バイエルン国立歌劇場来日公演 ワーグナー : 歌劇「タンホイザー」(キリル・ペトレンコ指揮 / ロメオ・カステルッチ演出) 2017年 9月21日 NHK ホール

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ドイツ南部、バイエルン州の州都ミュンヘンにあるバイエルン国立歌劇場は、ドイツ国内はもちろん、世界的に見てもその歴史と実績において、まぎれもなくトップクラスのオペラハウスである。もちろん、ワーグナーはここバイエルンの国王ルートヴィヒ 2世の庇護を受けたわけだし、リヒャルト・シュトラウスはここミュンヘンの出身である。なので、この 2人の作曲家の作品群は、この歌劇場の宝である。指揮者陣も、ブルーノ・ワルター、ハンス・クナッパーツブッシュ、クレメンス・クラウス、ゲオルク・ショルティ、ウォルガンク・サヴァリッシュなどの歴史的巨匠たちが大きな貢献を果たして来た。私はこれまでにミュンヘンは 2回訪れていて、アルテとノイエの両ピナコテーク (要するに新旧の絵画館)、レーンバッハ・ハウス、画家フランツ・フォン・シュトゥックの旧宅などは訪問したが、残念ながらオペラもオーケストラコンサートも、ここでは経験したことがない。一度は、スメタナの「売られた花嫁」という、誰もが垂涎の超人気オペラとは思えない作品を見ようと思い、当日気軽にボックスオフィスに出向いたところ、既にソールドアウトで愕然とした。すると、当時このオペラハウスの音楽監督に任命されたばかりだった (と思う) 指揮者ケント・ナガノが、ボックスオフィスのすぐ横を関係者と話しながら通り過ぎて行ったのである。この話、特にオチはないが (笑)、そんなバイエルン国立歌劇場、通称ミュンヘン・オペラの 6年ぶり 7度目の来日公演が始まった。今回の目玉はなんと言ってもこの人、現在の音楽監督であるロシア人、キリル・ペトレンコである。
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既に、9月17日 (日) に東京文化会館で行われた、マーラー 5番をメインとするオーケストラコンサートの様子はこのブログでもご紹介したが、2019年秋にベルリン・フィルの首席指揮者・芸術監督に就任することが決まっているこの指揮者の初来日には、クラシック・ファンなら誰もが興味津々であろう。今回彼が指揮するオペラは、ワーグナーの比較的初期の作品「タンホイザー」である。今回私が聴いた 9/21 (木) が初日で、9/25 (月)、9/28 (木) と 3回の公演が開かれるが、実はすべて 15時開演。ホールと関係者のスケジュールの都合で、平日ばかりになったのは致し方なかったのだろうか。だが、平日のこの時刻ということは、勤め人には非常にきつい。事前に調べると、恐らく週末公演がないという事情であろう、どの日もチケットは完売ではなかった。いかにペトレンコの話題性をもってしても、平日に大入り満員とはならなかったわけである。もちろん、海外一流オペラハウスの引っ越し公演の常で、チケットが高額であることも苦戦の要因であることは確かだろう。私はなんとか最安に近い席のチケットをゲットし、前広に有給休暇を取得することで、この公演に出かけることができた。現場に行ってみると、それはこの巨大な NHK ホールのこと、多少席が空いていても、充分多くの聴衆が集まっている。

今回上演される「タンホイザー」は、今年の 5月にミュンヘンでプレミア上演されたばかりの新演出。1960年生まれのイタリア人、ロメオ・カステルッチが、演出のみならず、美術、衣裳、照明まで一手に手掛けるという才人ぶり。なのでこの舞台が面白くなければ、その責任はこの人が一身に背負うことになるのである (笑)。もともと舞台デザインと美術を学んだ人で、1981年から自らの劇団をイタリアで率いていて、オペラ演出を手掛けるようになったのは比較的最近のことらしい。この、ちょっとエゴン・シーレを思わせる (?) 風貌から、何かやってくれそうな気がするではないか。
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このあたりで私の今回の上演についての感想を一言で述べると、ちょっと戸惑った、ということになるだろうか。演出を面白かったと手放しで絶賛する気はないが、つまらなかったと一蹴する気もない。また、歌手陣、それからペトレンコ指揮するオーケストラも、すべて完璧ということではなかったと思うが、興味深い箇所はあれこれあった。全体として成功と評価すべきか失敗と評価すべきか、ちょっと難しいというのが私の率直な感想なのである。

まず演出は、ちょっと驚く場面には枚挙にいとまがない。冒頭、序曲のシーンから動きがある。舞台全面に白い布が下がっているのだが、そのほんの一部分だけ、よく見るとシミのようなものがある。これは実は、その布の向うにある何かのシルエットであるのだ。その後、バッカナール (ワーグナーが本作をパリで上演する際に作曲した、序曲から続くバレエシーン) では、その「何か」が大量に現れて、ほとんどの観客がのけぞるだろう。映画の記事と同じく、ここはネタバレなしで行きたいのだが、ネット上やコンサートのチラシでも、既にこのようなヴィジュアル・イメージがあちこちにばら撒かれている。
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イタリアのデザイナー、フォルナゼッティを思わせる人の顔の一部アップに、何やら針灸のようなものが突き立っている!! と思うと、舞台前面には、弓を引いている女性たちがズラリと並んでいる。しかも、舞台から遥か遠くの私の席からは見えなかったが、彼女らは上半身裸?!とも見える写真がある。ここで印象づけられるこの上演の舞台設定は、神話の世界か、あるいは古代の祭祀 (例えばドルイド教) の世界であって、キリスト教やヨーロッパ中世というイメージとは程遠い。それから、最近の演出で重要な要素になっているのは、機動性というか、有体に言えば、舞台装置をなるべく簡素にすることであるようだが、その点でもこの演出は模範的。舞台装置はほとんどなく、今回もミュンヘンからのセットの運搬費は、それほど高くついていないだろう (笑)。だが、ヴィジュアルの作り方は非常に凝っていて、上の写真で写っている巨大な目は、気が付いたら耳になっているし、そのあとは、木の枝にも見える単色の絵画に変わって行くのである。その流れで行くと、第 2幕のこの映像がすごい。
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1幕の冒頭では月の象徴かに見えた背後の円形に、ここでも何か人体の一部のような映像が投影されているのだが、それが回転して、血のような赤い色が同心円を描いて流れて行く。私が見た線の描かれ方は、上の写真とは違っていたので、何らかの偶然性に任されているのであろう。どのような仕掛けなのか皆目分からないが、視覚的なイメージとしては強烈である。その他の忘れられない映像をいくつか挙げると、このジャバ・ザ・ハットをもっとヌメヌメさせたような (?) ヴェヌス。因みにこのシーンでは舞台前面に紗幕がかかっていて、紗幕を嫌悪する私としては、この点ばかりは苛立たしいことこの上ない。
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第 2幕では、「マグマ大使」に出て来る人間モドキ (古い!!) のような全身タイツの黒子が大勢現れ、一糸乱れぬ組体操 (?) を見せるのだが、これはどうも、バラエティ番組におけるコントのようで、ちょっとどうかと思ったものだ。大きなレースのカーテンが舞台上で何枚も動きながらそよいでいるというイメージは美しいのだが、その前で、こらこらアナタたちは一体何をしているの??? という感じ。せっかくの歌の殿堂での大行進曲が台無しではないか!!
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第 3幕は一転して終始暗い中で展開するのだが、なんとも奇妙なことに、タンホイザーやエリーザベトの背後で、2つの台にとっかえひっかえ、死体らしきものが一対ずつ置かれて行く。私の席からは詳細は見えなかったが、これはどうやら、日本でいう九相図のようなものではないか (興味のある方は、是非谷崎潤一郎の「少将滋幹 (しょうしょうしげもと) の母」を読まれたい)。最初は死後間もない死体に始まり、徐々に肉体が崩壊して行って、最後はこの写真のように骨になるまで。無常感を覚える。
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さあ、非常に限定的な舞台装置で展開するこれらの視覚イメージは、いかがであろうか。ひとつ言えることは、ドイツの劇場でのワーグナー上演にありがちな (あるいは、かつてはありがちだった?)、過剰かつ不必要に原作の設定から遠ざける、いわゆる読み替え演出というものとも少し違っていて、音楽の流れを邪魔するには至らないということだ。個々の場面の意味はよく分からないが、そうであっても何か刺激的なものを見ているという感覚はある。なので、その点は評価できるだろう。あとは、この「タンホイザー」という作品のメッセージをどう受け止めるかということではないか。上で見た通り、ここではヴェヌスは美しい魅惑的な女性ではなく醜悪だし、歌の殿堂はさっぱり盛り上がらないし、タンホイザーがローマから失意のうちに戻ってくるときには、既に誰も希望を抱いておらず、友人ヴォルフラムによる「夕星の歌」は、あたかも夜の闇の中で過去を惜しむように響く。どこか常に現実感を欠く印象となってしまっている。だから、面白くない演出とは言わないが、目から鱗ということにも、少なくとも私の場合はならなかった。

一方、歌手たちにも少し課題があったのではないか。なんと言っても主役を歌うクラウス・フロリアン・フォークトは、現在活躍中のテノールで、昨年の新国立劇場でも「ローエングリン」を歌っており、また、来年 4月の東京・春・音楽祭でも再び同じ役を歌うようだ。だが私はどうも彼の線の細い歌唱が苦手で、時に音程までもが怪しくなるように聴こえてならないのだ。美しい箇所もいろいろあるのだが、昔聴いたルネ・コロのような説得力は、残念ながら感じない。エリーザベトのアンネッテ・ダッシュは標準の出来で、まあこれも、バイロイト音楽祭の来日公演 (ジュゼッペ・シノーポリ指揮) でこの役を演じたシェリル・ステューダーが第 2幕で登場したときの衝撃を覚えていると、さすがに分が悪い。よかったのは、もちろんヴォルフラム役のマティアス・ゲルネ (そう言えば先日のマーラー 5番の演奏会では客席で聴いていた) と、領主ヘルマン役のゲオルク・ツェッペンフェルトといった、バス・バリトン陣であったろうか。

そしてペトレンコの指揮するオーケストラであるが、これも正直、ちょっと評価が難しい。冒頭はもっと重く始まるかと思いきや、ハーモニーを重視した意外とスムーズな流れであり、その後バッカナールに入っても、狂乱のイメージはそれほど沸き立ってこない。オーケストラが鳴っていないわけではないのだが、流れをうまくコントロールしようという意図のように聴こえた。また、上記の通り、第 2幕で大いに盛り上がるはずの大行進曲も、視覚的な要素も関係しているのか、推進力に圧倒されるには至らなかった。ただ、第 3幕の暗い舞台を這って行くようなオケの音には、何やら鬼気迫るものがあったと思う。ここには「パルシファル」や「トリスタン」を先取りする雰囲気があって、ペトレンコの指揮は、そのような深い表情に聴くべきものがあったのではないか。

我々は未だこの指揮者を充分体験できていない。今後様々な彼の演奏に触れてから、また今回の「タンホイザー」を思い出すこともあるかもしれない。演出を含め、「あ、あれはこういうことだったのか」と思う日が来るかもしれない。なので、この日の印象を心に留めておきたい。これは今回の記者会見の際の写真であるが、5月に本拠地で初演されたばかりのホヤホヤの演出を、現地と同じメンバーで 4ヶ月後にいながらにして聴くことができる我々東京の聴衆は、実に恵まれていると、改めて思うのである。だからと言ってすべて大絶賛ということではなくて、つまり、過度に有り難がることなく、問題意識をもって見ることができるのが、オペラの醍醐味なのである。あーあ、現地でも見たいなぁ。
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by yokohama7474 | 2017-09-22 01:42 | 音楽 (Live) | Comments(2)
Commented at 2017-09-23 01:03
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yokohama7474 at 2017-09-23 13:06
> カギコメさん
コメントありがとうございます。オペラの場合、演出も歌手のタイプにもある程度の流行はありますよね。特にワーグナーの上演は、演出も多彩ですし、歌手もそれはそれは大変ですから、一流歌手を聴けるだけでも、ありがたいことではあります。
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