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オルセーのナビ派展 美の預言者たち --- ささやきとざわめき 三菱一号館美術館

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この展覧会は、日本人が大好きなパリのオルセー美術館から大挙して作品がやってくるという展覧会。最初にお断りしておくが、2月初旬から開かれているこの展覧会に私が足を運んだのは、ゴールデンウィーク中、より正確には、クラシック音楽の祭典、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの期間中、コンサートとコンサートの間という限られた時間であった。そして気が付くと期間は今週末の日曜日までで、しかも地方巡回はない。実は私の手元には、まだまだほかにも記事のネタはあるのだが、ここでこの展覧会をご紹介しようと思ったのは、たまたまこの記事をご覧になった方に、なかなかに貴重なこの展覧会に足を運べる可能性を少しでも多く持って頂きたいと願うからである。上のポスターにある通り、ここで紹介されるナビ派の展覧会は、日本にとっては「はじめまして」であるらしい。えっ、そうなのか。ゴーギャンの影響を受けたナビ派については、私が過去に日本で見たいくつかの展覧会で目にしているので、既におなじみではないのか。実はここでひとつ個人的に告白をすると、私が多感な青春期に広範な西洋美術に触れることとなったきっかけは、中学生のときに定期購読していた「週刊 朝日百科 世界の美術」のシリーズであったのだ。この全 140冊のシリーズはしっかりバインドされて未だに私の書庫に並んでおり、いつでも手に取ってみることができる。今試みにその一冊をここに持って来てみる。発行は昭和 54年 (= 1979年) 4月26日、価格は 400円だ!!
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ここには、シャガールと並んで、ボナール、ヴィヤール (ヴュイヤール)、そしてナビ派とある。この頃からちゃんとナビ派は美術のひとつのスタイルと認識されていて、私にとってはなじみのある名前であったのだ。だが、書庫に並んだ過去の展覧会の図録を調べても、確かにナビ派を冠したものは見当たらない。ゴーギャンの影響下という意味では、ポン=タヴェン (またはポン=タヴァン) 派の展覧会は開催されているが、ナビ派は本当にこれが初めてのようだ。その意味では三菱一号館美術館、いいところに目をつけたものだ。そしてまた面白いのは、この展覧会の出品作はすべてあのパリのオルセー美術館から来ている。入り口近くに掲げられている挨拶の言葉の中に、オルセー美術館長のものがあって、そこにはなんと、「オルセーは印象派で有名ですが、私は印象派以外の美術の紹介に力を入れていて、そのひとつがナビ派です」などいう趣旨のことが書いてある!! この方、ギ・コジュヴァルという人で、ナビ派の専門家であるらしい。なるほど、日本人が印象派を大好きであることを知りながら、それとは違った分野の作品を 80点あまり (描いた画家は 13人) も日本に持ってきて展覧会を開くとは、実に侮りがたい。そして、明るく爽やかな印象主義 (Impressionism) よりも、暗い情念を持った表現主義 (Expressionism) や象徴主義により心惹かれる私としては、これはやはり必見の展覧会であったのだ。

そもそもナビ派とは何か。ナビとはヘブライ語で預言者のこと。新たな美の預言者たろうとして 19世紀末に起こった若い画家たちの一派で、ゴーギャンの影響を受けて、平面的で装飾的な作品を描いた。と書いてもなんのことやら分からないので、いくつか作品を見てみよう。まず、ナビ派が規範としたゴーギャン (1848 - 1903) の「『黄色いキリスト』のある自画像」(1890 - 91年)。有名な作品である。
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ゴーギャンが最初にタヒチに出向く前の作品で、画面がいくつかの空間に分けられてベタッと色が塗られている。印象派のように輪郭がぼやけてはおらず、斜めを向いて決意に満ちた自分の顔と、後ろに置かれた二点の自作 (「黄色いキリスト」と「グロテスクな頭の形をした自画像の壺」) との対比に、緊張関係が感じられる。キリストの絵は静謐でどこか牧歌的ですらあり、壺の絵は不気味な感じであって、自画像と合わせて赤・青・黄の三原色をなしている。あえて平面的に描いた画面に秘められた数々のドラマ。これこそがナビ派につながるものであると認識した。これは、エミール・ベルナール (1868 - 1941) の「炻器瓶 (せっきびん) とりんご」。1887年の作。もちろんセザンヌの影響はあるであろうが、屋外の風景を主観的な印象によって美しく描くのではなく、室内で物言わぬ静物を輪郭線を使ってしっかり描くという感性から、奇妙な神秘感が醸成されているから不思議だ。
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これはポール・セリュジエ (1864 - 1927) の 1893年の作品、「にわか雨」。これは屋外の風景だが、極めて線的であり平面的だ。そして私たち日本人は、ここには浮世絵の影響があることを決して見誤ることはないだろう。形態は単純だが、ここでも何か詩的なものを感じるのが、やはり不思議に思われるのである。
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次の作品はナビ派結成のきっかけとなった記念すべきもの。同じセリュジエの「タリスマン (護符)、愛の森を流れるアヴェン川」(1888年作)。うーん、愛の森が何物か知らないが、ここに描かれているのは風景であるはずなのに、色彩の並置だけになっている。これはほとんど抽象画と言ってもよいのではないか。私は時折絵画作品を見て、色彩と形態の境界が分からなくなって陶然とすることがあるが (そのような作品を描いた画家のひとりとして、ナビ派とは離れるが、ニコラ・ド・スタールの名を挙げておこう)、これなどはまさにそうだ。セリュジエはゴーギャンの助言を得てこの作品を仕上げ、ナビ派の画家たちから「護符」と呼ばれるようになったとのこと。美しい。
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さてここで、ナビ派の代表的な画家のひとりが登場する。モーリス・ドニ (1870 - 1943) である。1890年作の「テラスの陽光」。上のセリュジエの作品に強く同調していると思われる。このドニは、「絵画が、軍馬や裸婦や何らかの逸話である前に、本質的に、一定の秩序の下に集められた色彩で覆われた平坦な表面である」という言葉を残しているらしい。まさにこの作品ではそれを実践しているわけだ。
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これはケル=クサヴィエ・ルーセル (1867 - 1944) の「テラス」(1892年頃作)。一見印象主義風の平穏な風景にも見えるが、やはり平面性は独特のものだし、例えば細い木の枝が二本同じ方向を向いているのが不気味だし、右端の女性は亡霊のようではないか。鑑賞者のイマジネーションは秘めたドラマを導き出す。
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これは、アリスティード・マイヨール (1861 - 1944) の「女性の横顔」(1896年頃作)。あれ、マイヨールといえば彫刻家ではないのか。そう、ロダンやブールデルと並ぶ近代を代表するあの彫刻家は、本格的に彫刻を始めたのは 40歳を過ぎてかららしい。これは少し乾いた感性であり、新印象派風の点描も見られるが、横顔の女性の物言いたそうな顔にはやはり、ひそかなドラマ性がありはしないだろうか。ただ、その前に立つと非常に静謐な気持ちになる佳品である。
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これは、エドゥアール・ヴュイヤール (1868 - 1940) の 1940年頃のパステル画、「森の中の二人の女性」。こうなると象徴主義的ですらあって、この二人の女性のただならぬ様子 (?) には、近寄りがたいものすらある。だが色遣いは大変きれいだ。
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ここでナビ派のもうひとりの代表的画家をご紹介する。ピエール・ボナール (1867 - 1947)。1891年作の「親密さ」。義弟で作曲家のクロード・テラスという人物を描いているそうだが、壁のアラベスク模様と人物のパイプから昇る煙が一体となっている不思議な光景であり、最前部には絵を描く画家自身のものと思われる手がデカデカと描かれている (当然浮世絵の影響だろう)。このような室内の日常風景や静物を描くスタイルをアンティミスムと呼ぶらしく、ナビ派にはこの種の作品が多い。
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さあここで、ナビ派という範疇に入れてしまってよいものか否か分からない、私のお気に入りの画家が登場する。フェリックス・ヴァロットン (1865 - 1925) である。この三菱一号館美術館で 2014年に開かれたヴァロットン展は私にとっては素晴らしい衝撃であったのだが、実はそれに先だつ 20年前、1994年にブリヂストン美術館で開かれた「ヴァロットンの木版画」展を見たことが、私がこの画家に開眼するきっかけであったのだ。今回何点もの彼の作品と再会することで、その神秘性に改めて打たれたのである。これは 1898年の「化粧台の前のミシア」。この絵のモデル、ミシア・ゴドフスカは、ナビ派の画家たちが参加した芸術雑誌「ラ・ルヴュ・ブランシュ」を創刊したタデ・ナタンソンという人の妻であるらしい。ヴァロットンとナビ派のつながりは、やはりあったわけだ。
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やはりヴァロットンの「髪を整える女性」(1900年作)。これはもう、米国のエドワード・ホッパーを思わせるではないか!! 鳥肌立ちますな。
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そして、私がヴァロットンに開眼したジャンルである木版画の作品も掲げておこう。「アンティミテ」というシリーズの中の「外出の身支度」(1897年作)。皮肉っぽく描かれているのは、時代を超えた夫婦の間のすれ違いか???
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ここでまたドニの作品を見たい。1889年の「18歳の画家の肖像」。自画像である。18歳にしては髭などはやして、生意気である (笑)。世界が世紀末に向かう中、未来に希望を抱いていた芸術家の肖像なのだ。色調はクリアである。
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そしてヴュイヤールを 2点。ナビ派の画家たちはお互いに仲がよかったらしいが、この「読書する男」(1890年作) は、上に作品を掲載した友人のケル=クサヴィエ・ルーセルの肖像である。色彩は明るいが、人の内面を映し出すような落ち着きと神秘性がある。
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これもヴュイヤールの「八角形の自画像」(1890年作)。これもいかにもナビ派らしく、単純な色遣いでありながら心に残る構図だ。
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すみません、ここでまた 2点、ヴァロットン。1897年の自画像と、1899年の「アレクサンドル・ナタンソンの肖像」。自画像は意外にも、顔も端正なら描き方も丁寧だ。また、アレクサンドル・ナタンソンは、上で名前の出た兄弟のタデ・ナタンソンとともに、ナビ派が集った芸術雑誌を創刊した人。ヴァロットンの高い筆力が窺われる。
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これはドニの 1891年の作品、「婚約者マルト」。ドニはこの婚約者を何度も描いているらしいが、このパステル画にも愛情が感じられる。それにしても、ナビ派の人たちはお互いや、それぞれの家族を大事にしあっている感じがする。彼らが師と仰いだゴーギャンのワイルドさは、どうやら模範にはしなかったようである (笑)。
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ドニをもう 1点。1897年作の「メルニオ一家」。これも平和な光景。だが、ルノワールのような甘さはなく、現実か夢か判然としない雰囲気である点、私には好ましいと思われるのである。
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だがドニの心の中には、劇的なものへのひそかな志向もあったのではないかと、この 1890年の「磔刑像への奉納」を見ると思われてくる。ドロドロしたものを表面に持ってくるのはなく、精神の均衡は保たれているのだが、ここから象徴主義までの距離は、意外と近いのではないか。
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ヴュイヤールにも近い感性があるが、また独特だ。1891年の「ベッドにて」。水平の線がいくつか画面を横切っていて、上部は直線だが下部は曲線。右端には垂直方向の線がぎゅぎゅっと詰まっている。そして、壁に見える T の字は、実は十字架なのである。静謐な宗教性と無意識の世界が織りなす夢の世界は、シュールまであと一歩である。
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またドニに戻って、1893年の「ミューズたち」。平面的だが装飾的という典型的な例だが、ここに漂う倦怠感は、ムンクあたりに近くなってはいないだろうか。
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ナビ派にも、もうちょっと危ない方向に走った画家がいた。ポール・ランソン (1861 - 1909)。これは 1906年頃の「水浴」。平面性と装飾性は、はい、ありますね。でもこの緑の渦を巻く水や、謎のオリエンタルなライオンの彫像、そして手前の毒々しい赤い花など、ドニやヴュイヤールとは明らかに違う、一歩進んだ (?) 積極表現。あまり自宅には飾りたくないなぁ (笑)。
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これなども多大に呪術性を含んだ作品である。ジョルジュ・ラコンブ (1868 - 1916) の 1895年の彫刻作品「イシス」。もちろんエジプトの女神の名前である。血の乳を流す女神は、一体何を伝えようとしているのか。その表情はうつろで、民に語り掛ける様子はない。
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ここで見た通り、この展覧会は、既によく知られた印象派とは違う世界、そしてまた退廃性あふれる世紀末美術としては若干異色な世界に触れることができる。ナビ派の画家たちは 1860年代から 1870年代生まれ。音楽の世界ではマーラーやリヒャルト・シュトラウス、ドビュッシー、またシベリウスといった人たちと同世代だ。欧州各国の帝国主義の膨張から世界大戦に向かって行く時代の中で、新しい表現を模索した芸術家たち。印象派だけが近代フランス絵画ではないということを知るには、大変重要な展覧会である。残り期間はあとわずか。未だ行かれていない方には、是非お薦めしておこう。

ところで、冒頭近くで掲げた 1979年の「週刊 朝日百科 世界の美術」では、なぜナビ派とシャガールを一緒に扱ったのだろう。シャガールはユダヤ系ベラルーシ人で、もちろんナビ派よりもさらに大きな流れである (だが画家それぞれの個性はより際立っていた) エコール・ド・パリの画家だし、生年も 1887年で、ナビ派とは違違う世代。そして何より、絵画のタイプがかなり違うと思うが・・・。まあ、40年近く経ってから文句を言う筋合いのものでもないので、1冊で様々な美術を楽しめる号であったと割り切るとしよう (笑)。

by yokohama7474 | 2017-05-17 23:14 | 美術・旅行