ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮 読売日本交響楽団 2017年 5月19日 東京芸術劇場

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この演奏会は本来、ポーランド出身の巨匠で、読売日本交響楽団 (通称「読響」) の元常任指揮者であったスタニスラフ・スクロヴァチェフスキが指揮する予定であったもの。このブログでも話題として採り上げた通り、スクロヴァチェフスキは残念ながら今年 2月21日に 93歳で逝去。日本で大変尊敬されたこの名指揮者の再度の来日に対する聴衆の期待が大きかったがゆえに、彼が指揮する予定であった 2種類 3回のコンサートにおいて、代役としていかなる指揮者が指揮台に立つのか、気になるところであった。ベートーヴェンの「英雄」をメインとする 2回の演奏会には、以前新星日本響 (のちに東京フィルに吸収合併) の指揮者として活躍したチェコ人のオンドレイ・レナルトが登場。そして残る 1回は、なんとあのロシアの名指揮者、読響の名誉指揮者でもあるゲンナジー・ロジェストヴェンスキーに託された。レナルトも既にベテランで今年 75歳だが、こちらのロジェストヴェンスキーは実に今年 86歳。93歳で逝った名匠の代役としては、いずれも申し分ないものと言えるであろう。レナルト指揮の演奏会のチケットも持っていて、興味はあったのだが、残念ながらほかのコンサートのために行けなくなってしまった。だがこのロジェストヴェンスキーについては、なんとしても聴きたかったのである。その理由は曲目にある。
 ブルックナー : 交響曲第 5番変ロ長調 (シャルク改訂版)

ブルックナーの 5番自体は、もともと予定されていた曲目だが、クラシック音楽ファンなら既にご存じの通り、ブルックナーの弟子であった指揮者フランツ・シャルク (1863 - 1931) の改訂による版は、今日演奏されることはまずない、大変珍しいものである。もちろん、もともとスクロヴァチェフスキが予定していた版ではなく、ロジェストヴェンスキーの選択によるものであろう。ここで、クラシック音楽にあまりなじみのない方のために書いておくと、ブルックナーという作曲家は、自作の交響曲に自らも頻繁に手を入れたし、シャルクをはじめとする弟子たちの手によってもオリジナルと異なるものに改訂されることが多かった。その理由は、この作曲家の作品の際立った独自性、つまり、壮大で劇的だが形式感を欠き、ときにあまりにも冗長に響くという特徴にある。今日我々は彼の作品を繰り返し聴く機会に恵まれ、その特徴をよく知っているが、当時の聴衆はなかなかそれを理解しなかったのである。その無理解を作曲家自身も恐れたし、弟子たちはなんとかして師の作品が受け入れられるようにしたいと思ったことが、ブルックナーの楽譜に様々なヴァージョンが生まれる理由があったわけだ。だが、1930年代からはブルックナーの作品の原典版が出版されるようになり、その後どんどん原典主義が支配的になって行くにつれ、シャルク改訂版を実演で聴く機会は激減し、今やほぼ皆無という状況が過去何十年も続いている。これがブルックナー晩年の肖像だが、彼の書いた壮大この上ない音楽と、伝えられる人間的内向性のギャップが面白く、人間の精神作用の、ひとつの極端な例として興味がある。
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実は今回の指揮者ロジェストヴェンスキーは、ブルックナー演奏においてひとつの大きな金字塔を打ち立てている。それは、未完の 9番の補完された終楽章や、0番、00番はおろか、あらゆる異稿をすべて網羅したブルックナー全集を完成させていることだ。オーケストラは、当時ソ連政府がロジェストヴェンスキーのために既存の楽団を再編成してできた国立文化省交響楽団、現在のロシア国立シンフォニー・カペレである。私は学生時代にアナログレコードでそのいくつかを聴き、その鷹揚な音の響きを楽しんでいた。今では CD で 2セットに分かれた 16枚組が手元にある。あ、もちろんすべて聴いたわけではありません (笑)。
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ところが、ここにも含まれていないヴァージョンがある。それはたとえば 8番のオリジナル版 (インバルがの世の中に紹介した版)、それから、一連のシャルク改訂版である。つまりこのシャルク版は、86歳の老巨匠にとっても、恐らくは新レパートリーではないかと思われるのである。こんな版を実演で聴ける東京は、改めてすごい街だと思うのであるが、録音においても、通常知られているこの曲のこの版は、往年のドイツの巨匠ハンス・クナッパーツブッシュ (長い名前なので、「クナ」と略される) 指揮のものしかないのではないだろうか。ウィーン・フィルを指揮した 1956年のものと、ミュンヘン・フィルとの 1959年のライヴが知られる。ここではウィーン・フィル盤の懐かしいアナログレコードのジャケット写真を掲げておこう。
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私も今回、この演奏会に出かけるに当たって、久しぶりにこのクナの CD を取り出して聴いて行ったのだが、世の中でオリジナル版の長所をズタズタに改ざんしたように言われているシャルク版も、ただ音で聴いている分には、実はそれほど奇異ではない。もちろん、本来弦楽器だけのところにティンパニや金管が伴奏しているとか、弦の音型が少し違っているとか、オクターブ上になっているとか、あるいはこの曲をよく知る人には明らかな終楽章の大幅なカットという点には、気が付くだろう。だが、例えばあのレオポルド・ストコフスキーが手を入れたチャイコフスキー 5番のような、ショーマンシップに溢れた「改ざん」ではなく、もっと地味で真面目である。やはり、尊敬する師の作品を、少しでも聴衆に理解してほしいという弟子の思いが裏にあるからであろう。

さて、今回のロジェストヴェンスキーの演奏である。この人は以前から指揮台を使わず、自分の周りに金属の柵を立てて、長い指揮棒で指揮をするのだが、その点は今回も同じ。だがさすがに 86歳。舞台には椅子 (ストゥール) が置いてある。結局彼は、第 1楽章はすべて立ちながら指揮をし、第 2・3楽章は座って、第 4楽章はコーダの大団円のみ立ち上がって指揮をした。見た感じでは、その指揮ぶりも以前よりは小さい省エネぶりだが、若いころから「指揮棒の魔術師」の異名を取った人のこと、老いたりといえどもオケへの指示は明確で、その棒の振り方も実に自在。左手に指揮棒を持ち、右手の素手だけで指揮するかと思えば、利き腕でないはずの左手だけで指揮棒を振るシーンも見られた。また、第 3楽章スケルツォでチェロに強い指示を送った際に、指揮棒が手元から飛んで行ってしまうアクシデントもあったが、慌てず騒がず、予備の短めの指揮棒をすぐに取り出して振っていた。さすが、百戦錬磨の現場処理能力 (笑)。
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全体のテンポは概してかなり遅め。以前からロジェストヴェンスキーは細部を締め上げるようなことはしない人だが、今回も流れはオケに任せているように思われた。だがその結果、何か大変静かな雰囲気で曲が進行して行き、奇妙な神秘感をそこに聴きとることができたのである。ある意味ではメリハリのきいていない演奏で、スタイリッシュでもなく、切れ味よくもないものの、この指揮者とこのオケが長年培ってきた阿吽の呼吸が、その瞬間目の前で鳴っている音を超えた独特の空間を創り出していたように思われた。ブルックナーの音楽はもちろん神秘的な要素が強いが、今回の演奏は典型的なブルックナー演奏とはどこか異なっていて、何か達観したような雰囲気には、聴き手に感傷すら許さないようなものがあったのではないか。もちろん指揮者の年齢を考えれば、聴衆の方には、彼の音楽をもうあと何年聴けるだろうという感傷が出てきてもおかしくないわけであるが、ひたすら音を聴いていると、そんなことは忘れてしまい、時も場所も超えてただ淡々と音が鳴っているように思われたのであった。だが、最後の最後に来て驚きが待ち構えていた!! この曲の終楽章は、西洋音楽史上稀に見る強烈な盛り上がりを持っている。その終楽章で、上にも書いた大幅なカットがあって、さていよいよクライマックスというところで、最後列にズラリと並んだバンダ (別動隊のこと。ここではホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、チューバ 1、それにシンバルとトライアングル) が、一斉にすっくと立ち上がったではないか!! そして、作曲者が譜面に書き付けた音をさらに増強した、凄まじい音響でコラールが堂々と演奏されたのであ。なるほど、これがシャルクの言いたかったことであり、いたずら者のロジェストヴェンスキーが、曲の最後の最後で東京の聴衆に示したかったものなのか!! この種のバンダの活躍を基本的に好きな私としては、この箇所を聴くことができただけでも、この演奏会に来た甲斐があったと思ったものであった。そう、冒頭のポスターに、「ブルックナーは爆発だ!」とあるが、長く不思議な静謐感の果てに鳴り響いたこの大音響は、岡本太郎ならずとも、爆発という比喩を使いたくもなろうというものだ。終演後の拍手は大変に温かいもので、オケのメンバーが引き上げたあとも指揮者ひとりが呼び出されていた。さすがにこの大曲を振り終えたあとで、老巨匠の様子に疲れは歴然としたものがあったが、その飄々とした持ち味は今でも変わらぬもの。また次回の来日を楽しみにしたい。あ、ブルノ・モンサンジョン演出によるロジェストヴェンスキーの長いインタビュー作品の DVD も未だ途中までしか見ていないので、次回までに見ておかないと。

さて、会場の池袋、東京芸術劇場のロビーには、スクロヴァチェフキの遺品の数々が並べられていて大変興味深い。以下の表示にある通り、展示は少しずつ変えながら、7月12日まで続くとのこと。小さな熊のぬいぐるみなど、意外とかわいいところのあるおじいさんであったのが分かって微笑ましい。なお、写真に書かれたサインはもちろん直筆である。
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以下は、上の表示にある通り、直筆の予定表 (2013年)。簡潔ながらきっちりとした性格を彷彿とさせる。そして、最後の来日時に指揮したブルックナー 8番の総譜と、今回指揮するはずであったブルックナー 5番のパート譜 (あ、もちろん、シャルク版ではない 笑) で、いずれも指揮者自身の書き込みのあるもの。どれもこれも、今となっては貴重な遺品である。
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亡き巨匠を偲びながらも、今我々が実際に聴くことのできる名指揮者たちとの実り多い邂逅を、これからも味わって行きたいと、心から思う。

by yokohama7474 | 2017-05-20 01:16 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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