ブリューゲル「バベルの塔」展 東京都美術館

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何やら、最近ますます大変な混雑になっていると耳にする展覧会。既に 4月から始まっていて、まる 3ヶ月以上の会期の、既に終盤に入っている。私がこの展覧会に出かけたのは、既に 2週間ほど前。そのときにもかなりの混雑であった。これは何の展覧会かというと、上のポスターにある通りの「バベルの塔」の展覧会だ。太古の昔、人間があまりに高い塔を建てたので神の逆鱗に触れ、同じ言葉を話していた人々に別々の言葉を喋るようにして、人間社会を分断したという聖書にある逸話。ネーデルラント (というと今のオランダだが、彼が没したのは現在のベルギー、ブリュッセルである) の画家ピーテル・ブリューゲル (1525/1530 - 1569) の描いた有名な作品が本展の目玉になっている。だが、この展覧会のタイトルをよく見てみよう。頭に「ボイマンス美術館蔵」とあり、後ろの方には、「16世紀ネーデルラントの至宝 - ボスを超えて -」とある。実はこれらの要素が非常に重要なのであって、私としては、この素晴らしい展覧会を、ただ一点「バベルの塔」だけに集約したこの宣伝方法には疑問を禁じ得ない。この展覧会の価値はそれだけで測るにはもったいないのである。以下、何がそれほど素晴らしかったのか見て行くこととしよう。

まずこの展覧会の展示品がひとつの美術館から来ていることに注目しよう。その美術館名は (上のポスターでは短く省略されているが)、ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館。
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この美術館はオランダのロッテルダムにあり、私も一度だけだが現地を訪れたことがある。ご当地ものであるネーデルラント、フランドル絵画だけではなく、20世紀の主要な画家の作品も多く所蔵する素晴らしい美術館である。長い館名は、この美術館のコレクションの基礎を作った 2人の収集家に因んでいるが、一人はフランス・ボイマンス (1767 - 1847)、もう一人はダニエル・ヘオルフ・ファン・ベーニンゲン (1877 - 1955)。美術館の開館は 1849年と、驚くほど早い。オランダの文化度の高さを具現するような美術館なのである。展覧会はまず彫刻作品で始まる。これは 1480年頃の作品で、4大ラテン教父、つまり聖アウグスティヌス、聖アンブロジウス、聖ヒエロニムス、聖グレゴリウスである。作者はアルント・ファン・ズヴォレという彫刻家とされている。高さ 74cm ほどの小ぶりなものであるが、その佇まいの清冽さが印象的であり、衣の繊細な処理も、日本の古い木彫を見慣れた私としても、非常に優れた出来であると思う。
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これはまた見事な祭壇彫刻。1500年頃の作とされている「十字架を担うキリスト、磔刑、十字架降下、埋葬のある三連祭壇画」。作者不詳である。この手の木彫りはドイツにも驚くほが見事な作品が多くあるが、地理的に近く、同じプロテスタント地域であるネーデルラントにおいても同様であるようだ。
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このような木彫作品の素晴らしさもさることながら、このネーデルラント / フランドル芸術の特色は、宗教画であっても仮借ない人間の姿が表されていることではないだろうか。例えばこれは、ヤン・プロフォースト (1465頃 - 1529) という画家の手になる「アレクサンドリアの聖カタリナの論争」(1520年頃)。ここに表現されている人体は決して写実的ではなく、それは画家の技術の欠如にもよるのかもしれないが、ただここにはなんとも言えない奇妙な生々しさがある。真ん中右でピンクの衣装を着ている聖カタリナの指の動きの繊細なことは驚くべきだし、その右側に見える正面を向いた少女は天使の化身らしいが、その場違いな落ち着いた表情はどうだろう。その右側にいる人物は真横を向いていて不気味なら、奥の方に見えるのは架空の建築群なのである。
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これも同じ聖カタリナの肖像なのであるが、1500年頃の作で、作者は判明しておらず、「枝葉の刺繍の画家」と呼ばれているらしい。華やかなイタリア・ルネサンスとは全く異なる静謐さを持つこの絵に、遥か後年のベルギーでのシュールレアリズムの萌芽を見るような気がするというと、話を面白くしすぎであろうか。
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同じ祭壇画から、こちらは「聖バルバラ」。うーん、これも大変に美しい。
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さてこれは、ルカス・ファン・レイデン (1489/94 - 1533) 周辺の画家の手になるとされる「女性の肖像」(1520年頃)。ここにも美化されていない人間の姿が表れていて、素晴らしい。
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これは少し時代が遡り、1480年頃の作者不詳の「風景の中の聖母子」と、その裏に描かれた「本と水差し、水盤のある静物画」。この聖母子は、解剖学的には正確ではないようだが、その平穏な雰囲気には何かほっとするものがある。一方で、ネーデルラントでその後伝統が作られて行く静物画であるが、これはトロンプルイユ (だまし絵) 的な表現だが、白いタオルや真鍮の洗面器と水差しは、受胎告知を象徴するという。むむ、ここでも遥か後年、ベルギーで発展した象徴主義 (サンボリズム) につながるものを見てしまいたくなるではないか。
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ここで初めて知った名の画家と対面する。ハンス・メムリンク (1433頃 - 1494)。「風景の中の二頭の馬」(1490年頃) という作品で、家庭用祭壇画の一部であるらしい。ここでは二頭の馬だけでなく猿も登場して、何か寓意があるらしいが、だがこの破綻のない風景と動物の組み合わせに、高度な洗練を感じるのである。
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これも名の知れた画家の作品。ヨアヒム・パティニール (1480頃 - 1524) の「牧草を食べるロバのいる風景」(1520年頃) である。パティニールについては随分以前、2015年 9月26日の記事で「世界初の風景画家」とご紹介した。だが彼の風景画は、ただ風景だけを描いたものではなく、宗教画の一部なのである。この作品も聖母子の「エジプト逃避途上の休息」を描いた作品の一部であるらしい。だがなんとも気持ちが安らぐ風景ではないか。
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かと思うとこれは、その同じパティニール周辺の画家の手になるとされる「ロトと娘たち」(1520年頃)。これは打って変わって人の心を不安にさせる光景である。私の見るところ、この平穏さと不気味さの交錯が、パティニールより一世代前かと言われるボスや、その影響を強く受けたブリューゲルの作品にも通底していて、ネーデルラント絵画の特異な持ち味を充分に感じさせるのである。
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というわけで、ついに登場するのが、ヒエロニムス・ボス (1450頃 - 1516) である。世界最初の奇想の画家と言ってもよいだろう。後世 (1610年頃) に描かれた、版画による彼の肖像画はこれである。頭の後ろに何やら奇怪な生き物たちが描かれているが、これぞボスからブリューゲルに受け継がれた奇想の数々。
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そして私はここで声高に叫ぼう。この展覧会は何もブリューゲルの「バベルの塔」だけが売りではないはずだ。なぜならここには、世界にも 30点ほどしかないボスの真筆作品のうちのなんと 2点が出品されているからである!! こんな貴重な機会はそうそうあるものではない。未だご覧になっていない方は、とにかく悪いことは言わないから、これらの作品と対面するために上野に馳せ参じるべきである。まずこれは、「放浪者 (行商人)」(1500年頃)。ここにはボスの真骨頂である奇想はない。だが、旅籠か娼家とおぼしき左後ろの建物から去って行くみすぼらしい男の振り返るところ、豚が飼料をむさぼり、男が女を口説き、また別の男は放尿している。そのような猥雑な風景を振り返る中央の男の表情は、名残惜しいようにも見えるし、軽蔑しているようにも見える。ローマ・カトリックの感性ではこのような人物は決して描かれないであろう (ルターの宗教改革は 1517年だが、それ以前に既に、ローマ・カトリックのものとは違う物の見方による表現があったということだろう)。
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今回出展されているもう一点のボスの作品は、「聖クリストフォロス」(1500年頃)。川を渡る際に背負った赤子が実はキリストで、世界の創造を背負った重さになるという逸話である。このテーマ自体は珍しいものではないものの、左の岸では熊の死骸が吊るされ、右の岸では樹木に不思議な住居が突き刺さっている。控えめとはいえ、まぎれもないボスの指向がはっきりと表れている。
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この展覧会にはまた、ボスの作り出したイメージによる後世の版画も沢山展示されていて、興味が尽きない。以下「樹木人間」、「様々な幻想的な者たち」、「ムール貝」、「二人の盲人のたとえ話」。この画家のブラックなイメージを堪能されたい。
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そしてこの展覧会の主役、ピーター・ブリューゲル (1525/1530 - 1569) である。その子孫たちも画家として実績を残したが、やはり元祖としての地位は揺るぎない。これは死後、1572年の版画による肖像。生年不詳とは言え、40代半ばまでには没していたようであるが、その髭から、大変な老人に見えてしまう。
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日本ではこれまでもブリューゲルとその周辺の画家の展覧会は何度も開かれていて、その中には 1993年に今回と同じ「バベルの塔」が来日したセゾン美術館での展覧会もあるが、あろうことか手元にその図録がなく、もしかしたらその時は見逃したのかもしれない。だが、1989年ブリヂストン美術館での「ピーテル・ブリューゲル全版画」展、1990年国立西洋美術館での「ブリューゲルとネーデルラント風景画」展、1995年東武美術館での「ブリューゲルの世界」展、2010年 Bunkamura ザ・ミュージアムでの「ブリューゲル版画の世界」展の図録は手元にある。中でも最初に挙げた展覧会では、ブリューゲルの全版画を見ているはずだから、今回展示されている版画の数々も、きっと見ているはず。だが、もうこれらは何度見ても飽きることがなく、そのめくるめく奇想には、人間の脳髄を直接刺激するものがあるのである。以下「聖アントニウスの誘惑」、「七つの大罪」から「大食」、「忍耐」、「最後の審判」。
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一方、ブリューゲルの版画においては、正確な細密描写や、夥しい数の人間たちの密集も特徴になっている。以下は「ガレー船を従えた沖合の 3本マストの軍艦」と「農民の婚礼の踊り」。これらを描く技術は、大作「バベルの塔」にそのまま活きていることであろう。
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その「バベルの塔」(1568年頃) は、展覧会場では特別扱いであり、広い空間に一点だけ、恭しく展示されている。
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今回、芸術新潮や NHK の「日曜美術館」でも、漫画家の大友克洋 (私も深く尊敬している) がこの塔の内部を独自に再現するような試みを披露しており、それはそれで面白いのだが、やはりこの作品自体をじっくり見るべきではないだろうか。ブリューゲルの「バベルの塔」と言えば、この 5年ほど前の作品もあり、ウィーン美術史美術館の所蔵になっているが、こちらのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館所蔵のものはさらに遠近法が強調され、異様さが増している。幻想的でありながら細部の凄まじいリアリティを見ると、ほかのどのブリューゲル作品とも異なる SF 性を感じることができ、一体この人のヴィジョンはどうなっていたのかと、空恐ろしくなるばかりである。このように、絵の中では多くの人たちが塔の建設に携わり、各種機械も設置されているのである。
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このように、もちろん「バベルの塔」の素晴らしさを実感することも重要であると同時に、それ以外に展示されている作品たちの質の高さも、充分に楽しみたい展覧会であり、それゆえ私は、一点豪華主義であるかのようなこの展覧会の宣伝方法には納得できないのである。ともあれ、現地でこれらの作品を目にすると、宣伝がどうのこうのということを忘れてしまうことも事実。素晴らしい内容なのである。さて最後に、私の個人的な思い入れに触れて、この記事を終えることとしよう。実は私にとってボスとブリューゲルの作品集は、私が初めて買った西洋絵画の画集であったのである。最初の画集がマネやモネやゴッホやルノワールではなかった点、私の指向する美術の傾向が明確に表れているのである・・・。今も書庫にあってすぐに手元に出てくるその画集は、集英社の世界美術全集の第 18巻。1978年の発行だから、40年近く前の本で、当時私は中学 1年生だ。あ、なんと表紙には、今回の展覧会に出品されている「放浪者」が採用されているではないか。
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今でもページを開くと、異様な図像の数々と首っ引きで詳細な解説を一生懸命読んだことを思い出すが、この本の主要な執筆者は、驚くべきことに今に至るも日本の誇るボスとブリューゲルの世界的権威である美術史家の森洋子なのである。上のカバーにある通り、1,450円という値段は 40年前のものであっても (笑)、内容は今でも豊かな啓示に満ちたもの。本当に日本においては、西洋絵画を学ぶ文化的土壌はずっと存在しているのであって、いながらにして実物を目にできることと併せて、文化の使途たちはその幸福に感謝を捧げるべきだろう。その思いをもって、会場の混雑を乗り切るべし!! 会期はあと一週間である。

by yokohama7474 | 2017-06-25 01:22 | 美術・旅行 | Comments(6)
Commented by 丸山 伸行 at 2017-06-25 16:30 x
私が、ブリューゲルの《子どもの遊戯》の面白さを教えてもらったのは、間違いなく貴君からであり、それも、貴君が学校に持ってきて見せてくれた画集(この美術全集だったかどうかは思い出せません)によって、であったことを、お伝えして感謝致します❗(ちなみに、いまや藤田嗣治研究の第一人者は、「森」洋子氏ならぬ「林」洋子氏だということに、ただならぬ縁を感じるのです😉
Commented by yokohama7474 at 2017-06-25 20:32
> 丸山 伸行さん
あはは、そんな昔のことを覚えている人が読んでくれているとなると、ウソは書けませんなぁ (笑)。はい、記事で言及したのはその本ですよ。因みに私も林洋子さんの「藤田嗣治 手仕事の家」という本を読みました。我々と同い年という点も奇遇です。
Commented by desire_san at 2017-06-27 09:49
こんにちは、
私もブリューゲル『バベルの塔』展を鑑賞してきましたので、画像と鑑賞レポートを読ませていただき、大エルミタージュ美術館展の名画を再体験することができました。ブリューゲルの『バベルの塔』は、リアルな表現と、非常になめらかで自然な描写と絵具を何層にも塗り重ねて透明感を出しているところなど繊細な表現にも魅了されました。ブリューゲルの『バベルの塔』は、ブリューゲルがどこまで細かく描けるか、超絶技巧超絶の限界に挑戦しているようにも感じました。

私はブリューゲルの『バベルの塔』の魅力も含めた感想と、かつて来日した作品や現地に行って見たブリューゲルの名画を紹介しながら、ブリューゲル絵画の魅力とブリューゲルの世界観・人間観を考察してみました。一度眼を通していただ抱けると嬉しいです。私独自の見解も書いておりますので、ご感想、ご意見などコメントいただけると感謝いたします。



Commented by yokohama7474 at 2017-06-27 22:58
> desire_sanさん
コメントありがとうございます。ブログ拝見しましたが、ブリューゲルという画家をよく知らない人にでも分かりやすくその特徴を書かれていて、大変興味深かったです。日本人に人気のある画家であるのは、奇想と庶民性、そして信じられない細密描写という数々の要素に依っていますよね。この展覧会はそのブリューゲルに加えて、ボスの 2点を含む多くのフランドルの絵画・彫刻が並んだ貴重なものだと思います。
Commented by desire_san at 2017-07-03 15:19
コメントにご返事いただき、ありがとうございます。
全回、ボスの作品について触れませんでしたので、『バベルの塔』展で来日した作品も含め、来日した作品や現地に行って見たとボスの名画を紹介しながら、ボスの絵画の魅力とブリューゲルの作品との違いについて、考察しながら整理してみました。ご笑覧頂ければ幸いです。
Commented by yokohama7474 at 2017-07-04 00:42
> desire_sanさん
再度のコメントありがとうございます。ブログ拝見致します。
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