大野和士指揮 東京都交響楽団 2017年 9月11日 サントリーホール

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ちょうど一週間前のオール・ラフマニノフ・プログラムに続く大野和士と東京都交響楽団 (通称「都響」) の演奏会は、このコンビにしては若干異色のレパートリーと言ってよいだろう、上のポスターにもある通り、ハイドンのオラトリオ「天地創造」である。まさに何もない混沌の状態の描写から始まり、神による天地と動物、そして人類の創造の 7日間が描かれ、そして最初の人類であるアダムとイヴが愛の語らいをするという壮大な内容を、実に気の利いた音楽で表現した 2時間近い大曲。都響の定期公演のプログラムは毎月 1種類であることが多いが、今回、この曲は 2回演奏された。私が聴いたのはその 2回目。大野と都響の採り上げるレパートリーには近現代曲が多いというイメージがあるが、もちろんこのような古典派のレパートリーに関しても期待は大である。しかも今回の演奏には、ちょっと驚きの団体も登場する。
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これは、世界一の合唱団という評価を不動のものとしているスウェーデン放送合唱団。合唱の神様と異名を取ったエリック・エリクソン (2013年に 95歳で他界) が 1952年から首席指揮者としてそのレヴェルを世界トップに押し上げた。現在の首席指揮者は、上の写真左側のペーター・ダイクストラ。1978年生まれのオランダ人で (道理で背が高いはずだ 笑)、合唱だけではなくオーケストラの指揮者としても活躍している。今回はこの合唱団 (男女合わせて 30名ほどの規模) が来日ツアーを行っている機会をとらえ、この都響の演奏会に出演することとなったわけである。プログラムには、都響との共演は 2015年10月以来とある。残念ながら私はそれを聴いていないので、どのような曲目であったのか調べると、実に渋く、リゲティのルクス・エテルナ、シェーンベルクの「地には平和を」、そして、モーツァルトのレクイエムというもの。指揮はダイクストラ自身であった。これがそのときのポスター。
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私が初めてこの合唱団を知ったのは、リッカルド・ムーティ指揮ベルリン・フィルによるヴェルディの聖歌四篇のアナログレコード (1982年録音) によってであった。当時その盤における合唱団の異様なレヴェルの高さは、大変評判になった。私はこの聖歌四篇という曲に、今に至るもあまり親しめないのであるが、だがそれにしても当時初めて聴くその曲における合唱の美しさには、深く感動したものである。そして実演では、1996年のクラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィル来日公演におけるサントリーホールでのマーラーの「復活」。そのときのクライマックスの感動は未だに記憶に鮮明で、合唱団が大きく盛り上がるところでアバドは指揮の身振りをむしろ小さくすることで、ちょっと信じられないような壮大な音響を作り上げていた。

さてこのような特別な合唱団が登場した今回の演奏会であったが、やはり私はこの合唱団の特別な歌いぶりに、またまた感動させられたのである。なんと表現すればよいのだろう、弱音では地を這う霧のように無重力感を持って漂い、音量が増すと、繊細な織物が広がって行くように拡張し、大きな音に至ってもその美感は一向に変わらないのである。それでいて、合唱が全曲を支配するイメージではなく、うまくオーケストラと寄り添っている。東京のステージに登場する日本の数々の合唱団も、もちろんレヴェルは高いとは思うのだが、今回のような歌唱を聴くと、やはり世界最高とはこういったものか、という感を強くするのである。

大野の指揮は、いわゆる古楽風の教条的アプローチではなく、この曲の大らかな人間性を表現しようとしていたように思う。もちろん、古楽風な要素が皆無というわけではなく、彼にしては珍しくヴァイオリンは左右対抗配置にしていたし、通奏低音にはチェロだけでなくチェンバロも使用していたが、一方で、弦のサイズはコントラバス 5本 (チェロ 6本) と小さすぎず、ティンパニもトランペットも、通常の現代楽器を使っていた。もちろん都響であるから、いつものような芯のある音でニュアンス豊かに演奏していたが、今回は特に木管のセンスのよさが随所で光っていたと思う。このオラトリオには凝った描写やユーモラスな描写が目白押しだが、冒頭、天使ラファエル (バリトン) が「はじめに神は天と地を作られた」と静かに歌い出し、合唱がそれに次いで神秘的に歌い、「光あれ!」という歌詞に至って音楽が盛り上がるまでは、ソリストも合唱も譜面を手に取らなかった点も興味深かった。それぞれの情景を表情豊かに描き分ける大野の手腕は大変に見事なものであり、ハイドンの音楽の人間性を充分に表していた。ふと思ったのは、このようなヒューマニティ溢れる音楽が、宗教性を越え、また貴族のための音楽という範疇を越えて、例えばベートーヴェンの 9番のような曲の前触れになったのではないかということ。いかなる文化芸術も、先人の業績なしにはあり得ないものであり、連綿と続く音楽の伝統を感じることには大いに意味があるだろう。

独唱歌手陣は、ソプラノが最近大活躍の林正子、テノールが吉田浩之、バリトンがディートリヒ・ヘンシェル。それぞれに熱演であったが、日本人 2人、特に林の歌唱は、ちょっとオペラ的すぎたような気もしないでもない。まあ、それとても、大野の手による壮大な生命賛歌のひとつの要素であったと思えば、目くじらを立てることもないと思う。それから、ひとつ気になったのは、休憩を第 2部の真ん中、第 5日終了後に入れたこと。以前、鈴木秀美指揮の新日本フィルによるこの曲の演奏を採り上げた際に書いたが、この曲は、天地創造の 7日間を描く第 1部・第 2部 (演奏時間約 90分) と、アダムとイヴが登場する第 3部 (演奏時間約 30分) に分かれていて、内容から言えば、当然第 2部終了後に休憩を入れるべきだ。だがそれでは、前後の演奏時間がアンバランスになってしまうので、今回のように、ちょうど半分ほどの箇所で休憩を入れたのであろう。それは理解できるのだが、やはり聴いてみて少し違和感もあった。これは前日、東京芸術劇場での演奏の様子。
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演奏全体として振り返ってみれば、極めて充実したものであったことは間違いない。多様な音楽を上質の演奏で聴くことができる東京は、やはり文化度の高い街なのである。そういえば、今出ている雑誌「東京人」10月号は、「クラシック音楽都市? 東京」と題した特集を組んでいる。「ホールもオーケストラの数も十分なのに・・・」とあって、その先にどんなメッセージがあるのか気になるので、買ってみた。大野和士と、やはり指揮者の広上淳一、ピアニストの小山実稚恵の鼎談に、東京の課題のいくつかが言及されている。音楽に興味のある方もない方も、ちょっと覗いてみてはいかがだろうか。
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by yokohama7474 | 2017-09-12 01:56 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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