ワーグナー : 楽劇「ジークフリート」(飯守泰次郎指揮 / ゲッツ・フリードリヒ演出) 2017年 6月10日 新国立劇場

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東京初台の新国立劇場が、現在のオペラ部門の芸術監督である飯守泰次郎の指揮のもとで進めている、ワーグナーの超大作「ニーベルングの指環」4部作の 3作目、「ジークフリート」である。初回の「ラインの黄金」は私も見に行って、2015年10月 2日の記事で採り上げた。2作目の「ワルキューレ」は昨年 10月に上演されたが、残念ながら私は見ることができなかった。そして今回の「ジークフリート」である。尚、新国立劇場では来シーズン (2017 - 18) の開幕演目として、今年 10月に最後の「神々の黄昏」を上演し、飯守体制の締めくくり第一弾とすることになる。これについてはまた後で述べることとしよう。

さて、この上演の意義については以前の「ラインの黄金」の記事に一通り書いておいたので、ここでは簡単に触れるにとどめる。ドイツ人ゲッツ・フリードリヒ (1930 - 2000) は、20世紀の後半において主にそのワ-グナー演出で世界を席巻したカリスマ演出家である。今回新国立劇場で上演されているツィクルスは、彼が晩年にフィンランド国立歌劇場で演出したもの。余談だが、先に来日したフィンランド人の名指揮者エサ=ペッカ・サロネンが近く同歌劇場で「指環」ツィクルスを上演するというニュースがあったが、その演出もこれになるのであろうか。そもそもフリードリヒの「指環」というと、ツィクルスとしての日本初演となった 1987年のベルリン・ドイツ・オペラのもの、いわゆる「トンネル・リング」と言われるものが知られている。以下、その「トンネル・リング」の一場面。全 4作を通じ、このようなトンネルが舞台奥にずっと存在しているというコンセプトであるようだ。今回初台で上演されているものは、これに比べれば随分と穏便な演出であると言える。
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この作品について指揮者飯守が語るところや、今回の上演のリハーサル風景などは、新国立劇場のウェブサイトで動画を見ることができるが、会場にもモニターが設置されてその映像が流れている。
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この飯守リング、世界一流のワーグナー歌手を集めた上演であり、その点こそまずは大きな意義を見出すことができるだろう。今回の主役ジークフリートを歌うのは、テノールのステファン・グールド。ワーグナーファンにとっては既におなじみの名前であろう。
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実はこの人、今回の「指環」4作にすべて出演する。実のところ、これは少し奇異である。「ジークフリート」と「神々の黄昏」でひとりの歌手がジークフリート役を歌うのは普通。また同じ歌手が「ワルキューレ」でジークムントを歌うのも大いにありである。だが、「ラインの黄金」は? そこにはいわゆる英雄的な役、ヘルデン・テノールは登場しないのだ。そしてこのグールドがそこで歌ったのはなんと、狡猾な策士である火の神、ローゲなのである!! 私は以前の「ラインの黄金」の記事でその違和感を述べておいたが、だがしかし、4作すべてに登場する役柄がないこの作品 (ヴォータンですら「神々の黄昏」には登場しない) で、世界的なヘルデンテノールがそのようにしてまで、すべての作品で歌唱を聴かせてくれる東京という街は、恵まれていると解釈しよう。その他の歌手としては、エルダのクリスタ・マイヤー、ブリュンヒルデのリカルダ・メルベートもバイロイト経験豊富なワーグナー歌手たち。
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それから、ミーメのアンドレアス・コンラッド、アルベリヒのトーマス・ガゼリ、さすらい人 (ヴォータン) のグリア・グリムスレイはいずれもこのシリーズで以前同じ役で出演していて、ツィクルス上演の一貫性があることになる。これは大いに意義のあることである。さてそのような恵まれたキャストを使った今回の公演、私の記憶にある 2年前の「ラインの黄金」よりもさらに優れた成果を挙げたものと高く評価したい。飯守はかつてバイロイトで助手を務めた経験から、日本ではワーグナー指揮者としての確固たる名声を保っているが、その彼も既に 76歳。円熟の年齢である。今回の東京交響楽団 (通称「東響」) を指揮しての演奏には、それぞれの示導動機 (ライトモティーフ) を丁寧に描き出そうという意図が明確に見え、オケの高い力量もあって、それが充分に成功していた。プログラムに掲げられた飯守自身の言葉 (これは奇しくも、やはりプログラムに載っているフリードリヒが残した言葉とも共通するのだが) によると、この「ジークフリート」は交響曲にたとえるとスケルツォ楽章であると。もちろん、古典的な交響曲の構成においては、第 3楽章は諧謔味のあるスケルツォなのであり、ワーグナー自身がどう考えていたかは知らないが、確かにこのオペラの第 1幕では、リズミカルで諧謔味のある個所が続く。だが、これも飯守自身が述べている通り、このオペラはまた同時に「指環」4作の中で最も抒情的な箇所も持つのであって、印象派に影響を与えたとされる「森のささやき」や、作曲者自身が「ジークフリート牧歌」として別の曲を書いた優しい主題は、「指環」のほかの 3作には聴かれないものだ。次作で神々が終末を迎える前に聴かれるこのユーモアや抒情性が、この作品を一筋縄でいかないものとしているのである。それゆえ、最後のジークフリートとブリュンヒルデの二重唱は、「まさに幸せの絶頂にあり、音楽的にもドラマにおいても『指環』四部作全体の一つの頂点である」と同時にまたそこには、「より深い意味を孕んだドラマ」があるとする飯守の解釈は納得性が高い。日本のワーグナー受容にも既に長い歴史があるが、東京の劇場でこれだけ音楽的にも知的にも刺激に満ちた上演がなされるようになったことは、一過性のものではない、東京の文化として将来につながるものになったと思うのである。

演出について少し触れておこう。第 1幕は、このような森の前にある鍛冶屋の小屋で展開する。メルヘン調もありながら、登場人物たち (さすらい人 = ヴォータンは上の森の方から現れ、ミーメと屋外のテーブルで対話する) がうまく動ける機動性もあって、よくまとまっている。
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第 2幕はなんといってもファフナーが変身した大蛇退治がメインだが、この大蛇にはおどろおどろしさは皆無。また、森の小鳥は黄、白、赤、緑、青と 5羽出てくる。このうち歌手が演じるのは 4羽 (日本の若手歌手による)、残りの 1羽、青い鳥だけはダンサーが演じた。
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第 3幕ではヴォータンとエルダ、ヴォータンとジークフリート、そしてジークフリートとブリュンヒルデというそれぞれの組み合わせの歌唱が、がらんとした空間で展開する。注目すべきはラストの二重唱であり、上記の飯守の言葉にある通り、これはただの幸せな歌ではなく、死に向かう自暴自棄の歌に変わって行くのであるが、そこで 2人の男女はブリュンヒルデの盾や鎧を放り投げ、その自暴自棄ぶりを明確にするのである。
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歌手の歌唱はいずれも危うげのないもので、特に出ずっぱりのジークフリート役、ステファン・グールドはさすがであったが、だがそれでもやはり彼も人間、大詰めでは少し疲れが見えたか。しかし、実際に舞台でこのような作品を見ると、むしろそのようなことは当たり前。上演全体を目で耳で味わうことが、オペラの醍醐味なのである。

超大作であるから、45分の休憩を 2回挟んで、5時間45分の上演時間。さすがにこれでは腹が減るので、会場には軽く食べられるものが売られていて、なかなか気が利いていた。ジークフリート限定、サンドウィッチ BOX (1,000円) なるものもあったが、私が食べたのはハッシュドビーフ。名前は「鍛冶屋の歌」。600円とリーズナブルだ。
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このオペラハウスは街中にあって敷地も限られているので、工夫して空間を作っているが、満員の聴衆が休憩時間に思い思いに過ごしているのを見ると、東京におけるオペラの楽しみも定着して来ているなと改めて感じた。来シーズンで開場 20周年。飯守体制最後の年となり、その後はいよいよ大野和士に芸術監督がバトンタッチされる。その飯守体制最後のシーズンのオペラ上演のラインナップは以下の通り。
 ワーグナー : 神々の黄昏
 ヴェルディ : 椿姫
 R・シュトラウス : ばらの騎士
 J・シュトラウス : こうもり
 細川俊夫 : 松風 (日本初演)
 オッフェンバック : ホフマン物語
 ドニゼッティ : 愛の妙薬
 ヴェルディ : アイーダ
 ベートーヴェン : フィデリオ
 プッチーニ : トスカ

なかなかバランスの取れた演目だが、この中で私にとっての注目は、細川の「松風」と、それから新演出の「フィデリオ」だ。この「フィデリオ」は飯守自身の指揮で、ノオノーレはリカルダ・メルベート。フロレスタンはステファン・グールド。そう、今回のジークフリートとブリュンヒルデのコンビである。そして演出はあの、カテリーナ・ワーグナー。むむむ。2015年のバイロイトでの「トリスタン」の演出には正直なところ閉口したが、今回はいかに。今からまだ 1年ほど先になるが、是非見てみたいと思う。あ、もちろん、既にチケットを購入している「神々の黄昏」では、ステファン・グールド以外にもペトラ・ラングのブリュンヒルデや、なんと新国立劇場初登場のヴァルトラウト・マイヤーが歌うヴァルトラウテ (端役だが・・・) も楽しみである。「オペラパレス」との名称を持ったこの新国立劇場が、今後ますます東京の音楽文化において欠かせない場所になって行くことを切に希望する。
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by yokohama7474 | 2017-06-11 11:34 | 音楽 (Live) | Comments(9)
Commented by desire_san at 2017-06-13 19:40
こんにちは、
私もワーグナーの『ジークフリート』の舞台を鑑賞してきましたので、画像と鑑賞レポートを読ませていただき、『ジークフリート』の舞台を再体験することができました。ジークフリート役のステファン・グールドは、高い音も力強く伸び、高い音が鮮やかに表現した歌声は感動的でした。ブリュンヒルデ役カルダ・メルベートは、神性を失ってしまったことへの不安、ジークフリートの求愛に値しないのではないか悩みなどを激しい調子で歌い感動的に表現していました。ブリュンヒルデの熱唱に負けることなく、ステファン・グールドの歌声も緊張感や声の透明感は途切れることがなく、最後の二人の熱唱の競演はこの大作のクライマックスに相応しい迫力と感動がありました。私はキース・ウォーナー演出、準・メルクル指揮「トーキョー・リング」も鑑賞していましたので、今回の飯守泰次郎さんの『ジークフリート』も冷静に客観的に比較しながら楽しむことができました。

その観点も含めて、『ジークフリート』の魅力と特徴、楽劇の舞台に及ぼす演出の力を考察しながら、今回の飯守泰次郎さんの魅力を整理してみました。一度眼を通していただき、何かのご参考になれば幸いです。ご感想、ご意見などコメントいただけると感謝いたします。

Commented by yokohama7474 at 2017-06-14 01:25
> desire_sanさん
コメントありがとうございます。確かにこのフリードリヒの演出は、キース・ウォーナーの「トウキョウ・リング」とは大きく異なり、きっとマエストロ飯守の考えで、今回の演出が選ばれたのであろうと思われますね。日本で最高クラスのワーグナー歌手を聴ける、しかも、外来のオペラ団体の引っ越し公演ではなく、東京のオペラハウスの公演として。これは大いに意義のあることであろうと思います。
Commented by 吉村 at 2017-06-17 20:31 x
今日17日の公演観ました。素晴らしいですね〜。
ところで、さすらい人としてのウォータンが、ミーメとの、謎かけへの答の中で自らのことを光のアルベリヒと表現してますが、これは重いですよね。ニーベルングと神々の相対性、というのは19世紀以降の近代産業社会における、価値の相対化を象徴してますよね。人間が生きにくくなるわけです。
Commented by yokohama7474 at 2017-06-18 14:39
>吉村さん
私も日本語字幕付きでこの作品を見たのは久しぶりだったので、同じ箇所に引っ掛かりました。天上の偉大なる存在であるべき神々の長が、地下に暮らすニーベルング族と類似性を持つとは、意外な発言でありながら、まさに神なき時代を具現する言葉ですね。
Commented by 吉村 at 2017-06-18 21:23 x
手持ちのジークフリートのCD(ショルティ)の該当部分のドイツ語をみてみましたが、やはりLicht Alberichですね。面白い事に英訳にはLord of Lightなんて明らかな意訳が用いられてました。
こういう言葉の選び方に革命家(少なくとも若いうちは)としてのワーグナーの世界観が示されてますよね。それを英訳は、半ば無視しているのは確信犯なのかどうなのか興味深いです。
ジークフリートは本人の意図せざるかたちで世界の均衡を打破(破壊?回復?)する革命家なのかもしれませんね。
Commented by yokohama7474 at 2017-06-24 16:23
>吉村さん
その英訳はデタラメですね‼ 笑 ある意味、ワーグナーが政治ではなく音楽で革命を達成したことは、世界のためにはよかったのでしょうね...。
Commented at 2017-06-30 00:28
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yokohama7474 at 2017-06-30 07:12
>カギコメさん
ワーグナーに関する情熱をお持ちなのですね。古い DVD は、アマゾンの中古品で簡単に手に入ることもありますし、オークションでも可能性あると思いますよ。バーバーの弦楽のためのアダージョを使った有名な映画は、「プラトーン」です。
Commented at 2017-06-30 11:59
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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