ジャコメッティ展 国立新美術館

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20世紀を代表する彫刻家、スイス生まれでフランスで活躍したアルベルト・ジャコメッティ (1901 - 1966) の大規模な回顧展である。この彫刻家の作品はちょっとした美術館には大概展示されている、というとさすがに誇張かもしれないが、世界のあちこちの近現代美術館でお目にかかる彫刻家であり、その作品は一目見てすぐに分かる。そう、上のポスターにある通り、ひょろ長い人間の姿が特徴なのである。ほかに思い当たる 20世紀の彫刻家というと、ヘンリー・ムーアとかコンスタンティン・ブランクーシがいるが、それぞれに全く違う、それでいてすぐにその作家と分かる明確な個性を持っている。私が記憶する限り、東京ではジャコメッティの個展は近年にはなかったと思う。このひょろ長い人体は一体いかにして生まれてきたのかという秘密に迫る絶好の機会だ。私はもともとこのひょろ長い人体が好きで、小説家ジャン・ジュネが著した「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」という本を随分以前に読んだことがある。面白い本であったが、やはり芸術家を知るにはその作品に触れるのがいちばん。この貴重な機会を有効活用したい。
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展覧会は、初期の作品から始まる。これは 1919年の作品というから、ジャコメッティ 18歳。「ディエゴの肖像」である。描かれているのは、1歳年下の弟。ここでは新印象派のような色遣いが意外である。
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ジャコメッティは 1922年にパリに出て、あの有名な彫刻家、ブールデルに師事する。ブールデルとジャコメッティは、同じ彫刻家といっても全く違うタイプであるので、この経歴は大変に興味深い。もしかすると、ロダン - ブールデル的な彫刻への反発が、彼の作風を決定したのではないかと思われる。当時のパリは前衛真っ盛りで、ジャコメッティもすぐにキュビスムやシュールレアリズムに入って行くのである。これは 1926年の「キュビスム的コンポジション - 男」。未だ彼の個性は現れていないものの、まあこれほどブールデルの彫刻から遠い表現もないだろう (笑)。
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そして同じ頃 (1926-27年) に制作した「女 = スプーン」。上の男と比べると随分簡単な形象であるが (笑)、このあたりから自分のスタイルの模索が始まっていよう。ただ、この作品だけ見ると、ブランクーシを連想させるところもある。
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これはそれから 20年ほど経った 1947年の「鼻」であるが、既に確立した、なんともユニークな個性が見て取れる。彼の典型的な作風とは異なるものの、なるほど、人体の一部である顔をこのように認識するのか、と思うし、なぜか檻に閉じ込められた顔から、鼻だけが突き出していて、自由を主張しているようにも見える。
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ジャコメッティのシュールへの接近を示す例がある。1934年に出版されたアンドレ・ブルトン (言わずと知れた、シュルレアリスム宣言の作者である) の「水の空気」の挿絵。彼らしく彫塑的な造形であり、そのとぼけた味わいが面白い。
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さてジャコメッティは、1935年以降、モデルを使った彫刻制作に専念するのだが、「見えるものを見えるままに」表現しようと意図したところ、なんたることか、その彫刻はどうしても実物よりもはるかに小さいものになって行ったという。この逸話は大変面白い。ジャコメッティには人物がそのように見えていたのであろう。どうしても小さくなる人体を実物に似せるためには、ひょろ長いものにすることで身長を「回復」するしかなかったのでは。これは 1949年の「髪を束ねた女性立像」。高さは 23cm。
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だが彼の人物像にはさらに小さいものが沢山ある。これは 1946年頃の「小像 (男)」(6.6cm) と、1949年の「小像 (女)」(3.3cm)。ち、小さい (笑)。
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だがこの「縮小現象」を脱しようとしたジャコメッティは、1m という高さを自分に課すようになったという。我々はこれを聞いて思わず笑ってしまうのであるが、芸術家の心の中にある葛藤は笑いごとではないはず。なんとかその高さを実現すると今度は、人体の幅がどんどん細くなってしまった。なんとも苦しい試練に見舞われたものである (笑)。だがこれが偉大なる彫刻家ジャコメッティのスタイルになって行くのだ。これは 1948年の「髪を高く束ねた女」。高さは 117cm まで回復 (!) している。
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これ以降しばらくは女性の肖像制作がメインになったようであるが、この展覧会には彼のデッサンも数多く出品されている。これは 1961年の「裸婦立像 II」。なんだ、デッサンには顔も乳房もあるじゃないの (笑)。
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スタイルを確立してからのジャコメッティはまた、群像も作り始めた。これは 1948/49 年の「3人の男のグループ I (3人の歩く男たち I)」。街路をすれ違う人物たちであるが、ここには一種の都会性と、それから人間社会の抽象化が見られはしまいか。そうして、見ているうちに何か抒情的なものを感じてしまうのだから、不思議な彫刻である。
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そして群像は、こんな風にニョキニョキ地面から生えるようになって行く。1950年の「林間の空地、広場、9人の人物」。ジャコメッティ自身が語るには、この作品の中に、「前の春に描きたいと思っていた森の空地があるのに気がついた」とのことで、これだけ抽象化された作品にも、彼の記憶と結びついた要素があるらしい。やはり彼には、世界がこのように見えていたのだろう。
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展覧会の一角には、上のような抽象的な作品ではなく、実際のモデルをもとにした作品が展示されている。これは 1954年の「ディエゴの肖像」。そう、最初の方に少年時代の肖像画を掲げた、ジャコメッティの 1歳下の弟である。これはまた、存在感のある作風ではないか。
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その弟ディエゴはこんな人。なるほど、ジャコメッティが、ちゃんとモデルの個性をとらえた制作もできる人であることが分かるのである。
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ディエゴ以外にも実際のモデルを使った作品があれこれ展示されているが、この展覧会の出品作品の多くを所蔵するマーク財団の創始者、画商であったエメ・マークとその家族の肖像もある。上述の本を書いた作家のジャン・ジュネもモデルを務めているが、興味深いのはこの女性である。これは、1964/80 年 (一旦制作したものを後年手直ししたという意味か) の、「ディアーヌ・バタイユの肖像」。そう、「眼球譚」等で知られる、あの思想家ジョルジュ・バタイユの妻だ。これも、ちゃんとモデルの個性が表れた作品である。
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展示されている数々のデッサンは、上にも掲げた通り、彼の彫刻作品とは共通点もあるが、造形という点では大いに異なっている。これなど私は、フランシス・ベーコンかと思ってしまいましたよ。変容する人体を仮借なく毒々しく描いたベーコンは、そのメンタリティにおいてジェコメッティとはかなり異なると思うが、人体の見方という点では実は共通する要素があるのかと、新たな発見をした気分である。1964年の「男の胸像」。
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さて、ジェコメッティのモデルとしては、何といっても矢内原伊作 (1918 - 1989) が有名だ。彼は京都大学出身の哲学者で、その名は聖書に登場するイサクに由来するらしい (因みに父親は、東京大学総長を務めた矢内原忠雄)。矢内原はパリ留学中の 1955年にジャコメッティの知遇を得、大変な忍耐をもってジャコメッティのモデルを頻繁に務めたらしい。翌年パリを去る前には、帰国予定を延期してまで、実に 72日間連続してモデルを務めたという。そして 1957年以降 1961年まで、ほとんど毎年夏にパリを訪れ、モデルとなった。これは当時のデッサンで、「肘をつくヤナイハラ」。
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矢内原とジャコメッティはカフェでもよく会話を行ったらしく、そのような会話の間に手すさびとして描かれたデッサン、というかほとんど落書き (笑) のようなものが本展には沢山展示されている。
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この写真は、1957年、シャルトル大聖堂を訪れたときのジャコメッティと矢内原。
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さて、人体を中心に制作活動を行ったジャコメッティであるが、極めて印象的な動物の彫刻が 2点、出展されている。ともに 1951年の作品で、「犬」と「猫」。犬の方はモデルは不明だが、このやせ衰えてしっぽと頭を垂れた姿に自分を重ねていたという。一方の猫は、弟ディエゴの飼い猫がモデルであり、朝、この猫が自分のベッドにやって来るときにいつも顔だけが見えたので、彫刻も顔だけが実在感のあるものに仕上がったという。なるほど (笑)。
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彫刻のほかにいくつかの絵画作品も展示されているが、それらは通常の画家の仕上げとは異なり、未完成のように見える。この 1959年の作品「真向いの家」は、ちょっとベルナール・ビュッフェを思わせる硬質なもの。
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さてこの展覧会、最後の方のコーナーでは、巨大な彫刻が 3点展示されていて、そこで写真を撮ることが許されている。ここで我々はジャコメッティの作品と親しく会話することができ、その凝った照明や作品間の距離がなんとも心地よいのである。いずれも 1960年の作品で、「大きな頭部」(95cm)、「大きな女性立像 II」(276cm)、「歩く男 I」(183cm) である。よかったよかった、極小の作品しか作れない状態を克服して (笑)。以下は私が会場でスマホで撮影したもの。
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このように、ジャコメッティ芸術について広く深く知ることのできる貴重な機会なのである。最後に、上でご紹介したジャン・ジュネの「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」からの引用で、この記事を終えたいと思う。

QUOTE
美には傷以外の起源はない。どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷、独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、その人が世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独にふけるためそこへと退却するあの傷以外には。(中略) ジャコメッティの芸術は、私には、どんな人にも、どんな物にさえあるこの秘密の傷を発見しようとしているように思われる。その傷が、それらの人や物を、光り輝かせるように。
UNQUOTE

ジャコメッティ作品の多くには、特に悲惨なイメージはないのであるが、ジュネの言う通り、人の多様性を認めながら、見る人の孤独 (= 傷) に語り掛ける、そんな作品の数々であるとは言えるだろう。そのような語り掛けに共感する人が多いからこそ、彼は 20世紀最大の彫刻家と評されるのだと思う。よく判りました。

by yokohama7474 | 2017-08-06 01:40 | 美術・旅行 | Comments(0)
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