22年目の告白 私が殺人犯です (入江悠監督)

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現在の日本では、凶悪犯罪においては時効という制度は既になくなっている。だがこの映画では、時効が未だ存在していた頃に 5件の連続殺人を犯した犯人が、時効成立後に暴露本を書き、堂々と大衆の前にその姿を現すという設定。これはなかなかに面白い着眼だ。というのも私自身、子供の頃に時効という制度の意味がどうしても理解できず、時効によって罪を逃れた殺人者がほくそ笑むシーンを想像していたことがあったからだ。つまり、確実にある犯罪を犯した人間が、法律によって正当にその犯罪の責任から解放されるという事実に、ある種のピカレスク小説的な興奮 (と言っては語弊があるかもしれないが、ほかに適当な日本語があるだろうか。英語なら "Excitement" か) を覚えたと言えようか。実際、あの昭和の大事件、三億円事件の時効成立は 1975年。私は当時 10歳であって、何度もテレビで白バイ警官のモンタージュ写真や乗り捨てられた車両の映像を見て、その犯人が時効成立時にどんな顔をしていたのか、夢想したものであった。これは、世界一流と目される日本の警察をもってしても追い詰めることのできなかった犯人が、実は私たちのすぐ近所で今も何食わぬ顔をして暮らしているかもしれないという不気味な連想にもつながり、子供心にも強いインパクトを受ける時効成立という「事件」であったのだ。

さて、この映画で連続殺人犯による犯罪が犯されるのは 1995年。日本がバブル崩壊後の沈滞に入っていた頃であり、阪神大震災が起こったあの年である。この映画は、その 1995年の映像から、その後の世相を映す出来事 (例えば地下鉄サリン事件) や東京での新たなビルの建設 (例えば私がこの映画を見た映画館のある六本木ヒルズ) が早送りで現れるというオープニングで幕を開ける。今実際にテレビでその頃の映像が出てくると、ほんの 20年ちょっと前という時代であるにもかかわらず、何か大変古い時代のことのように思われるのは、第一には未だデジタル放送のない時代の映像だからであろうし、画面の鮮明さや縦横サイズが昨今とは異なるからであろうが、何かそれだけではない、時代の雰囲気の断絶があるようにも思って、ノスタルジックな気分になるのは私だけであろうか。その頃なくて今あるもの。もちろんそれはインターネットだ。いやもちろん、正確にはインターネット時代は当時からあったものの、未だ全く一般的ではなく、その後ネット上でこれだけの量の情報がこれほどまでのインパクトで世界に溢れるようなことになろうとは、当時は想像もできなかった。この映画で犯行後 22年を経て現れる殺人犯を巡っては、SNS や動画サイトという「現代」がつきまとい、犯行時と現代の間に横たわる断絶をいやが往にも感じさせるのだ。その意味では、22年間の連続と断絶という、なかなか面白いテーマを持つ映画なのである。

さてここで「犯人」を名乗って出てくる男、曾根崎雅人を演じるのは、このところ悪役を演じる頻度が多くなってきている藤原竜也。
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私にとっては、彼のスクリーンでの出世作であった「バトル・ロワイアル」(2000年) で鮮烈な印象を受けて以来、なかなかほかにいないタイプのお気に入りの役者である。舞台経験も豊富でありながら、映画では映画としての演技を心掛けているように見えるし、美形ではあるがカッコをつけて外面を取り繕うタイプの演技ではない点も、好感が持てる。この映画における彼の役柄でも、人々の度肝を抜く殺人の手記でマスコミの前に登場し、派手な衣装でバッチリ決め、食事はワインに肉と、常にスタイリッシュである点が、逆に作り物めいていて、そこに謎を感じさせるのである。もちろん、予想外の必死な表情も後半では多く出てくることになるため、高度な演技の幅を求められる役である。藤原の熱演がこの映画を引き締めていることは間違いない。あ、死んだと思われる目に遭いながらどっこい生きているという設定は、「るろうに剣心」シリーズの志々雄役と共通していますな (笑)。

その相手方、殺人犯を一度は追い詰めながらも逃してしまい、自らも傷を負うこととなる刑事、牧村航を演じるのは伊藤英明。もともと男っぽいイメージの彼であるから、ここでの牧村刑事役はなかなかに適役ではないか。この刑事の内面までもよく演じていたと思うし、その突進力と、胸の奥に抱えた哀しみの表現も充分だ。
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それからもうひとり、事件を執拗に追うジャーナリスト、仙堂俊雄を演じる仲村トオルがよい。もともと戦場カメラマンという設定だが、ジャーナリストとしての傲慢なまでに自信に溢れた姿と、その不可解なほど熱い情熱の表現がリアルである。彼が司会を務めるテレビ番組のシーンでは、なかなかに痺れる切迫感あるリアリティがあって、この映画で最も強いインパクトのあるシーンになっていたのではないか。これはよかった。
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このように大変面白い要素がいろいろ詰まった映画なのであるが、見る前から私として興味があったのは、一体いかなるオチを設けているのかとことだ。時効を迎えた犯罪の殺人犯が公衆の面前に出てくる。そこまではよかろう。さて、真相と結末はいかに。例によってネタバレを避けてその評価を明確に書くのは難しいが、私の見るところ、残念ながらそちらの方は舞台設定ほど鮮やかには決まっていないように思う。まず、5人連続殺人事件には、隠されたもうひとつの犯罪が付随しているらしいが、そんなことを警察が秘しておく理由がないし、個人的な事情でそのような秘匿が起こることも考えにくい。また、これだけ用意周到に犯罪を継続した犯人が、決定的に気にすべき事柄を忘れて犯罪遊戯にふけっていたという設定はいかがなものか。それから、登場人物の何人かは怪しいと思われる場面もあるが、最終的に事情が分かってみると、そんなことが理由でこんなことが起こるという説得力には乏しいなぁと、誰もが感じるのではないか。あえて言ってしまえば、冒頭シーンでおっと思わせた 1995年から 2017年までの間の日本の著しい変化に比して、ここで犯罪を犯す人物の 22年間には、本当に切実な思いが見えて来ない。極限状態での極限的な体験によって人はトラウマに陥るものではあろうが、だが、この 22年間に変化した一般人の生活の中で、本当に背筋がぞっとするものは、このような極限的な体験ではなく、ごく普通の日常にポッカリと穴を開けている非日常ではないだろうか。もっとも、設定を極端にすることで、見る人が本当にゲッソリしないような余地をあえて作り出しているのかもしれないが。

もうひとつ残念なことは、これはスゴいという女優の演技に乏しいこと。唯一は夏帆がいい味出しているとも言えるが、うーん、まあまあかな。
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監督は、本作の共同脚本も書いている、1979年生まれの入江悠。私がこれまでに見たこの人の作品は「ジョーカー・ゲーム」だけだが、その作品は私の中では既にほぼデリート状態である (笑)。本作はそれよりも随分よい出来ではあると思うが、冒頭シーンのセンスをさらに作品全体に活用してくれれば、さらにリアルで切実な物語を語ってもらえるものと期待したい。
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実は鑑賞後に知ったことだが、この映画は韓国映画のリメイクらしい。2012年の「殺人の告白」という邦題の映画。ストーリーの結末まで同じなのか否か分からないが、韓国には韓国の 22年間があったことだろうから、きっとこの 2作の間には雰囲気の違いがあるのではないだろうか。
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そんなわけで、最近はなかなかスキッと諸手を挙げて大絶賛という映画に巡り合わないものの、それぞれに何かを感じさせてくれ、考える材料をもらえるという点で、やはり様々な映画を体験する意味は大きいと思っております。「オマエ、気楽なこと言いやがって!!」と襟首つかまれてしまうかもしれませんが (笑)。まあ穏便に穏便に。
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by yokohama7474 | 2017-07-01 01:33 | 映画 | Comments(0)
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