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アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国 東京ステーションギャラリー

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これは、アドルフ・ヴェルフリという画家 (1864 - 1930) の回顧展。もちろん日本で初めて開催されるものである。だが私の知る限り、この画家の作品を見ることのできる展覧会が、かつて一度あった。今私の書庫からその展覧会の図録を持ってきてみると、おっと、その時のチラシまで挟まれている。これである。
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1993年に世田谷美術館で開かれた「パラレル・ヴィジョン」展。私は今でもこの展覧会を見た衝撃を忘れない。それは、私が人生で初めて接する大量のアール・ブリュット、その当時の言葉で言えばアウトサイダー・アートであったからだ。随分以前、このブログを始めた初期の頃に、パリでヘンリー・ダーガー展を見たことを書いたが、彼などはその後アール・ブリュットの代表選手のように言われ、日本でも写真集が出たし、展覧会も開かれたのである。もちろん、アール・ブリュットはヘンリー・ダーガーだけでなく、様々な作家がいるわけであるが、さしずめこのヴェルフリなどは、ダーガーと並ぶアール・ブリュットの代表選手と言えるのではないだろうか。さてそれでは、ここで何度も言及したアール・ブリュットとは何か。この言葉はもともとフランスの画家ジャン・デュビュッフェが提唱した概念で、「生の芸術」とでも訳せばよいだろうか、正規の美術教育を受けていない、多くはアマチュア画家による作品のこと。もともとのアウトサイダー・アートという言葉は、精神病を病んだ人や受刑者に対する差別的な響きがあるので、このアール・ブリュットという言葉に置き換えられたものであろう。私にとってこの分野は限りない興味を惹くものであり、南仏にある「シュヴァルの理想宮」も訪れたし、スイスのローザンヌにあるアール・ブリュット・コレクションも当然訪れたことがあるのである。因みに上記の「パラレル・ヴィジョン」展は実は日本オリジナルの企画ではなく、東京での開催の前に、ロサンゼルス、マドリード、バーゼルでも開かれている。つまりこの展覧会は、世界がいわゆるアウトサイダー・アートを発見するきっかけになったということだろう。

ではこのヴェルフリという画家、どのような人であったのか。スイスのドイツ語圏に 1864年に生まれたという点に注目しよう。もちろん我々は、同じ年にアルプス近辺で生まれた大芸術家を知っている。作曲家のリヒャルト・シュトラウスだ。なるほど、音楽で言えば後期ロマン派であり、ヨーロッパ先進諸国の間で台頭した帝国主義が、20世紀に入ってからの世界大戦に直結する、そんな時代の人なのである。彼の肖像写真を 2点。ピカソかとおぼしき風貌と、チロルの民族衣装 (?) の可愛らしさのギャップが既にしてブリュットなのだ (笑)。
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この展覧会の副題になっている通り、この人は 1908年以降、死去する 1930年までの間の生涯に 25,000ページに亘る作品を作り上げた。その写真がこれである。信じられますか。
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人間、神経回路が何かひとつに向かうと、尋常ではないエネルギーが生まれるものと見える。実はこのヴェルフリの前半生はかなり悲惨なのである。彼が絵を描き始めたのは 1899年、入院中の精神病院においてのことであった。だがその前に彼は少女に乱暴した咎で 2度も刑務所に入れられているのである。もちろん昔の話であるから、客観的事実は分かりようもない。もしかすると、精神に欠陥のある彼を犯人にすると都合がよかったという事情があっても、おかしくないかもしれない。もっともそのあたりの乱暴の事実は、本人の手記でも残されているようなのであるが・・・。ともあれヴェルフリが創作を始めた初期の作品がこれである。1904年の作で、「前掛けをした神の天使」。現存するヴェルフリの作品として最も古いもの。
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アール・ブリュットに典型的な、強迫観念を思わせる細密な描写。まさにモノクロの迷宮である。この流れで、1905年の「ウォルドルフ=アストリア・ホテル」の部分アップと「ニューヨークのホテル・ウィンザー」。きっと夢の中で見たニューヨークのホテルを、まるで神殿のようにイメージしたもののようである。後者のホテル・ウィンザーにはなじみがないが、前者のウォルドルフ=アストリアは、Park Avenue 沿いの、ニューヨーク有数の由緒あるホテルとして有名である。私は、そこの泊まったことはないものの、訪れたことは何度もある。因みに今は中国系資本です。
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さて、上述の通り、彼が 25,000 ページに亘る作品を作り始めたのは 1908年のこと。ここでは彼の仮想のヴィジョンには色がつくことになる。これは、「ゆりかごから墓場まで」という旅行記 (?) の中から、1910年に描かれた「デンマークの島 グリーンランドの南=端」。この旅行記は何かと言うと、主人公の少年ドゥフィ (アドルフの愛称) が、家族とともに世界を旅して、様々な危機を乗り越えて進歩を遂げて行く話。
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これも同じく「ゆりかごから墓場まで」の中から、1910年の「バント (帯) = ヴァント (壁) の中の聖ヴァンダナ = 大聖堂)。ここでは直線的な要素が勝っているが、真ん中の三角形のぎゅっと曲がったカーブは美しく描かれている。余白を恐れるように空間をびっしり埋め尽くした様々なイメージが、ヴェルフリの夢想した世界の諸相であったのだろう。ちょっと鳥肌立つようなものではないか。
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これはモノクロに戻るが、1911年の「アメリカ、カナダ合衆国のチンパンジー = 猿」。これまでにも出ていた楽譜のイメージが、かなり大きく出ている。十字架のイメージも見えて宗教的な要素もあるが、四隅に見える動物は牛だろうか。ちょっとシャガールを連想させる。
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これも共通点のある作品で、やはり 1911年の「グニッペ (折りたたみナイフ) の主題」の一部。ここでも司祭のような人物がおり、楽譜を首の回りに巻いている。
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これはちょっとエリザベス 1世を思わせるイメージではないだろうか。あとですね、犬が怪我などしたときに、こういうものを首に巻きますね (笑)。犬の写真はほかの方のブログから拝借しました。
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これも 1911年の作で、「機械工にして板金工 = 職人のアルブレヒト・キントラーの殺害、家族の = 父、強姦のせいで」。長い題名であり、正直意味が分からないが (笑)、ここにも宗教的、貴族的、音楽的な要素が満載である。彼自身が犯したとされる犯罪へのトラウマがあるのだろうか。
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ヴェルフリの目くるめくイメージはまさに夢に出てきそうなものであるが、空間を埋め尽くす感覚に加え、時に放射的なイメージも登場する。これはやはり 1911年の「エン湖での開戦、北アメリカ」。強烈である。
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見る者の勝手な想像では、これはモローの名作、サロメをテーマとした「出現」のパロディではないか。違うか (笑)。
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1911年の作品が続く。これは「ネゲルハル[黒人の響き]」と、「氷湖の = ハル[響き]」。もうクラクラする。願わくば、縦と横が間違えていませんように (笑)。
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上に掲げた作品の中には、何やらヴェルフリが鉛筆で手書きした文章や単語が見えるが、中には、延々と数字が並んでいるものもある。これは彼が 1912年から 1916年にかけて制作した「地理と代数の書」から。これは先の「ゆりかごから墓場まで」のような過去を振り返るものではなく、来るべき未来をテーマとしたもの。甥のルドルフに対し、自分の死後どうすれば「聖アドルフ巨大創造物」を作り出すことができるかを説いているらしい。そしてここでは、想像を絶する巨大な富 (自分で巨大な数の単位まで考え出している) が計算されるのである。稀有壮大なストーリーの果てに、アドルフ・ヴェルフリはついに「聖アドルフ II 世」を名乗ることとなる。
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聖アドルフの顕現はこのようになされる。1914年の「太平洋、ビスカヤ島の = 港での神聖なる聖アドルフの勝利」。なるほどここではパートカラーなのである。
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アール・ブリュットを代表するヘンリー・ダーガーの作品には、既存の写真等を使用したコラージュが多いのであるが、ヴェルフリも後年になると同様の手段を用いている。1915年の「ロング・アイランドの実験室」。ロング・アイランドとはニューヨーク、マンハッタンの東にあるあの地域のことであろう。もちろんヴェルフリがそこを訪れたという事実はないはずであり、何かの雑誌で見てインスピレーションを得たものであろう。
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これも 1915年の「全能なるガラスの = 響き」。ここでは、上の作品に見えているのと同じ、何やらナメクジのような横長の動物 (?) が登場している。
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ところでこの展覧会には、ヴェルフリがその膨大な作品群の中で使用した様々なヴィジュアルイメージを分類しているコーナーがある。いやはや、大変ご苦労様なことである。ここでは、上で見たナメクジのようなかたちもリストアップされている。
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ヴェルフリはその後も、「歌と舞曲の書」(1917 - 1922年) や「歌と行進のアルバム」(1924 - 1928年) などを制作している。このあたりになってくると、体力的な問題もあったのか、めくるめくイメージを紙の上いっぱいに展開するのではなく、コラージュが増えてくる。これは 1917年の「オイメスの死、事故」と、真ん中の写真のアップ。山での遭難事故を題材にしたものか。
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最後に、「葬送行進曲」と名付けられた最後の作品群 (1928 - 1930年) から、興味深い一点をご紹介しよう。これは上述の 1993年の「パラレル・ヴィジョン」展にも出品されていた、1929年のヴェルフリの作品だ。何やら多くの数字が手書きで書きつけられた横に、いわゆるモガのイラストが貼られている。
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この作品には題名がないようだが、下の方に貼りつけられているのはこれだ。
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そう、キャンベルのトマト・スープ。米国の会社キャンベルは実に 1869年設立で、世界で缶スープを販売していたので、ヴェルフリもスイスにいながら、同社のスープを飲んでいたことだろう。そしてキャンベル・スープと言えばやはりこれだろう。
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そう、もちろんアンディ・ウォーホルだ。私はここで、アール・ブリュットの作家たるアドルフ・ヴェルフリが、実は 20世紀米国のポップ・アートを代表するアンディ・ウォーホルに影響を与えていた!! という主張をするつもりはない。ただ、このような既成のイメージが面白いと思ったに違いないヴェルフリの脳髄のひらめきに感嘆するのである。ウォーホルは逆説的に美術の意味を問うためにキャンベル・スープを使ったが、ヴェルフリは、ただ面白いから使ったのである。この「ただ面白い」という感覚がいかに貴重なものであるか、私は再度認識するに至ったのだ。アール・ブリュットはこれからますます脚光を浴びることであろう。私としては、偉大なる芸術家には血のにじむような鍛錬をして欲しいと願う面は強いのであるが、このような圧倒的な美術を生み出す人間精神の潜在能力には驚嘆する。「通常の」アートとは異なる意義を深く認識させてくれる、これは貴重な展覧会なのである。

by yokohama7474 | 2017-06-02 00:43 | 美術・旅行