海底 47m (ヨハネス・ロバーツ監督 / 原題 : 47 Meters Down)

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この映画、題名そのままである。海の中、深さ 47m。そこで一体何があったのか。予告編を見る限り、この映画の設定は以下のような単純なもの。
・姉妹とおぼしき女性 2人組が、異国のマリンリゾートで、海の中にケージを沈め、そのケージの中から迫力満点のサメを見るというアトラクションに参加することとする。
・ところがそのケージを船につないでいるワイヤーの強度が充分でなく、あわれワイヤーはぶっつり切れ、ケージの姉妹は海底まで落ちて行く。
・海底は水深 47m。急いで自力で水面まで上がろうとすると、脳の中に気泡ができる潜水病にかかる恐れがある上、どこで巨大サメに狙われるか分からない。かと言って海底に留まっていると、遠からぬうちに酸素ボンベが切れてしまう。

うーん、さぁ、どうする!! これだけシンプルな設定において、一体どんなストーリーが可能というのか。ええっと、(1) 海底で座して死を待つ。(2) 脱出を試みてサメに食われる。(3) 幸いにしてサメには食われないけど、慌てて浮上して潜水病で一巻の終わり。それ以外の選択肢があるというのか。そして、それらの選択肢を映画化して、何か面白いのか (笑)。このようなシンプルな設定ゆえか、この映画は日本ではかなり冷遇されていて、劇場に行ってもこの作品のプログラムは売っていない。なぜなら、本来この映画は劇場公開なしにネット配信だけという予定であったからだ。それがいかにして劇場公開にこぎつけたのか、私の知るところではないのであるが、ひとつフェアでない点は、通常の劇場公開作品に比して宣伝が限られているということだろう。私の場合はたまたま何かの映画を見に行った際に予告編を見て、そのシンプルな設定に興味を惹かれたがゆえに、是非この映画を見てみたいと思ったものである。うぉー、こわ。これはイメージです。
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そもそも私の世代は、物心ついて初めての大ヒット映画は、あのスピルバーグの「ジョーズ」であった。当時小学生の私は、この死んだ魚のような (?) 無表情な目をした巨大な魚が、その強力なキバと顎の力で、人間を含むあらゆるものを食いつくすという野蛮さに魅せられ、学校で詩を書けという課題が出たときに、そのような非情なサメを題材にしたのであった。それゆえ、サメに襲われる人間というこの映画の設定は、どこか私の琴線に触れる部分があったのである。私と同じ世代でなくとも、サメの凶暴性に興味を惹かれる人は多いのではないだろうか。そして私は思うのである。この映画を劇場公開に持って行った人は、なかなかモノが分かった人に違いない。ところが実態は残念ながら、この間の週末、お台場で私がこの作品を見たとき、観客がたったの 5人 (!) であったのである。だが実際のところ、この映画は結構面白く、見た人は誰でもそれなりに楽しめるものだと思うのだ。いや、それだけではない。まず冒頭のシーンが洒落ている。水中からとらえた、浮き袋で水面に浮かんでいる女性。そして何物かがその女性をめがけて水中から突進する。あっと思う間もなく浮き袋から水中に投げ出される女性。そして水はみるみる赤く染まる・・・。あぁっ、いきなり惨劇か!! と思うとそれは、メキシコでバカンスを楽しむ姉妹で、メランコリックな性格の姉を冷やかす活動的な性格の妹のいたずらであったのである。水を赤く染めたのは、姉がグラスで飲んでいたワインであったのだ。私はこの冒頭のシーンのセンスに感心した。そうそう、サメの襲撃を偽装したこのシーンに、姉妹の運命が暗示されているのである。これが主役の姉妹。右が姉、左が妹である。
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彼女らは、旅先で知り合った男たちが薦めるアトラクション、つまりは沖合までボートで行き、海底 5mのところに沈めるケージに入り、そこに鮮血をしたたらせた魚の切り身を投じることでやってくる巨大ザメを観察するというツアーに参加する。慎重な性格の姉は躊躇するが、冒険好きの妹の後押しによって、海に入る決心をする。このあたりの姉妹のスタンスの違いと、メキシコの男たちとの逢瀬の楽しみ方は、シンプルでありながら、なかなかよく描けていたと思いますよ。そしてここから先を書くとどうしてもネタバレになってしまうので、さて一体何を書こうか迷うところではあるのだが、ひとつ言えるのは、このように誰がどう考えても絶望的な状況においても、知恵を絞って、たとえリスクがあっても、取りうる手段を講じることが大事だということだろう。その点は冗談ではなく、この映画から生きる上でのヒントを得ることができると思う。例えば、海底に落ち、無線も通じない状況であれば、サメがやってくるリスクを犯してでも、ケージから出て頑張って浮上して、水面にいるクルーたちに無線で呼びかけることがどうしても必要であろう。それをしなければ、本当に座して死を待つわけで、同じ死ぬなら、サメに食われるリスクを犯してでも、水上からの助けを待つべきである。うーん、もし私がいつかこのような危機的状況に追い込まれたときには、リスクを取って生き残る道を模索することとしよう。いやもちろん、そんな目に遭わないに越したことはないのだが・・・。
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この映画においては、極限状態において人間が取るべきリスクが表現されている。残念ながら現実世界には、巨大な力を持って弾よりも速く空を飛ぶ異星人もいなければ、種々の乗り物を駆使して悪と闘う大富豪もいなければ、念力でモノを遠隔操作できるミュータントもいなければ、通常は車の形をしたロボット生命体もいない。人間が直面する危機は、人間の力によって切り抜けるしかないのである。人間の能力には限界があるゆえに、その限界に挑戦することには大いなる意義があるのである。実際のところこの映画においては、少し希望が出て来たと思ったら、それをあざ笑うようにその希望が潰えてしまう。こういう展開でこう来たか!! という裏切られ感が心地よい。だから、宣伝が不足しているがゆえに公開されている劇場も少ないということは、フェアではないと思うのである。うわー、目が合ったけど、来るな、来るな!!
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極限状態においては、それぞれの人のサバイバル能力が試される。ここで描かれている対照的な性格の姉妹は、さて、この危機にどう対処して、果たして生き残ることができるのであろうか。この映画は海洋映画というよりも、緊急事態における人間の能力を描いているという点で、普遍性を持つものであると思う。だから、これを見たら怖くて海に行けないと恐れる必要はない。もしかしたら明日、普通に地上で生活している人が、このような危機に襲われないという保証はないのだから。危機を前にしても冷静に、勇気を持って行動しようではないか!!

最後に、この映画の結末について言及したい。この結末、見る人によってはなんだこれだけか、と思うかもしれないが、人間の孤独に鋭く迫っている部分もあるのではないか。ネタバレはしないが、クラシックファンにだけ分かる方法で少しヒントを書くと、これは、あの不世出の演出家ジャン=ピエール・ポネルが 1980年代にバイロイトで演出した「トリスタンとイゾルデ」のラストに似ている。分からない人にはチンプンカンプンであろうが、このシーンのあとに来る衝撃のラストである。
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そんなわけで、「ジョーズ」と「トリスタン」の交わるところ、人間の可能性を知ることができる、と大袈裟なことを言わずとも (笑)、この映画、素通りするにはもったいない。もうあまり長く劇場にかかっていないと思うので、興味をお持ちの方は、急いだ方がよいと思います。

by yokohama7474 | 2017-09-08 00:20 | 映画 | Comments(0)
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