忍びの国 (中村 義洋監督)

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和田竜の小説「忍びの国」は、以前からちょっと気になっていて、実は、家人が処分しようとした読了済の本の中にそれを見つけたとき、「これ読むから売らないで」と頼んで、その本を自分の書棚に移したものである。だが、例によって例のごとく、未読の本がどんどん積み上がって行く中、なかなか手をつける間もなく、そのうち、同じ作者による「のぼうの城」が映画化された。その映画 / 小説の舞台となっている、埼玉県行田市に存在した忍城 (おしじょう) の跡には私もでかけ、このブログでも記事にしたが、今でも「のぼうの城」を読んだり見たりしていないことは、実はかなり気になっているのである。そうこうしているうち、「忍びの国」までが映画化されるという。人気グループ嵐のメンバー、大野智の主演であり、予告編を見ると、そのとぼけた味わいがなかなかよろしい。今後ばかりは見に行かねばと、劇場に走ったのである。ええっと、これはフリー素材サイトから。
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もともと私は忍者には結構興味のある方で、もちろん伊賀にも甲賀にも根来にも行ったことがあるし、金沢にあって忍者寺と呼ばれる妙立寺も大好きだ。「仮面の忍者赤影」ともなると幼時の思い出で、さすがにちょっと古すぎるが、実はそのイメージは私の中では未だに鮮烈であり、「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎であった頃」というナレーションなど、長じるに及んでの戦国時代のイメージ形成の一部をなしていることを否定できない。またテレビアニメでは、「サスケ」はちょっと甘ったるいイメージでなじめなかったのに対し、「カムイ外伝」のハードタッチに魅了されたのも少年時代。その後学生時代には、それらのアニメの原作者白土三平の忍者もの、とりわけ「カムイ伝」に心底ほれ込み、漫画雑誌「ガロ」に一時期のめり込んだのも、その流れであった。だがまあ、この映画はそのような私の個人的な忍者経験 (?) とは別に、万人が楽しめるものとなっているので、ご安心を。これが主人公の無門 (むもん)。自他ともに認める (はずの) 伊賀一の忍びで、彼の行くところ門がないに等しく、どこにでも忍び込めることに因む名前である。
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時は天正 4年 (1576年)、織田信長の次男、信雄 (のぶかつ) は、伊勢の国司であり自らの義父でもある北畠具教 (とものり) を、手下を使って殺害。伊勢の国の実権を握り、その 3年後に隣国伊賀、つまりは忍びの国を攻める。その時には大敗を喫するが、翌年再び総大将として伊賀を攻めて勝利する。この映画はその史実に、数々の架空のキャラクターを加えてストーリーが構築されているもの。これが信雄の肖像。
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この映画にはいくつかのテーマがある。思いつく限り列挙してみよう。
・偉大なる父を持った若者、織田信雄の葛藤
・北畠の旧臣たちの戦乱の世における処世術と、武士としての矜持
・十二人衆を中心とする伊賀という忍者の国の特殊性 (子供たちに至るまで死と隣り合わせという意味において)
・その伊賀の特殊性に対する個々の忍者の反応 (特に織田に寝返る下山平兵衛の思い)
・主人公無門のクールさと、飄々としたその姿の裏にある人間性
・無門の妻お国の勇気と優しさ

ここには、日本の歴史を大上段から語ろうという姿勢よりも、歴史を補う想像力の重要性に重きをおいた作劇が見られる。なかなかに多岐に亘るテーマを、後で振り返ってみればうまく映画の中に織り込んでいて、何の気なしにストーリーを追った人でも、冷静に考えてみれば、かなりよくできた映画であることに気づくだろう。そのひとつの秘訣として私が気づいたのは、この映画のセリフの高い質である。大野の個性をよく表した無門の言葉は、全くの気楽な現代語なのであるが (「あるよあるよ」とか「なんで?」とか)、周りの時代がかった言葉とも対立せずによく流れて行くし、武士の言葉や子供の言葉、あるいはお国の言葉も、古臭くなりすぎない微妙なバランスによって成り立っている。このセリフを書いた人は只者ではないだろうと思って確認すると、なんのことはない、原作者の和田竜自身が脚本も手掛けている (実は「のぼうの城」もそうであったらしい)。もしこの映画のストーリーだけを見て、大して面白くないと思った人がいれば、次の機会にもう一度セリフをよく聞いて頂きたい。これはなかなかよく練れた日本語なのであり、細部に宿る人間の思いをよく表した秀逸な言葉たちである。これが和田竜。1969年生まれで、早稲田大学政治経済学部出身という経歴。
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細部に関して言うと、この手の映画では戦闘シーンが非常に重要であるところ、前半にはもうひとつかなと思う箇所もあったが、無門たちが参戦を決意してからのシーンは、CG にも冴えがあって面白かったと思う。もしかすると、ジャンプの高さや速さその他の無門の荒唐無稽な戦いぶりにウソくささを感じる人もいるかもしれないが、このような映画では、誇張を笑って見ることができるか否かが大事。私としては、少なくとも後半の戦闘シーンの数々を楽しく見たのであった。だがその裏には、このようなスタッフの苦労があったようだ。
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大野もよく走り回っていい味を出しているが、その他の役者もそれぞれに個性的。下山平兵衛を演じた鈴木亮平は大変な熱演で、これなら来年の大河での西郷隆盛も期待できようというもの。日置 (へき) 大膳を演じた伊勢谷友介は、作品によっては、時に気合が空回り気味のこともあって気になっていたが、ここではかなり強い印象。そしてお国役の石原さとみは、目力のある落ち着いた演技に好感が持て、私としては「進撃の巨人」や「シン・ゴジラ」における彼女よりも、数段よいと思ったものである。
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その他、癖の強い脇役陣も豊富であるが、考えてみれば昔の黒澤映画などにおいても、多くの個性豊かな脇役がいたからこそ、素晴らしい映画表現が可能になったわけである。人気者である大野智の主演によってこのような映画がヒットすれば、日本映画はもっともっと充実して行くであろう。この映画の監督、中村忠義は 1970年生まれ。自主映画出身で、以前にも大野と組んだ「怪物くん」を撮っているほか、「奇跡のリンゴ」「予告犯」「殿、利息でござる!」などを監督している。

さて、改めてこの作品のストーリー展開における私の整理は以下のようなもの。まず、伊賀の国という「虎狼」の土地における、命の価値を理解しない残虐な人々、あるいは金のことしか頭にない愚かな人々の姿は、極端ではあるものの、現代にも通じる人間の本性を表しているということ (この点については、劇中でも明確に示される)。だがそんな環境でも人は、何か強い思いを持つ経験があれば、ラストシーンにおける無門のように、新しい世界に入って行くことができるということ。これは、素直に受け取ってもよいメッセージなのではなかろうか。

そんなわけで、書棚からこの映画の原作を引っ張り出し、読み始めた私であった。この文庫本、表紙が私の好きな画家である山口晃によるものであり、久しぶりにスムーズに読めそうな本のようだ。パラパラ見てみると、無門とお国の最初の会話などは映画と全く同じであるが、その一方で、映画には出てこないキャラクターも登場しており、映画とはまた違った、小説としての面白みを味わえそうである。読み終えればまた感想をアップすることにしますが、まあ、気長にお待ち下さい (笑)。
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by yokohama7474 | 2017-08-07 22:38 | 映画 | Comments(0)
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