ハイドリヒを撃て! 「ナチの野獣」暗殺作戦 (ショーン・エリス監督 / 原題 : Anthropoid)

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ナチスについての映画は、昨今でも枚挙にいとまがない。このブログでも、フィクションながら現代と切り結ぶ問題作や、実話に基づきながら課題の残る内容の作品などをご紹介して来たが、ここにまた、実話に基づいてナチスへのレジスタンス活動を描いた力作が登場した。これは 1942年 5月、ナチス支配下のチェコスロヴァキアの首都プラハで実際に起こった、ナチス親衛隊大将ラインハルト・ハイドリヒの暗殺事件をテーマにしている。ハイドリヒについて私は詳しく知るものではないが、悪名高きナチの親衛隊 (SS) で、冷酷非道なハインリヒ・ヒムラーに次ぐ No.2 であったそうだから、まさにナチス政権の中枢にいた人物。実際にユダヤ人虐殺計画の首謀者のひとりであったが、ナチの要人として戦時中に暗殺された唯一の人物となった。これがそのハイドリヒ。そう思って見るせいか、冷酷に見える。
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英国政府とチェコ亡命政府の司令を受けた 2人の軍人、ヨゼフ・ガブチークとヤン・クビシュ (2人とも名前の響きから、チェコ人であろう) がパラシュートでチェコ国内に降り立ち、秘密裡にプラハのレジスタンスの人たちと連携して、暗殺計画を練る。暗殺当日、思わぬアクシデントに見舞われて射殺には失敗するが、結果的にハイドリヒは数日後に病院で死亡。結果的にナチに一矢を報いることとなった。だが、このような反逆をナチスが放置しておくわけもなく、血も涙もない取り締まりを容赦なく行い、報奨による密告制度を設定し、ついに暗殺を遂行したレジスタンスたちを追い詰める・・・。このような内容であるから、見ていて楽しい映画ではないことは間違いない。映画のメッセージは、平和な現代であるからこそ、また、平和な日本 (隣国が核実験やミサイル実験を頻繁に行っている状態で平和と言うのも、気がひけるものの・・・) であるからこそ、強く響いてくる。シネコンでは上映しておらず、非常に限られた規模の劇場でしか見ることができないのは、大変に残念だ。尚、原題の「エンスラポイド」とは類人猿のことで、この暗殺作戦のコードネームである。この暗殺対象は人にあらずという意味が込められているのであろうか。これが劇中のハイドリヒ。雰囲気はよく似ている。
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さて、映画の重大なメッセージは理解した。では、純粋に映画として見てみるとどうであろうか。私の評価は、残念ながら映画としての水準には課題が多いというもの。そのひとつの理由は、手持ちカメラを多用し、室内のシーンでもあまり照明を使っていないように見えることだ。短いカット割りでサスペンスを演出するシーンの意図は分かるが、慌ただしことこの上ないし、画像がお世辞にもキレイとは言い難い。あえて言ってしまえば、室内も屋外も同じような黄色がかったトーンの映像で、単調に陥ってしまっていると思う。私の持論は、映画はとにかくまずはキレイな映像を丁寧に撮るべきというもので、もちろん、ゴダールとかウディ・アレンなどになると、決して丁寧には撮っていないかもしれないが、不思議な映像の力が常にある。それは特別な天才的才能によるもので、通常の監督は (いや、天才でないとよい映画を撮れないわけではなかろうから、「通常の監督」で充分である)、やはり絵の作り方には、じっくりと取り組んで欲しいものである。それからこの映画、ストーリーのどこまでが史実であるのか分からないが、こんな緊張の中でレジスタンス同士が恋に落ちてよいのかという疑問を覚えるし、最終的に立てこもる闘士たちは主役の 2人だけでなく、10人前後いるので、ここは 2人に焦点を絞らず、さらにほかの闘士たちのキャラクターも描く方が、奥行きが出たのではないかと思う。あえて言ってしまえば、主役の 2人を中心に据えて迫力ある映画を撮ろうという作り手の情熱が、少し空回りしているように思い、残念であったのである。実は監督のショーン・エリスは、脚本も手掛け、さらには撮影まで担当している (もともとカメラマンのようだ)。そのことが裏目に出てしまったのかもしれない。

これが主役の 2人、ヨゼフ役のキリアン・マーフィ (左) と、ヤン役のジェイミー・ドーナン (右)。前者はアイルランド出身で、「ダークナイト」「インセプション」と、クリストファー・ノーラン映画の常連で、近く公開される「ダンケルク」にも出演している。後者は英国 (北アイルランド) 出身で、もともとはモデルである由。
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この 2人はなかなかに熱演であるとは思うものの、正直、諸手を挙げて大絶賛という感じでもない。というのも、上記のような決して美しくない画面の中での演技に、どこか切実さが乏しいと感じるからだ。セリフの抑揚も小さく、感情がほとばしるシーンは少ないが、それは監督の演出なのであろうか。そしてこの主演をはじめとして、ナチを除く登場人物が喋っているのは英語である。先に「ヒトラーへの 285枚の葉書」の記事の中で、セリフが英語であったことが不満だと書いたが、この映画にはそれはあてはまらない。なぜなら、ここでは、チェコ語という言語がマイナーであるがゆえに、それをそのまま英語に置き換えていると解釈すれば、納得が行くからだ。それゆえ、狡猾で冷酷な敵国人が、ドイツ語という異なる言語を喋る点に緊張感を感じることになる。その点は成功していると思った。だが、そういうことなら、ちゃんと英語を母国語とする、あるいはそれに等しい英語の能力を持つ役者で固めて欲しかった。私が気になったのは、レジスタンスの同士の女性たちの喋る英語。女優のひとりはチェコ人。もうひとりはカナダのモントリオール生まれ、つまりフランス語圏である。ここでの英語がチェコ語の代わりであれば、(ほかの脇役たちはともかく、主要な役の女優たちについては) これはまずかったのではないか。

ところでこの映画のチラシの裏面には以下のような宣伝文句がある。
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ラスト 30分間にどんなシーンが出て来るのかは、例によってネタバレを避けるためにここでは言及しないが、この一連のシーンは見応えがある。上記に書いた私のこの映画への不満のかなりの部分は、この終盤のシーンによってかなり消えてしまった。そのくらいのインパクトがあるのである。恐らくは実話をもとにしたのであろうが、舞台設定が非常に大胆で、え、こんな場所で本当にそんなことが?! と思うこと必至である。国のために命をかけて戦う人々の誇りと絶望が、徐々に胸を締め付けるのである。このシーンを見ていると、劇中で描かれていたレジスタンス同士の微妙な関係や、一体誰を信じればよいのか分からない緊張感といったものが甦ってきて、その意味するところは実に重い。もし自分がこのような境遇に置かれれば、一体どう振舞うだろうかと、自問自答するべき内容である。それゆえ、クライマックスに至るまでの技術的な不満を越えて、ズシリと胸に応える映画になっているのだ。

さてこのハイドリヒ暗殺事件、過去にも映画化されている。そのうちのひとつは、あのフリッツ・ラング監督の「死刑執行人もまた死す」である。私も随分以前、ラング作品の特集上映で劇場で見たが、詳細は全く覚えていない。今調べてみると、暗殺事件そのものを描いたものではなく、後日譚である。ラングと言えば、「メトロポリス」をはじめとして、ドイツで活躍した映画監督。ユダヤ系であったために米国に亡命したのであるが、今回初めて知ったことには、この「死刑執行人もまた死す」の原案は、このラング自身と、それからベルトルト・ブレヒトなのだ。ブレヒトもまたドイツから亡命して来ていたわけだが、およそイメージの異なるこの 2人の芸術家が、こんなところでコラボしていたとは。
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そしてもうひとつの余談は、このハイドリヒ暗殺に対するナチの報復として起こった有名な悲劇について。その舞台は、チェコの片田舎のリディツェという村だ。ハイドリヒ暗殺犯がここに潜んでいると見たナチスは、驚くべきことに、村全体を破壊した。村人 500人ほどのうち、15歳以上の男性約 200人は全員射殺。女性約 180人は強制収容所に入れられ、1/4 がそこで死亡。100人ほどの子供たちは、アーリア人と判別されてドイツに送られた 8人以外は全員強制収容所行きだったという。数々のナチの悪行の 1つの出来事に過ぎないかもしれないが、それにしても、その極悪非道さには言葉もない。音楽や美術が好きな人なら先刻ご承知の通り、チェコ人は非常に愛国心の強い人たちで、この破壊された村は戦後再建されているし、音楽の分野では、チェコ近代を代表する作曲家、ボフスラフ・マルティヌーの「リディツェへの追悼」という悲痛な管弦楽曲が知られている。この曲によって、ナチスの蛮行は永遠に語り継がれる。芸術の力は侮れないのである。

さて、ここで私が気づいたことには、この「死刑執行人もまた死す」も、マルティヌーの「リディツェへの追悼」も、ともに 1943年の作なのである!! つまり、ハイドリヒ暗殺の翌年で、未だ戦争真っ最中のことなのだ。この事実は、深く考えさせられることである。インターネットも国際中継もない時代であっても、勇気ある芸術家たちの創作活動は、ナチの悪行の同時代にあって、それを容認しなかったということである。蛮行を行うのも人間なら、それを非難する力も人間には備わっているのだ。

この写真は、ハイドリヒが実際に乗っていて襲撃された車である。アンディ・ウォーホルの事故のシリーズにでも出てきそうな感じだが、ここに残された弾丸の跡が動かした人類の負の歴史を、私たちは意識して学ぶ必要があると思う。
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by yokohama7474 | 2017-09-06 00:11 | 映画 | Comments(0)
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