怪物はささやく (J.A.バヨナ監督 / 原題 : A Monster Calls)

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この映画のポスターと予告編を見たときにすぐに連想したのは、スペイン映画「パンズ・ラビリンス」であった。その映画については、昨年 2月 2日の「クリムゾン・ピーク」についての記事で触れておいたので、ご興味ある向きはご参照頂きたいが、要するに女の子が怪物の幻影を見て、その裏になんとも切ない事情があるというストーリー。その映画をご存じの方は誰しも、この「怪物はささやく」のイメージに、いわばその男の子版ではないのか、との思いを抱くに違いない。そうして実際に作品を見に行って購入したプログラムで、この映画のプロデューサーが案の定「パンズ・ラビリンス」のプロデューサーと同じベレン・アティエンサという人であると知って、意を強くしたのである。

この映画においては、母親と二人暮らしの少年が主人公である。夜中の 12時 7分になると、少年の家の隣に広がる丘の上の教会の敷地内にある大木が巨人に変身し、ノシノシと家までやってきて少年に話しかける。そして少年はその怪物と会話を交わし、時には恐ろしい幻影を何度も繰り返し見たり、無意識のうちに暴れてしまうことになる。そしてそこには、少年の深層心理のある秘密が隠されていた、という物語。原題にある "Call" はこの場合「呼ぶ」ではなく、「訪れる」という意味だろう。その意味では、原題の直訳は「怪物がやってくる」にでもなるだろうが、ここで「怪物はささやく」としたのは少しひねりが効いていて面白い。ただそれにしても、こんなものがしょっちゅうやってきて、ニューッと顔を出してはハイコンバンワと話しかけるのは、やはりちょっと怖いし、ささやくにしてはデカい声だ (笑)。
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細部に触れる前に映画の感想を言ってしまうと、残念ながら「パンズ・ラビリンス」の感動にはとても及ばなかった。その理由は、少年を取り巻く環境を細かく描きすぎて、怪物の語ることと実際に起こることとの間の連関性が徐々に見えることで、怪物の神秘性が減少してしまったことではないか。もちろん、今思い出してみて、少年の母、祖母、母と離婚した父、既に亡くなった祖父という人たちの人間像にはそれぞれ工夫が見られるし、特に母親の運命が切なく描かれているとは言えると思う。もしかするとこの話は、本で読んだならもっとイメージが広がって感動するのかもしれないが (実は、原作小説の著者が脚本を書いているのだが)、映画としては、映像のショック度で勝負する前に、ストーリーに依拠しすぎているような気がする。例えば、怪物は 3つの話を少年に対して語り、4つ目は少年が自分で語れと言うのだが、それらの怪物の説話はどうやら、人間というものの複雑さを説いているようであり、それ自体はイメージの広がりがあるようでいて、実は少年自身がそれらの説話によって何かに気づくということにはならない。これは上で書いた、「怪物の語ることと実際に起こることとの間の連関性」ということと矛盾するように響くかもしれないが、これらの説話は本筋のストーリーとは全く関連しないものなので、実は矛盾していないのである。

などと書いていると最低の映画のように響くかもしれないが、決してそこまでけなすつもりはありません (笑)。よいところを挙げると、まずは冒頭に登場するイメージはなかなかに鮮烈だ。丘の上に立つ教会がガラガラと崩れ落ち、墓地が陥没する。この映画を通じて何度もこのシーンが出て来て、なんとも寒々とした感覚を覚えさせるのである。舞台になっている場所について明言はないが、多くの人物の喋る英語のアクセントから、米国でないことは明らかで、墓地の十字架がいわゆるケルト十字架であることから、その鬱陶しい気候及び、少年の名前コナー・オマリーを併せて考えると、アイルランドかスコットランドか、ということになるだろうか。だが、巨人が産業革命による工場の建設に言及することから、申し訳ないが前者ではありえない (私はたまたまその国をよく知っているもので・・・)。ケルト十字架はこのようなもの。映画の中に登場するシーンではなく、飽くまでイメージを拝借しました。
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調べてみるとケルト十字架は、英国内ではスコットランドだけではなくイングランドにもあるようなので、まあ、英国のどこかの田舎が舞台と考えればよいだろうか。劇中に海の近くの遊園地に出かけるシーンがあるので、海沿いのどこかだろう。私の知識と経験の中では、ウィットビーなんかが近いかもしれない。作家のブラム・ストーカー (アイルランド人) が名作「吸血鬼ドラキュラ」の構想を練った街で、このような壮絶な廃墟のある、ホラー好きにはたまらない港町なのである。
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実はこの映画のロケは、イングランド北部、マンチェスター、ウェスト・ヨークシャー、ランカシャーあたりで行われたという。上記のウィットビーはノース・ヨークシャーにあるので、イメージとしてはやはり近いと思う。ホラー好きの方、是非お奨めです。

さて、特筆すべきは役者たちである。主役のコナーを演じたのは、撮影当時 12歳のルイス・マクドゥーガル。1000人の中からオーディションで選ばれたという。ほぼ全編出ずっぱりで、様々な感情を演じる必要のある役であり、例えば日本の 12歳の男の子でこんな演技ができる子がいるかと考えると、空恐ろしいほどだ。
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母親を演じるのはフェリシティ・ジョーンズ。なんとあの、このブログでもご紹介した「インフェルノ」「ローグ・ワン / スター・ウォーズ・ストーリー」の、あの女優さんである。この髪型なので気づくのに時間がかかるが、一方でこの髪型には理由があることも、徐々に分かってくるのである。難しい役だと思うが、見事に演じている。
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それから、モンスター映画と言えばこの人。シガニー・ウィーバーだ!! 少年の祖母を演じていて、実に渋い存在感だ。さすがである。
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そしてもう一人。怪物の声を演じているのは名優リーアム・ニーソン。実は劇中では家族の写真の中に彼の姿があり、それは少年の祖父なのである。それによって、少年にとっては亡き祖父の姿が、巨木の怪物に投影されていることが暗示されている。
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監督は J・A (フアン・アントニオ)・バヨナ。1975年生まれのスペイン人で、これが長編 3作目。前作は、私は見逃してしまった、ナオミ・ワッツとユアン・マクレガー主演の災害映画「インポッシブル」。そして次回作は、なんとなんと、あの「ジュラシックワールド」の続編だという。この映画では、上述の冒頭シーンをはじめ、映像として面白いシーンは幾つもあったので、これからの活躍に期待しよう。
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また、これも上述の通り、この作品は原作小説の作者が脚本も、それから製作総指揮も手掛けている。その人の名はパトリック・ネスといって、1971年生まれの作家である。この「怪物はささやく」を含めた数々の作品によって、これまでに様々な賞を受賞している若手作家であるらしい。作品名を見ていると、「心のナイフ」「問う者、答える者」「人という怪物」「まだなにかある」と、この映画の内容に近いものを連想させるものばかりで、ちょっと興味を惹く。なおこの人は米国生まれだが、現在では英国に移住しているらしい。でも、「パトリック」 (アイルランドの守護聖人で、ニューヨークのセント・パトリック教会で有名) というファースト・ネームも、「ネス」 (もちろんスコットランドのネス湖、ネッシーの棲み処) というファミリー・ネームも、見事にケルトを連想させるではないか!!
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とまあ、最初の方で否定的な評価を書きながらも、「パンズ・ラビリンス」とはまた違った持ち味があり、あちこちに文化的突っ込みを許容する面のある、大変興味深い映画であったというのが私の結論である。これを見て、もし夜中の 12時 7分にこんな奴が現れたらどうしよう!! と心配するようなことになれば、あなたも怪物とコミュニケーションできる素養があるかもしれません。あ、でも、夜中なので、怪物には本当にささやくような声で喋ってもらわないと、近所迷惑なのですが (笑)。
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by yokohama7474 | 2017-06-28 00:57 | 映画 | Comments(0)
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