの作曲家の作品は、あのカルロス・クライバー指揮の非正規盤で小品を聴いたことくらいしかない。ジョージ・バターワース (1885 - 1916) は、英国の民謡を採集して創作にいそしんだが、惜しいことに第 1次大戦に出征して戦死しているので、ごく少数の作品しか残っていないのである。家柄は結構よかったらしく、イートン校からオックスフォードに進んだインテリ。顔にも、どことなく野性味のある知性が窺われる。
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この「青柳の堤」(原題は "The Banks of Green Willow") は、6分ほどの短い曲で、彼が採集した民謡と自身の作曲による旋律から成っている。英国音楽らしい平明で保守的な面はあるものの、傾聴するとなんとも美しい曲であり、そして、ブラビンズの的確な指揮による都響の、実に美しい演奏!! 31歳で散ってしまった才能を惜しむ気持ちは誰でも抱くであろうが、だが、限られた人生でこんな佳曲を残したという事実だけでも、後世の人たちが忘れてはならない人であると思う。

そして 2曲目は、20世紀英国音楽を代表するマイケル・ティペット (1905 - 1998) のピアノ協奏曲で、なんと今回が日本初演。ティペットの作品は、代表作であるオラトリオ「我らの時代の子」を、録音でも実演でも聴いたことがあるし、ショルティが初演した交響曲第 4番や、チェリビダッケがロンドン交響楽団と来日したときに採り上げた典礼舞曲 (オペラ「真夏の結婚」から) などを通して、その作風には一定のイメージがある。だが、その長い生涯の経歴についてはほとんど知識がないし、ピアノ協奏曲を書いていたことも知らなかった。
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解説によるとこの曲は、1950年に英国公演を行ったドイツの名ピアニスト、ワルター・ギーゼキングが弾くベートーヴェンの 4番のピアノ協奏曲のリハーサルを聴いて刺激を受けて作られたものとのこと。第 1楽章が全体の半分を占めることや、緩徐楽章である第 2楽章が短い点がベートーヴェンの 4番のコンチェルトと似た構成とある。うん、たしかに 4番はそういう構成だが、楽章の長さよりも顕著な特色は、第 1楽章はピアノ・ソロで入り、第 2楽章はオケの弦楽合奏で入るという、鮮やかな対照が明確である点ではないか。このティペットの曲は、そのような対照は意図されていないようなので、あまりベートーヴェンの曲のことを気にする必要はなさそうだ。聴いていると、この曲においてはピアノはあまり雄弁に語ることはなく、終始何か呟いているような印象で、一方のオケの方も、壮大に鳴る場面は多くなく、木管の一部がハモったり、弦楽器のワン・セクションだけが旋律を奏でたりと、薄い音響が多く聴かれる。面白かったのは第 1楽章のカデンツァで、チェレスタの伴奏がつくこと。このようなキラキラした感じが、ティペットのひとつの持ち味と言えるであろうし、何よりも、ここでもオケの妙技が抜群で、非常に楽しめる演奏になった。あ、言い忘れてしまったが (笑)、ソリストはやはり英国人 (と言っていいのかな、スコットランド人である) のスティーヴン・オズボーン。1971年生まれで、2015年の都響ヨーロッパツアーで共演歴があるらしい。今回は驚くような演奏ではなかったものの、譜めくりを横につけながら、自然体でうまく曲の流れを作り出していたと思う。
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さて、そして後半の大曲は、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ (1872 - 1958、RVWと略される) のロンドン交響曲。彼も英国を代表する作曲家であり、9曲の交響曲を書いていることは有名だが、実演で聴くことは決して多くない。ましてやこのロンドン交響曲は、作曲後に交響曲第 2番という番号が与えられているが、50分の大作であり、誰もが親しんでいる内容とは言えない。これが若い頃の RVW。
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私が RVW の交響曲に最初に触れたのは高校時代で、アンドレ・プレヴィンの指揮する南極交響曲 (第 7番) だったと記憶するが、正直なところ、あまり乗れなかった。その後、ハイティンクとロンドン・フィルの全集も購入したものの、そのセット物 CD のすべてを聴いたわけではないという、その程度のつきあい (?) である。だが、「トーマス・タリスの主題による幻想曲」(映画「聖杯たちの騎士」での使用が印象的であった) と「グリーンスリーヴスによる幻想曲」は大好きでよく聴いているし、RVW が指揮者として残したマタイ受難曲の録音も持っている。ともあれこのロンドン交響曲、標題音楽の一種であるが、作曲者自身が詳細の説明を好まず、「ロンドンっ子が書いた交響曲」と称している。今回初めて実演で聴いたが、なかなか面白い音楽だ。第 1楽章をたとえてみるなら、冒頭はシュトラウスの「アルプス交響曲」風の夜明けに始まり、「オペラ座の怪人」と「パリのアメリカ人」と中国の音楽が順番に出てくる、と言えばよいだろうか。この曲を聴いたことのない人にはチンプンカンプンだろうが (笑)、知っている人には分かるはず。以前何かのテレビで、その「オペラ座の怪人」風の箇所を面白おかしく紹介していたし、また、ロンドンの街の喧騒を表す音楽は、まさにガーシュウィンの「パリのアメリカ人」のようだ。そして、いかにも中国の音楽のようなメロディで盛り上がるのだが、これはいわゆる五音音階という奴で、RVW が採集した英国民謡から発想されているようである。ちなみに RVW は前述のバターワースよりも 17歳上だが、この二人は意気投合して英国民謡採集をともに行う仲であったらしく、このロンドン交響曲は、戦死したバターワースに捧げられている。さてこのようなごった煮音楽を面白く聴くには、ひとつ重要な条件がある。それは、とびきり上質な音質である。その点こそ、今回のブラビンズと都響の演奏の成功の第一の理由であろう。弦楽器はもちろん、木管も金管も、もうこれ以上ないほどのクオリティであり、音のパースペクティヴが完璧であった。まさに惚れ惚れする音とはこのこと。弦楽器の各パートは、先頭から最後列まで均一の音が鳴っていたが、これは一流オケの証明である。実際、演奏し慣れているはずのないこの曲を、手慣れたマーラーを演奏するごとくに余裕をもって演奏した都響のメンバーに、最大限の賛辞を捧げたいと思う。そしてもちろん、オケに気持ちよく演奏させたのは指揮者の功績。奇をてらったところは全くなく、実に真摯に棒を振り続けたブラビンズ、期待通りの高い職人性で、素晴らしい音楽を成し遂げたのである。

曲が静かに終わったあと、東京のコンサートホールではいつも聴かれる静寂があり、そして大きな拍手とブラヴォーの声。聴衆は皆、この演奏を楽しんだのである。印象的だったのは、ひとしきりカーテンコールが行われたあと、指揮者が聴衆に対して拍手をしたこと。きっとブラビンズは、東京の聴衆のレヴェルの高さを再認識したに違いない。決してポピュラーとは言えない英国音楽をこれだけ高度な音にするオケと、それにブラヴォーで応える聴衆。我々はそれを誇りに思いたい。私は常々、いわゆるお国ものには疑問を覚えることが多く、英国人指揮者だからといって英国音楽を指揮すべきだとは思わないが、このような演奏が聴けるなら、お国もの大歓迎である!! このコンビによるヴォーン・ウィリアムズの演奏、今度は 5/21 (日) に池袋の東京芸術劇場で、南極交響曲 (交響曲第 7番) が予定されている。私はそれに出かけることはできないが、これはお薦めである。

さて、記事を書き終わろうという今、酔いは既にさめてしまったが、でもあの都響の音は耳に未だ残っている。今晩はよい夢を見ることができるだろう。ロンドンの喧騒の夢でないことを祈ります (笑)。
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by yokohama7474 | 2017-05-17 01:14 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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