ハクソー・リッジ (メル・ギブソン監督 / 原題 : Hacksaw Ridge)

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つい最近このブログでご紹介した映画、「ブラッド・ファーザー」は、現代の名優メル・ギブソン主演のなかなか素晴らしい映画であったが、これは同じメル・ギブソンが監督としてメガホンを取った作品。もちろん彼は映画監督として高い名声を誇っていて、中でもアカデミー作品賞、監督賞ほかを受賞したスコットランドの独立運動の壮絶な物語「ブレイブハート」(1995年) は、見る者皆を圧倒する傑作であった。その後も「パッション」(2004年)、「アポカリプト」(2006年) という作品を監督したが、この映画は前作から 10年を経て彼が世に問う作品である。予告編で明らかであったことには、これは戦争映画であり、なんでも、武器を持たずに戦場に出て、傷ついた仲間たちを救った男の物語。驚くべきことに、実話に基づいているという。これは、私の席の隣のオジサンならずとも、是非に見るべき作品だと思って見に行ったのであるが、想像通り、いやそれ以上に重い内容の映画であり、これを見てしまうと、しばらくは虚脱感に見舞われて何もする気にならない人がいてもおかしくないと思うくらいである。これが昨年 9月にヴェネツィア国際映画祭で記者会見に臨んだギブソン。当時 60歳にしては皺が深くて、私が以前「ブラッド・ファーザー」の記事で彼の顔について書いた、「この皺はメイクだろう」という推測は、実は間違っていたようだ。
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この映画のタイトルの意味であるが、Hacksaw は弓状のノコギリのこと。Ridge は尾根のこと。つまり、ノコギリ状に切り立った断崖のことを指している。この写真は、左が実際のハクソー・リッジ。右が映画の中のハクソー・リッジ。
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映画の舞台は、このような断崖を登って攻める米国軍である。時代はどうやら第二次大戦中であるので、戦っている相手は当然日本軍であり、つまり戦いの舞台は太平洋のどこかだ。では、このハクソー・リッジなる断崖は、太平洋のどこにあるのだろう。フィリピンかサイパンか。いやいや、答えは沖縄。この映画は、沖縄戦に関する逸話を扱ったものであったのだ。沖縄戦と言えば、もちろん私たち日本人にとっては、終戦間際の追い詰められた状況での、多大な犠牲を出した凄惨極まりない戦いとして、常に痛恨の思いとともにある戦い。そんな戦いにおける米国軍を描いた映画を、果たして冷静に見ることができるであろうか。

ハクソー・リッジとはもちろん米兵のつけた名前であり、日本名は前田高地。首里城の北側であり、現在は浦添市というところにある。この前田高地の絶壁自体はその後の開発か何かで、現在は既に削られてしまっているようだが、ネット検索すると、沖縄戦の戦跡として訪れる人も結構いるような場所なのである。沖縄戦の悲惨なイメージからすると、日本軍の防御は米国軍 (いや、実際には連合国軍だ) によって軽々と突破されたのかと勝手に思っていたが、そうではなく、追い詰められた日本軍の攻撃は非常に激しくて、前田高地の攻略にあたり、連合国軍は何度も撤退を余儀なくされているのである。主人公デズモンド・ドスが現地に到着したとき、「6度攻めて 6度退却した」というセリフが出て来る。ということはつまり、連合国軍側にも多くの犠牲が出た戦いであったわけだ。そのことがこの映画を理解する大前提となる。どんな戦いにも勝者がいて敗者がいる。だが、勝者の場合にも、そこには必ず死者がいて負傷者がいる。そしてその死者たちや負傷者たちには、それぞれ家族がいて、かげがえのない生を送ってきているのである。いつの時代にも絶えることがない戦争の悲惨さの本質はそこにあるのだということを、この映画は仮借ないリアリティを持って描いているのである。
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主人公ドスは、その信仰上及び個人としての信条から、戦場に赴いても武器を持つことなく、衛生兵として傷ついた戦友たちを救うことを自らの使命にすることを誓う。だが軍隊の訓練においては、銃器を持たないことなど、兵士として許されるわけもない。ドスは周辺や上官からのいじめや罵りに耐え、軍法会議すらも思わぬ助けによって切り抜けて、本当に武器を持たない衛生兵として戦場に赴くのである。映画の前半では、ドスの幼少期に始まり、家族の間の微妙な関係や、ひとめぼれしてプロポーズする看護師との愛情が描かれ、これは実にテンポよくまた無駄がなくて、見ているときにはそれほど重要とは思わなかったが、今思い返してみると、ドラマの流れの中で必要な情報をきっちりと伝えている必要不可欠な部分であったのだ。もしこのようなシーンがなければ、ドスの戦場での行為は単なる美談としてしか描きようがないが、彼の人間としての弱さや家庭の事情、過去のトラブルといった要素が前半に描かれるからこそ、この映画のメッセージの重さ、つまりは人間は決して聖人君主ではないが、いくつかの条件が揃うと、想像もできないような勇気ある行動も取ることができるのだ、ということが理解できるのである。私としては、この前半部分があるゆえに、この映画は傑作であると言いたいのである。これはプロポーズするドス。
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そして後半には、とても正視できないような地獄絵図が延々展開する。上述の通り、ここでは敵が日本軍であることもあり、この戦場のシーンに嫌悪感を持つ人がいてもおかしくないだろう。実際、ここでの日本人は、獰猛であり姑息であり、攻撃を受けない建物の中では場違いなほどくつろいでいたり、一方で敗北を認めると自ら腹を切る、異様な人種として描かれている。その意味では、日本人はここでは米国人から見た「敵」という遠い存在という性格を明確に持っているのである。だが、それでも私は、それをもって日本人がこの映画の価値を低くみるとすれば、かなりもったいないことだと思うのだ。実際のところ、銃弾が縦横に飛び交い、鮮血と肉が激しく飛び散る戦場で、傷ついた味方を助けて避難させるという行為は、これはもうなんとも虚しい行為であるとしか言いようがない。そもそも大多数が死んで行く中で、ごく少数の命を救うことは、それだけで徒労に近い行為とも言えよう。たとえ発見したときに息があっても、次の瞬間にはその息は途絶えているかもしれないし、死ぬ運命の人を助けている間に、より生き残る可能性の高い人が苦しみ続けているかもしれない。あるいは、懸命に担いで救助している途中で、助けている仲間も自分自身も、敵に撃たれて死ぬかもしれない。そのような途方もない徒労感を表すには、敵が敵として脅威の存在である必要があり、何よりも、戦場で戦っていた兵士たち自身がそのように敵を見ていたであろうから、ここでの日本兵たちは、飽くまでそのような「敵」である必要がある。この映画が提示しているのは、だが、敵である日本兵を憎む感情では決してなく、敵も味方も悲惨な状況に陥ってしまうそのどうしようもなさ、つまりは、歴史が人間に強いる抗えない残酷な運命であろう。それゆえ彼が結果として実に 75人の味方の命を救ったという事実は、爽快感としてではなく、徒労感の果ての重い感動として、見る者の胸に迫る。尚、この映画では CG はほとんど使われておらず、爆発シーンは本物の火薬によるものらしい。
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このような役を演じる役者には、ヒーローを演じる力だけでなく、人間的なリアリティを出せる独特の個性が不可欠だ。ここでメル・ギブソンが選んだのは、つい先ごろの「沈黙 - サイレンス -」での熱演も記憶に新しい、アンドリュー・ガーフィールド。もちろん出世作は、「アメイジング・スパイダーマン」の 2作であるが、本当にいい役者に成長したものである。命を奪うためではなく、命を救うために戦場に赴き、途方もないことをやってのけた実在の人物を、このようなリアリティで表現できるとは、素晴らしいことだ。
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ひとつ興味深い偶然がある。彼の前作「沈黙 - サイレンス -」は、悲惨な状況においても敬虔な信者の前に姿を現さない神の「沈黙」をテーマにしたものであったが、実はこの「ハクソー・リッジ」においても、主人公ドスが、この悲惨な戦場において同じような感情に囚われるシーンがあるのである。違うところはその先で、ここでのドスは神の沈黙を跳ねのけるように、狂気とも思える戦場での奔走にその身を捧げるのである。

この映画ではまた、父親役のエージェント・スミス、あ、違った、ヒューゴ・ウィーヴィングや、上官役のサム・ワーシントンなどの役者がそれぞれの味を出していて素晴らしい。妻役のテリーサ・パーマーは、まさに映画における紅一点である (あ、ドスの母親役もいるが・・・)が、目立ち過ぎず、よい存在感である。「聖杯たちの騎士」にも出ていたようであるが、あまり覚えておらず、申し訳ありません (笑)。
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それから、エンドタイトルを見ていて気付いたのは、"In memory of" (つまり、この映画によって追悼の意を捧げる故人) として 2人の名前が出ていたが、そのうちのひとりがジェームズ・ホーナーであった。彼は現代ハリウッドの映画音楽の大家であったが、2015年に 61歳で死去した。自ら操縦していた飛行機の墜落によるもので、私も当時、その死に驚いたものであったが、改めて、彼が音楽を提供した映画のリストを見ると、本当に多彩で素晴らしい。中でもメル・ギブソンとのかかわりは、「ブレイブハート」「アポカリプト」の 2本の監督作に加え、「身代金」のような出演作もある。その他、この映画の出演者であるサム・ワーシントンの出た「アバター」や、アンドリュー・ガーフィールドの出た「アメイジング・スパイダーマン」も含まれている。ホーナーの映画音楽は、例えばジョン・ウィリアムズのように誰の耳にも残るメロディは少ないかもしれないが、間違いなく、現代ハリウッドの映画作りの重要なパートを担った人物であった。私のようにオーケストラ音楽が好きな人間は、映画のタイトルに音楽担当として彼の名前が出て来ると、ワクワクしたものであった。この映画とは直接関係しないが、文化逍遥の一環として、ここで彼の写真を掲げておこう。
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さて、上で触れた通り、昨年のヴェネツィア映画祭でメル・ギブソンはこの作品に関連した記者会見を行ったが、そこでは大変興味深い発言が見られるので、少しだけ要約・引用しよう。

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すべての能力のカギとなるのは、緊張を解いてくつろぐことだ。年齢と共に人は退屈していくから、リラックスする必要がある。自分の受け持つ領域を知ることだ。それが上手くいけば、良くなることができる。だがいつでもそれが起こるわけではなく、時には悪い方向に大きな一歩を踏み出してしまうこともある。私がそうだった。何か良いことをして、その後なぜか、良いとは言えないことをする。多分それが人生なんだ。

スクリーン上で戦闘シーンを描くときに大切なことは、明確であること。混乱しないようにすることだ。混沌と混乱の印象を与えるが、観客に見せたいもの、そして一連のシーンから何を取り出したいのかを、絶対的に明確にしなくてはならない。これが映画監督のすべてだ。演者が誰であるかを知ること。スポーツ競技のように取り組む必要がある。
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前段は自らのそれと照らし合わせた人生における哲学、後半は映画監督の技術的な側面について語っている。内容は対照的ではあるが、いずれも虚飾のない、素晴らしい言葉ではないか。このような言葉を発することができる人であるから、これだけの内容の映画を作ることができるのである。是非近いうちに次回作を撮ってもらいたいものだと願わずにはいられない。

by yokohama7474 | 2017-07-13 23:37 | 映画 | Comments(0)
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