オン・ザ・ミルキー・ロード (エミール・クストリッツァ監督 / 原題 : On the Milky Road)

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今日のニュースで、「世界都市ランキング」で、東京が昨年に続いて 3位となり、ボイントにおいて、2位のニューヨークとの差を縮めたという記事が出ていた (1位はロンドン、4位はパリ)。その理由のひとつは「文化・交流」分野であり、コンサートホールや劇場の数が貢献したとのこと。東京の文化をあれこれ逍遥するこのブログを書いている身としては、大変嬉しい結果であり、東京における文化生活の多様性につき、引き続き多くの人々にアピールして行きたいと思っております。とはいえ、全く堅苦しいものではなく、ラプソディを口ずさみながら川沿いを乱れて歩く、そんなブログであり続けるわけですが。

さて、そんな導入に続き、ここで再度確認しておきたいことがある。世界の大都市にはそれぞれ映画館が沢山あるが、邦画やハリウッドの最新作はもちろん、あまりなじみのない国の映画をこれだけ多く見ることができる街は、東京のほかにはないのではないか、ということだ。例えばパリには有名なシネマテーク・フランセーズがあり、貴重な映画作品を見ることができるが (私も一度そこの深夜上映で、小林正樹の映画を見たことがある)、この施設に相当するものは、東京では、東京国立近代美術館のフィルムセンターであって、通常の映画館ではない。その点東京では、今でもマイナー作品を上映する映画館が結構存在していて、世界の多様な映画に接することができるのである。私のポイントは、世の中に映像が溢れ、動画配信を気軽に楽しむことができる 21世紀の現在に至っても、良心的な小規模映画館がこれだけ多く存在する東京という街は、その点において極めて高い評価を得てしかるべきだということだ。

今回、私がどうしても見たいと思って、若干無理をしながらも日比谷のシャンテシネでこの映画を見ることができたのも、東京ならではの文化的僥倖というよりほかはない。エミール・クストリッツァの新作を見逃すことは、現代における非常に貴重な文化的試みを体験しそこねるということなのだから。と言いながら、私がこれまでに見た彼の映画は、「アンダーグラウンド」のみである。渋谷の小劇場のレイトショーで見た 1995年制作のこの映画、旧ユーゴの作品という物珍しさを越えて、映画という表現手段の底力を最大限に発揮した、素晴らしい作品であったのである。自分たちの普段暮らしている世界とは全く異なる緊張感や、現実の仮借ない残酷さ、そしてそこで逞しく生き抜く人間たちの生命力をひしひしと感じることができる映画であった。それ以来私にとってクストリッツァの名は、現代における最も優れた映画監督のひとりとしてインプットされた。因みにこの「アンダーグラウンド」、カンヌ映画祭のパルムドーム受賞作品である。これが今年 63歳になるクストリッツァ。サラエヴォの出身である。
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と、そのように興奮した口調で書いているものの、実のところ、最近ちょっとバタバタしていて、本作の題名をよく覚えていなかった。そんなに意気込んで何という映画を見に行くのか、と家人に訊かれたとき、「ええっと、『ミルキー・オン・ザ・ウェイ』だよ」と答えてしまったのである。その瞬間家人が思い浮かべたように、ペコちゃんがさすらいの旅に出るロードムーヴィーかといえば、さにあらず。正しい題名は、「オン・ザ・ミルキー・ロード」である。戦争が起こっている田舎町を舞台に、爆弾の飛び交う中、搾りたての牛乳を容器に入れ、ロバに乗って配達する男が主人公の物語。ペコちゃんやミルキーは、一切関係ありません (笑)。
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さて、旧ユーゴスラヴィア紛争は、東端とはいえヨーロッパという近代文明の先進地域で起こった内戦であり、私などにはとても理解のできない、凄まじい憎悪を孕んだ対立を背景としていた。紛争当時、名前からして東欧出身と思われる人と会食しているときに、なぜヨーロッパで殺し合いが起こっているのかと質問したことがあるが、何やら要領を得ない、「しょうがないんだよ」といったニュアンスの回答であったことを覚えている。クストリッツァの名作「アンダーグラウンド」はまさに、このユーゴの内戦を舞台としていた。今回の「ミルキー・オン・ザ・ウェイ」じゃなかった、「オン・ザ・ミルキー・ロード」も、音楽の使い方や映像の雰囲気において、記憶の中にある「アンダーグラウンド」と共通点が多い。ここではセルビア語が使われ、劇中では戦争が起こっていて、地雷原もクライマックスで重要な要素となることから、やはり同様にユーゴ内戦が舞台かと思いきや、どうやら具体性はなく、ただ「戦争地域」という設定であるようだ。冒頭には「3つの実話とたくさんのファンタジーに基づく」とあるが、プログラムによるとその 3つの実話とは、以下の通り。
1. 90年代のユーゴで英国のスパイから逃れようとした女性の物語。
2. アフガン紛争中に毎日自転車でロシア軍基地に牛乳を運んでいた男が、ある日蛇に襲われて足止めを食い、その間にロシア軍基地は攻撃を受けて壊滅したこと。
3. 地雷原で羊の群れを飼うことで自由を得たボスニアの男の話。
なるほど、この映画の流れがよく分かる。ロバに乗って牛乳を運ぶ主人公コスタを演じるのは、監督のクストリッツァ自身である。本作の脚本も彼が手掛けている。
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この映画を見ていて何度も思ったが、この人、とてもいい顔をしている。美男ということでは全くなく、むしろ三の線なのであるが、飄々とする中に、何か人生のどこかで負った深い傷を感じさせる。この映画をご覧頂く方には、彼が最初に登場するシーンで、鏡の下の方に貼ってある、ちょっと目を引く写真にご注目頂きたい。彼の抱える心の闇の理由がそこに存在していて、そのことはその数分後に村人たちのセリフによって示されるのだ。私は運よくそのことに気づいたので、作品にスムーズに入って行くことができた。冴えた演出である。このコスタに思いを寄せるミレナという女性を演じるスロボダ・ミチャロヴィッチも大変よい。彼女が踊るときにラジカセ (!!) で流れるのは、懐かしの「フラッシュダンス」(1983年) のイントロ部分だ。これは設定された時代を表しているのだろうか。
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そしてもうひとりの主要な役を演じるのは、モニカ・ベルッチ。イタリアの女優で、これまでそれほど大した作品に出ているわけはないが、その名前にはどこか特権的 (?) な響きがあり、いかにもゴージャスな存在だ。このブログでは、「007 スペクター」での出演をチラリとご紹介したことがある。この映画での役柄は、セルビア人の父とイタリア人の母を持つ女性という設定で、ここではセルビア語のセリフを喋っている (口ずさんでいる鼻歌はどうやらイタリア語のようだが)。調べてみると、私より 1歳上の 1964年生まれ。まあ、若いとは言えませんな (笑)。
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コミカルな味もそこここにありながら、そしてそれが映画全体のトーンを明るくしていながら、やはりこの映画で描かれているのは、戦争の中で生きる人々の直面する過酷な現実であり、それはそれは仮借のないもの。またその反動として、人間や様々な動物たちが逞しく生きる姿にも、強く打たれることとなる。その二面性のギャップは、見ているうちに凄みを帯びてきて、人々の胸に迫る。このような描き方は、残念だが日本の映画では絶対できないだろう。いや、日本だけではなく、どの国でもこのような仮借ない映画を作るのは難しいだろう。それは、本当にここで描かれた命の数々が、いつどこで散ってしまうのか分からないという感覚、それゆえに、上に挙げた人の言葉ではないが、「しょうがない」という諦観が、リアルにそこにあるからだ。ここには湿っぽさがなく、主人公が架空の世界で恋人に再開するときの幻想シーンにも、過度な感傷性はない。それが戦争という、人間がどうしてもやめることのできない悲惨な「習性」への冷ややかな視線を感じさせる。いや、実際にはこの映画においては、戦争は途中で終わるのだが、それにも関わらず、ある理由によって殺戮は続く。つまり、人間の「習性」としての戦争だけではなく、一部の狂気を帯びた人々の巻き起こす悲劇までもが描かれていて、それはもう救いのない話なのである。そのような救いのない話を、見る人に嫌悪感を起こさせずに見せるのが、偉大なる映画作家クリトリッツァの手腕なのだ。

主人公コスタは、ロバに乗っているだけではなく、ハヤブサを友とし、ヘビには危ないところで命を救われ、クライマックスでは地雷原で羊の大群の中で命をかける。そのような格闘のあと 15年が経ち、コスタが山の中に入って行くシーンがあるのだが、そこには驚くべき情景が現れる。これだ。
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巨大な熊にミカンを口移しで与えるコスタ。これは CG かと思いきや、本当の熊で、その名はメド。現在は体重 300kg とのことだが、体重 80kg の頃からクリトリッツァと「友達関係」にあるらしい。やはりこのクストリッツァという人、動物とコミュニケーションできる特殊な力があるとしか思えない。劇中では、その巧みなツィンバロンの演奏シーンもあり、その多彩な才能には本当に恐れ入る。

このように、エミール・クストリッツァという特異な才能を充分に堪能できる傑作であり、その強烈な表現力に耐える自信があり、東京の文化度の高さを実感したい方には、是非是非お薦めである。それから、ちゃんと正確に題名を覚えてから劇場に向かわれることも、合わせてお薦めしておこう (笑)。あ、もちろん、東京以外でも、札幌、横浜、名古屋、大阪、神戸でも上映中。日本はなんと文化的な国であることか。

by yokohama7474 | 2017-10-13 00:47 | 映画 | Comments(0)
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