大野和士指揮 東京都交響楽団 (ピアノ : ハオチェン・チャン) 2017年 9月 4日 東京文化会館

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東京都交響楽団 (通称「都響」) の今月の定期の指揮台に立つのは、音楽監督の大野和士。ふと考えてみれば、N 響はパーヴォ・ヤルヴィ、東フィルはアンドレア・バッティストーニ、新日本フィルは上岡敏之と、9月は首席指揮者または音楽監督が登場する楽団が多い。やはり秋のシーズン (再) スタートの大事なタイミングに、それぞれのオケが実力を競い合うということであろうか。そういうことであれば、聴き手としてもうかうかしていられない。それぞれのオケにおいて、どんな顔ぶれでどんな曲目が演奏されるのか、しっかり見届けないと、いや、聴き届けないといけない。

大野は今年 57歳。2008年から務めたリヨン国立歌劇場の音楽監督は既に退任しており、現在のポストはこの都響の音楽監督と、バルセロナ交響楽団の音楽監督。そして来年 9月からは、新国立劇場の芸術監督に就任する。近い将来、東京のオーケストラとオペラの顔は両方この人になるわけだ。私の願いは、この才能あふれる指揮者が日本にだけとどまって、欧米での活動が減ってしまいことがないように、との一点である。だがその一方で、東京にいながらにして彼の指揮を定期的に聴くことができるというのも、東京の音楽ファンの特権とも言える。大野の素晴らしい点は、その知性と冒険心にあり、その凝ったプログラミングから当日の演奏のスリリングさに至るまで、聴き手に多くを期待させる指揮者なのである。
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その大野、今回の演奏では、ちょっとした変化球で攻めてきた。ラフマニノフの 2曲からなる曲目。
 ピアノ協奏曲第 3番ニ短調作品 30 (ピアノ : ハオチェン・チャン)
 交響曲第 3番イ短調作品 44

セルゲイ・ラフマニノフ (1873 - 1943) はもちろん、ロシア生まれの大作曲家であり大ピアニストであるが、彼の作曲家としての業績をいかに評価しようか、私にはちょっと迷うところがあると、以前もこのブログで書いたことがある。70年の生涯は決して短いものではないが、作品番号がつけられた作品はわずかに 45作品と、かなり少ない。もちろん、ピアニストとしての活動に時間を取られたり、米国への移住という経歴による苦労もあるだろう。また、作品解説を読むとしばしば、自信作の評価が低くて精神的に参ってしまうこともあったようだ。このような大男であるが、その神経は細やかであったのだろう。
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以前も書いたが、私にとっての文句なしの彼の傑作は、ピアノ協奏曲第 2番と交響曲第 2番。だが今回の演奏会はそうではなく、それぞれの「第 3番」が演奏された。もちろん、2番 + 2番では一晩の演奏会としては演奏時間が長すぎる一方、3番 + 3番ならちょうどよい。才人大野のラフマニノフは、いかなる成果となったのだろう。尚、ピアノ協奏曲 3番は 1909年の作、交響曲 3番は 1936年の作と、この 2曲の作曲された時期には、かなりの隔たりがある。

まず協奏曲のソリストとして登場したのは、1990年上海生まれのハオチェン・チャン。2009年、ヴァン・クライバーン国際コンクールで史上最年少で優勝した若手である。このように、キリッとしたなかなかの好青年だ。
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彼のピアノは今回初めて聴いたが、大変美しいタッチでクールに音楽を進めるタイプで、若さに任せた暴走もない代わり、韜晦なところもないクリアな演奏を聴かせる人である。この協奏曲は歴史上のピアノ協奏曲で最も難しいという評価もあるぐらいで、技術的なことは私には分からないが、私の思うところ、その情緒の表現にも難易度があるのではないか。つまり、2番のような甘い情緒とロマン性だけではなく、静かな部分からダイナミックに盛り上がる推移に唐突性が見られ、ある一定の雰囲気の持続時間が短いと思う。だが今回の演奏、冒頭のシンプルで印象に残るメロディは実に淡々と、そっけないくらいに弾き進みながら、その後の音楽的情景の移り変わりの中で、いざというときには細部まで神経の行き届いた、跳ねるような美音を繰り出して、一本筋の通った音世界を創り出していた。その個性は独特で、技術のみでもなく、感性のみでもない微妙なバランスには、傾聴に値するものがあったと思う。大野が率いる都響は、いつものように充実した音を縦横に響かせ、これまた見事。聴き手にとっても大変に難しいこの協奏曲を、楽しく聴くことができた。いやもちろん私の中では、2番との比較から、「この流れでなんでこう来るかなぁ」という不思議な感覚が今回も何度も現れ、曲の評価を変えるようなことはなかったが、それでも、これまで数多く聴いてきたこの曲の演奏の中でも、屈指の出来であったことは間違いない。そしてチャンが弾いたアンコールは、なんと全く違った音楽、モーツァルトのピアノ・ソナタ第 10番 K.330 の第 2楽章だ。もちろん大変な名曲であり、天上の音楽のようなその透明な抒情性は、まさにモーツァルトの神髄だが、技術だけではどうしようもないこの曲をチャンは、ラフマニノフの冒頭部分と同じく、淡々と、しかし情緒豊かに演奏して、素晴らしかった。今でもその音が耳に残っているような気がする。

そしてメインの交響曲第 3番である。44 という作品番号から、最後の作品 (作品 45) 「交響的舞曲」のひとつ前の作品であることが分かる。そもそもラフマニノフは、米国に移住して以降、生涯をそこで終えるまでの 25年間に、たったの 6曲しか作曲をしていない。因みにこの交響曲 3番の前、作品番号 43は、有名な「パガニーニの主題による狂詩曲」である。ともあれラフマニノフの 3曲の交響曲と「交響的舞曲」は、今日ではそれなりの知名度があって、録音も数々ある。だがここでも私は、大傑作である交響曲第 2番と比べてほかの曲には、どうものめり込めないことを白状しよう。この 3番も、学生時代にオーマンディとフィラデルフィア管のアナログレコードで初めて聴いて以来のつきあいだが、ハリウッド音楽のような第 1楽章の第 2主題以外は、あまり印象に残らないのである。そんな曲を、譜面台すら置かずに完全に暗譜で情熱をもって指揮をした大野は大したものであったが、ここでもやはり都響の充実した美音が、曲の冗長さを救ったと思う。音の流れは非常にスムーズでありながら、大野の特徴である曲想の対照の強調にも充分な余裕があり、すべてのパートが芯のある音で鳴っていた。これは名演であったと思う。考えてみれば大野と都響は、先にスクリャービンの 3番の交響曲を演奏している。調べてみるとスクリャービンはラフマニノフより 1つ年上の同世代であるだけでなく、モスクワ音楽院での同級生であったようだ。なるほど、この全くタイプの違う作曲家たちは、どのような会話を交わしたのであろうか。因みにスクリャービン 3番は 1904年の作曲。ラフマニノフ 3番とは、曲想も違えば書かれた時代も違うのだが、知性と冒険心に溢れた大野のこと、これらロシアの 20世紀の交響曲を演奏することで、マーラー演奏の次の展開を都響とともに模索しているようにも思えて、大変に興味深い。

このように、私の中で曲の評価が一変するということにはならなかったが、東京で聴くことのできる最高水準の音楽であったことは間違いないだろう。このラフマニノフの 3番は、11月に来日するサイモン・ラトルとベルリン・フィルも演奏する。なんでまたベルリン・フィルがこんな曲を? という思いもあるものの (笑)、それはそれで楽しみにしたいと思っている。

by yokohama7474 | 2017-09-05 01:08 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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