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コンポージアム2017 ハインツ・ホリガーの音楽 スカルダネッリ・ツィクルス 2017年 5月25日 東京オペラシティコンサートホール

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今回ご紹介する「コンポージアム」とは、東京オペラシティ財団が毎年開催している現代音楽のイヴェントである。この聞き慣れない "Composium" という言葉は、Compose (作曲する) と Symposium (シンポジウム) を合わせた造語であるらしい。うーむ。それなら「コンポージウム」ではないのだろうかという疑問はさておいて (笑)、このイヴェントが意義深いのは、毎年若手作曲家の新作に賞を与えていることである。その名は武満徹作曲賞。このブログでも何度も何度も名前が出てくる、日本を代表する作曲家であった故・武満徹 (1930 - 1996) の名を冠しているのだが、その理由は、このオペラシティコンサートホールの初代芸術監督はその武満であったことによる。なにせこのホールの正式名称は、最後に「タケミツ・メモリアル」とつくくらいであるのだ。この作曲賞は1997年から継続しており、今回は 19回目。審査員 (この賞の審査は極めて例外的なことに、複数の審査員ではなく、たったひとりの作曲家によってなされる) には、文字通り世界の名だたる作曲家が指名されるのであるが、今年はその審査員がハインツ・ホリガーなのである。ここで勘のよい人は察するであろう。1997年から毎年やっているなら、今年は 21回目のはず。なぜに 2回欠けて、19回目であるのか。それは、まず 2006年には武満の没後 10周年のイヴェントのために作曲賞の審査がなかったこと。そして、1998年には、審査員はハンガリーの大作曲家ジェルジ・リゲティであったのだが、入賞者なしという結果であったことによるのである。この 1998年のコンポージアムについては、たまたまつい最近、5/19 (金) のエサ=ペッカ・サロネン指揮のフィルハーモニア管の記事の中で触れているが、この年の入賞者なしとは、私も今回初めて知った。今手元にそのときのプログラムを再び出してきて読んでみると、なぜ 45曲の候補から入賞作を一作も選ばなかったかについての、リゲティの詳しい言明が掲載されている。ここではその点についての説明は割愛するが、まぁともあれ、作曲家という大変な職業を選択するのは大変なこと。そのような大変な職業を選んだ若い人にスポットライトを当てるこのような企画が継続していることは、何よりも文化的に大いに意義のあることである。主催・協賛の方々にここで最大限の敬意を表したい。このコンポージアムでは、武満作曲賞以外にも、審査員である作曲家自身の作品も演奏されるので、今後も聴衆として極力イヴェントに参加したいと思う次第である。

さて、前置きが長くなってしまったが、今回の主役ハインツ・ホリガーは、一般的な知名度はどうか分からないが、クラシック音楽の世界ではまさに知らぬ人のない、オーボエという楽器の神に等しい存在だ。1939年生まれだから今年 78歳になる。
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実は彼はオーボエを吹くだけではなく、活発な活動を続けてきた作曲家でもある。あまり日本ではそのことは知られていないように思うが、最近彼の作品に触れる機会が増えてきた。例えばこのブログでも、既に 2015年 8月23日の記事で、こちらはサントリー音楽財団のサマーフェスティバルにおける彼の作品の演奏会を採り上げたことがある。そちらは室内楽の楽曲であったのだが、今回は、コンポージアムのコンサートのひとつにおいて、小編成のオーケストラと合唱団による彼の作品の日本初演が行われた。曲名と演奏者をご紹介しよう。
 スカルダネッリ・ツィクルス (1975 - 91年作)
 指揮 : ハインツ・ホリガー
 フルート : フェリックス・レングリ
 ラトヴィア放送合唱団
 アンサンブル・ノマド

私がこの演奏会に興味を持ったのは、これが実に 2時間半の大作で、しかも休憩なしに演奏されるということを知ったからであった。それだけの長時間連続して行われる演奏に立ち会うことで、聴衆は何か特別なものを感じることができるのはないかと思ったからである。もちろん、通常のコンサートで、2時間半休憩なしということはまずない。ただ珍しい例としては、先般私がどうしても行くことができなかったアンドラーシュ・シフの来日リサイタルは休憩がなく、たくさん弾かれたアンコールまで含めるとそのくらいの時間であったというし、ワーグナーの「ラインの黄金」は、この作曲家にしては異例に短い作品だが (笑)、やはり 2時間半休憩なしだ。だがそれらは例外的で、普通のコンサートには休憩が入るものである。とはいえ、映画では 2時間半の大作も決して少なくなく、それらを見ている自分としては、膀胱破裂のリスクもそれほどあるとは思えない。頑張って聴いてみようではないか。

無駄口はこのあたりにして、作品について少し語ってみたい。題名の「スカルダネッリ」とは、ドイツ・ロマン派の詩人、フリードリヒ・ヘルダーリン (1770 - 1843) が署名時に使用した架空の人物名のこと。おー、ヘルダーリンか。もちろん名前は知っている。だが恥ずかしながら作品を読んだことはない。唯一思い出すのは、ブラームスの「運命の歌」の歌詞がこの詩人によるものだということだ。その作品を含むヘルダーリンに因む作品を集めた演奏会を、クラウディオ・アバドがベルリン・フィルで行ったことも知っているが、私の知識はその程度だ。これが彼の肖像。
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実はこのヘルダーリン、若い頃には哲学者のヘーゲルやシェリングと学友であり、古代ギリシャに傾倒した作品を創作したが、30代から精神を病み、後半生の 36年 (人生のほぼ半分) は、塔の中で生活を送ったという。ドイツのテュービンゲンなる都市には、今でも彼が過ごした「ヘルダーリン塔」が現存するらしい。行ってみたいなぁ。
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さてこのホリガーの作品は、実は 3つの異なる作品の部分部分が様々に組み合わされて演奏されるもの。その 3曲とは以下の通り。
 無伴奏混声合唱のための「四季」
 スカルダネッリのための練習曲集 (フルート・ソロ、磁気テープと小管弦楽のための)
 フルート・ソロのための「テイル」

これらは 1975年から 1991年までの間に、ワーク・イン・プログレスとして 1曲ずつ作曲されたものがまとめられている。この 3曲は合計で 22の部分から成り、以前は一定の条件のもと、演奏者が曲順を自由に設定できたが、2014年にルツェルン音楽祭で改訂版が初演されたときに、各部分の演奏順序が決められたらしい。全体は 3つに大別され、それぞれの中で「四季」が一巡する中、ほかの曲も適宜挿入されて演奏されて行く。ヘルダーリンの詩は「四季」の歌詞として使われているのだが、そこでは、春夏秋冬、ドイツ語で Der Frühling (フリューリンク)、Der Sommer (ゾンマー)、Der Herbst (ヘルプスト)、Der Winter (ヴィンター) のそれぞれの題名を持った詩が、3部を通して演奏されることにより、合計で三巡することになる。面白いのは、指揮を務める作曲者のホリガー自身が、それぞれの曲の最初に該当する季節を大きな声で唱え、合唱が歌い終わったあとに、ヘルダーリンが署名している部分もまたホリガーが唱えるのである。いわく、「1758年 5月24日 スカルダネッリ」「1842年 3月15日 スカルダネッリ」「1940年 3月 9日 スカルダネッリ」等々。だがこれは妙だ。ヘルダーリンは 1843年に死んでいるので、1940年はありえないはず。だがそれこそ架空の人物スカルダネッリによる日付なのである。

この 2時間半の超大作においては、大音響が聴かれることは皆無。ひたすら静謐で拍節感のない音が流れて行く。それはもちろん、ワーグナーの楽劇のようなドラマティックなものとは大違いである。だが、なぜか客席でうたた寝している人は少ないように見えた。そのひとつの理由は、様々に工夫された斬新な音響ではないだろうか。第 1部では 3つの異なる大きさの寺の鐘 (りんというのだろうか) がごーんごーんと響く。かと思うと途中でガサガサ合唱団 (20名) がステージから去るので何かと思えば、2階客席の左右奥とホールの真ん中あたりに陣取って歌い、その一方で、舞台では 4人がワイングラスに水を注いでそのふちを指でこする。いわゆるグラスハープである。ここではイメージを拝借する。
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それから、バッハのコラールの引用がなされる箇所もあるし、第 3部の最初の曲に至っては、紙を破ったりクシャクシャにする音、紐の先に何か重りをつけて振り回す音、チューブを振り回す音、ドラの表面を何かで擦る音、何やら水に浸けては引き出す音、これでもかと奇異な音が聴かれる。フルートソロの後には、ツーンという電子音が継続して響く。また終曲では、再び合唱団が 4パートに分かれて、何かを押しつぶしたような低い声で歌い、遠い世界に響く祈りのようなやまびこのような、不思議な音の交錯が聴かれた。このような様々な音の工夫がなされつつも、基本的には 2時間半、なだらかな音風景が続くわけで、聴いているうちに、これはあの世の風景かしらんとまで思えてきた。こればっかりは経験しないと分からない。演奏会に居合わせた人たちだけが、長い時間をともに過ごして音楽に耳を傾けているうちに、じわじわと沸いて来た感情の泡のようなものが、会場を満たしていたといった印象だ。宗教体験に近いと言ってもよいかもしれない。なるほどこれは、休憩を入れるわけにはいかないわけだ。そして上記の通り、時々指揮台で声を発するホリガーが、司祭のごとく聴衆を静かに先導する。2年前にサントリーホールブルーローズで聴いた彼の朗読も、きわめて音楽的でよかったが、今回も、彼の声は曲の重要な一部になっていた。特に「スカルダネッリ」という言葉の響き、何かの呪文のようではないか。ただ一か所、「夏」なのに「春」と言いかけてしまったのはご愛敬。弘法も筆の誤りということか (笑)。

演奏に関しては、現代音楽の専門集団、アンサンブル・ノマドも見事なら、2014年の初演時にも合唱を担当したラトヴィア放送合唱団も見事。だが中でも素晴らしかったのは、フルート奏者のフェリックス・レングリ。スイス人で、往年の巨匠フルーティスト、オーレル・ニコレの弟子である。恐らくは、同じ木管楽器であるオーボエの超絶的名手であるホリガー自身が、奏者の生理をよく理解した上で曲を書いていることも関係していよう。見事な演奏であった。
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このように、静かでありながら大変充実した 2時間半であったのだが、実はこの曲にはホリガー自身による CD もある。私はその存在を会場で初めて知ったので、買おうかなと手に取りかけたのだが、今回はやめることにした。上に書いた通り、何かの儀式のような実演で経験した静かな感動は、なかなか録音では味わえないからだ。もっとも、もう一度実演を聴いてみるかと言われれば、その長さを思い出すと、それにも若干の躊躇を覚えるかもしれない (笑)。これが CD のジャケットだ。
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さて最後に、この曲の印象と共通する視覚的なイメージをご紹介する。今回合唱団がやってきたラトヴィアは、言うまでもなくバルト三国のひとつ。私は行ったことがないのだが、そこにある「十字架の丘」には、いつか是非行ってみたいと思っている。生と死がその境も曖昧になるようなこのような風景を知っている人たちだからこそ、様々な技術的困難を乗り越えて、今回のホリガーの作品をリアリティを持って歌えるのではないだろうか。
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世の中まだまだ知らないことばかり。発見の喜び、学ぶ喜びがある人生は、なかなかに楽しいものである。

by yokohama7474 | 2017-05-26 01:42 | 音楽 (Live)