パスカル・ロジェ ピアノ・リサイタル (映像演出 : 束芋) 2017年 7月 5日 浜離宮朝日ホール

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前回の記事で名古屋での演奏会をご紹介した、諏訪内晶子とボリス・ベレゾフスキーのデュオ・リサイタルは、同じ内容の演奏会がこの日、7/5 (水) には東京オペラシティで開かれている。だが私にはその演奏会に行けない理由があった。ほかでもない、この記事でご紹介する浜離宮朝日ホールでの演奏会に出かける必要があったからだ。実はこの記事のタイトルには、通常のピアノ・リサイタルであるかのように書いてしまったが、上に掲げたチラシのタイトルには、手書きの文字で「ロジェ × 束芋」とある。これは一体どういう意味か。もちろんご存じの方も多いと思うが、一応説明しておこう。まず、ロジェとは、ピアニストのパスカル・ロジェ。1951年生まれのフランス人で、今年 66歳。
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この人はフランス音楽の数々の録音で名を成したピアニストで、私の世代にとっては、同時代にフランス音楽の素晴らしさを教えてもらったシャルル・デュトワとモントリオール交響楽団のバックでラヴェルのピアノ協奏曲を録音したりしていたことが忘れられない。もちろんフランス音楽以外も素晴らしい演奏をするに違いないが、だが彼の弾くドビュッシーやラヴェルは、現代のピアニストでも抜きんでて素晴らしいという実感がある。今回はこのロジェが、そのフランス音楽を中心とした曲を弾くのである。これが第一の注目点。

そして、次の注目点は、この人だ。
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この人の名前は、束芋 (たばいも)。なんじゃそれと思われる方は、現代美術に興味のない方だけであろう。1975年生まれの彼女は、既に日本を代表する美術家であり、世界にもその名を知られた存在。そのユニークな名前は彼女の本名、田端綾子から来ている。同じ予備校に彼女と彼女の姉がいたので、ある友人が二人を区別するために、姉を「タバアネ = 田端の姉」、妹を「タバイモ = 田端の妹」と呼んだことがきっかけであるらしい。一度聞いたら忘れないタバイモ = 田端さんの妹の作品を私が初めて知ったのはいつのことだったろうか。今履歴を調べてみると、1999年に京都造形芸術大学の卒業制作として発表したアニメーションを含むインスタレーション、「にっぽんの台所」が出世作であるとのこと。私はこの作品をよく覚えているが、それは多分テレビで見たのが最初であったろうか。どこかノスタルジックに見える高度成長期以来の日本の日常の風景に、匿名的な人物たちが溶け込んでいて、無機的な効果音が流れている。だが時にその内容はドキッとするほど生々しく過激であるので、一度見たら忘れないであろう。そして 2001年、彼女は第 1回の横浜トリエンナーレにも映像作品を出品して話題となった。これもよく覚えている。今手元にそのときの図録を持って来て、彼女の作品の写真を掲載してみよう。
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それ以来私にとって束芋は、現代日本アートを考える上で欠かせない存在になったのであるが、なかなか個展に接する機会がない。唯一の機会は、2009年から 2010年にかけて横浜美術館で開かれた「束芋 断面の世代」展である。この頃彼女は朝日新聞で、吉田修一の「惡人」という連載小説に挿絵を提供しており、その原画がこの展覧会に出品されていた。これが図録の表紙である。
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というわけで、今回浜離宮朝日ホールでは、ロジェの弾くピアノに合わせて束芋の映像が流れるという。これに出掛けないわけにいかない理由が、上記にてお分かり頂けたであろうか。実はこれは、既に 2012年に上演されたものの再演であるらしい。前回の上演について全く知らなかった無知を天に詫びて、万難を排して聴きに行ったのである。なお、ポスターの「ロジェ × 束芋」の文字は、束芋自身の書になるらしい。

今回の上演でロジェが弾いた曲は 19曲。途中休憩なしで、上演時間は 70分。まず会場に入った聴衆の目に映ったのはこのような光景である。舞台の後ろに大きなスクリーンがあって、舞台上のピアノとピアニスト用の椅子がそこに映っている。だが、光源がどこにあるのかよく分からない。最新の照明技術によるものであろうか。
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そして、会場の照明がほぼ完全に落とされ、暗闇の中、ロジェが入場して来る。暗闇のせいで、聴衆はそれに対して拍手するきっかけを持たされておらず、それを尻目にロジェは静かに椅子に座って、ピアノを弾き始める。そして聴衆は不思議なことに気づく。既にピアニストが椅子に座っているのに、舞台奥のスクリーン上にはその影は映らないのだ!! そう、後ろのスクリーンの映像は、舞台上のピアノではなく、完全に独立した映像であったのである!! これは実に鮮やかな始まりではないか。

さて私が常々思っていることには、音楽と映像の融合と口で言うのは易しいが、なかなか成功例にお目にかからないということである。このブログでも、舞台上の映像が音楽を邪魔したオペラのケースなどに触れたことが何度かあるが、人間にとって最も強烈な感覚である視覚と、大変繊細な感覚である聴覚とは、なかなか相互作用を生じないというのが私の持論なのである。だが、今回の上演の素晴らしいところは、映像が音楽を邪魔することなく、しかも冒頭の例のような意外性もあって、70分連続の演奏に見事な色を添えた点であろう。また、中には、曲の間じゅう一切投影映像なしということもあって、これこそ束芋のアーティストとしての非凡なところであると、膝を打ちたくなったものである。さて、今回ロジェの弾いた曲の一覧を、若干面倒ではあるものの、ここに記載してみよう。

 ドビュッシー : 「版画」より「パゴダ」、「前奏曲集第 1巻」より「帆」「野を渡る風」「亜麻色の髪の乙女」「沈める寺」
 サティ : グノシェンヌ第 5番
 ラヴェル : 「鏡」より「悲しい鳥たち」
 ドビュッシー : 「映像第 2巻」より「そして月は荒れた寺院に落ちる」「金色の魚」、「ベルガマスク組曲」より「月の光」
 吉松隆 : 「プレイアデス舞曲集第 1巻」より「水によせる間奏曲」、「第 6巻」より「小さな春への前奏曲」
 サティ : グノシェンヌ第 2番
 吉松隆 : 「プレイアデス舞曲集第 6巻」より「けだるい夏へのロマンス」、「第 4巻」より「間奏曲の記憶」、「第 5巻」より「真夜中のノエル」、「第 7巻」より「静止した夢のパヴァーヌ」
 サティ : ジムノペディ第 1番
 ドビュッシー : 「版画」より「雨の庭」

どうだろう。繊細な情景描写と、キリリと冴えわたった感覚と、時空を超えた浮遊感と、ひたすら透明な抒情・・・それらがつづれ織りのような音で表現されることが期待される曲目ではないか。ここで、ドビュッシーやラヴェルやサティは知っているが、吉松隆って誰? と思う方もおられるかもしれない。このブログでも言及したことがあると記憶するが、彼は理屈抜きで大変美しい音楽を書く珍しい現代音楽作曲家であり、このプレイアデス舞曲集などは、ストレス過多の人たちのヒーリング用には最適の、素晴らしい音楽なのである。私にとっては田部京子の素晴らしい 2枚の初録音 CD が長年の愛聴盤であり、そこではこの舞曲集の第 1巻から第 9巻までと、その他吉松の小品が収められている。1枚目の方のジャケットをここに掲げておくので、ご存じない方は是非一聴を。尚、私は知らなかったが、ロジェもまた、この吉松作品を録音しているようだ。
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今回のロジェの演奏は実に素晴らしいもので、場合によってはかなり暗い中での演奏となったハンディを微塵も感じさせない堂々たるもの。その音は常にクリアかつ多彩なニュアンスに富んでいて、その一方で、これみよがしな表情は皆無で、むしろそっけないと言ってもよいくらいの場面に何度も遭遇した。これぞまさにフランス音楽の粋である。選ばれたフランスの曲は有名作品が多いが、吉松作品もその中で全く違和感なく収まっており、日本人としては誇らしい限り。これぞまさに文化の香り。東京ではこのように刺激に満ちた音楽 / 美術イヴェントに出会うことができるのである。

束芋の映像は、上述の通り、音楽を邪魔しないバランスの取れたものであったが、その分彼女特有のとぼけた毒というべき味わいには、若干欠けたようにも思う。だがこれは、音楽との融合という観点からはむしろ賢明な選択であったと思う。今ざっと曲目を見返してみて思うのは、以下のような点。
1. ドビュッシー、ラヴェルは、ほぼ題名に忠実な視覚的イメージを利用 (それゆえ、個々の曲名を知らない人にはちょっとつらいかも)。だがもちろん抽象化や幻想的な描き方はあった。
2. サティと吉松には視覚的なイメージがない、または少ないので、具体性のない、いわば模様のパターンを多く活用したイメージ。
3. 双方の系統において、束芋特有の、窓を伝う雨水や、モクモクと動く雲、葉や鳥の落下、水中の泡、複雑に絡み合った根、突然開く花や、脈打つ心臓・・・と言ったイメージ群がほどよく調和。

この中で、例えば有名な「月の光」は、スクリーンに青い照明を当てるのみで、一切の映像はなし。またもう 1曲、グノシェンヌ 5番であったろうか、そちらに至っては、照明自体も白で、全くの無であった。繰り返しだが、これぞ束芋の本領発揮と、拍手を送りたい。以下は、ほかのサイトから借用して来た演奏シーンのいくつか。少しはイメージが伝わるだろうか。ちょっと分かりにくいかなぁ。
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終演後には束芋もステージに登場し、嬉しそうに拍手を受けていた。これはゲネプロのときの 2人の写真のようだ。ロジェの T シャツに注目。
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終演後にサイン会があったので、ロジェの CD を購入して参加。但し、CD ジャケットに適当なスペースがなかったので、プログラムにサインしてもらうこととした。名ピアニストは、ステージを離れてもファンに対して非常に礼儀正しい紳士なのである。ただこのサイン、とても字には見えないんですけどね (笑)。

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滅多にない内容の素晴らしいコンサート、堪能しました。またこのコンビで、新たなコラボの試みを行ってもらえないだろうか。例えば、武満徹。それから、メシアンの大曲ピアノ作品。もしくは全然違う、プロコフィエフとかバルトークのピアノ曲なんて面白いかもしれません!!


by yokohama7474 | 2017-07-06 01:00 | 音楽 (Live) | Comments(3)
Commented by usomototsuta at 2017-07-07 00:28 x
ブログ主様の多方面への造詣の深さ、興味の広さ、博識に驚きと敬意を感じます。そのうえかなりの情報量が読む者に具体的に伝わってくる文章力にもいつも感心するばかりです。ですから今回のような私の好みから少し外れた記事も大変興味深く読むことができます。私も音楽がとても好きなつもりでおりますが、音楽について話が合うような人は周りにはいません。ましてやブログ主様のような方はかなり希少なのだろうと思います。それに比べると私の興味の対象はとても狭く浅いものです。私の敬愛する脚本家、山田太一のもう35年ほど前のドラマに「早春スケッチブック」というのがありました。影響を受けた数少ないTVドラマですが、その中で主人公の実の父親役の山崎努が言ってました。「何かを無理にでも深く好きになることが必要だ。何かを深く好きになれる人は他の物も深く好きになれる。何かを好きになって細かな味までわかってくることは誰もか持てるわけじゃない、努力しなければ持てない大切な能力なんだ。」私は今でもこの言葉は座右の銘のひとつですし、ブログ主様はまさにこの言葉を地でいってるようで素晴らしいと思います。パスカル・ロジェは名前しか知らなかったし束芋は初めて聞いたし、吉松隆はブログが面白くて興味を持ったところですが、コンサートそのものへのコメントではありませんがつらつらと書かせていただきました
Commented by yokohama7474 at 2017-07-08 01:12
> usomototsutaさん
いえいえ、音楽の分野においても美術の分野においても、私より詳しい方は当然ゴマンといらっしゃいますよ。ただ、このブログのこだわりとして、様々な文化の領域を自由にほっつき歩くということがあり、確かに好奇心は私の原動力にはなっています。私の理想は、マーラーの好きな方が北斎もいいなと思って頂いたり、ランボーの好きな方が諏訪内晶子もいいなと思って頂くことです。コメント中に引用して頂いた山田太一のドラマのセリフは私は知らないものですが、実感をもってそうだとうなずけるのは、何かを深く知ることでほかのことも少しは見えてくるということです。いかなる文化の領域も、知れば知るほど、自分の無知に気づくわけで、だからこそ未知の分野を知る喜びがあるのだと思っていて、それは私が生きている限り続くと思っております。今後とも是非ご愛読よろしくお願い申し上げます。
Commented by usomototsuta at 2017-07-08 10:20 x
「無知の知」ということですかね。全くおっしゃるとおりだとおもいます
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