山形旅行 その 1 善寶寺、鶴岡市立加茂水族館、鶴岡市内、南岳寺

幼少の頃からの寺好きとして、東北から九州まで、貴重な文化財のあるお寺の訪問にはかなりの情熱を傾けて来た私であるが、それでもまだまだ訪れたことのない寺社は、全国に沢山ある。このブログでも、関東、近畿のみならず中部地方や中国地方や九州の寺社を記事にしてきたが、東北の旅行記は未だ書いたことがない。そんなこともあって、先般 (7月後半)、東北地方で私がこれまで訪れたくて果たせなかった場所に赴いた。その場所は、出羽三山。日本固有の山岳宗教である修験道と、仏教の一派である密教との融合が見られる独特の土地で、何と言っても、極めて厳しい修行を経て自らの身体をミイラとして後世に残す、いわゆる即身成仏という習俗に、以前から大いに興味があったもの。現在私の手元には、この出羽三山の即身成仏を中心とする日本のミイラについての本が三冊あり、それ以外に学生時代に図書館で借りて読んだ本もあった。出羽三山は現在の山形県であるが、日本海に近い場所。山形新幹線で山形市に到着すると、有名な山寺 (立石寺) などもあるが、それでは 出羽三山までの移動に結構時間がかかる。そこで思いついたのが、羽田から飛行機で庄内空港に飛ぶという方法。これであれば、出羽三山に加えて鶴岡市内、酒田市内も観光して、まるまる 2日の旅程を組むことができる。と、そこに家人の意外な希望があった。なんでも、庄内空港からほど近い加茂という場所に、クラゲで有名な水族館があって、是非見てみたいという。しかも、家人のみならず義母までがその案の提唱者であるという。よし、そういうことなら話は早い。クラゲ・アンド・ミイラの旅。いざ行かん、山形!!

というわけで、朝 7時前に羽田を経ち、1時間後には庄内空港に降り立った。そしてまず向かった先は、空港からほど遠からぬ善寶寺 (ぜんぽうじ) というお寺。朝早いこともあり、人影もまばらで、木々の上に見える夏の朝の青空が気持ちよい。
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この善寶寺の歴史は古く、9世紀から10世紀にかけて活躍した妙達上人という僧が開いたとされる。妙達上人のもとに龍神が現れ、法華経の功徳を受けたいと希望したため、妙達が法華経を唱えると、今もこの寺に残る「貝喰 (かいばみ) の池」に身を沈めたという。それゆえこの寺は龍神信仰が盛んで、近世から現代に至るまで、漁業関係者に篤く敬われているらしい。境内入り口の向かって左手には均整の取れた五重塔が立っている。
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明治時代の建物で、国の登録有形文化財である。実はこの寺の主要な建物はすべて 2年前に登録有形文化財となっているのである。これから概観するが、この寺の堂塔の佇まいは実に素晴らしく、気持ちが清らかになるような気がする。尚、私自身もあまり明確に理解していなかったが、「登録有形文化財」制度は 2006年から発足しており、従来の国宝や重要文化財のような「指定」ではなく「登録」という制度を持ち、貴重な文化遺産としての保存を目的としている。文化財保護の観点がより明確にされた制度であろう。以下、総門、山門、五百羅漢堂。これらはすべて江戸時代のものである。
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上から見るとこんな感じで、そのバランスのよい配置の素晴らしさを実感できる。
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五百羅漢堂の中には、正面の釈迦三尊像と十大弟子像、そして左右に夥しい羅漢さんたちがおられる、大変賑やかな場所。肩を組んで何やら親し気に話しかけている羅漢さんと、それをウンウンと聞いている羅漢さん。その会話を想像してみるのも楽しい。
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これは実質的に本堂に当たる龍王殿。波のうねりを表現している独特な作りであるが、その華麗な装飾や狛犬を見ると、これはやはり仏堂というよりは神殿である。内部を拝観できるが、ご尊隊である龍王像は非公開。昨年は開基妙達上人生誕 1150年で特別公開されたようだが、その機会を逃してしまい、残念。
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さてこの寺では、ほかに意外な存在との出会いがあるのだ。これである。
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1990年に写真週刊誌「フライデー」が紹介して、日本中で大ブームになった、あの人面魚である。この人面魚、この善寶寺で撮影されたものであることは事前の情報で知っており、一説には今でも健在ということ (鯉の寿命は 30年くらいはあるとのことだし) で、この種の超常現象 (?) に深い興味を持つ私としては、是非是非見たいと思ったのである。実際、古い歴史を持つ寺のこと、そのような俗っぽいブームには目もくれないのかと危惧したのだが、なんのことはない、境内の何か所かにこのような案内板が。
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おっと、ここに来れば 27年前のブームも未だに盛んであるかに誤解するような親切な案内ぶりではないか。だが、ここで気になることがひとつある。それは、私が上でご紹介したこの寺の歴史の中で、龍神が身を潜めた場所を、「貝喰 (かいばみ) の池」と書いた。そう、上の写真で明らかな通り、それこそ人面魚が出現した場所なのだ。ということは、この魚は龍神の遣いなのであろうか??? ともあれ、現地に向かってみよう。一応善寶寺の奥の院に向かう途中の場所のようではあるが、深い山の中というわけではないので容易に辿り着くことができる。寺の前を通る道路を少し右側 (寺に向かって) に進み、すぐに左の細い道に入って行けば、池の近くまで車で行くことができる。車椅子でも通れるように整備された石段を進むと、あ、見えてきました。そこそこ大きい池で、水面が沈んだ緑色であり、そう思って見るせいか、なんとも神秘的な佇まい。
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奥の方には祠というか、それなりに立派な、龍神を祀る神殿があり、そこで売っている鯉のエサを池に放つと、鯉だけではなく鯰や亀までが集まってきて、壮絶な食べ物の奪い合いを展開する。
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そして、そのような魚たちの騒動や、あるいは静かな水面を睨みながらカメラを構えた私の前に、何度かそれらしい鯉が現れ、シャッターチャンスを与えてくれた。以下は実際に私がその場で撮った写真である。どうだろう、人面魚と言えるだろうか。
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祠の管理をされている地元の人たちと喋ったところ、いわゆる人面魚と認定されうる鯉は 5 - 6匹いて、27年前に有名になった鯉も、やはり未だ生きているはずという。私がここで感じたことには、人面魚と言っても何も不思議な存在ではなく、ただ単に額の模様が人の顔のように見えるというだけであって、たまたまそうであったとしても、彼または彼女の生存競争における優位性には直接結びつかない (笑)。だがその一方で、なぜに龍神伝説のあるこの池でこのような騒動が起こったのか、少し分かったような気がした。人は謂れのある場所には神秘を見ようとするのだ。だから、都会に住む我々はあの騒動を、ただ単に人の顔をした鯉が現れたということで不思議なことだと思っていたが、もし龍神を信じる人たちが見れば、なんとも有り難い存在なのである。そのことにはたと気づいたのは、その貝喰の池のほとりの祠で見つけた、このような奉納品である。
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蛇紋石とあるが、要するに、蛇のような形が自然に浮き出た石である。この祠だけでなく、善寶寺の本殿にもいくつか展示されていた。これも物理的には、周囲とは色の違う物質が入り込んだ岩石であり、怪異な現象ではないように思うが、でも人はこのような不思議な模様に、何か聖なるものの存在を見たいと願うがゆえに、特別な崇敬の念を抱くのであろう。人面魚もまた、この蛇紋石と似たような面はありはしないか。もちろん、人面魚騒動のきっかけが何であったのか、私には知る由もないが、もしかすると、この土地に神聖なものを見出す地元の人の思いが、どこかで関係していたのかもしれない、などと想像してみる。ただ単に、人面魚がいるとかいないとかいうことで騒ぐのではなく、その土地の持つ歴史と、人々が連綿とつないできた思いの強さに、何か大切なものを実感してみるのも一興かと思う。

朝から人面魚を目撃して、幸先のよいスタートを切った我々は、次なる目的地、鶴岡市立加茂水族館に向かった。ここは私もテレビで何度か見たことがある。集客に苦労していた小さな水族館が、クラゲの展示に力を入れ、今では展示しているクラゲの種類は実に世界一であり、大成功して話題になっている場所。
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私は水族館や動物園もかなり好きな方なので、ここで様々なクラゲを見て、大変感動したし、実に面白かった!! たまたま通りかかった館長さんが説明してくれたことには、クラゲは自力で泳ぐことはせず、水中を浮遊して、たまたまありついたエサによって生命をつないで行くらしい。よって、様々な水槽に入っているクラゲは、人がその中で動力を使って水を循環させているためにエサをとらえることができ、もし水の循環をやめてしまうと、水槽の底に折り重なって沈んでしまうのだそうだ (実際に停電でそのようなことも起こったらしい)。うーむ、究極の他人任せの生き方である。参考になるような、ならないような (笑)。この水族館では写真を撮り放題なので、数々のクラゲの美しい写真をものにすることができる。これらは私がスマホで撮ったもので、あまりにきれいなので、待ち受け画面に設定しようかと思ったが、人生ことごとく他人任せな人間だと思われたくなくて、未だにそうはしていない。でも、きれいだなぁ。
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様々なクラゲが展示されているのもさることながら、日に何度か、飼育員 (というのでしょうね、やっぱり) がいくつかの種類のクラゲを例にとって、どのように食物を取ってどのように成長していくかを実演 (顕微鏡映像を含めて) で説明してくれるのが大変面白い。私が見たときには、うら若い女性の飼育員が、時折、ニコニコしながら若干ブラックな表現 (つまりその、クラゲのあまりに他人任せの生き方とか、あるクラゲには種が違うクラゲを食糧として与えるが、それは決して残酷なことではないとか) を交えて説明していたのが、大変によかった。ブラックと言えば、この水族館のレストランの名物は、クラゲラーメン。さんざんその姿の透明な美しさを愛でたのち、最後はおいしく頂くというのも、油断できない人生のアップダウンを象徴しているようで、なかなかに教訓的である。
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それから我々は、鶴岡市内へ向かった。庄内藩の城下町であり、かなり文化的な雰囲気をたたえた街であるようで、歴史的建造物も数多い。最初に訪れたのは致道博物館。もともと鶴ヶ岡城の三の丸にあたり、現在では歴史的建造物を移築、保存するとともに、地元の歴史にまつわる資料を展示している。4つの歴史的建造物のうち実に 3つは重要文化財で (但しそのうちのひとつ旧鶴岡警察署庁舎は現在改修中で、見ることはできないが)、藩主酒井氏の庭園は国の名勝に指定されているという、見どころ満載の素晴らしい場所である。
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これはその重要文化財の旧西田川郡役所。1881年築造で、明治天皇の東北巡幸の際には鶴岡における行在所になった場所であるとのこと。立派な建物だ。
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これは旧庄内藩主御隠殿。この奥に名勝の庭園がある。炎暑の日ではあったが、うちわを片手にこのような緑を目にすることで、本当に気持ちが清々しくなる。
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こちらは重要文化財の、田麦俣 (たむぎまた) の民家。2階と 3階を養蚕に使用していたので、屋根が広くて、まるで兜のような独特な形をしている。
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次に訪れた場所も重要文化財の建造物。幕末から明治期にかけて、庄内地方では酒田の本間家に次ぐ大地主であった風間家の旧居である。旧風間家住宅「丙申堂」(へいしんどう) と呼ばれている。いや実に立派なお屋敷であり、ガイドの方が丁寧に説明して下さる。中でも、屋根の上に実に 4万個もの石を乗せてある点、全国有数である由。尚、時代小説家、藤沢周平はここ鶴岡の出身で (この街に記念館もあるが、今回は時間がなくてパス)、彼の原作になる映画「蝉しぐれ」のロケはここで行われたらしい。雰囲気あります。
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そしてその裏手の方に、風間家の旧別邸もあり、そちらは「無量光苑釈迦堂」と名付けられている。こちらは国の登録有形文化財。その名前からてっきり寺院かと思いきや、もともと来賓の接待や関係者の集会場所として使われた場所で、石造の釈迦如来像を安置していることから、九代目当主がこのように命名したとのこと。庭に面して二面が開け放たれる構造になっていて、なんとも気持ちがよい。
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さて、鶴岡おそるべし、まだほかにも重要文化財建造物があるのである。しかも今度はまた全く趣向の違うもの。これである。
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1903年に完成した、鶴岡カトリック教会天主堂である。パピノ神父というフランス人の設計とされており、瀟洒な外見でありながら、内部はまさに厳粛な信仰の空間である。炎天下から足を踏み入れた瞬間、心に涼やかな風が通ったような気がしたものだ。明治の頃にこのような立派な教会ができるほど、この鶴岡には文化的な土壌があったということだろう。
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そして、確か向かって左の祭壇であったろうか、思わぬ彫刻を発見して私は「あっ」と声を上げた。これはまがうことなき「黒いマリア」である。スペインやフランスにしか存在しておらず、キリスト教以前の地母神との融合ではないかという説もあるこのようなマリア像について私は興味があり、随分以前に芸術新潮誌で特集したものも読んだし、「ダ・ヴィンチ・コード」系の陰謀論との関連で書かれた本を読んだこともある。そんな、ヨーロッパの深部と関連するマリア像が、なぜ日本にあるのだろう。実はこの教会の落成記念に、フランス、ノルマンディーのデリヴランド修道院というところから贈られたものだという。やはり鶴岡、おそるべしである。
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さて、それから私たちは、先に即身成仏を見てしまおうと、鶴岡市内にある南岳寺というお寺に詣でたのであるが、それは後回しにして、もう少し一般的な鶴岡の名所を先にご紹介する。これは、車窓からしか見ることができなかったが、鶴岡公園にある大宝館という建物で、大正天皇即位を記念して建てられたもの。内部は高山樗牛ら、郷土ゆかりの人物たちを紹介しているらしい。
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そして、藩校の致道館。1816年から 1873年まで使われ、表門、孔子を祀る聖廟、講堂等々が残る、国の史跡である。現存する藩校は全国的にも十指に満たないようだが、ここは本当によく残っていて、往時の雰囲気がよく分かり、貴重である。
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面白いのはこの額である。堂々とした字で、一見、墨痕鮮やかな字の部分が浮き出ているように思われるが、間近で下から見ると、くぼんでいるのである。
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さて最後に、この日お目にかかることができた即身成仏をご紹介する。鶴岡市内にある南岳寺というところにおられる、鉄竜海上人である。これが南岳寺。正面に見えるお堂の地下に安置されている。
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即身成仏については、また次の記事で背景や私自身の思いを記したいと思っているが、いわゆるミイラ状として残された人体であり、いずれも「上人」という極めて高い尊称を持って、仏としてあがめられている。それもそのはず、即身仏になるためには、究極の厳しい修行が必要とされるのである。つまり、何年もかけて徐々に五穀絶ち、十穀絶ちと食物を制限して行き、木の皮を食べて生き延び、最後は土中に入る。鐘を叩いている音が土中から聞こえている間は生存が確認されているが、それが聞こえなくなると、いよいよ生命が絶えたということになり、それから 3年ほど経ってから、人々が遺骸を土中から出すというもの。まさに壮絶、究極の荒行である。これは日本にしかない信仰のかたちであって、昭和 30年代に調査がなされるまでは、ほとんど知られていなかったらしい。日本に現存する即身仏は 16体とも 17体とも言われているが、そのうち実に 6体が、この庄内地方に存在する。私は今回の旅で幸いなことにその 6体すべてと対面することができた。また、今回訪れた 5ヶ寺においては、それぞれにお寺の方による説明があったが、それらを総合することで、自分の想像していた即身成仏のイメージ通りの点もあれば、そうでない点もあった。それはまた次の記事に譲るとして、最初にお目にかかったこの鉄竜海上人は、実は庄内地方で最も遅い時期のもの。実は既に明治に入ってから本懐を遂げて即身仏になられたわけだが、明治の世の法律ではこれは許されていなかったため、過去帳を明治元年と書き換えて処理したとのこと。この南岳寺の住職であり、また、先達である鉄門海上人 (翌日訪れた湯殿山注連寺にその即身仏が現存する) の意を汲んで、ちょうど今クラゲの水族館の建っている加茂の港で水揚げされた魚介類を鶴岡の街に運ぶために、山を拓いて道を作ったりしたという。つまり、即身仏となった僧たちは、数々の社会事業に取り組み、生前から深い尊敬を集めていた人たちが多いようである。私は初めて対面したこの鉄竜海上人のお姿に、当然ながら強い衝撃を受けた。これが鉄竜海上人の写真。本から撮影しているので、テカリがあるものの、その壮絶なお姿は想像して頂けるものと思う。
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その日の夜、湯野浜温泉の快適な宿に泊まり、ちょうど夕食時に沈み行く夕日を眺めながら、その日を反芻した。凄まじい荒行をした僧たちも、同じような夕日を何度も眺めたことであろう。人々の生活を見守って来たこの夕日を見ながら、平和な現代に生きる私は、申し訳なくもちょっと贅沢な食事を堪能し、生きている幸せを実感した。そしてアルコールは進み、一日の疲れによって私は、食後すぐに眠りの世界に落ちて行ったのであった。「明日はいよいよ出羽三山だ・・・」と呟きながら・・・。
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by yokohama7474 | 2017-08-13 01:56 | 美術・旅行 | Comments(0)
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