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千葉県 成田山 新勝寺

前回の記事の最後に、いずれまた千葉の歴史的な場所を訪れて記事を書くと宣言した私。そしてまたまた、千葉県の歴史的な場所についての記事なのである。おっと随分手回しがよいじゃないの、と思われる方もおられよう。だが実際のところ、私が今回ご紹介する成田山新勝寺は、最近訪れたのではあるが、その理由たるやなんともいい加減なもの。川沿いのラプソディとしては、偶然のトラブルすらも最大限活用して文化探訪をする心がけが大変に大事なのであって、それをここで申し上げておく意味はあると、勝手に自分に言い聞かせているが、何をグチャグチャ言っているかというと、こういうわけだ。ある金曜日、出張先の空港の免税店で購入したちょっとよいワイン 2本を手にして、成田空港に到着した。ところが、自宅方面に向かう成田エクスプレスは当分ない。ちょっと小腹も減ったし、コーヒーショップで時間をつぶすかと思い、そのようにしたのである。さて、45分後、成田エクスプレス車中でくつろぐ私の姿があった。その横にはいつもの出張用のカバン・・・だけで、免税店で買ったはずのワインは影も形もないではないか (笑)。車中でそのことに気づいた私は一瞬天を仰ぎ、人生来し方行く末への思いを走馬燈のように頭の中で駆け巡らせ (大げさや奴だな全く)、ワイン紛失場所の可能性及び、取るべき行動の選択肢を瞬時にして頭の中に列挙、その選択肢の各々につき 0.数秒で評価をくだし、このようにした。1. 成田空港のコーヒーショップに電話をして、ワインを確保してもらう。2. 明日 (土曜日)、車を飛ばしてワインを取りに行く。3. そのついでに、成田近辺での歴史探訪をする。・・・そんなわけで、以前から一度行ってみたかった成田山新勝寺に、突然行くことになったのである。もちろんその日、土曜日の午後には都内でコンサートの予定があり (しかもハシゴ)、その翌日の日曜日には、既に記事にした海北友松展を見るための京都弾丸往復、及びまたしても都内でのコンサートがあったので、かなり忙しい文化的な週末になったのである。まぁ、単なる不注意で、不必要に自分を忙しくしているということなのであるが (笑)。

さて、長くて無駄な前置きはこのくらいにして、本題に入ろう。この成田山新勝寺は、言うまでもなく日本有数の名刹で、毎年の初詣ランキングで常に上位に入る、大変ポピュラーなお寺である (神社でなく仏閣としては、初詣客日本一との統計もある)。だが、なかなか実際にここに出かける機会はなく、これまでは成田エクスプレスの車窓から巨大な多宝塔を眺めるくらいであった。しかし、侮ってはいけない。この寺はもともと、平将門の乱の調伏のために不動明王に祈願したことが起源という古い歴史を持ち、前の記事でご紹介した中山法華経寺に劣らぬくらい沢山の重要文化財建造物があるのだ。まずは、見よこの立派な総門を。お寺であるにもかかわらず、ここには狛犬もいて、日本の民間信仰において神仏混淆はごく自然なものであることが改めて分かる。
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これが新勝寺の伽藍図。この日はあいにくの雨模様であったが、数々の文化財建築を見て回るのが楽しみだ。
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総門から入ると次に見えてくるのは、重要文化財の仁王門である。1830年建立。左右に立つ石灯篭も、かなり古い時代に寄進されたものと見える。
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そしてここにも、仁王様と明らかな神社建築が、仲良く同居している。
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ここから本堂に登る石段の左右にも、華やかな狛犬がいる。溶岩のような岩 (この地に火山があるとは思えないので、もともとある岩ではなく、山岳信仰の雰囲気を出すためにしつらえたものであろうか) の上に、いくつもの石碑が立っていて、積年の信仰の深さを思わせるのである。
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そしてこれが本堂。もちろん、初詣で人々が殺到する巨大な堂がこれだ。節分のときには力士が豆まきをしたりもする。この建物自体は古いものではないが、重要文化財の本尊不動明王と二童子像を安置する。ただ、ご本尊のお姿を間近で拝観することはできなくて残念だ。
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そして、あっと目を引くのは、やはり重要文化財の三重塔である。1712年の建立。
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この三重塔、この全体の写真では、光の加減もあって分かりづらいが、この塔にはきらびやかな装飾が施されていて、ちょっとびっくりするくらいなのだ。
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このところ、久能山東照宮をはじめとするこの種の装飾的な江戸建築に触れる機会が多い。そこで、こんな本を買いましたよ。美意識も時代によって移り変わるもの。わび・さびだけが日本美でないということに気づき始めた我々には、この成田山のような手軽に訪れることができる場所で、江戸のバロック文化を堪能する特権を持っているのである。
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さて、この三重塔の近辺には、やはり装飾的な鐘楼と一切経堂が立っている。いずれも 18世紀初頭のもので、江戸のバロック空間をなしている。
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さてこの成田山新勝寺は、来年開基 1080年とのことで、種々の伽藍整備事業を行っている。境内の休憩所には、それに関係するパネル展示があるが、例えばこれは、少し離れた場所にある薬師堂について。これについては後で触れるが、内部に入ることができないこの堂について知ることのできる貴重な情報。本尊の写真や内部の装飾の修復については、なかなかほかに情報がないのである。やはり、休憩時にもちゃんと捨て目を効かせていれば、得られる情報量を増やすことができるのだ。よって、人生寄り道が大事なのだ (強引)。
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さて、新勝寺にはほかにも重要文化財の建造物が目白押しだ。これは釈迦堂。1858年建立で、以前の本堂である。実は、このブログで時々言及している NHK の「ブラタモリ」は私の大好きな番組だが、先日この新勝寺を採り上げた際に説明していたことには、このお寺には、現在の本堂、前の本堂、前の前の本堂、そして前の前の前の本堂までが現存しているのである。4代もの歴代本堂が現存しているお寺は、日本中でもここだけだろう。
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次に見ることのできる重要文化財は、この寺特有のユニークなもの。額堂 (がくどう) と言って、1861年の建立。多くの信者から寄進される額や絵馬をかけるための建物。柱で建物を支える構造となっているので、最近補強されたとのこと。うーん、ひとつひとつの額や絵馬に、様々な物語があるのだろうと思うと、見ていて飽きることがない。これでも、多くの古い額や絵馬は別のところに移されて保存されているとのこと。
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そしてここに、成田山を有名にした江戸時代のスーパースターの姿がある。7代目市川團十郎 (1791 - 1859)。彼の家系の屋号「成田屋」は、歌舞伎の屋号で最も古いものらしく、もちろん先に亡くなった第 12代團十郎やその息子の海老蔵らの屋号として、今でもポピュラーである。もともとは初代團十郎の父がこのあたりの出身で、成田山の不動明王を信仰していたことによるものらしい。とりわけこの 7代目は、不動明王を舞台に登場させるなどして、成田山の人気と歌舞伎の人気の双方を高めたらしい。つまり、成田山新勝寺の今日の隆盛は、この人の貢献大だということだろう。彼はこれと同様のもうひとつの額堂 (そちらは昭和 40年に焼失) を、私財を寄進してこの新勝寺に建立したとのことで、今残るこの額堂に、その彫像が祀られているわけである。
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そうしてもうひとつの重要文化財、これは前の前の本堂である光明堂。1701年の建立である。これも素晴らしい装飾を持つお堂だ。上で見た第 7代團十郎の生没年から判断すると、彼が生きている時代に本堂はこの現在の光明堂から現在の釈迦堂へと変わったのである。
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さらに境内を奥に進むと、新しい建物が見える。未だ完成していないようだが、装飾を廃した素木の建築が清々しい。これは医王殿という建物で、来年の開基 1080年記念として、今年11月に落慶するらしい。
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その横にある巨大な建物が、JR の車窓からも見える多宝塔で、平和の大塔と名付けられている。これは新しい建物だが、境内の最奥部、そして最も高い場所にあって、その堂々たる佇まいは古刹新勝寺にふさわしい。
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そして、そこから見下ろす風景が面白い。えっ、ここはヴェルサイユ宮殿ですか??? いえいえこれは、成田山公園と名付けられた境内の一部。本当にフランス式庭園と見まがうばかりだ。この広大な公園を維持・管理するのは大変なことだが、多くの人々の信仰に支えられているこの寺は、このように訪れる人を癒す環境を保っているので、また多くの人たちがここに還ってくるのであろう。
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さて、ここからまた門まで下って行き、最後の目的地に向かうこととした。門を出て右 (JR 成田駅方向) に進む。このように風情ある成田山の門前通り。古い旅館も多くて興味深い。楼閣のある建物は大野屋旅館。1935年の建造であるが、現在は料理屋だけで旅館は営んでいないという。
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そして、数百メートルで目的地に到着。これは、休憩所に内部の写真が貼られていた、薬師堂。1655年の建立で、初代團十郎らが参拝していた頃の成田山の本堂なのである。
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つまりこの寺の本堂は、今の名称で言うと、薬師堂 → 光明堂 → 釈迦堂 → 現在の本堂という順番で推移し、順々にサイズが大きくなっていることから、江戸時代初期から現在に至るまで、寺がどんどん発達して来たことが分かる。古来の不動明王信仰が、庶民の娯楽である歌舞伎と結びつき、大きく発展したという興味深い例である。

どうです。成田山新勝寺、誠に侮りがたし、でしょう。私としては、ちょっとしたトラブルを活用し、「転んでもタダでは起きない」という人生の座右の銘の意義を再確認した次第。私が旅行をするときのバイブルである各県の「歴史散歩」(出版はもちろん、あの山川出版社だ) の千葉県版を見ていると、ほかにも古い歴史を持つ場所が、千葉にはいろいろある。寺だけではなく、古くは貝塚、古墳から、江戸時代の民家や近代建築まで、見どころ満載の千葉。また出かけて行ってレポートします。但し、今度はきっちり事前に計画してからにしたい (笑)。

by yokohama7474 | 2017-06-03 19:12 | 美術・旅行