ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 NHK 交響楽団 2017年 5月20日 NHK ホール

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前回の記事で、86歳の「ロシアの老巨匠が指揮するブルックナー 5番」の演奏をご紹介したが、実は今日、2017年 5月20日には、2つの東京のオーケストラがその「派生形」(?) とも言うべき演奏会を開く。ひとつは「ロシアの老巨匠」の演奏会、もうひとつは「ブルックナー 5番」の演奏会だ。このうち後者は、ジョナサン・ノット指揮の東京交響楽団によるもの。楽しみにしてチケットを購入したが、昨今の東京では珍しくないほかのコンサートとのバッティングで、「さぁ、どちらを選ぶ?」という問いに迫られ、結局あきらめることとした。だが前者の方、「ロシアの老巨匠」の演奏会には万難を排して出かけることとしたのである。1932年生まれ、今年 85歳になるウラディーミル・フェドセーエフが指揮する NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の演奏会だ。
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冒頭の写真は今月の N 響の定期演奏会のプログラムであるが、そこには 2人の指揮者の姿があしわられている。ひとりは既にご紹介したピンカス・スタインバーグ、そしてもうひとりが今回の指揮者フェドセーエフである。N 響が行っている毎月 3種類のプログラムを複数の指揮者が振り分けることは珍しくない。だが待て。私の頭の中には、既にご紹介したスタインバーグの「わが祖国」と今回のフェドセーエフの演奏会以外に、今月の N 響定期のイメージがない。・・・そう思ってプログラムをめくってみると、あ、そうだ。通常は B ブログラムとしてサントリーホールで開かれているシリーズが、同ホールの改修によって現在は開催されないのである。その間 N 響は、「水曜夜のクラシック」という NHK ホールでのシリーズと、「午後のクラシック」という平日 15時からのミューザ川崎でのシリーズを開催する。うーん、平日の NHK ホールは勤め人には厳しいし、15時の川崎に至っては、会社を休まないと無理ということになる。東京の音楽界において、いかにサントリーホールが欠かせない存在であるか、改めて思い知るではないか。

ともあれ今回の指揮者フェドセーエフは、この C 定期と、来週の「水曜夜のクラシック」とに登場して、すべてロシア音楽を指揮する。そういえば彼は今年 2月にも来日して、やはり N 響のオーチャードホール定期に登場し、これまたロシア音楽ばかりを指揮していた。フェドセーエフクラスになると、別にロシア音楽でなくてもなんでも振れると思うのだが、楽団の要請なのか指揮者の意思なのか、本当に N 響ではロシア音楽ばかり振っている印象である。以前には東京フィルにも頻繁に登場していたし、旧モスクワ放送響 (チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ) との度重なる来日でもおなじみのこの名指揮者については、以前にも何度かこのブログで採り上げているが、今年 85歳!! とは本当とは思えないほど元気で、椅子もなしに、立ったまま最初から最後まで指揮をするし、指揮台に上がるときには、よいしょっとばかりに勢いをつけて乗るのである!! 前回の記事で採り上げたロジェストヴェンスキーよりも 1歳若いだけであり、ロジェストヴェンスキーも年の割には充分若いと思ったが、フェドセーエフはちょっと異常なくらい若い。考えてみればこの 2人、旧モスクワ放送交響楽団やウィーン交響楽団のシェフとしての先輩後輩なのであるが、直接の交流はあるのだろうか。大変に興味のあるところである。さて今回、そのフェドセーエフが指揮したのは以下のプログラム。
 グリンカ : 幻想曲「カマリンスカヤ」
 ボロディン : 交響曲第 2番ロ短調
 チャイコフスキー : 交響曲第 4番ヘ短調作品 36

なるほど、どう見ても妥協の余地のないほどロシア音楽だ (笑)。もともとフェドセーエフには若干不思議なところがあって、ある場合にはいわゆる爆演系の指揮者になることもあれば、またある場合にはとても職人的に音色をまとめる手腕を見せるのである。その彼が指揮するロシア音楽を、実のところ私はさほどロシア的であるとは思っていない。そもそもロシア的などと言っても、一体何をもってそう言うのか。同じロシア人であっても、唯一無二の巨匠であったムラヴィンスキーと、まさに泥臭いロシアという印象のゴロワーノフは、まるで違う指揮ぶりを示している。また、日本でもカリスマ的な人気を誇った、今はなきコンドラシンやスヴェトラーノフ。あるいは件のロジェストヴェンスキーやキタエンコやテミルカーノフ、それにゲルギエフ。枚挙にいとまのないロシアの名指揮者たちには、それぞれの個性があって、ロシア的云々と言える個性があるのか否か疑問である(そう言いながらも、ロシア音楽の特性にはそれなりの理解があるつもりだが)。だから今回は、それぞれの曲の面白さを楽しみたいと思ったのであるが、さすがにフェドセーエフと N 響、見事な演奏を聴かせてくれた。

最初の「カマリンスカヤ」は、ロシア音楽の父と言われるミハイル・グリンカ (1804 - 1857) による 8分ほどの小品で、私も以前はよく聴いていたが、今回随分久しぶりに耳にした。2つのロシア民謡を引用しているらしいが、音楽自体はそれほど派手ではない。今回の演奏では、N 響の弦や木管がクリアな音で鳴っていて、退屈することなく聴くことができた。そして 2曲目はアレクサンドル・ボロディン (1833 - 1887) の 2番。いかにもロシア的な曲と言えば言えるであろうし、実際、私が中学生の頃初めてアンセルメのレコードでこの曲を聴いたときには、ちょっと泥臭くてついていけないなぁというのが正直な感想であった。それは今でも基本的に変わらない感想でもあるのだが、それでも注意深く聴くと、ここには疾走したり揺蕩ったりという音のドラマがある。たまたまロシアで生まれた情感豊かな交響曲ということで、楽しく聴くことはできるのだ。指揮棒を持たずに素手で指揮をするフェドセーエフには、もちろん祖国の音楽を広く世界に紹介したいという義務感もあるに違いないが、人間の感情を音で表すことに喜びを見出していると考えたい。それはもはや、ロシア的であるか否かは関係ないであろう。そのような普遍性を感じさせる見事な演奏であった。そうそう、そういえばこのボロディン 2番には、面白い CD がある。あのカルロス・クライバーと、その父でやはりとてつもなく偉大な指揮者であったエーリヒ・クライバーの演奏を 1枚に収めたものだ。ここでこの父子についての私の思いを述べ始めるときりがないが、確かカルロスの伝記の中で、彼が若き日にこの曲を演奏したのは、父の演奏に影響されてのことだと書いてあったはず。そう言えば、この曲の冒頭は、いかにもカルロスの疾走する音楽としてふさわしいではないか。
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えぇっと、このあたりでフェドの演奏会に戻りましょう (笑)。この日のメインは天下の名曲、チャイコフスキー 4番である。この日の曲目の流れで聴いてみると、確かにこれもれっきとしたロシア音楽であり、ロシア民謡の引用に民族性を明確に感じる一方で、そこに表れた音のドラマこそ、世界のいかなる土地でも人々の感情にそのまま訴えることのできる普遍的なものであると理解できる。チャイコフスキーは 1840年生まれで、ボロディンよりわずか 7歳年下であるだけだ。そして、前述のボロディン 2番の初演は 1877年 2月。チャイコフスキー 4番の初演は 1878年 2月。たったの 1年しか違わないのである。つまりこの 2曲は同時代音楽なのだ。だがそこには歴然とした洗練度の差があることは自明だ。チャイコスフキーは生前からいわゆる西欧派として、ボロディンらいわゆる「ロシア五人組」とは一線を画していたわけなのであるが、そのことの意味を改めて感じる機会になった。今回の演奏では、遅めのテンポ設定の中、弱音と強音の間にかなり強いコントラストがつけられ、輪郭がくっきりする一方で、このノリノリの交響曲に素直にノってしまうことを躊躇させるような雰囲気 (?) も感じられた。例えば、第 3楽章では弦楽器は弓を置き、一貫してピツィカートで演奏するのだが、陰鬱な第 2楽章から休むことなく、そのまま第 3楽章に続いたのである。全く違う世界がそこでは連続していた。一方で第 3楽章終了後、通常はそのまま勢いで第 4楽章になだれ込むことがほとんどであるところ、今回は間を置く方法が選択され、それによって弦楽器奏者たちは落ち着いて弓を手に取ることができた。だがこうなると、この曲を聴く人たち 100人のうち 100人全員が期待している、第 3楽章からそのまま雪崩れ込むべき第 4楽章の喧騒が、少し違った響きを帯びてくるのである。これはなかなか単純には行かない流れではないか。全体を通してテンポは通常よりも遅めであって、場面場面できめ細かい情感を引き出しながらフェドセーエフの見ているところは、何か現実を超えた遠い世界であるような気もした。世界音楽であるチャイコフスキー。その再現には様々な方法があり、正真正銘のロシアの宝である老巨匠が今回取った方法は、彼ならではの強いメッセージがあったのかもしれない。そう、そうなのだ。フェドは爆演タイプであることもあれば、大変に洗練されたタイプであることもある。そこには謎がある。もし次回、ロシア音楽以外を聴くことができれば、彼の世界の謎にもう少し迫れるのではないだろうか。

・・・と言いながら、今回の N 響との演奏会の次に予定されているこの指揮者の来日は、11月の手兵チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラとのもの。ここでは、おっ、ラフマニノフ 2番という大曲が予定されている。同じロシア音楽ではあるが、その感傷性は独自のもの。聴きたいと思う一方で、例えばブルックナーなんかもいいのではないかなぁとひとりごちております (笑)。
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by yokohama7474 | 2017-05-21 01:06 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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