生誕 140年 吉田博展 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館

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海外で高い評価を得た画家、吉田博 (1876 - 1950) の版画を集めた展覧会についての記事を、今年の 3月 8日に書いた。その記事の中で私は、吉田の抒情的な版画の持つ素晴らしい表現力と筋金入りの美しさに賛辞の言葉を捧げたのであった。

http://culturemk.exblog.jp/25349917/

また私は記事の中で、それ以前より全国を巡回中のこの吉田の本格的な回顧展が、東京では 7月から 8月にかけて、新宿の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館で開かれるので、それに行ってみようと宣言した。この記事はそれに基づき、以前見た版画展とは違う大きなスケールで開催された吉田の回顧展について、少し語ってみようと思う。以前の記事で書いた吉田の伝記的な事柄は基本的に省略するつもりなので、ご興味おありの方は、是非 3月 8日の記事をお読み頂きたい。これが 23歳の頃、渡米後の吉田の肖像写真。
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福岡の久留米に生まれた吉田は、豊かな自然に恵まれた土地で育ち、山野を歩き回って絵を描くという少年期を送った。展覧会は 10代の頃のスケッチや水彩画から始まる。以下は 1893年、16歳のときの「驢馬」と「画材と鉢」。彼はこの翌年には東京に出て不同舎という画塾に入門するのだが、既にして驢馬の毛の繊細さや、水の入った鉢の自然な佇まいを表現できる技術を持っていたことが分かる。
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東京に出た 1894年、上野の東照宮を描いたスケッチ。やはり彼には風景画家としての卓越した技量が修業時代から備わっていたことが明白である。
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その頃の水彩画があれこれ展示されていて興味深い。とても 20歳前後の若者の作品とは思われないほどの完成度である。これは「鶏頭のある風景」(1894 - 99年頃作)。
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これも同じ頃の作、「つるべ井戸」。井戸の回りに咲いた花の存在感が感じられる。
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これは 1899年頃、ということは渡米前後に描いた水彩画「東照宮、日光」。外国人に好まれる観光地であることから題材に選ばれたのであろうか。自分の技量を世界に示そうという大胆な目標を持っていたということであり、若者のそのような清新の気風は、実に清々しいものだ。
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この展覧会に展示されている最も早い時期の油彩画がこれである。1898年、明治美術会 10周年記念展覧会に出品された「雲叡深秋」。クールベを思わせる写実のわざであるが、ただ、画面の中から沸き立つドラマ性や神秘性はなく、風景としての迫真の写実をひたすら追い求めたということか。実際、この展覧会を見て行くうちに私の中には、吉田博という画家の目指したところについて、ある思いが募って行った。それについては後で述べるが、思い返してみればこの油彩画の第一印象が、その後の鑑賞について回ったものと思う。
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吉田の渡米のいきさつ等は以前に記事に書いたので割愛するとして、彼が米国で展示した日本の風景を描いた水彩画は絶賛を博し、1901年に一旦帰国した吉田は、1905年に再度渡米、今回はヨーロッパにまで足を延ばした。私が興味を持ったのは、かの地で彼がいかなる油彩画を描いたのかということであった。例えばこの「グロスター」は、1904年に米国ボストン近郊の風景を描いたもの。なるほど、陽光の違いか空気の違いか、日本的要素をあまり感じさせない光の表現で、好ましいと思う。
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これは 1906年の「ウィンザー橋」。言わずと知れた王家の居城ウィンザー城のある街である。これは水彩だが、雨が多い英国の空気をよくとらえていると思うし、抒情もある。
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これも 1906年の油彩「ヴェニスの運河」。実はこの作品、夏目漱石の「三四郎」の中で言及されているらしい。三四郎と美穪子が、「長い間外国を旅行して歩いた兄妹の画」を見る (当時吉田博は、義妹でのちに結婚する、やはり絵を描くふじをという女性と 2人で欧米を旅していた) 場面で、美穪子が「ヴェニスでしょう」と呟くシーンである。漱石の美術好きはよく知られているが、英国にあっても日本にあっても、権威のあるものよりも新しい芸術に興味を示した点が興味深い。明治の世に、ヴェニスの風景を見てヴェニスと分かるとは、相当な教養あるヒロインである。今年は漱石生誕 150年 (ということは、大政奉還の年に生まれたわけだ)。久しぶりに彼の作品でも読み返したいなぁと思い、書棚に並ぶちくま文庫の全 10巻の漱石全集を眺める私であった。
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帰国後の博は、黒田清輝を中心に結成された白馬会に対抗する太平洋画会のメンバーとして活躍する。これはそんな頃、1910年の作品で、「渓流」。これも上記の「雲叡深秋」と同じく川の流れを描いているが、より一層力強くまた鮮やかになっているように思われる。
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さて、吉田は既に若年期を過ぎて中年に至り、画家としての真価を問われる時代に入ってくる。そのような時代、彼が描き続けたのは、自然であった。これは大正年間の「穂高山」。私が以前松本で初めて出会った吉田の作品はこれであったと思う。
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またこれは大正 8年 (1919年) の「野営」の 第 2作と第 3作。
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ここには見事な自然が描かれている。だが、絵画の本質が、ただ目に見えるものを写すだけでないとすればどうであろう (私自身もその解は持ち合わせていないのであるが)。吉田が敵視した 10歳年上の黒田清輝の作品については、以前も記事として採り上げたが、さて、吉田の 40代の作品と、黒田の 40代の作品を比べてみて、鑑賞者はどのように思うであろうか。1910年代から 20年代に入ると、当時の美術の最先端地域であったパリでは、ありとあらゆる前衛がニョキニョキと現れてきている。もちろん、それが一概によいと言う気はないのだが、少なくとも私が抱くのは、せっかく明治初期の日本から飛び出して欧米を見た画家が、円熟期に差し掛かる頃に、このような絵を描いていてっよかったのだろうかという疑問である。ある意味で象徴的とも言おうか、日本人の洋画家の例に漏れず、吉田も日本画の作風で作品をものしている。これは恐らく大正期の作と思われる「雪景」。この絵が文句なしに美しい。だがその近代性はこの種の絵画作品において充分な説得力を持っているだろうか。
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ここで独断と偏見に満ちた、だが私がこの画家の作品を一定数見て思った感想を述べると、やはり吉田の才能が最大限発揮されたのは、風景を描いた版画であったのだと思う。例えばこの 1924年の油彩画「グランドキャニオン」は素晴らしく美しいのであるが、吉田はほぼ同じ構図の木版画を制作している。そしてそれこそが、恐らくは吉田の天職であったのだろう。
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以下同様に、吉田の版画を見ているかのように美しい (!) 油彩画の数々。1924 - 25年の「ヨセミテ公園」と、1925年の「モンブラン」。
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繰り返しだが、これらの風景を実に美しく描いたのが吉田の素晴らしい才能であって、それゆえに彼は、(逆説的ではあるが) 世界に冠たる油彩画家になることはなかった。それがよかったのか悪かったのか、私には分からない。だが例えばこの 1929年の「神樂坂通 雨後の夜」は、その日本的情緒が素晴らしく、このような作品を残しただけでも吉田は、木版画の世界では歴史に残る画家であって、その才能は、小林清親や川瀬巴水に匹敵するとは確実に言えるであろう。
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私には一流の芸術家の心中は分からない。だが、ある程度の想像力を持って推測することはできる。とびきりの才能を持っていた吉田は、その才能を持つがゆえに、自らの創作活動をどこに見出すかを自分で決める思いは強かったろう。そして彼は、日中戦争の頃から志願して戦地に赴き、従軍画家として様々な作品をものしたのである。これは、撮影場所と時期は不明ながら、戦地における吉田。その表情には決死のものは見受けられず、むしろ笑みを浮かべているように見える。
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後世の我々が、偉大なる芸術家であった吉田の行動を、70年以上経過した今、あれこれ言う意味があるのか否か分からない。だが、この展覧会で初めて接することとなった戦時中の吉田の創作活動は、本人の意図はともかく、戦争の情景をヴィヴィッドに描いたものとして、ある意味での絶望感を見る者にもたらすと言ってもよいと思う。これは従軍時代の写生帖から。
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今回私がショックをもって眺めた作品はこれだ。1941年、太平洋戦争に突入する頃の「急降下爆撃」。それまでの画家が見たことのない近代戦における新たな視覚である。非凡な風景版画家たる吉田が、この光景をどのように発見したのか、大変興味がある。少なくともこの迫力は大変なものであり、画家の中でこのような刺激的な視覚が、日常生活とどのように結びついていたのであろうか。
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これは、日本の配色濃厚となっていたであろう 1944年の作品で、「溶鉱炉」。ここにはもはや、大自然の雄大さはなく、人間の営みを称賛する姿勢のみが見受けられるのである。
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繰り返しだが、風景画家、木版画家としての吉田博の才能は素晴らしい。だが私がこの展覧会から学んだことは、いかに素晴らしい芸術家でも、その創作範囲においては向き不向きがあること。そして恐らくは芸術家自身、創作活動の中でそのようなことに気づくだろうということだ。軽々と国境を超えるコミュニケーションツールが当たり前となり、あらゆるイメージが世界中を瞬時にして飛び交う現代、恐らく吉田が持ったであろう誇りと限界の意識に、少しでも迫りたいと思う。その点においては有意義な展覧会であるとは言えるであろう。

by yokohama7474 | 2017-08-09 23:22 | 美術・旅行 | Comments(0)
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