残像 (アンジェイ・ワイダ監督 / 英題 : Afterimage)

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前回の記事で採り上げた「セールスマン」は、いくつかの劇場で公開されたが、最後は Bunkamura ル・シネマのみでの上映となってから終了した。一方この映画は、正真正銘、最初から単館ロードショーであり、しかも上映終了は今日、7/28 (金)。これはさすがにギリギリでのご紹介で、大変に申し訳ない。だが、ちょうど今日は、日本政府が旗振りするプレミアム・フライデーである。最後の上映に間に合うかもしれないではないか!! もしこの記事をご覧になって劇場に走る方が一人でもおられれば、ブロガー冥利に尽きようというもの。是非そうあって欲しいものである。さてそれではこの映画を上映している劇場はどこか。答えは、神保町の岩波ホール。なるほど、長らく存続している芸術映画のメッカである。昔は同様の芸術系映画の単館ロードショーを行う劇場は幾つかあったものの、もう今ではこの岩波ホールくらいになってしまった (上記の Bunkamura ル・シネマは、そこでしか見られない作品の上映もあると思うが、すべての作品が単館上映というわけではない)。なので、この岩波ホールの硬派さは、現代において非常に貴重なのである。だが、かく言う私も、最近この劇場に足を運ぶ機会がめっきり減ってしまった。学生時代はなんといってもルキノ・ヴィスコンティの映画はこの劇場の独壇場であったし、ブニュエル、タルコフスキー、あるいはアンゲロプロス、ベルイマン、そして、そうだ、アンジェイ・ワイダ。この映画「残像」も、昨年 10月に 90歳で亡くなったポーランドの巨匠監督で、日本でもよく知られたアンジェイ・ワイダの遺作なのである。岩波ホールで見るには、まさに恰好の芸術映画であると言えるだろう。岩波ホールの壁には、開場した 1974年以降ここで上映された映画のチラシがすべて貼ってあって壮観である。
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この映画は、実在のポーランド人アーティスト、ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキが、第二次大戦後のスターリン時代に反骨精神を発揮し、様々な苦難に遭遇して壮絶な人生を送るという内容。実際のところ私は、特に熱心なワイダ・ファンではないものの、90歳、全く死の直前にしてこれだけの力作を作ったこの監督の力量と情熱に、完全に脱帽である。これはただものではない映画なのである。これが実在のストゥシェミンスキ (1893 - 1952) の肖像。
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そしてこれが、ポーランドの映画スターであるらしいボグスワフ・リンダの演じるストゥシェミンスキ。
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一見して分かることには、本人の写真にも役者の写真にも、左手は映っていない。また、役者の写真では松葉杖が映っているのである。実はこの画家、左手右足を失っているのである。その理由について劇中では多くは語られず (画家本人が語りたがらないという設定)、詳細は不明ながら、劇中のセリフによって、第一次大戦に従軍した際の負傷によるものだと判明する。このようなハンディが事実である以上、作中でこの設定がいかなる意味を持っているかを検索する意味はあまりないものと思うが、彼の芸術家としての矜持、また不屈の闘志が、背負ったハンディを生きる活力に転化せしめていたということだろう。私は寡聞にしてこの作家の作品を知らなかったのであるが、どうやらこのような鮮やかな色遣いの、ちょっとバウハウスの潮流を組むような前衛性を帯びた作品を制作したようである。また、劇中でも触れられる通り、離婚した妻もまた芸術家であり、共同製作なども行っていたらしい。
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映画では、スターリン体制下において、今となっては悪名高い社会主義的リアリズムを強制される芸術家たちの中で、頑として自らの信念を変えることなく制作を続けたストゥシェミンスキの姿が描かれている。主役であるボグスワフ・リンダの熱演によって、ストゥシェミンスキの激しい闘いが非常にリアルに描かれていて、圧巻である。実際、ワイダが 90歳を迎えても、これだけ破綻のない映像の蓄積を行う手腕を持っていたことは驚異的だ。ここにはいくつもの印象的なシーンがある。例えば冒頭ではこんなのどかな風景の中で、ストゥシェミンスキが学生たちを教えているのであるが、ここに登場する女性の紹介の仕方によって、その女性のその後のストーリー展開における重要性が理解できるし、また、この後ストゥシェミンスキが見せる思わぬひょうきんな行為から、いかに彼が学生たちに慕われているかが示されるのである。鮮やかな手腕ではないか。
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この映画は、見ていて決して楽しいものではなく、むしろスターリン時代の共産圏に存在した息詰まるような陰鬱さと、人々が生きるために取らねばならなかった手段の様子から、何か常に重いものを感じながらの鑑賞となる。だがしかし、上記の戸外のシーンを含め、主人公の人間性の発露に触れてほっとする部分もあって、決して陰鬱さ一辺倒ではない、複雑な味わいがある。例えば主人公の娘ニカは、決して可愛らしさがないわけでなく、性格も悪いわけではないのだが、両親の離婚というつらい環境において、自分を過度に主張することのない、陰のある女の子になっている。彼女はまた、相当な父思いの娘ではあるものの、父に甘える術を知らないかわいそうな子で、父に思いを寄せているらしい女性の学生の様子を見て、突発的な行動に出たりもする。2002年生まれのブロニスワヴァ・ザマホフスカは、実際の両親ともに俳優らしく、その若さに似ない成熟した演技を見せている。ワイダの遺作にこれだけ重要な役で出演したことは、きっと今後の彼女の役者人生において大きな糧となるだろう。
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平和な日本に住む我々は、もちろん様々なレヴェルの問題を抱えた社会に身を置いているとは言えるものの、この映画で描かれているような、自由闊達な思想や行動を阻む社会で懸命に生きていた人たちの生活を、到底理解できないだろう。舞台がポーランドという、歴史的な悲劇に何度も見舞われた国であればなおさらだ。ヒトラーに蹂躙されたあと、スターリンの統制下に置かれたこの国の国民の真情を、現代日本の我々がどうやって理解できるというのか。だが、この映画のように社会的良心に裏打ちされ、技術的にもしっかりした作品に触れることで、その歴史的事実に対する切実なイメージを持つことはくらいはできるだろう。この映画は、今後長きに亘って人々に強いメッセージを発し続けるはずで、それこそワイダの映画が持つ生命力なのだと思う。願わくば、ポーランドでもほかの国でもよいが、彼の業績を受け継いで行くような社会性の強い映画作家が、今後も出てきますように。いつもは軽口を叩く私も、このような映画の前では厳粛な気分になるのであった。

ところで、この映画のプログラムを見ていると、音楽担当者としてアンジェイ・パヌフニクの名前があった。パヌフニクは私もそれなりに知っているポーランドの現代音楽作曲家であるが、さすがにもう死んでいるはず。プログラムにも、1914年生まれ 1991年没とある。ということは、この映画で使われている音楽はオリジナルではなく、既存のものであろう。私がこの作曲家に出会ったのは既に 35年も前。1982年、ボストン交響楽団が創立 100周年を祝って彼に作品を委嘱し、当時の音楽監督小澤征爾が初演したシンフォニア・ヴォティヴァによってである。この曲は同じ機会に作曲されたロジャー・セッションズの管弦楽のための協奏曲とともに録音され、私の手元には未だにそのアナログ盤がある。
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だが、作曲者がパヌフニクであることは分かっても、劇中に流れるピアノソロや、そこに小編成のオケが絡む音楽 (どうやらピアノ協奏曲か?) や、陰鬱な情緒の弦楽器の曲などは、なじみのないものであった。プログラムにも曲名は記載されていない。そこでエンドタイトルで英語表記があることを期待してよく見ていると、出て来た出て来た。英語で 4 - 5曲の作品名がそこにあり、ひとつは確かにピアノ協奏曲。それ以外に見えたのは「夜想曲」とか「秋の音楽」などのタイトル。そこで帰宅してから我が家の CD 棚を確認すると、あったあった。パヌフニクの作品集が 2枚。1枚はヤッシャ・ホーレンシュタインと作曲者自身の指揮。もう 1枚は作曲者のみの指揮である。この 2枚に、ピアノ協奏曲も「夜想曲」も「秋の音楽」もすべて含まれていた。手元の CD のジャケットの写真を掲げるので、ご興味おありの方は (・・・いないかも 笑)、是非ご参考に。
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例によって映画の本質から離れたところに行ってしまったが (笑)、とにかく私はこれを偉大な映画だと思うので、歴史や文化に関心のある方々には、今回岩波ホールでの鑑賞は無理でも、今後なんらかの方法で、是非ご覧頂きたいのである。そして、パヌフニクの音楽なども聴いてみてはいかがだろうか。岩波ホールが今後も文化的な良心に基づいて貴重な映画を上映して行ってくれることを切に願いながら。

by yokohama7474 | 2017-07-28 00:46 | 映画 | Comments(0)
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