バーンスタイン作曲 ミサ 井上道義指揮 大阪フィル 2017年 7月15日 大阪・フェスティバルホール

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20世紀の最も偉大なる音楽家のひとり、レナード・バーンスタインは 1918年生まれ、1990年没。ということは、来年生誕 100年を迎えることになる。指揮者として最も知られているであろうバーンスタインは、もちろん作曲家でありピアニストであり、教師であり、またヒューマニズムの観点における活動家でもあった。このブログで音楽を扱うときには基本的に現在活動している音楽家の演奏を採り上げているので、既に死去してしまった偉大な音楽家について語ることは、いわば何かのついでということになってしまっている。実はこのブログの開設の際、記事のカテゴリーとして「音楽 (Recorded Media)」というものを作り、過去の音楽家が残した遺産についても、随時述べて行くことにしようとしたのであるが、率直なところ、とてもそんな記事を書いている時間がない (笑)。なので、残念ながら今に至るもそのカテゴリーの記事はゼロなのであるが、その代わりと言っては語弊があるものの、思いつくまま文化の諸分野を放浪することを旨とするこのブログでは、話のついでにバーンスタインの業績に触れるようなことがあると、時々暴走してしまうのが常なのである (笑)。それほど私にとってこの音楽家の存在は大きいということなのであるが、そんな私が聴き逃すわけにはいかない公演がこれなのであった。絶好調の井上道義が、手兵である大阪フィル (通称「大フィル」) を指揮して、バーンスタンの問題作、ミサを演奏する。幸いなことに土曜日の公演があったので、大阪まで聴きに行くことができた。これは壮年期のバーンスタインの写真。
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さて、作曲家バーンスタインが好きな人でも、このミサの実演を耳にした人はあまり多くないのではないか。かく言う私も実演では初めて体験することになる。調べてみると、日本初演は名古屋のグリーン・エコーという合唱団が 1975年に果たしていて、その後も 1978年、86年に再演されているとのこと。また、今回の指揮者井上道義自身、1994年に京都市交響楽団を指揮して一度演奏しているらしいが、私はそのいずれも体験していない。ただ曲自体はよく知っていて、大学に入った頃に何かの本で、「ロックバンドも入った型破りなミサ」であるということを知り、大学在学中には、初演と相前後して録音された作曲者自身による演奏に随分と親しむこととなった。特に冒頭間近の「シンプル・ソング」は今でも時々ふと口ずさむ、私にとっては長年に亘るお気に入りの曲 (2016年 6月 4日の映画「グランドフィナーレ」の記事ご参照)。もちろん、このミサの全曲を通して聴いてみて、さながら「アンチ・ミサ」とも言うべき内容に、大きな衝撃を受けたことは言うまでもない。そう、このミサは、まさに型破りで、通常のラテン語のミサ曲の歌詞を使いながらも、バーンスタインの自作の英語の歌詞も様々な歌手によって歌われ、ロックやブルースなどがあちこちに登場し、バレエや児童合唱もという曲なのである。冒頭に掲げたチラシに「これはオペラかミュージカルか」とある通り、通常のミサ曲の範疇に入る曲ではない。もっとも、「オペラかミュージカルか」という題目は、バーンスタインのほかの作品、例えば「ウェストサイド物語」や「キャンディード」についても言われることである。だがこの曲はキリスト教の典礼であるべきミサであって、そのような宗教曲に対して、あろうことかオペラかミュージカルかという同じ疑問が呈されること自体が異常なのである。作曲者自身はこの曲を「歌い手、演奏家そして舞踊手のための劇場用作品」と銘打っており、1971年 9月にワシントン DC のジョン・F・ケネディ・センターのオープニング記念として初演されたもの。実際に舞台に接してみて実感するのは、これは予算的にも内容的にも、上演至難な作品である。2,700人収容の大阪のフェスティバルホールはほぼ満席の大盛況で、多くのファンの関心を引いたことが分かる。尚、Youtube では、今回指揮のみならず演出も請け負った井上道義のインタビューや、大変興味深い熱心なリハーサル風景なども見ることができる。
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要するにこの曲のどこが衝撃的かと言うと、本来は神を称える曲であるべきミサの中に、神への信仰に疑問を抱く人々があれこれ出てきて、不信心な、だが生活感のこもった率直な歌や、なんともだらしない歌や、あろうことか卑猥な歌まで歌ったりして、ミサを執り行おうとする司祭の邪魔だてをする。そしてその司祭自身、最後にはなんたることか儀式用の杯を床に投げて粉々に砕き、祭壇の覆いもはがしてしまい、床に転がって神への不信を呟くのである。この曲の真価を理解するには、芸術家バーンスタインを知る必要があり、また当時の社会情勢を知る必要があるだろう。1971年と言えば、ニクソン政権下、米国はヴェトナム戦争の真っただ中。ヒッピー文化真っ盛りである。私の手元の自作自演 CD から、初演当時の舞台の写真 (ジャケット写真を含む) を何枚かご紹介する。時代の雰囲気が明らかであろう。
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この曲は 17曲から成り、上演時間は正味 2時間もあるのだが、今回の演奏では、第 9曲の後に 20分の休憩が置かれた。開始部分ではオケのチューニングの音すら聴こえず、一旦完全に暗転したかと思うと、照らされたスポットライトの中、司祭役のバリトンの大山大輔が登場して、ジュークボックスにコインを入れる。そうすると、テープに録音された 4人の独唱者による「キリエ・エレイソン」(これを含むテープの部分は、もしかすると初演時と同じ古い録音なのかなと思ったが、さてどうだろう) が、それぞれに全く違った調子で流れ始める。そのあと司祭がギターを持って「シンプルソング」を歌うのであるが、ふと気づくと指揮者の井上は、そのときにはオーケストラ・ピットの中で指揮をしている。そのあと行進曲とともに木管・金管奏者が入ってきて、ピット内ではなく、ステージ左右に陣取る。また、ロックバンドとブルースバンドもその奥、ステージ上に配されている。私の席からはピットの中は見えなかったが、そこにはつまり、弦楽器奏者と打楽器奏者しかいなかったということになる。井上自身による演出はなかなかに凝ったものであり、曲の持つ特殊性をかなり明確に出す大胆なものであったといえようが、さすがに指揮者自身による演出だけあって、音楽的に無意味な行為は何もない。それに輪をかけたのが日本語字幕。これも井上自身によるもので、かなり砕けていながら語感もよいもの。例えば原詞で "no no no!!" とある部分には「何なのののの」という具合。私は以前、もう 15年以上前だが、井上の指揮する東京交響楽団でオルフの「カルミナ・ブラーナ」を聴いた際、同じように井上自身担当した訳詞を見ていて、そのときも音楽の流れと語感に乗っ取った、面白いものであったことを思い出した。いやそれにしても、リズム感といい抒情といい、井上の指揮はまさに自由自在。この曲の真価を引き出してみせる見事な統率ぶりであった。

歌手ではもちろん、司祭を演じた大山大輔が最大の功労者であろう。昨年のミューザ川崎でのジルヴェスター・コンサートでは、井上とよいコンビで客席を沸かせていたが、ここでも堂々たる歌唱。ただ、オペラ的発声を求められない箇所がほとんどであり、時にはもっと遊びがあってもと思うこともあったが、最後の場面の熱唱には大いに感服させられた。ラテン語で英語で、時には日本語で、あるいはヘブライ語まで、歌に語りにと、縦横無尽である。
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さて、この曲に多く登場する歌手たちは、二期会や藤原歌劇団の人たちが多かったが、驚くのは、小川里美や小林沙羅といった、このブログでも過去に何度か名前に触れている日本一流のソリストも、いわゆるストリート・コーラスの一員であるという贅沢さ。このようなリハーサル風景で、その贅沢な布陣による熱心な準備状況が理解されよう。実際、大変複雑な構成を持つこの曲のアンサンブルは、実に見事であった。そういえば、今回舞台に立った歌手の皆さんは、ソリストであれ合唱団であれ児童合唱であれ、全員が暗譜。演奏会形式ではなく、完全にオペラ的な上演であったとも言える。
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因みに今回の上演は、ラテン語の典礼文以外には基本的にはほぼ英語であったが、一部は日本語での語りや歌唱もあった。語りの部分は確かに日本語の方がよいだろうが、歌についてはどうだったろうか。原文歌詞を再チェックしていないのだが、英語ではかなり韻を踏んでいる部分があるはずで、そのような箇所は意味だけ同じ日本語にしても面白くないので、日本語にしてみたということかと想像している。それほど不自然でない感じで言葉の切り替えがなされており、日本での、そして大阪での演奏ということで、歌詞が大阪弁でも大いに結構なのである (笑)。ところで、井上自身による字幕で、「連祷 レント リタニ」という部分があって、きっと多くの方にとっては ??? であったと思うが、そのネタについては、やはり井上道義が指揮をした演奏会についての、この記事をご参照下さい。
http://culturemk.exblog.jp/25242824/

それから、大阪フィルハーモニー合唱団によるコーラスも見事なら、キッズコール OSAKA による児童合唱も見事。ボーイソプラノの込山直樹も、あれだけの大舞台をよくぞ緊張せずに歌い通したものだと思う。終演後のカーテンコールでは、まず最初にマエストロ井上がピットの中を奥に進み、ステージ下に辿り着くと客席の方を向き、よっこらしょとステージに腰かけるかたちとなったと思うと、斜め後ろにでんぐり返しをするような恰好でステージ上に身を置いて、すっくと立ち上がったのである!! 既に 70歳とはいえ、もともとバレエダンサーであった人であるから、それほどは驚かないが、それにしても尊大な指揮者なら、そんなことをしないだろう。そして歌手の挨拶が一巡した際、なぜか肝心の井上の姿が見えないと思ったら、なんと、コンサートマスターの崔文洙以下、大フィルの弦楽器と打楽器のメンバー全員をステージ上に誘導しているところだった (笑)。このあたりもこの指揮者の持ち味が出て、充実した公演に花を添える楽しいパフォーマンスであった。あ、それから、今回の公演には、バーンスタイン晩年の愛弟子である佐渡裕の名が、「ミュージック・パートナー」としてクレジットされている。このように、リハーサルにも参加していたようだ。
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さて、最後にもう少し、この作品について語りたい。この演出を見て明らかであるのは、主役の司祭はバーンスタインその人だということだろう。彼は最初の方ではスコアを見ながら何やら書き込みをしているし、音楽に合わせて指揮もしている。民衆の前で説教するのは、あたかも学生や聴衆の前でレクチャーするがごとくであり、そして最後、祭壇の覆いが取れてしまうと、そこにはピアノが現れるのである。作曲者であり指揮者であり教育者でありピアニストであったバーンスタインの姿を想像することは容易であった。私もきっと、この曲を書いたときの彼には、司祭と自分を一体化して考えるという気持ちが働いていたのではないかと思う。帰宅してから、手元にある何冊かのバーンスタインの伝記を引っ張り出してみて、このミサについての記述をざっと見てみたが、ジョーン・パイザーの「レナード・バーンスタイン」という本には、「この作品がバーンスタイン自身を題材にしていることに気がつけば、多くの謎が氷解する」という記述があって興味深かった。1987年に書かれたこのパイザーの本は、バーンスタインの同性愛癖について暴露する内容を含むもので、当時大変センセーショナルな話題になったものだが、私は 1990年 (つまりバーンスタインの没年) に日本版が出たときにすぐに買って読んだ。内容には確かに衝撃的な部分もあったが、あまりにも巨大なバーンスタインという芸術家の本質に迫る、渾身の伝記であると思ったものだ。今回は図らずもそのことを再確認することとなった。
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ここでの司祭がバーンスタイン自身の似姿であるという前提に基づいて考えると、強く再認識できることがあった。よく、「彼はマーラーと自分を重ねていたが、指揮者としては最高の存在でも、作曲家としてはマーラーのような偉大な存在ではなかった」ということが言われるが、果たしてそうであろうか。マーラーは、世紀末ウィーンの文化の中で、世界苦を抱きながら新奇な音響を開拓した。一方でバーンスタインは、米国という、軍事や経済で世界をリードしながらも歴史の浅い国において、その米国ならではの音楽を創ろうとしたのではないか。巨大オケをドラマティックに使って、あるいは前衛の流れに乗って、新奇な曲を書こうとすればきっと彼にはできたであろう。だが彼が創作したかった世界はそんなものではなく、米国という、多くの人々が暮らすつぎはぎの国における、理念であったり正義感であったり、平易さへの指向であったり大衆性の許容であったり、あるいは現実への絶望感であったのではないか。彼の音楽にはどれも、ヨーロッパ音楽の模倣はない。ひとつの特徴は例えば、この「ミサ」における「シンプル・ソング」。ここにはガーシュウィンやコープランドや、あるいはバーバーやウィリアム・シューマンに共通する情緒と静謐さがある。これは紛れもなくアメリカ音楽であるのだ。そのことの意義は、今後ますます認識されるのではないだろうか。それから、ひとつの切り口として、この「ミサ」と奇妙な共通点のある曲を 2曲挙げたい。ひとつは、ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」である。それはもちろん、ラテン語の歌詞と英語の歌詞の混淆、あるいはバンダの活用という点が最大の理由であるが、作曲者の同性愛指向という点でも奇妙なつながりがある。バーンスタインの生涯最後のコンサートには、そのブリテンの「ピーター・グライムズ」からの 4つの海の間奏曲が入っていたことも、何か不思議な縁を感じさせるのである。もうひとつの曲は、シェーンベルクの「モーゼとアロン」である。このオペラは第 3幕が未完成に終わったが、第 2幕の終盤には「黄金の子牛の踊り」があり、人々の熱狂がある。この「ミサ」の終盤における人々の狂乱と、どこか似ていないか。「ミサ」のその場面は、「アニュス・デイ」、つまり「神の子羊」であって、子牛と子羊という点も面白い (笑)。よく考えてみると、バーンスタインが指揮したシェーンベルクの作品は、聴いたことがない。同じユダヤ系であっても、その音楽作りの美学は大きく異なっていたわけである (十二音音楽を評価しないのは分かるが、初期の「浄夜」など、当然演奏してしかるべきだったと思うが)。だが、ウィーンに生まれて後年米国に移住したシェーンベルクと、米国に生まれて後年指揮活動の中心をウィーンに置いたバーンスタインとは、奇妙なコントラストを成しているではないか。両方とも、ただの偶然であるかもしれないが、歴史には時折、奇妙な偶然というものがある。そのような偶然を通じて、これらの歴史的作曲家の間に存在する共通点と相違点を認識するのは、大変意味のあることだと思うのである。

などと、想像の翼はこれからもまだまだ広がって行くものと思うが、ともかく今回の上演は、いずれまた是非再演を期待したい。今回は第 55回大阪国際フェスティバルの一環としての公演であったので、同フェスティバルの主催者である朝日新聞 / 朝日放送が、かなり資金援助しているのだろう。実は「ミサ」の中で司祭が、アドリブで人の名前を挙げて神の加護を願う場面があるのだが、今回は確か「大フィルさん、朝日さん、大植さん、ミッチーさん」と言っていた (笑)。・・・と書いてから思ったのだが、この流れだと、「朝日さん」と聞こえたのはもしかして「朝比奈さん」だったのか??? つまり、朝比奈、大植、井上 (ミッチー) とは、歴代の大フィルの音楽監督であるからだ。・・・まあともあれ、神のご加護によりさらなるスポンサーが見つかり、東京でも再演となることを祈っております。"Let us pray!!"

by yokohama7474 | 2017-07-16 03:10 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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