エサ=ペッカ・サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 2017年 5月18日 東京オペラシティコンサートホール

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以前の記事で書いたことであるが、年初から来日オケには世界の超メジャーはほとんどなかったという印象であるが、今年も 4ヶ月半が過ぎようかというところで、ようやくいわゆる超メジャー級の登場である (但し、誤解なきように申し添えると、超メジャーであるか否かは私の独断だし、超メジャー以外がダメと言っているわけでは断じてないので、念のため)。その超メジャーとは、指揮者はエサ=ペッカ・サロネン。1958年フィンランド生まれの 58歳。そしてオーケストラは、戦後、EMI の名プロデューサー、ウォルター・レッグによってロンドンに創設され、その後も数々の名指揮者のもとで輝かしい歴史を刻んできた名門、フィルハーモニア管弦楽団。サロネンがフィルハーモニアの首席指揮者に就任したのは 2008年。以来このコンビは数年に一度は来日していて、日本でも既におなじみだ。実はこのサロネン、作曲家としても大いに活躍中で、昨年 10月からヨーヨー・マのために新作チェロ協奏曲を書くべく指揮活動を一時中断していたというが、その曲は今年 3月 9日、無事シカゴ交響楽団の演奏会で初演されたという。実はそれに先立つ今年 1月、フィルハーモニア管との契約更改が発表された。来季は首席指揮者就任 10年になるわけだが、今後は期限を決めずにその地位が自動更新されて行くという。有名指揮者があちこちから引っ張りだこの昨今、サロネンほどの指揮者をこのような契約でつなぎとめることのできるフィルハーモニアは、やはり大したものではないか。
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私のサロネンへの思いについてはまたあとで述べるとして、まずは今回の演奏会をご紹介しよう。こんな曲目であった。
 ストラヴィンスキー : 葬送の歌 作品5 (日本初演)
 マーラー : 交響曲第 6番イ短調「悲劇的」

なるほど、ストラヴィンスキーもマーラーも、サロネン得意のレパートリーであり、このコンビなら大変期待できるプログラムと言えるだろう。だが、マーラーはまだよいとして、このストラヴィンスキーの曲にはなじみがないが、一体なんだろう。冒頭に掲げたポスターを見ると、マーラー演奏を高らかに謳いながら、左下の小さな丸の中に、この曲について「106年ぶりに発見!」とある。そして実際にこれがなんと、この曲の日本初演!! 実はこの「葬送の歌」という曲、2015年の春にサンクトペテルブルク音楽院の図書館の改修工事の過程で楽譜が発見されたものらしい。発見後の蘇演は、昨年 12月にヴァレリー・ゲルギエフによってなされたばかり。作品番号がついているということは、作曲者自身が自分が世に問う作品と認定していたということであろうが、長らく作品目録には「紛失」と記されていたらしい。この曲は 1909年、作曲者 27歳のときに書かれたもので、前年に亡くなった恩師リムスキー=コルサコフを悼んで書かれたものとのこと。12分くらいの曲であるが、大規模なオーケストラを駆使した哀しみの音楽になっている。だが、冒頭部分では誰しもが「火の鳥」を連想するのではないだろうか。初期の作品とはいえ、これは紛れもないストラヴィンスキーの作品であり、ここにある哀しみは、例えばこのわずか 26年前に書かれたチャイコフスキーの「悲愴」交響曲のそれとは大いに異なって、都会的であり近代的であると思う。演奏後の拍手に応えて指揮者サロネンが、楽譜を大きく掲げていたのが印象的であった。これが、集団写真の中のストラヴィンスキーとR=コルサコフ。えぇっと、弟子がカメラ目線なのに対し、師匠は知らんぷりですね (笑)。これだけ見ると、2人の関係 (特に、師から弟子に対する感情) は微妙だったのではないかと思いたくもなるが、本当のところはどうだったのだろう。
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そして、演奏会は休憩なしでメインのマーラー 6番に入って行った。サロネンのマーラーは、例えばバーンスタイン的な情念の音楽ではなく、この上なく輝かしい力感に満ち、また新しい音響に対する極めて貪欲な作曲家の姿勢 (= それは作曲家サロネンの大いなる共感でもあろう) が強調されるのが常であると思うが、今回もまさしくそのような演奏で、聴く者みなを圧倒するような、マッスとしてのオーケストラ音楽の威力を、最大限発揮したものであったと思う。その意味では、通常のケースよりも若干軽めの音で始まった冒頭の行進曲から、弾け散るように壮絶な最後の和音まで、一貫した強い流れがあったことが、この演奏の大きな特徴であったろう。以前も書いたが、この曲の第 2楽章と第 3楽章の順番には演奏によって違いがあり、昔は第 2楽章スケルツォ、第 3楽章アンダンテが普通であったが、作曲者の意思を尊重し、最近ではその逆の順番で演奏されることも多くなっている。だが私は、つながりから言ってスケルツォ - アンダンテの方が断然よいという立場であり、今回はその順番であったことに、ある種の安心感を覚えたことは事実。その安心感によって、細部がどうのこうのと言う気はなくなったとも言えるが、ともかく全体の流れがすこぶるよい演奏であったのだ。日本でもマーラー演奏は頻繁に行われているので、その比較が興味深かったのだが、全体的な水準としては、東京のオケも決してフィルハーモニアにひけはとっていないと思う。それどころか、例えば第 3楽章アンダンテで特に重要になる木管楽器の緊密な溶け合いなどは、時として東京のオケの方が上ではないかと思われる瞬間もあった。また、弦楽器の厚みやつややかさも、決して昨今の東京のオケは負けてはいない。但し、弦楽器奏者個々人の積極性という観点で見ると、やはり海千山千のフィルハーモニアはさすがに懐が深い。あえて言えば、ときにガサガサする音すら聞こえるほど、弦楽器セクションの前進力に圧倒されたとも言えるだろう。きれいごとでない音楽の凄みを、このコンビで聴くこととなったわけであるが、サロネンの指揮は、実は決して呼吸の深いものではない。それゆえ、音楽の縦の鳴り方という点では、ほかにも優れた指揮者がいるであろうが、横に流れて行く力の素晴らしさには、毎度唸らされるのだ。しんねりむっつりは皆無。切れ味鋭く、集中力の強い音楽は、この指揮者とオケのコンビが現代において持っている高い価値を示していると思う。マーラーの演奏として、これが唯一無二とは言わないが、大いに満足できる演奏であった。終演後には客席は大いに沸き、アンコールはなかったものの、指揮者もオケもまた、満足そうであった。

さてここで、「川沿いのラプソディ」名物、寄り道です。私のサロネンという指揮者に対する思い入れを少し書いてみたいので、彼の指揮に興味のある方にはそれなりに有用な情報になればよいと思います。そもそも彼の初来日は 1987年、当時首席指揮者の地位にあったスウェーデン放送交響楽団とであった。私はそのときにシベリウス 5番をメインとするコンサートを聴きに行き、終演後にサインももらっている。これだ。
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もうあれから 30年経つのかと思うと感慨深いが、当時の 28歳の若者の面影を、サロネンは 58歳の今も保っていて、本当に音楽まで若々しいのが嬉しいではないか。実は彼が世界のスターダムに突如として現れたのは、1983年にこのフィルハーモニア管弦楽団の指揮台に、マイケル・ティルソン・トーマスの代役として急遽登場してマーラー 3番を振ったときであった。よってサロネンにとってはこのオケとのつながりは、マーラーを介して始まったわけである。そして CD では、メシアンのトゥーランガリラ交響曲という名盤をその頃フィルハーモニアと録音していて、それは私の文字通りの愛聴盤になったのである。何度繰り返し聴いたか分からないほどだ。だが、私がサロネンとフィルハーモニアの実演に初めて触れたのは、初来日から 15年を経た1998年のこと。コンポージアム 1998と題された現代音楽のフェスティヴァルで、今回と同じ東京オペラシティコンサートホールを舞台に、リゲティ作品を中心とした一連の演奏会が開かれたが、私が聴いたのは、クリスティアン・テツラフを独奏者とした、そのリゲティのヴァイオリン協奏曲の圧倒的な演奏で、今でも鮮烈に覚えているのだが、その演奏会のメインは、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第 2組曲。大団円で音がぐぁーっと盛り上がって行ったときのとてつもない興奮は、本当に昨日のことのように思い出される。これが当時のプログラムと新聞記事。当時はロサンゼルス・フィルの音楽監督であって、未だフィルハーモニアの首席には就任していなかった。
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さらに、その後のロンドン在住中には幸いなことに、このコンビを頻繁に聴くことができた。彼が首席に就任したシーズンに開かれた極めて意欲的なシリーズ、「夢の都市ウィーン 1900-1935」。ここでは最初のシェーンベルク「グレの歌」を皮切りに、ツェムリンスキーの抒情交響曲や、マーラー 9番、6番、7番、ベルクの「ヴォツェック」など、私のような世紀末ウィーンの熱狂的ファンにとっては、まさに垂涎、狂喜乱舞のプログラムであった。私はこのシリーズにおいて、今回の曲目と同じマーラー 6番をはじめとする多くの演奏会を体験することができ、当時既によく知っていたサロネンとフィルハーモニアの間のケミストリーに、改めて圧倒されたのである。尚、このときの 6番 (2009年 5月の演奏) はライヴ CD にもなっている。
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ここではこれまでの私のサロネン体験の一部をご紹介したのみだが、考えてみれば私は、彼が未だ 20代の、キャリアの初期の頃からずっと聴き続けている指揮者であるということだ。その意味では、ラトルやシャイーや、それ以降の世代については皆同じ状況なのであるが、これらの指揮者たちが今、音楽の歴史を作っているわけである。サロネンの場合、見た目の若さもあって、未だ「巨匠」という名称はしっくりこないものの、やはり現代における最も優れた指揮者のひとりであることは間違いないだろう。今回のサロネン / フィルハーモニアの演奏会には、別プログラムでもう一度行くことができるはずなので、ここで書けなかった点も含め、また次回、サロネンについて熱く語りたいと思います。

Commented by 吉村 at 2017-05-21 22:40 x
サロネンの7番は、リズム感が秀でていたと思います。昨年の松本の小澤さんのと比べても遜色ないですね。特に最終楽章の躍動感には聴衆からため息が漏れていたと思います。
ただ、フィルハーモニア管は技術的には、時々あれっと思うミスもありました。ロンドンのオケ事情というのは複雑ですね。
Commented by yokohama7474 at 2017-05-22 00:11
> 吉村さん
よく想像できます。ロンドンのオケはそれぞれに、なんというか、「大人」の要素があると思います。フィルハーモニアの場合、サロネンの先鋭性とのコンビネーションが、実はよい効果を出しているのかもしれませんね。
by yokohama7474 | 2017-05-19 01:08 | 音楽 (Live) | Comments(2)