海辺のリア (小林政広監督)

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この記事は短く終わるだろう。なぜなら、ここで私がしようと思っていることは、日本演劇界の至宝たるべき仲代達矢が齢 80を超えて熱演を果たしたと思われた映画が、誠に遺憾ながら、かくも期待外れであったということのみであるからだ。すべてロケで撮影されたというこの映画、その中身は、あえて言ってしまえば自主映画 (という言葉が未だ存在するのか否か知らないが、私自身が学生時代に 8mmを使った「自主映画」の当事者であったので、この言葉が発する独特のニュアンスを理解する) さながらであり、作り手がこれをどのように自己評価するのかに興味を抱くほどなのである。私としては非常に残念なのであるが。

出演俳優陣の顔ぶれは見事の一言。仲代以外に、原田美枝子、阿部寛、小林薫、黒木華。完全にこれら 5名の俳優のみによって成り立っている映画なのである。だが、どうしたことであろう。黒木華は頑張っている割には全く精彩がないし、夫婦役である原田美枝子と阿部寛は、キャリアの違いから前者がかなり年上であるかのようなイメージがあり (実際には 5歳違いだが)、見ている者は二人の関係を理解するのに時間がかかる。そして小林薫はそれなりにいい味出しているものの、一言もセリフがないのである。ここで認知症の元スター俳優、桑畑兆吉 (もちろん黒澤ファンはこの苗字になじみがあり、この映画でも三船敏郎の名前が言及される) を演じる 84歳の仲代は、本当にこんなことを言って申し訳ないが、思い切って言ってしまうと、かなり滑っているとしか思えない。もし彼が舞台でリア王を演じるなら、もちろんそれは感動的なものになるだろう。だが、ここでは「リア王」のセリフの一部をそのまま引用しながら、舞台設定はその劇とは全く異なるもの。もちろん、こういうやり方があってもよい。もし作り手に、シェイクスピア以上の作劇力があるならば。仲代の演じるリア王と言えば、もちろん、このブログでも以前触れたことのある黒澤明の「乱」という翻案物があるが、それとても私の黒澤感からすれば、大変残念な出来であったのである。いわんやこの映画においてをやである。残念ながら。

先般 NHK の「探検バクモン」で、仲代が主催する無名塾の様子を放映していて、大変興味深かった。そこで初めて見た無名塾の建物、すなわち仲代の自宅の入り口が、この映画で、主役である桑畑の自宅として使われていたのは正直、若干興ざめであった。私にとっての映画は、ドキュメンタリーを除けば、常にかっちりとした虚構の世界。嘘が嘘として通じる映画こそ、優れた映画であると私は信じている。それはつまり、見る者が主人公とそれを演じる役者その人を同一化するように作るのは、時に危険だということであり、残念ながらこの映画は、観客があれれと思って心配して見ているうちに、大胆にもその危険エリアにズカズカと立ち入ってしまったというのが、私の印象である。ちなみに、もうひとつ「探検バクモン」で目にした光景は、高齢に至った仲代は、最近ではセリフを覚える際に、弟子に手伝わせて台本全部を自らの手で書き写すという作業であった。ここにはもちろん役者魂を見ることができて大変興味深かったが、今回私がこの映画を見たテアトル新宿には、そのような手書き原稿の実物が展示してあったのである。これはこれで面白かったが、だからといって映画が面白いわけではない点が、大変残念な問題だ (笑)。ポスターで使われている「あんた、どちらさん?」というセリフが以下でも見ることができる。
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映画の多くの部分は延々と続く砂浜で展開するが、ええっとすみません、私も学生時代の自主映画で、同じような場所で撮影しました (笑)。もちろんプロの作品であるからして、それなりにまとまっているとは思うが、ではそこに、はっとする瞬間がどのくらいあるかというと、私としては、「残念ながらほとんどない」と答えたくなる。本当に残念である。
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音楽について少し触れようか。ここでは、弦楽四重奏による演奏が時々入り、それなりに叙情性を醸し出している。エンドタイトルで確認したところ、演奏は、N 響のヴァイオリン奏者である齋藤真知亜 (男性です) をリーダーとする Matthias Strings。因みにここで脱線すると、この Matthias という言葉、もちろんリーダーのマチアという名前に由来するものであろうが、美術好きには常識であるように、あの壮絶無比な「イーゼンハイム祭壇画」を描いたマティアス・グリューネヴァルトのファーストネームであり、また音楽好きには、その画家をモデルとして作られたヒンデミットのオペラ (及びそれをもとに作られた交響曲)「画家マティス」を思わせるものであろう。だが私がここで頂けなかったのは、そのような高踏的イメージをまとった名前の演奏家たちが、この映画の中で演奏した既存曲の中に、グリークの「ペール・ギュント」から「オーセの死」と「ソルヴェイグの歌」の両方が入っていたこと。一部の方はもしかするとご記憶かもしれないが、このブログで昨年 12月27日に書いた「聖杯たちの騎士」で、既に全く同じことが起こっていたわけであり、正直、この映画のオリジナリティに疑問を持ってしまうことになったのである。偶然なら申し訳ないのだが、有名な同じ作品から 2曲を選ぶなら、オリジナルを用意した方がよかったのではないか。

というように、飽くまで私の個人的見解なので当然違う感想の方々もおられようが、あちこちで残念な出来であったこの「海辺のリア」。もしかするとこの監督と仲代の次回作では、最後に仲代が観客に語り掛け、「私の魔法は消えました。みなさまのあたたかい言葉だけが私の救い。もはやわが身には、使う妖精もなく、魔法をかける術もなく、絶望のみしかありません。この身の自由を、みなさまにお願いします」などというセリフが発されることになるのかもしれない。そして題名は、「山中のプロスペロー」。ダメですかね。

by yokohama7474 | 2017-06-28 22:37 | 映画 | Comments(0)
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