マルク・ミンコフスキ指揮 東京都交響楽団 2017年 7月10日 東京文化会館

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今回東京都交響楽団 (通称「都響」) の指揮台に立ったのは、1962年生まれのフランス人指揮者、マルク・ミンコフスキ。このブログでも、前回同じ都響を指揮した際の演奏会と、金沢で指揮をしたロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の演奏会形式上演を絶賛した。このミンコフスキ、私のイメージでは古楽の指揮者として名を上げた人だが、その経歴はウィーン・フィルやベルリン・フィルの指揮を含め、現代楽器の通常オケでも活発な活動を展開しているのである。この都響との共演は今回で 3回目。前回の演奏会は 2015年12月16日付の記事で採り上げたが、その前、つまりは最初の顔合わせのときにも私は聴いていて、いずれの機会においても、この人が現代を代表する素晴らしい指揮者であると実感したものであるのだが、今回またそこに新たな感動が加わった。この演奏会でミンコフスキと都響が採り上げた曲目は以下の通り。
 ハイドン : 交響曲第 102番変ホ長調
 ブルックナー : 交響曲第 3番ニ短調 (ノヴァーク 1873年初稿版)

一言、この人はすごい指揮者である。このような天才の演奏を、今の都響のような練れた音を出すオケで聴くことができるとは、東京の聴衆は本当に恵まれている。だが奇妙なことに、ミンコフスキと都響の共演は今回はこの演奏会 1度きり。もしかするとミンコフスキはどこかの地方オケでも振りに行くのかと思って全国のコンサート予定を調べてみたが、ほかのコンサートは発見できなかった。ということは、本当にこの 1回のコンサートを振るためだけに来日したものであろうか。もしそうなら、都響を気に入っていなければ実現しないこと。演奏後の彼の動作を見ていると、相当にこのオケを高く評価している様子が伺える。大変相性のよいコンビであると思う。
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最初のハイドンでは当然、古楽的なアプローチが聴かれるかと思いきや、ヴァイオリンの左右対抗配置はいつものようにあったものの、冒頭の序奏の部分から弦楽器はヴィブラートをかけて演奏している。いやその音の実に見事なこと!! このような演奏を耳にすると、演奏スタイルなど大した問題ではなく、要するに、よい音楽とそうでない音楽があるだけだと思う。序奏の最後にフルートが響いて鮮やかな主部に入ると音楽は一層充実度を増し、音楽はさらにその先へ。その演奏の素晴らしさは、思い出しても身震いするほどだ。そうして、全休止のあとまたフルートがオケを始動する。その呼吸の素晴らしいこと。正直、聴いているうちに私は何か空恐ろしい感じすらして来た。この曲はハイドン円熟期の傑作のひとつで、いわゆるロンドン・セットという最後の 12曲の交響曲のうちでも、最後から 3番目のもの。あだ名がついていないため、あまり知名度が高くないかもしれない。しかし、疾走感とユーモアに溢れた、いかにもハイドンらしい曲であり、オケにとっては水際立った技術を披露するにはうってつけだが、うまく流れないとかなり悲惨なことになりかねない。ここで私が思い出すのは、この都響のいわば「中興の祖」ともいうべき実績を残した指揮者、若杉弘が、1986年に都響の音楽監督に就任したときに、オケのレパートリーにとってのハイドンの交響曲の大事さを強調していたことだ。その若杉自身も時折ハイドンを採り上げていたが、正直なところ、当時の都響と今の都響とではあらゆる点で違いがある。そう思うと、過去 30年のこのオケの進化には目覚ましいものがあることに改めて思い至る。隅々まで清冽な音で全曲を振り終えたミンコフスキは、まずはフルート、そして木管奏者たち、加えて金管奏者たちまで起立させた。また、見事なソロを聴かせたチェロ奏者にも最大限の敬意を表していたのである。

休憩後のブルックナーは、前回彼が採り上げた第 0番に続き、今回は第 3番。しかも、珍しい初稿による演奏だ。ブルックナーの版の問題は非常に複雑で、正直、私もよく理解していない。だがこの曲の場合には、初稿、第 2稿、第 3稿とあるものの、多くは第 3稿による演奏で、初稿は (第 4番、第 8番の初稿と並んで) ほとんど演奏されないものと整理している。その珍しい初稿によってブルックナー全集を初めて録音したのが、現在この都響の桂冠指揮者であるエリアフ・インバルだ。私も学生時代にこのインバルの録音を衝撃をもって聴いた口だが、この 3番の場合、そもそも曲想に野性的な面があるため、その聴き慣れない版ゆえの衝撃もひとしおであったのを覚えている。こんなジャケットであった。
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そのインバルは日本では、1989年にベルリン放送交響楽団 (現在のベルリン・ドイツ交響楽団) を指揮してこの 3番の初稿を実演で披露し、私も聴きに行ったものである。その後彼は都響でも同じ版を演奏したはずだが (1997年)、そのようなインバルの努力にもかかわらず、この曲のこの版は、日本ではそれほどポピュラーになることなく今日に至っている。録音では、ロジェストヴェンスキー、ティントナー、そして先日読響を指揮したシモーネ・ヤングらによるものがあるが、多分世界的にも未だポピュラーとは言えないだろう。ブルックナー・ファンは既にご存知の通り、この曲は「ワーグナー」交響曲と呼ばれることがあり、それは、ブルックナーが憧れのワーグナーに初めて会ったときに 2番と 3番のスコアを見せ、「トランペットで始まる方」、つまりこの 3番がよいと誉められたため、感激したブルックナーはこの曲をワーグナーに献呈したことによる。私は個人的には、あの尊大なワーグナーが本当に当時無名のブルックナーの交響曲のスコア 2曲に目を通したか否かは疑問に思わないではないのだが (笑)、いずれにせよ、このことによってブルックナーが受けた刺激により、音楽史は、前代未聞の神秘性に入って行くブルックナーの後年の交響曲を得るに至ったとは言えるのではないか。これが、バイロイトにおけるこの 2人の作曲家の出会いをシルエットで描いたもの。
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それから、この第 3交響曲に関しては、初演 (第 2稿による) の際にブルックナー自身がウィーン・フィルを指揮したものの、多くの聴衆は理解できずに演奏の途中で帰ってしまったが、最後まで残って拍手を送ったのが、当時ウィーンでブルックナーの弟子であったグスタフ・マーラーであったというのも、有名な逸話である。さてこの初稿、私も今回久々に耳にしたが、後の版では削除されてしまったワーグナー作品の引用があるという。なるほど、確かに「ワルキューレ」や「タンホイザー」に近い音響を確認することはできたが、これはそのままの引用ではなく、いわばオマージュのようなものだろう。よく指摘されるように、ワーグナーとブルックナーは、その創作指向は (分厚い音を鳴らす以外には) 共通点はほとんどなく、ワーグナーは交響曲をほとんど書かなかったが、ブルックナーはオペラを 1曲も書かなかった。だから私はこの曲が「ワーグナー」と呼ばれることをあまり意味あるとは思っていない。それよりも、この曲でブルックナーがまさに音楽史において前代未聞の境地に入っていったこと、それこそが意味あることだと思うのである。従って、初稿によってこの曲を聴くと、その突然の全休止や、とりとめなく響く頻繁な楽想の変化、そして聖なるものと俗なるものの混在に、実に野性的なものを感じるのである。後年に至っての改編により、音響が整理された第 3稿が、私にとっては大いに耳に馴染みがあるので、この初稿を聴いてみると、メロディや曲の大まかな流れには後の版とほぼ同じであるのに、細部のメリハリや展開の説得力においては、不満が多いという印象が正直なところ。だがそれゆえにこそ、今回のようなミンコフスキと都響のような、隅々まで充分に音が鳴った演奏で聴くことで、ブルックナー本来の音楽というものに迫ることができるのだと思う。オケ全体による大音響の爆発力から、そこに浮かぶ木管の呼吸のよさ、また、後の稿にはない弦楽器の細かい音型の掛け合いに至るまで、どの場面にも演奏家たちの明確な意志が見える。そして終楽章の大詰め、後年の版ではさらに周到に設計されたクライマックスが、ここでは意外とあっさり終わるまで、ミンコフスキはそのずんぐりむっくりしたブルックナーそっくりの体型で必死に棒を振り、全身全霊をもってこの曲を終えたのである。そうして私は、上記の初演のときのエピソードを思い返していた。当時はウィーン・フィルでさえ、オケの技量は曲の真価を明らかにするには充分ではなく、また楽員の曲への理解も浅かったであろう。それに比べて、150年近く経過した今、極東の街に響くこの曲の初稿が、これだけのクオリティを持ち、またそれを聴いた聴衆たちも大喝采を送っている。これは文化の伝播であり進展である。恐らくミンコフスキも、これまでの 3回の都響との共演で、そのことを実感しているのではないか。であれば、今後も是非頻繁に来日し、その素晴らしい手腕を聴かせて欲しいものである。マルク・ミンコフスキ。文化に関心のある方々には覚えて頂きたい名前である。
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by yokohama7474 | 2017-07-11 01:09 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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