ウィッチ (ロバート・エガース監督 / 原題 : The Witch)

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新宿武蔵野館という映画館をご存じであろうか。新宿東口すぐ近くの一等地のビルに入っている小さな劇場で、私は学生時代からお世話になっているのだが、時間がたっぷりあった学生時代はともかく、社会人になればこのような場所に足繁く通うことは難しくなる。私の場合も、ある時期は長らくこの劇場と全く疎遠になった時期もあったが、久しぶりに足を運んでみると、見違えるほどきれいに生まれ変わっており、そこにかかっている作品も、地味ながら見逃せないものが多い。そんなことで、社会人歴四半世紀を超えたここ数年、またこの劇場から目が離せなくなっているのだ。比較的最近では、メル・ギブソン主演の「ブラッド・ファーザー」をこの劇場で見たのだが、その際に予告編を見て気になったのが、この映画である。何やらアーリー・アメリカン調の雰囲気であり、欧州からの入植間もない米国において、ウィッチ、すなわち魔女が人々を恐怖に叩き込む、そんな映画であるようだ。よくこのブログで言及する通り、私にとって予告編は、本編の内容を占う重要な情報源。もちろん、予告編のイメージ通りの映画もあれば、全く違うものもあって、一概には言えないが、少なくとも映画をストーリー第一ではなく、映像と音響のアマルガムとして楽しむタイプの私としては、予告編で目にする映像と音楽・セリフだけで、期待感の程度が異なる。この映画ではどうであったろうか。

まず目についたのは主演のアニヤ・テイラー=ジョイ。
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この、一見美形のようでいて、よく見ると目と目が離れた、表情豊かで個性的な顔立ちの女優さんは、どこかで見覚えがある。そう、M・ナイト・シャマランの最新作「スプリット」である。このブログでも、その映画における彼女の演技を称賛したが、一度見たら忘れない顔であり、神秘性を重要な要素とするホラー系の映画においては、非常に貴重な存在であろう。1996年マイアミ生まれ。アルゼンチンで育ったので母語はスペイン語だが、幼少期にはロンドンに住んでいたこともあるという。実は、日本では公開の順番が逆になってしまったが、この映画 (2015年) の成功でシャマランの目にとまり、「スプリット」の主役に抜擢されたそうだ。私としては、これから述べるように、予告編で予感した通りにこの「ウィッチ」はなかなかの映画だと思うのであるが、やはり最大の功労者は彼女であろう。まあ行きがかり上、後半の方ではこういうことにもなるのであるが (笑)。
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この映画、とびきり怖いかと訊かれれば、いわゆるホラーとして気の利いたストーリー展開にはなっていないものの、画面からジワジワとにじみ出る人間というものの怖さに気づけば、相当に怖い映画であると感じることになるだろう。それには、感性を駆使すること、つまりは目を開き、耳を澄ますことだ。そう、特に音響において凝った演出が頻繁に見られて、その繰り返しの中で奇妙な感覚が醸成されて行く。例えばいきなり冒頭の場面、主人公一家が神父やほかの信者たちに弾劾され、集団を離れて森の中に棲み処を見つける決意をする場面。画面に映っている人物と、言葉を語っている人物が明らかに異なっており、人物関係が把握できないため、人は不安な気持ちになる。結局、家族が土地を追い出される理由は明確に説明されないのだが、もしかすると、そこでは既に魔女裁判が行われていたのか・・・??? ともあれ、見ている人たちは理不尽な気持ちの中で、家族が森の中に小屋を建てて暮らし始めるのを目撃する。夫婦の間には、長女である主人公のトマシンを含め、子供が 5人。そのうち 2人は男女の双子で、末の子は未だ赤ん坊の男の子だ。1630年の話で、家族は英国ヨークシャー地方から大西洋を越えて米国ニューイングランドにやってきたという設定になっている。もちろん電気もガスも水道もない場所である。敬虔な清教徒である家族であり、新天地を求めてともに苦労した人たちであれば仲はよいはずだが、なぜか家族の間には常に何か微妙なすれ違いがあり、その関係は不気味というか不穏というか、とにかく、愛情と団結心いっぱいのアドヴェンチャーファミリーという雰囲気ではない (笑)。そんな中、次々と事件が発生するのだが、そこで音響的に恐怖を増幅するのは、今度は男女の双子の歌や喋りである。童謡を歌ったり、姉トマシンを非難したりからかっているのであるが、なぜだろう、滔々と歌われたり繰り返し交互に喋られたりする彼らの言葉は、常に何か本能的な恐怖に訴えかけるのである。何気ない日常と隣り合わせの、恐ろしい非日常を想起させる部分がある。
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父親は、家族への愛情を持ち合わせた人物だが、寡黙であり、その愛情が快活に表面に出て来ることはない。家族のリーダーというイメージはほぼゼロである。演じるのはラルフ・アイネソンという英国の俳優。
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それから母親は、その神経質な喋り方や、不愉快さをあらわにした行動や、情け容赦ない絶叫などによって、もしかするとこの映画の登場人物の中で最も怖いかもしれない (笑)。ケイト・デッキーという、やはり英国の女優が演じている。
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前述の通り、あの手この手で見る者を怖がらせるタイプの映画ではない。それどころか、劇中で起きる事件の充分な説明もなされないまま、クライマックスを迎えるという印象だ。だがそれでもここには、人間という存在の真の怖さが描かれていると思う。長男のケイレブが森から帰ってきたあとの凄まじいシーン (そこではまた双子も奇妙な反応を起こして、これまた凄まじいのだが) など、鳥肌なしに見ることはできない。自然への恐怖心や、閉鎖的な村社会への嫌悪や、日常の不便への不満や、家族との距離感や、もしかすると芽生え始めた性的な欲情という要素もあるのかもしれないが、人間心理の奥底に潜む複雑な何かが作用してのことであろうか。普段は充分に豊かな感情と行動力を持つ少年が、まるで悪魔に魅入られたかのような言動を示せば、人々は何かが憑りついたと思ったことであろう。まさに日常が裂けて、その裂け目から邪悪なものが覗く瞬間である。その恐怖の表現をこそ、見逃してはならないのである。また、ウサギやヤギやカラスといった物言わぬ動物たちの不気味なこと。この映画のプログラムには、"Evil takes many forms" とあるが、まさに邪悪なものは、様々な姿かたちをとって我々人間のすぐ近くに存在する。どの動物が魔女の正体だなどと、ヤボなことを考えてはいけない。ここに登場する動物で信用できるのは、人間の忠実なしもべである犬だけであるのだ。そう思って見るとこのウサギも怖いでしょう?
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それから、これも音響の要素のひとつと言ってよいであろうが、喋られている英語が全然分からない。映画の最後に、ここでの言葉は 17世紀のニューイングランドで実際に話されていた言葉の再現を試みたという注釈が出てくるが、いわばその言葉は、私たちの知らない世界を表現するための重要なツールになっている。実際には英国北部訛りということなのであろうが、2人称の "thou"、その所有格 "thy" という言葉が何度も使われているのが聞き取ることができ、その古臭い言葉はもちろん、現在でも聖書で使われているものであるゆえ、宗教的なイメージがつきまとい、その点がまた映画の不気味な雰囲気を冗長するのである。考えてみれば、17世紀とはシェイクスピアの生きた時代。人々の感情表現のツールとしての言葉は、現代と違う点が多々あった (もちろん共通点も多々あったろうが) はずだ。そのことをリアルに感じるから、この映画は怖いのか。このような、人間の感覚に鋭く訴える映画を撮ったロバート・エガースという監督は、実はこれが長編デビュー作で、本作の脚本も手掛けている。この作品、インデペンデンス系映画の祭典であるサンダンス映画祭で監督賞を受賞したのをはじめ、多くの賞に輝いている。その実績によって、あのドイツ表現主義によるホラー映画の元祖「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922年、F・W・ムルナウ監督) のリメイク版の監督に抜擢されたという。ホラーファンとしては今後の活躍に目が離せない監督である。
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尚、ここで題材になっている魔女というものがいかなる存在であったかについては、かなり以前、名古屋で見た大変興味深い展覧会の記事を書いたが、実際に過去に起こった魔女事件で有名なニューイングランドの場所がある。それは、マサチューセッツ州のセイラムだ。私はもちろんその場所を訪れたことがあり、それは忘れることができない思い出だ (ニューヨークから車で行けるホラー色の強い場所としては、スリーピー・ホロウと並ぶか、むしろそれ以上の場所だと言ってもよい)。そこでは 1692年に起こった魔女事件が未だに観光収入源になっていて面白い。もちろん、日本美術のファンとしては、岡倉天心とともに明治期における日本の古美術発見に大きな足跡を残したアーネスト・フェノロサがこの街の出身であることも重要だし、それから、私が住んでいる東京都大田区は、実はセイラムと姉妹都市なのである!! (なぜかは知らないが・・・) そんなセイラムの思い出を私がいかに大事にしているかについてのひとつの証拠は、自宅の鍵用に使用しているキーホルダーである。
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これ、今では真ん中の魔女の姿だけになってしまっているが、もともとは周りの円状の部分と下の長方形の部分に、"Salem" "1692" などと記されたプレートが嵌まっていたのである (笑)。こんな状態になってもこのキーホルダーを使い続けている魔女ファンの私としては、人間心理に興味を持たれる文化的な方に、是非この映画をお薦めしたい。新宿武蔵野館での上映は、しばらく前までは「8月中旬まで」となっていたのが、今調べると、「8月下旬まで」となっている。これは朗報です。遠からずホラーの女王として世界に君臨するかもしれない (?) アニヤ・テイラー=ジョイも、このように大入り満員を神に祈っているようだし。
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by yokohama7474 | 2017-08-09 00:33 | 映画 | Comments(0)
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