特別展覧会 海北友松 京都国立博物館

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海北友松。この名前はどの程度一般に親しまれているものだろうか。そもそもなんと読むのか。「うみきたともまつ」??? いえいえ、これは「かいほうゆうしょう」と読み、桃山時代から江戸時代にかけて活躍した絵師 (1533 - 1615) なのだ。もしかすると、いや、もしかしなくても、狩野永徳 (1543 - 1590) や長谷川等伯 (1539 - 1610) といった同時代の画家よりも知名度は低いかもしれない。だが、私ははっきり覚えているが、高校の日本史の教科書にも、桃山時代の代表的な画家として友松の名前は出ていたし、京都の寺に出かけると彼の障壁画を見ることができるのである。しかし、彼の大規模な回顧展がこれまで開かれたかというと、その記憶はないし、永徳の「唐獅子図」とか等伯の「松林図」というような代表作があるかというと、ちょっと考えてしまう。それゆえ、今般京都国立博物館 (通称「京博」) で開催されたこの展覧会は、友松芸術の全貌に迫る極めて貴重なものであったのだ。・・・と、ここでお詫びなのであるが、今私が書いた通り、この展覧会は京博で開催「された」と過去形にする必要がある。なぜならこの展覧会は 5/21 (日) をもって閉幕し、地方巡回の予定はないからだ。これは京博の開館 120周年を記念する行事のひとつであり、まさに京都でのみ開催可能であったもの。しかも開催期間は約 1ヶ月のみと、なかなかに厳しい条件だ。ただ私はどうしてもこれに出かけたくて、カレンダーとにらめっこした挙句、ある日曜の早朝に新幹線に飛び乗って、東京 - 京都間を弾丸往復することに決めた。京博の開館時刻、9時30分に先立って現地到着して列に並び、展覧会鑑賞後には、ほかの寺社には一切立ち寄ることもなく東京にトンボ返り。そして 15時からの東京でのコンサートに駆け付けたのである。少々強行軍ではあったが、結果的にはその価値のある素晴らしい展覧会であったと思う。

まず、会場の京博に掲げられていた看板をご覧頂こう。上に掲載したポスターの図柄と同じ龍の絵であるが、右後ろには現在閉館中の本館 (重要文化財) がチラリと見えている。なお、今回の展覧会場は、新しい平成知新館。
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さてこの展覧会では、初公開や海外からの里帰りを含む海北友松の作品及び資料 70点以上が展示され、実に圧巻であった。最初に結論を言ってしまうと、この画家の格の高さは疑うところなく日本美術史上に燦然たるものであり、近代的な感性までを思わせる素晴らしい作品がこれだけ一堂に会する機会は本当に貴重であり、間違いなく歴史に残る展覧会であったものだと思うのである。ここではその価値のほんの一部しかご紹介できないが、現地に出かけることのできなかった方に、少しでもイメージを広げて頂ければ本望である。そう、この絵師、ただものではない!

海北友松は浅井家の家臣、海北家の五男 (一説には三男) として近江に生まれた。幼くして京都の東福寺に入り、禅僧として狩野派を学ぶが、後に還俗して海北家再興を目指すものの、その絵の腕が秀吉の目に止まり、画業に専念。その後は天皇・親王や京都の格式の高い禅寺の僧たち、そして朝鮮の儒者や明の使節からも支持され、82歳の長寿を全うした。彼の親友に斎藤利三という人がいて、明智光秀の家臣であったために本能寺の変のあと処刑されたが、友松がその遺体を回収して手厚く葬ったという (今、友松自身が京都の真如堂でこの利三の隣に眠っている)。この斎藤利三の娘が、三代将軍家光の乳母、春日局なのである。そのような縁で、友松の名前はその子孫を通じて江戸時代初期に顕彰されたのだという。この時代、いやどの時代でも、芸術家の活動には、様々な巡りあわせが影響する。幸いなことに、今日我々が友松の作品の数々を見ることができるのは、そのような巡りあわせも大いに関係しているに違いない。以下は、今回出品されていた、海北家に伝来する (ということは、今も子孫の方がおられる?) 友松夫妻の姿。友松の孫である海北友雪の手になるもので、重要文化財だ。友松の妻が着ている着物は春日局から拝領したものとのことだが、そのいわれは上記の通り。当然友松夫妻が生きていた頃には未だ春日局は権勢を握っていなかったので、この情景はフィクションということになるが、自分の祖父を顕彰したいという友雪の思いがそうさせたのであろうか。
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次は、会場で最初に展示されている作品、岡山県蓮台寺所蔵の「菊慈童図 (きくじどうず) 屏風」。1997年の展覧会で初めて世に紹介され、無款ながら、今日では現存する友松の最初期の作品とみなされているとのこと。木や岩の描き方は狩野派風ということなのだろうが、私はこの人物の砕けたポーズとアンニュイな (?) 表情が気に入った。その生々しいこと、既に独特の個性を感じさせるのである。
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かと思うと、この「山水図屏風」では人物は一切登場しない。松や岩の、緻密だが優等生的な表現に比して、中国風の瓦を床に敷き詰めた建物の佇まいは何やら寂しげであり、あえて言えばシュールにすら感じる。友松の内面に、このような風景を描きたいと思う何かがあったのだろうかと想像したくなってしまう。
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これは米国サンフランシスコ・アジア美術館が所蔵する「柏に猿図」。猿の絵といえば、中国人画家牧谿が模範ということになるのだろうが、この絵に漂う愉悦感はなかなか独特のもので、猿の絵といえども、誰かの猿真似で描けるものではないだろう。水の表現は様式的であっても流れのリアルさを出そうとしているし、花や木などの植物に見られる近代日本画のごとき感性は、やはり友松独特のものではないか。
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展覧会には、友松が京都の名刹、建仁寺の塔頭に描いた襖絵が並んでいる。保存状態があまりよくないものもあるが、この「琴棋書画 (きんきしょが) 図屏風」は面白い。雲洞院という塔頭に現存する重要文化財だ。この展覧会ではこの画題による作品がいくつも展示されていたが、いずれも描かれた人物の闊達さに見入ってしまう。水墨画の多い友松だが、ここでは適度な彩りが添えられている。
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次にやはり重要文化財、建仁寺本体の大方丈の障壁画からいくつかご紹介する。この障壁画は全部で実に 50面あり、描かれたのは 1599年と、江戸時代前夜。友松既に 60代のときの作品なのである。オリジナルは現在京博が保管しており、現地にはキャノンが制作した高精度の複製品を順次入れて行っているとのこと。今度建仁寺に行ったときに見てみたい。最初は「雲龍図」だが、図録から撮影している関係で、たわんだ形になってしまっているものの、それが返って迫力を増しているようにも思われる。作品自体にそもそも力が漲っているからだろう。
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この展覧会には龍が何匹もうねっていたが、やはりこの、ポスターになっている奴が私としては最も気に入った。上と同じ建仁寺大方丈の襖絵で、重要文化財。この角の硬質な感じはなんとも言えない迫力だし、黒雲からにゅっと飛び出る右手は、下からの照明に浮かび上がっており、さながら怪獣映画のワンシーンのようではないか。ある意味でこれもモダンな感覚と言えると思う。
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同じ建仁寺の障壁画から「花鳥図」。これは孔雀なのであろうが、サイズはかなりデカデカと描かれている割には、足は細くて、龍の迫力とは異質である。しかし躍動感は素晴らしい。
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引き続き建仁寺の障壁画をいくつかご紹介する。順に「山水図」、そして「琴棋書画図」から 2点。幽玄な味わいがあると思うと、鋭い線で濃く直角に描かれた垣根もあり、ほのかな人間味のある人物像もある。これ見よがしのところはないだけに、その画格の高さに感嘆するのである。
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この建仁寺大方丈の作品を仕上げてのち、友松の名声はうなぎのぼり。皇族、大名らからも依頼を受けるようになり、現存する友松の作品は、この 60代以降の晩年のものが大半を占めるという。これは MOA 美術館が所蔵する重要文化財の「楼閣山水図屏風」。現在の鳥取県、鹿野 (しかの) 城の主であった亀井茲矩 (かめい これのり) に贈呈されたもの。やはりじっと見ていると近代の日本画のように見えてくる、水辺の風景である。
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友松はまた禅画も多く手掛けているが、私の見るところ、それほど砕けた大胆さがあるわけではない。だが、京博が所有する「禅宗祖師図押絵貼屏風」のひとつ、達磨の図を見てみると、まるでお菓子の「ひよこ」みたいで可愛らしいではないか (笑)。ちなみに押絵貼屏風 (おしえばりびょうぶ) とは、屏風の一扇ごとに図を貼付したもので、つながった屏風絵と違って一枚一枚完結なので、多彩な画題に活用できた。
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友松の絵画は、必要以上の写実にこだわっているようにはあまり見えないが、動物の描き方には一種独特のリアリティがある。これは、MIHO MUSEUM 所蔵になる「野馬図屏風」。白い馬と黒い馬なのだろうが、白馬だけからだの輪郭線 (ひょいひょいと描いたように見える) を使っているのが面白い。
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こちらはまたユニークな、「牧牛図屏風」。ここに採り上げた 3頭はそれぞれに毛の描き方が異なっていて、特に右側の奴は非常に丁寧な描き方となっている。集団のボスだろうか。
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さて、この先は友松 70歳のときの、ある重要な出会い以降の作品である。友松芸術の最後の輝きは、実に特別なものになるのである。1602年、細川幽斎らの推挙によって友松は、八条宮智仁親王のもとに出入りするようになったのだ。この智仁親王の名前は、「ともひとしんのう」ではなく「としひとしんのう」と読むのだが、私は正直なところ、よくその読み方を忘れて困っているのである。というのもこの親王、日本文化史において極めて大きな貢献をした人で、その名を口にする必要がたまに生じるからだ。そう、桂離宮の造営だ。このブログでも桂離宮に関しては、京都についての書物やブルーノ・タウトの建築に関係して、何度か言及しているが、同時代に造営された日光東照宮との対照も鮮やかな、シンプルなデザインによる鮮烈な感性を感じさせる特別な場所である。そうすると、もしかして桂離宮にも友松の作品があるのかと思って調べたところ、同離宮の造営は 1620年からで、友松の死後。だが、この展覧会に並んだ友松晩年の作の数々を見ていると、親王の感性に友松の作品が影響しているのでは、と思われてくる。これまでの水墨画中心の世界から、70歳にして金碧の色彩の世界に足を踏み入れた友松だが、相変わらずその作品の格は非常に高い。これは滋賀県立琵琶湖文化館所蔵の「檜図屏風」。色彩もさることながら、この丁寧な葉の描き方も、友松としては特別に手が込んでいるのでは。
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これは御物の「浜松図屏風」。やまと絵風だが、波を様式化している一方、松の緑が活き活きとしていて、その対照が面白い。
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これも御物で、「網干図屏風」。実物を前に「うぅーん」と唸ってしまった逸品だ。本来生活感があるはずの干し網の曲線と、これまた様式的な鋭い芦の直線の組み合わせが、現実世界を超えたスタイリッシュな世界をそこに現出している。
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次は、京都の名刹妙心寺に残る友松晩年の傑作、重要文化財の見事な屏風絵、「花卉 (かき) 図屏風」である。老境に至ってなお、この異様な生命力のある作品を制作できた友松とは、大変な人であったことが分かる。これらを見ていると、遥か後世の速水御舟まで思い出されてくるではないか。
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展覧会はここで照明を落とした部屋に入り、そこには 5匹の龍が薄暗い中に浮かび上がっている。上の建仁寺障壁画でも見た通り、友松の龍は凄まじい迫力だが、かならずどこかにユーモラスな部分もある。北野天満宮所蔵の重要文化財、六曲一双の「雲龍図」はその好例であろう。
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さて展覧会はそれから、気楽な手すさびといった押絵貼屏風の作品が並んでいて、これらも大変微笑ましいのだが、最後の部屋に至って人々は、「ほぉ~」と感嘆の声を上げる。そこに展示されていたのは、米国ミズーリ州カンザスシティにあるネルソン・アトキンズ美術館所蔵の「月下渓流図屏風」である。1958年に同美術館の所有となってから約 60年、今回が初めての里帰りであった由。友松最晩年の作と認定されている。
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これは、静かな春の川の夜明けを描いているわけであるが、その柔らかなタッチは、幽玄境に遊ぶかのようである。かつ大変素晴らしいのは、ほとんどモノトーンの色調の中、地面に生える土筆や、木の枝だけが控えめに色を施されていること。現代の写真家が、モノクロで撮影して、例えば花だけに鮮やかな色をつけてスタイリッシュに仕上げるパターンと似ているが、光学的な細工がいくらでもできる現代と異なり、ただ目に見える実際の世界しか見ることができなかった江戸時代の画家が、一体いかなる感性でパートカラーという発想を考え付いたものか。この作品は、淡い色調で枯れた味わいであるだけに、細部に宿る友松の視覚の冒険に、何か空恐ろしくなるような気がした。

ここでご紹介できたのはごく一部の作品だけであり、しかもその一部分の写真を掲載しているケースが多いので、実物を前にしたときの感動をお伝えするには限度があると思う。だが、海北友松という優れた画家がいたということを、今改めてここで認識して頂けるようなことがあれば、私としては、無理して京都まで弾丸往復した甲斐があるというもの (笑)。日本の美術史は本当に豊かで奥深いものなのであります。

by yokohama7474 | 2017-05-27 01:32 | 美術・旅行 | Comments(4)
Commented by エマスケ at 2017-05-27 11:15 x
私も少し前になりますが、この展覧会に行ってきました!
建仁寺の大方丈の一連の襖絵は、キヤノン製高細密複製画に代わられているので、かねてより実物を観たいと思っていて、ようやく叶った次第です。

作品を通しで観ると、画家としての紆余曲折の振れ幅というのか、スケールが大きい方なのだなあと実感しました。こういうのは、個展でないとわかりません。
それから、最後の「月下渓流図屏風」の、しんと静まりかえったような美しさ。
「桂離宮」とおっしゃられると、確かにそういう可能性もあったような気がいたします。
ブログ主様のような「半日往復」ほどではないにせよ、万障繰り合わせて京都まで足を運んだ甲斐がありました。

またお邪魔させていただきます。







Commented by yokohama7474 at 2017-05-28 01:40
> エマスケさん
やはり見に行かれましたか。確かに私が行ったときにも、帰りの新幹線がどうのと喋っている人たちが周りに結構いましたね。東京で開催がなかったことは残念ではありましたが、苦労して見に行けば、それだけ印象にも残るので、あれはあれで意味があったかなと思っております (笑)。
Commented by コロコロ at 2017-05-30 04:07 x
弾丸鑑賞されていらしたのですね。私も最終日、行ってきました。丸一日、京博、そして翌日は、1日建仁寺・・・という友松びたりの2日間でした。思いきって行ってよかったと思っています。

《花卉 図屏風》 に速水御舟を感じる・・・ 単に色あいによるものかな? こじつけみたいなものかな? とも思っていたのですが、 yokohama7474さんもそのように感じられたようで、他にも同様に感じていらっしゃいました。拙ブログでも紹介させていただきました。

また、《雲龍図》の爪のアップ画像がみあたらず、こちらの画像を引用させていただいたのですが問題があれば、お知らせいただければと思います。 

日本画をほとんど知らない、琳派というものを知って風神雷神を見に行った時、おまけのような形で見た海北友松。当時は無名と思っていた絵師を、なんだこの人は! と思えた画家。ネームバリューによらず自分の目で判断して鑑賞できているを実感できた画家でした。その作品がデジタル画像だったということに、ずっと自分の中の折り合いがつかず、どうしても本物を見てみたいと思ってでかけました。本物を見て、建仁寺を見て、それがあの空間にあることを想像して・・・  それができる貴重な展示でした。
Commented by yokohama7474 at 2017-05-30 23:20
> コロコロさん
そうでしたか。それは、京博の人が聞いたら涙するような体験でしたね (笑)。美術は実に奥深い世界であり、日本にいる我々は、まさに古今東西の美術を味わうことができる点、幸いだと思います。雲龍図の爪のアップ、もちろんご自由にお使い下さい。何度見てもすごいですよねー。私は怪獣好きでもあるので、これはツボにはまります (笑)。また是非お立ち寄り下さい。
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