泡坂妻夫著 : 湖底のまつり

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ある日ある駅で、ちょっと時間が余ってしまい、何か軽めの読み物でも探そうかなと思って入った書店で目に入った一冊。どうやら昔の本の復刻新刊であるようだ。上の写真で書店名はバレてしまっているが (笑)、ともあれ、本選びには直観が極めて大事。人との出会いと同じく、本との出会いも、なにかの巡り合わせによって彩られるものである。ネットで書物を買うようになってから大幅に減ってしまった喜びのひとつは、そのような巡り合わせである。昭和の時代に書かれたこの小説を、昭和の時代にあったような書店での巡り合わせで手に取る。たまにはそういうことがあってもよいではないか。

泡坂妻夫 (あわさか つまお、1933 - 2009)。この「あわ」の字の右側は「己」ではなく「巳」であるのだが、本にはその活字が使われているものの、PC の漢字変換候補には出て来ず、またネットでも見つけることができなかったので、やむなく右側は「己」になっている普通の「あわ」の字を使用する。この作家の名前に見覚えはあって、もしかしたら何か読んだことがあるかもと思いながら、確信が持てなかった。ただ、上の写真に写っている帯で賛辞を捧げているのは、現代を代表するミステリ作家で、私もその「館」シリーズなどを結構面白く読んだこともある、あの綾辻行人だ。しかも出版社は、ミステリには定評ある創元推理文庫なのである。帯に記された「最高のミステリ作家が命を削って書き上げた最高の作品」などというキャッチフレーズも、気になるではないか。そう思って読んでみることにした。作者の泡坂は、直木賞も受賞したミステリ (というか、当時の言葉では推理小説) 作家である。マジックを趣味としていたらしい。
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この作品が書かれたのは 1978年、つまりは昭和 53年。冒頭からページを繰って行くと、最初は森の中の幻想的なシーンなのであまり時代は感じないが、そのうちに登場人物の女性が過去にいやな経験をしたり、また、山の中で出会う運命に身を委ねるあたりで、なんとも昭和な香りが漂ってくる。正直なところ、その設定やセリフは今の感覚では陳腐に感じてしまう部分が多く、セクハラ・パワハラご法度の厳しい会社生活を送る現代の社会人にとっては、なんとものどかというか、あえて言ってしまえば、男の観点から見た都合のよい設定のようにすら思え、少々うんざりしてしまった。例えば、最初の方に出て来る長くて詳細なラブシーンから、ちょっとだけ引用してみよう。

QUOTE
紀子は立ち上がった。だが晃二はセーターを放さなかった。晃二は乾きかけたセーターに顔を埋めた。
 ーーー君は、バラのにおいがする・・・。
 ーーー晃二さん、嫌よ。
UNQUOTE

こういう文章を、煙草を吸いながらペンで原稿用紙にガリガリ書いて行くというのが、当時の作家の姿であったのだろうか。また読む方も、固唾を呑んでページを繰ったものであろうか (笑)。と茶化しながらも、実は私は、主に電車の中でこの本を読み、すぐに読み終えてしまった。つまり、それだけ面白かったとも言える (あ、ラブシーンがじゃなくて、小説全体がですよ。念のため)。設定にはなかなかユニークなところがあって、同じようなラブシーンが二度出て来て、あれっと思うのだ。ほぼ同じシチュエーションで、例えば上記の「バラのにおい」作戦とか (笑)、会話の中身もほとんどダブっているにもかかわらず、登場人物の名前は違うし、描かれている室内の情景の細部も異なる。これは一体どういうことなのか・・・。そのような謎が、読者をしてその後の展開を知りたいと思わしめる原動力なのである。8人の登場人物たちは、ある場合には恋人同士、ある場合には行きずりの関係、またある場合には刑事と容疑者であったり、同級生であったり、緊張感のある仲であったり、そしてある場合には、「むむ? 同一人物なのか?」と思わせる関係もあって、様々だ。ダム建設をめぐる対立という当時のリアルな社会問題に、日本古来の祭りを組み合わせている点も、それなりに気が利いていると思われる。例えば現代において、海外での関心を意識して日本の土俗的要素を入れているように思われる宮崎アニメとか「君の名は。」などとは違って、読者として想定されているのはもっぱら日本人で、当時 GDP 世界 No. 2 にまで登りつめた経済大国日本において失われつつある、古い習俗へのノスタルジーを持たせようという意図なのかと思う。それはある種、ありがちな発想であるので、正直なところ、私としてはあまり印象づけられることはなかった。また、人物設定もかなり紋切り型という点も否定できない。だがその一方で、トリックそのもののシンプルさには好感を持った。いや、もちろん、最後の方では真相が大体読めてくるので、驚愕のあまり本を取り落とすという事態にはならないが、「なるほど、そうきたか」という心地よさに、昭和のイメージはかなり相殺されてしまうと言ってもよいかもしれない。その意味で私にとってこの小説は、「命を削った作品」とまでは思えないものの、退屈しない読み物であったことは間違いない。

ところでこの小説には、セラピム S5 というスポーツカーが登場する。私は車にはからっきし疎いのでちょっと調べてみたが、どうも該当する車種はないように思われる。一方、「セラピム」と見て、美術愛好家、音楽愛好家は、これがいわゆる「セラフィム」のことだと気づくだろう。もちろん、最上級の位を持つ天使のこと。6枚の翼を持つとされる。これはイスタンブールのアヤ・ソフィアに残る壁画に描かれたセラフィム。
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そして私の世代の音楽ファンにとっては懐かしい、名レーベル EMI の廉価盤のアナログ・レコードがこの名前を使っていた。写真を拝借。
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ちょうどこの「湖底のまつり」が書かれていた頃、クラシック音楽に夢中になり始めていた私は、アンドレ・クリュイタンスとベルリン・フィルのベートーヴェンとか、ジョン・バルビローリとウィーン・フィルのブラームスとかで、このレーベルに大変お世話になっていた。なのでもし当時私が間違ってこの「大人の」(笑) 小説を読んでいれば、ちょっとびっくりすることになったかもしれない。

また、この作品に関係する文芸作品としては、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」が挙げられるが、さてそれがどのようにかかわるかは、読んでみてのお楽しみ。ただ私には、読者へのミスダイレクションとして一部の要素の使用のみが企図されているとしか思えず、作品の内容と深く切り結ぶようなイメージには至らなかった。

そんなわけで、昭和の遺産にもいろいろあることを再認識しました。ただ現代の感覚で読むだけでなく、当時を懐かしむ読み方もあってよいし、何より、トリックが面白ければ、ミステリとして読む価値はあるので、また様々な本との巡り合わせを楽しむゆとりを持って、日々暮らして行きたいと考えております。あ、そういえば Wiki によると、泡坂は「々」の字を使わなかったそうだ。訂正。日日暮らして行きたいと考えております。

by yokohama7474 | 2017-06-08 00:38 | 書物 | Comments(0)
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