千葉県 市川市 その 2 手児奈霊堂、西洋館倶楽部、中山法華経寺、東山魁夷記念館

さて、前の記事では永井荷風の足取りを中心に市川を探訪したが、この日の残りは、さらに時間を遡ることとした。先の記事でも書いた通り、実はこの市川は非常に古い歴史を持っていて、そのひとつの例が、下総国分寺・国分尼寺跡である。国分寺・国分尼寺とは言うまでもなく、聖武天皇の命によって全国に建てられた寺。奈良時代、8世紀の話である。全国の国分寺で当初の建物が現存しているのは皆無 (国分寺の総本山である東大寺の一部建物は除く) であるが、それでも各地を歩いて国分寺やその跡に遭遇すると、遠い歴史を実感することができるのだ。実は今回の市川旅行では、残念ながら国分寺・国分尼寺跡を訪れることはできなかった。市川市には考古博物館と歴史博物館の 2つがあって、市内の遺跡について学ぶことができるようなので、また次回、併せて訪れてみたい。

さて、市川の歴史がいかに古いかという、もうひとつの例を挙げよう。それは、なんと万葉集に「真間の手児奈 (ままのてこな)」という女性が描かれていることだ。私も今回初めて知ったのであるが、手児奈という美しい女性が、多くの男性に求婚されたが、誰のものになることもなく、真間 (今も残るこの場所の地名である) の入り江に身を投げて命を絶ったという物語。東国で歌われた「東歌」の中で題材になっているだけでなく、山部赤人ら都の歌人もわざわざ真間を訪れて、手児奈に捧げる歌を詠んでいるという。市川にはこの手児奈の墓所と伝わる場所に、彼女を祀る、いわゆる手児奈霊堂というお堂がある。それほど古いものではないだろうが、現在では安産・子育てにご利益があるとして、結構な信仰を集めているのである。遥か 1200年も前の伝承をこのようなかたちで信仰にしてしまう日本人の感性は、なかなか捨てたものではない。
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そして、山部赤人の歌碑も立っていて、歴史に思いを馳せる雰囲気は満点だ。葛飾という地名も真間という地名も、ここに既に現れている。
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そういえば、前の記事の主人公である永井荷風もここを訪れている。市川市が編纂した小冊子「昭和の市川に暮らした作家」から。
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さてこの真間のあたりには、また違った貴重な文化遺産が存在している。この建物だ。
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1927年に株の仲買人、渡辺善十郎によって建てられた大正ロマン溢れる洋館で、上述の通り、国の登録文化財になっている。但しこの建物、今でも渡辺さんという方が管理されているようで、内部を一般公開しているわけではない。コンサートなどに使われる機会に内部に入ってみたいものだ。ホームページを見ると、この建物の歴史や、今後のコンサートの予定を知ることができる。

そして、京成線の市川真間駅の線路ぎわをたまたま通りかかり、ホーム横の地面に面白いもの発見。
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これは、1836年に出版された「江戸名所図会」にも掲載されている、鏡石。もともとはここではなく川にかかる橋の袂にあったものだが、いつの頃かこの場所に移されたようだ。夫婦岩の女性の方ではないかという説もあるようで、窪みに溜まった水に顔を写すことができるので、鏡石と呼ばれているとのこと。ちょっと謎めいているし、線路ぎわを通らないと絶対に気づくことがない。これも何かのご縁かと、手を合わせておきました。
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さて、その後向かった先は、市川市で最も歴史的に有名なお寺である。その名は中山法華経寺。日蓮宗の聖地のひとつである。私はこの寺に国宝の書や数々の重要文化財の建物があることは知っており、何度も電車でその横を通ったことはあるが、実際に出かけたことはない。この機会に是非行ってみようと思い立ったのである。これが参道の入り口。さすが名刹、左右には多くの店が並んでいて賑やかだ。この門は黒門と呼ばれ、市川市の指定文化財である。江戸時代初期のものと見られており、高麗門と呼ばれる形式で、門扉のない吹き通しの門。
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そして堂々たる山門が見えてくる。「正中山」という扁額は、本阿弥光悦の書によるもの。尚この寺には、この後出てくる祖師堂、法華堂にかかっている扁額も、光悦によるものだ。
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門に向かって右側には巨大な日蓮の彫像 (電信柱にも負けません!!) があり、門の前には日蓮宗のお題目「南無妙法蓮華経」の碑が。
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境内は広大だが、まず目を引くのは、この朱塗りの五重塔であろう。国指定の重要文化財。
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私は以前、大田区の池上本門寺 (日蓮が死去した場所で、やはり日蓮宗の聖地のひとつ) の近くに住んでいたことがあったし、本門寺もこのブログで以前採り上げているが、この中山法華経寺の塔は、一見して姿といい色といい、その本門寺の塔 (やはり重要文化財) とそっくりではないか。調べてみると、基壇を含めた総高はともに約 31m と、ほぼ同じ。建立年代はこちらが 1622年、あちらが 1608年。やはり近い。これは非常に興味深い比較である。

その横には、露座の大仏が修復中である。重要文化財を目指しているとあるのでどのくらい古いのかと調べてみると、1719年の作。本体の大きさ 4.8m、台座の高さ 4.5mで、中山大仏と呼ばれているらしい。2019年には修理が終わるらしいので、また見に来たい。
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さて、ここから重要文化財建造物のオンパレード。まずは祖師堂だ。前述の通り、扁額は光悦の字によるもの。
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この建物のユニークさは、正面から見ているだけでは分からない。実はこの建物、全国で 2棟しかない、比翼入母屋造りという様式で建てられている。実はこの様式のもうひとつの建物とは、このブログでも 2015年11月 3日の記事でご紹介した、岡山の吉備津神社の国宝、本殿なのである。横から見るとはっきり分かる、そのユニークなかたち。また、裏手の建物群への橋が渡されている。
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ではその橋の先には何があるのか。まず、重要文化財、四足 (しそく) 門。曲線がなんとも優雅である。
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その前にあるのが、これも重要文化財、法華堂。この扁額も光悦だが、残念ながら角度の関係でよく見えない。
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さぁ、このような一連の素晴らしい建築群を見たあと、もうひとつ見るべき場所が残っている。この表示に従って行こう。回廊の途中が門、兼お堂になっており、そこに太鼓が据えられている。行事のときに、信徒に向けて何かの合図をするのであろうか。
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見えてきた建物、聖教殿は、極めてユニークなもの。私はこれをどこかで見たか読んだかした記憶が、なんとなくある。つまり一見して明らかな通り、これは伊東忠太の設計になるものであるからだ。
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建築家伊東忠太 (1867 - 1954) と言えば、代表作は築地本願寺。あちらは重要文化財である。その西洋と東洋が融和したような不思議な建築には、様々な動物たちが集う。こんな感じである。
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忠太らしく、本当に細部が楽しいわけであるが、1931年に建てられたこの建物の中には、極めて貴重なものが収められている。それは、「立正安国論」「歓心本尊抄」といった国宝をはじめとする、日蓮直筆の書の数々である。これらは年に 1回、11月 3日にのみ、「聖教殿お風入れ」と称する行事の際に扉を開いて公開される。

と、このように見どころ満載の法華経寺であるが、境内にしきりと目につく看板は、「東山魁夷記念館」だ。もちろん日本画家として絶大な人気を誇る東山魁夷が生前市川に住んでいて、記念館があることは知っていたが、法華経寺と近かったとか知らなかった。というわけで、既に閉館時刻の近づく中、エッチラオッチラ、その場所に向かった。結果的にはかなり距離があったので、一度寺の外に戻って車で行った方が早かったのであるが、ともあれ、まさに滑り込みセーフで観覧することができた。ご覧のようにヨーロッパ風の爽やかな建物で、いかにも東山の絵画にふさわしい。
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以前も書いたことだが、私は東山の作品には毒がなさすぎて、もうひとつ好きになれない点を否めないのであるが、家人からはそれを「心が汚れているからでしょ」と容赦ないコメントで鋭く非難されるわけであり、まぁそれはそうかもしれんね、などと独りごちながら、そそくさと館内を見学したものであった。せっかくなので、彼の作品のイメージをここで掲げておこう。あー、これ、高校のときの現代国語の教科書の表紙になっていた作品ですねぇ。確かに汚れた心の持ち主には、このような美は分からないかもしれないなぁ (笑)。
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そんなわけで、市川の文化の旅はここまで。まだいくつか訪れていない場所もあるし、足を船橋から千葉市、あるいはさらに房総半島まで延ばせば、歴史的な興味を覚える場所は千葉県には沢山あるのである。実は以前からずっと温めている千葉の旅の企画もあり、以前少し行ったところもあるのだが、いずれこのブログでまとめてご報告できればよいなと考えております。

by yokohama7474 | 2017-06-03 03:13 | 美術・旅行 | Comments(0)
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