セイジ・オザワ松本フェスティバル ファビオ・ルイージ指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 2017年 8月20日 キッセイ文化ホール

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今年もセイジ・オザワ松本フェスティバルの季節がやって来た。総監督の小澤征爾は今年 (毎年のことながら音楽祭期間中の 9月 1日に) 82歳になる。これが今年の音楽祭の記者会見に姿を見せたマエストロ。元気そうに見え、ちょっと安心だ。
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さて、今年のこの音楽祭でのオペラ上演は、メインのサイトウ・キネン・オーケストラによるものはなく、小澤征爾音楽塾オーケストラによるラヴェルの「子供と魔法」のみ。その代わりということだろうか、サイトウ・キネンのオーケストラコンサートが 3種類のプログラムによって 6回開かれる (通常は 2プログラム 4回)。だが、多くの人にとって残念なことには、小澤総監督が指揮する曲目は、ほんの一部。具体的には、B プログラム (8/25、27) におけるベートーヴェンの「レオノーレ」序曲第 3番と、C プログラム (9/8、10) における内田光子との、やはりベートーヴェンのピアノ協奏曲第 3番。これだけだ。そのせいだろう、今年は例年と異なり、小澤が出演するプログラムでもチケットは即刻完売にはならなかったようである。ちょっと複雑な思いであるが、今後も水戸室内管との第九 (後半のみだが)、小澤征爾音楽塾、そして年明けにはベルリンでベルリン・フィルとの「子供と魔法」ほかのプログラムが控えている。ファンとしては無理せず息長く活動して欲しいので、ここは我慢である。これは今回の会場、キッセイ文化ホールの入り口の飾りつけ。
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だがその一方で、今年のオーケストラ・コンサートでは、3つのプログラムのうちのひとつとして、臨時編成のオケではなかなか取り組みにくい難曲が採り上げられることとなった。それは、マーラーの交響曲第 9番ニ長調。西洋音楽史上でも屈指の、重い内容を持つ大交響曲だ。指揮するのは、2014年以来 4年連続の登場となるイタリアの名指揮者、ファビオ・ルイージである。
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ルイージについては、一昨年、昨年のこの音楽祭での演奏についても書いたし、NHK 交響楽団を指揮した演奏会も採り上げたことがある。ここ松本でのマーラーは、既に 5番、2番と来て今年は 9番。昨年私は「せっかくなのでマーラーをシリーズ化してほしい」と希望表明したが、それが叶って大変に嬉しいのである。しかも曲が 9番とあっては、心して聴く必要がある。これがリハーサル風景。小澤総監督も立ち会っていたわけである。尚、今回のコンサートマスターは、マーラー演奏の輝かしい歴史を持つ東京都交響楽団の矢部達哉、副コンサートマスターは、読売日本交響楽団の小森谷巧であった。
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このブログでは度々ルイージの指揮ぶりを、アクセルとブレーキをうまく踏み分けるという比喩を使って、私の感じるところを表現しようとしてきた。ところが今回は若干勝手が違っていた。つまり、音楽の推進力や、細部の繊細さと雄大な流れの両立がいつもながらに見事な演奏ではあったが、これまでのルイージの演奏で感じたような緩急のテクニックという要素は、ほとんど感じなかったのである。それは、演奏家としても極限の状態で臨むしかないようなこの曲を前にすると、もうアクセルだのブレーキだのと言っていられない、ということだろうか。もちろんクラシックファンなら誰でも知っていることだが、あれだけ声楽や特殊楽器を使って破天荒な構成の交響曲を次々に書くことで、西洋音楽史がそれまで持たなかった新しい音響世界を創り出したマーラーという作曲家が、人生で最後に完成させたこの交響曲では、楽章数は正統的な 4 (まあ、4楽章の構成内容は伝統的なものではないが) であり、また改めてステージを見渡しても、珍奇な楽器はない。ギターやマンドリンやカウベルはおろか、チェレスタすらないのであるから、マーラーとしては極めて保守的な編成なのである。だが、そこで流れて来る音響は、まさに生と死の壮絶なせめぎ合い。ここで語られるのは世界苦ではなく、芸術家個人の死への激しい抗いと、それとは裏腹な甘美な諦念なのであり、そうなってくるともはや、音の強弱や遅い早いで工夫の余地などない。実際今回の演奏は、過度に粘らず、時に楽器が鋭い飛び込みを見せるあたりにルイージの個性は感じられたものの、全体を通して、ただ楽譜に書かれた音を誠実に再現するという音楽家の使命を果たそうという姿勢が強く感じられたのである。もちろん全体を通して非常に見事な演奏であったのだが、私の感想では、出色は後半の 2楽章。第 3楽章の弦楽器群のささくれだった狂気と、同じ弦楽器群が第 4楽章で聴かせた絶美の音の流れの対象には、実に鳥肌を禁じ得ない、ただならぬ切実さがあった。このオーケストラの素晴らしさは、太い音の流れを作り出しながらも、実に敏感に指揮者に反応することであって、特に今年の演奏では、ルイージとの共感、あるいは強い信頼関係というものを随所に感じさせ、それはそれは、実に深く説得力のある音楽であったのだ。これはやはり、世界のどこに出しても通用する音楽であり、松本だけでしか聴くことができないのはもったいない。いやもちろん、この音楽祭が 25年間に亘りこの松本で継続して来たからこそ、このレヴェルがあることは間違いないし、音楽祭を支える市民やヴォランティアの人々の努力が、この極上の音のひとつの要素になっていることも実に尊いことだ。だが、やはり世界に発信することが必要であろうし、世界から多くの人々を迎え入れることが望ましいと思う。これだけの演奏を聴いて、冷静でいられるわけもない私は、この感動をどこに持って行けばよいのか分からず、まずはこのブログでご紹介するわけである (笑)。

このルイージは、来年以降もマーラー演奏を継続してくれるであろうか。そして彼とこの音楽祭との関わりは、今後どうなって行くのであろうか。大変に気になるところである。その一方ルイージは今週、実は東京のステージに登場する。それについてはまたご報告できると思うので、お楽しみに。

ところで、松本駅前のロータリーにこのようなもの発見。小澤の書というものを初めて見たように思う。
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実はこの時計台にはほかにも「岳都」「学都」とあって、それぞれのガクト分野の専門家の書が彫り込まれている。確かに松本では、山、教育、音楽が豊かに人々の暮らしを彩っているように思う。都会の生活に疲れた人間にとっては、ほんの数時間の滞在でも、何か大切なものを与えてくれる街なのである。

by yokohama7474 | 2017-08-20 23:39 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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