ミュシャ展 国立新美術館

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この展覧会は既に 1ヶ月以上前に終了したもの。東京、六本木の国立新美術館で開催され、残念ながらその後の地方巡回はない。その理由はひとえに、ここで展示された作品の貴重さということになろう。実際にこれは、日本の西洋美術受容史に残る画期的な催しであったのではないか。この国立新美術館は大変に広い美術館で、いくつもの展覧会を同時並行で開催しているのであるが、先にこのブログでもご紹介した草間彌生展の最中からこのミュシャ展は開催されていた。愚かな私は、そのミュシャ展がどれほどの内容であるのかを知らずに月日を過ごし、はたと気が付くと、ほぼ 3ヶ月の会期は終わりに近づいている。これはいかんと思って、会期中最後の日曜日に開館時刻 9:30 を目指して現地に向かった。ちょうど開館時刻に到着した私が目にしたものは、「待ち時間 80分」の表示である。昨年の若冲展ほどではないにせよ、これは大:変な大混雑である。その日は入場を断念した私は、その数日後、会社のフレックス制を利用して 17:30 頃に現地到着。やはり少し列があるものの、なんとか 30分は時間がある。ちょっと短いがやむを得ない。もちろん中に入っても大混雑であったのだが、とりあえず一通りは見ることができたのである。これはミュシャによるポスターの代表作のひとつ、「ヒヤシンス姫」。
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この展覧会では、世紀末のパリに出てその華麗なるポスターで一世を風靡したアルフォンス・ミュシャ (1860 - 1939) の数々の名作ポスターも展示されているものの、そもそもミュシャという名前はフランス語読みであり、彼の故郷チェコでは「ムハ」と発音する。この展覧会では、ミュシャというよりもむしろムハと呼ぶべき画家がその心血を注いで制作した巨大な 20枚の壁画が来日することとなった。私は生まれて初めてチェコの首都プラハを訪れた 2003年、ムハの、印刷されたポスターではない巨大な肉筆画を見た記憶が明確にあり、また、何かの本 (芸術新潮の特集かと思ったのだが、探してもどうしても出てこない) で、パリのミュシャからプラハのムハに戻ったこの画家の畢生の大作「スラヴ叙事詩」について読んだことがあるので、この超大作のシリーズを現地で見たとばかり勘違いしていた。だが、そうではなかった。この「スラヴ叙事詩」は、チェコ国内でも滅多に見ることができないもので、ましてやチェコ国外に出るのは今回が歴史上初めてのこと。東京の美術ファンはそのことに深い感謝を捧げるべきであろう。こんな素晴らしい作品群をいながらにして見ることができたのであるから。異常なほどの大混雑も、これなら理解できる。これは 1929年、69歳のミュシャの肖像写真。あの華麗なる数々のポスターのイメージとは異なる硬骨漢の雰囲気があるではないか。
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今回奇跡の来日を果たした「スラヴ叙事詩」は、故国に還ったミュシャが、チェコにとどまらないスラヴ民族の歴史における数々のシーンを描いたもの。米国の富豪による資金援助を得て、1910年から 1928年にかけて制作され、プラハ市に寄贈された。だが近年に至るまではチェコの中にある城に保管されており、交通の便が悪いために多くの人の目に触れることはなかったらしい。2012年以降はプラハ国立美術館の所蔵になっているので、恐らく現地で見ることが容易になったということだろうか。以下にこの 20作品を順番に見て行くが (作品につけられた番号は、制作年順にはなっていない)、ここには強い愛国心に突き動かされる偉大なる芸術家の姿が生々しく刻まれているのである。我々は音楽の分野で既に、チェコ人の強い愛国心をよく知っているが、この連作は絵画におけるそのような例として、未来永劫人々に感動を与え続けるものであろう。

これは 1作目、上のポスターでも使われている「原故郷のスラヴ民族」(1912年、610cm × 810cm)。この後もこのシリーズに頻繁に現れる、中空に浮かぶ人物と、まっすぐに鑑賞者を見据える人物が、ここで既に見られる。20世紀の民族自決主義に基づく希望と、世紀末的な退廃がないまぜになった、ちょっとほかにはない独特の世界である。現代に生きる我々は、このまっすぐな視線に耐えなければならない。
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これは 2作目、「ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭」(1912年、610cm × 810cm)。ここでも宙に浮かんだ人物が怖いほどだ。
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これは 3作目、「スラヴ式典礼の導入」(1912年、610cm × 810cm)。ここでも見事なほど、宙に浮かぶ人物たちと正面を向いている人物が神秘的である。
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4作目、「ブルガリア皇帝シメオン 1世」(1923年、405cm × 480cm)。この連作のテーマはスラヴ民族なので、チェコだけでなくブルガリアも題材になっているのである。
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5作目、「ボヘミア王プシェミスル・オタカル 2世」(1925年、405cm × 480cm)。
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6作目、「東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン」(1923年、405cm × 480cm)。これまでの中で最も淡い色調で、今日の目から見ると若干看板画風という感じもあるが、これだけの大作を破綻なくまとめる画家の手腕は否定しがたい。
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7作目、「クロムニェジーシュのヤン・ミリーチ」(1916年、620cm × 405cm)。連作の中では比較的小さい作品だが、やはり多くの人物を絶妙に配置している。
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8作目、「グルンヴァルトの戦いの後」(1924年、405cm × 610cm)。やはり淡いタッチでありながら、そこにはリアルな死が描かれているのである。
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9作目、「ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師」(1916年、610cm × 810cm)。ヤン・フスは未だにチェコで深く尊敬される宗教改革者。フスは、左手中央で身を乗り出して説教している。右手手前では、ヴァーツラフ 4世王妃ソフィアの侍女が、思案しながら鑑賞者に訴えかけてくる。
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10作目、「クジーシュキでの集会」(1916年、620cm × 405cm)。これは少しパスカル・ダヴィッド・フリードリヒを思わせる神秘性だ。
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11作目、「ヴィートコフ山の戦いの後」(1923年、405cm × 480cm)。ここでも死屍累々の場所で神への祈りが捧げられる。
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12作目、「ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー」(1918年、405cm × 610cm)。これも戦場。スラヴ民族の歴史においては、多くの流血が起こっているという事実から目をそむけないようにという思いからであろうか、画家は悲惨さではなく戦後の平穏を描いているようにも思われる。
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13作目、「フス派の王、ポジェブラディとクンシュタートのイジー」(1923年、405cm × 480cm)。赤い衣の人物は教皇の使いであるが、その横柄な態度に怒ったチェコの国王が右端で椅子を蹴って立ち上がっている。だがミュシャの筆は、大きな窓から差す神々しい光が、人間同士の対立を和らげているような雰囲気を醸し出している。
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14作目、「ニコラ・シュビッチ・ズリンスキーによるシゲットの対トルコ防衛」(1914年、610cm × 810cm)。「スラヴ叙事詩」20作のうち、唯一戦闘場面を描いている。真ん中右寄りに見える黒い柱のようなものは火薬の煙で、これから大爆発が起こることを示している。
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15作目、「イヴァンチツェの兄弟団学校」(1914年、610cm × 810cm)。前景の老いた盲人に聖書を読んで聞かせる若者は、ミュシャ自身の若い頃がモデルになっているという。
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16作目、「ヤン・アーモス・コメンスキーのナールデンでの最後の日々」(1918年、405cm × 620cm)。荒涼とした淋しい作品である。
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17作目、「聖アトス山」(1926年、405cm × 480cm)。これはすごいヴィジョンである。まるで最近のハリウッド映画の SFX のような宇宙的な神秘性がある。
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第 18作、「スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い」(1926年、390cm × 590cm)。画面左手前の女性のモデルの写真が残っている。ミュシャはこの連作を制作するにあたって、プラハ近郊のズビロフ城の一部を借り、この大作に登場する人々の多くのモデルが近隣の村人であったようだが、この女性のモデルはミュシャの娘であるそうだ。実はこの作品、一部の人々の顔が描かれていない、未完成の作品なのである。それは、左側で愛国的な誓いを立てる男たちのポーズが、ナチスの敬礼を思わせたからだそうだ。複雑な時代背景を伺うことができる。
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第 19作、「ロシアの農奴制廃止」(1914年、610cm × 810cm)。チェコ人にとってロシアは憎むべき敵国かというイメージがあるが、この作品は米国人のパトロン、チャールズ・R・クレインの要請によって描かれたものらしい。
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そして第 20作、「スラヴ民族の賛歌」(1926年、480cm × 405cm)。これもまたハリウッド的な鮮烈なヴィジョンと呼んでもよいかもしれない。
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だが私がここで連想するのは、ベルギー象徴主義の画家、ジャン・デルヴィルの「サタンの宝」(1895年作) である。クラシックファンの方には、サイモン・ラトルがバーミンガム市交響楽団と録音したメシアンのトゥーランガリラ交響曲のジャケットに使われていたことを覚えておられよう。筆致はデルヴィルよりはかなり柔らかではあれ、やはりミュシャは世紀末の画家なのである。
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さて、会場にはこの「スラヴ叙事詩」以外にもポスター類や肉筆画を含む数々のミュシャの作品が展示されていて、まさにミュシャの全貌に迫る驚異的な内容であったのである。だが私が大変に感動し、また興奮したのは、「スラヴ叙事詩」の展示スペースの最後、第 15作から第 20作までが、撮影自由であったことだ。なんという素晴らしい体験であったことか!! 会場の熱気を伝えるために、私がそこで撮影した写真をお目にかけて、この展覧会のご紹介を終えたいと思う。
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by yokohama7474 | 2017-07-09 00:50 | 美術・旅行 | Comments(0)
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