愛知県犬山市 博物館明治村

名古屋近郊の最大の観光名所と言えば、まずはやはり明治村ではないだろうか。新幹線に乗って名古屋駅付近に至ると、大きな看板で、「明治村へは名鉄で」という表示が見える。また、その名鉄に乗ってみると、季節折々の明治村の宣伝が見える。いわく建物のライトアップだの、お化け屋敷だの。実は私は、明治村は以前見たことがあるから、もう行かなくてもよいかと思っていた。いや、実際に比較的最近この明治村を見て回ったはず・・・と思って冷静になって考えてみると、あれは中学の修学旅行。満 15歳のときのことであるから、実に今を去ること 37年前。うぅーん、これは結構長い年月だ。その頃生まれた人たちは今、若手から中堅に入ろうという、社会人として大事な時期。それはかなり遠い昔と言ってよいであろう。てっきり行ったことがあると思った明治村、実際にはほとんど知らないに等しい場所なのである。そう、今年は大政奉還 150年の節目の年であるが、私が前回明治村を訪ねた頃は、未だ大政奉還後 113年であったわけだ。いやはや、それは随分と昔ではないか (笑)。私が今回家人とともにこの場所を訪れたのは、先の記事で採り上げた、犬山城と如庵に立ち寄ったあと。手元のガイドブックによると、この明治村を一巡するための所要時間は 3時間。上記の通り、夏の明治村は、お化け屋敷が臨時で作られたり、夜間はライトアップされるなど、家族や友人、カップルを呼ぶための様々な工夫がなされているが、私の場合には日が暮れる前に回りたい理由があったのだ。つまり私の野心は、この明治村にあるすべての建造物を、その説明板とともに写真に収めること。3時間で、頑張って回ろう。入場時に配られる「村内地図」によると、ここで見ることのできる明治の遺産は合計で 68。広大な敷地は、1丁目から 5丁目までに分かれている。
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さて、私が明治村を訪れた日は、今年の夏のひとつの典型的な気候で、大気が極めて不安定。ざあざあと激しく雨が降ったかと思うと急に日差しが出たりして、それはもう忙しいこと。その日私が明治村に到着したのは 11時頃。それから、昼食を取ったり、驟雨をやり過ごすための雨宿りのロスタイムもあったが、気がつけば実に 6時間後の 17時に至り、既にヘトヘト状態で観光継続を断念。頑張ってはみたものの、3丁目はまるまる見過ごしたのである。誰だよ、所要時間 3時間と言った奴は (笑)。おかげでデジカメの電池も尽きてしまい、最後の方には雨の中、スマホで撮影する始末。そして私は執念を持って数日後この地を再訪し、3丁目を回って、ようやく念願通りすべての建造物 (改修中のものを除く) を写真に収めたのである。この明治村の 68の施設のうち、重要文化財が 12。以下、とてもすべてを紹介しきれないものの、それら重要文化財建造物を中心として、主要なものを見て行こう。一言でまとめるとするなら、ここはさながら明治建築のジュラシック・パーク。既に失われてしまった時間が、ここに来れば未だに息づいていることに気づく。これだけの規模でそのような感覚を味わえる場所が、ほかにあるだろうか。実は岐阜県には、大正村とか昭和村もあるらしいが、なんのなんの、この明治村こそ、ほかに類のないタイムトリップができる場所である。ではまず、この場所の立地から見て行こう。実は明治村に隣接している入鹿池 (いるかいけ) は、もともと人が住んでいた村に水を貯めた人造湖。そのほとりには古墳も存在し、この場所が古代から特別な場所であったことが分かる。
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さてこの入鹿池、いつ頃できたものであろうか。明治村の隣だから明治時代? それとも、昭和になってからであろうか。とんでもない。江戸時代初期、1633年の完成なのである!! これは驚きだ。2015年には世界灌漑施設遺産にも認定された。そして、明治村のバスで聞いた説明によると、もともとこの土地に明治時代の建築を移築することとしたのは、もし火災が発生してもすぐ隣のこの池から水を汲み上げて消火できるからだという。実に素晴らしい発想である。この明治村、開村したのは昭和 40年、つまり 1965年。何を隠そう、私が生まれた年なのである!! 開村間もない頃の地図が展示されている場所があって、これがその写真。おぉ、これは今の 3丁目ではないか。
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私がここに到着して車を停めたのは、北側、5丁目の裏手。そこから村内に入ると、すぐに見えるのがこれだ。
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そう、本物の SL が村内を走っているのである。東京駅を名古屋駅を結ぶ SL の旅は、この上なく楽しい。「東京駅」の時刻表はこんな感じで、それほど頻繁に往復しているわけではない。
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私は全く鉄道ファンではないのであるが、ここで SL を見ると、子供のように「うわぁー」という声を上げてしまう (笑)。この蒸気機関車は、実際に日本最初の鉄道区間である新橋 - 横浜間で使われていたものらしい。1874年に英国から輸入されたものであると聞いて驚く。駅構内に入ってきた汽車の先頭車両だけが切り離され、先の方で U ターンして、また客車に連結されて、反対方向に走る準備がなされる。その間に蒸気をポォーッと吐くあたり、鉄道ファンならずとも萌えてしまうのである。乗っている時間はほんの数分であるが、高台を走るため、村内の様々な建物を車窓から見ることができる。
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さて、SL で名古屋駅についたら、そこで京都市電に乗り換えることができる。日本初の電車は、1895年に開業した京都の市電。今明治村で走っている車両は、1910年から 11年にかけて製造されたもの。うーむ、100年以上を経て未だ現役とは、恐るべし。世界にどのくらい、100年前の電車が動いている場所があるだろうか。
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そうして私たちは、市電「京都七条」駅から歩き始めたのであるが、腹が減っては戦はできぬ。近くにある、めん処なごや庵というところに入ってきしめんを昼食とすることにした。だが、折悪しく非常に激しい雨となり、しばらくは傘を両手に抱えての散策となった。まずは 2丁目、そして 1丁目という順番で回ったのであるが、最初に見たのはこの京都七条巡査派出所 (1912年)。強い雨足がご覧頂けよう。
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そして、重要文化財の札幌電話交換局 (1898年)。内部には電話の歴史についての展示がある。
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これも重要文化財の東松家住宅 (1901年頃)。明治という時代は、近代化が進むとともに、江戸時代以来の伝統も充分に保たれていたことが分かる。何かノスタルジックな気分を禁じ得ない。
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さて、第四高等学校物理化学教室という建物の中に、興味深い展示がある。実は上に掲げた開村当時の地図もそうなのであるが、それに先立ち、入り口を入ってすぐのところにこんな表示がある。
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なるほど、谷口吉郎 (1904 - 1979) の名は聞いたことがある。調べてみると、帝国劇場や出光美術館、東京国立近代美術館や、あるいは迎賓館の和風別館なども手掛けている。またこの名前からピンとくる通り、ニューヨークの MOMA でその名を馳せた現代を代表する建築家 (比較的最近、日経新聞に「私の履歴書」を連載していた) 谷口吉生は、彼の息子である。そして、もう一人の明治村の生みの親は、当時の名鉄の社長、土川元夫なのである。これはその二人のレリーフ。
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ここで気づくことには、この明治村は、どうやら名鉄が中心になって作り上げたものであるということだ。以下に見て行く通り、ここに移築された歴史的建造物の価値は計り知れないし、そのために要した費用は、まさに天文学的なものであろう。前回の記事で、織田有楽斎が作った茶室、国宝の如庵が犬山名鉄ホテルの敷地に存在していることに触れたが、名鉄の行ってきた文化事業はそれにとどまらず、この壮大な建築ジュラシック・パーク、明治村もそうなのである。これは実に素晴らしいことであると実感する。

さて、先を急ごう。次の重要文化財はこれ、東山梨郡役所 (1885年) である。地方行政を司る建物であるゆえ、規模は小さいが、なんとも瀟洒な建物である。現在、明治村の村役場はこの建物に置かれている。
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そこから 1丁目に移動して目にするのは、やはり地方行政を司った建物であるが、今度は県の建物である。重要文化財の三重県庁 (1879年)。なるほど、郡役所よりもスケールが大きく、コロニアル調の立派な建物なのである。
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そして、その向かい側にある鉄道局新橋工場で、非常に興味深いものを見ることができる。1910年に作られた、明治天皇御料車である。内部もガラス越しに見ることができ、当時の人々にとっては神であった明治天皇の存在を身近に感じることができるのだ。こんな場所、ほかにあるだろうか。
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さて、ここで 1丁目の正面に来た。来訪者たちを迎えるのは、第八高等学校正門 (1909年) である。
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この大変小さな建造物は、赤坂離宮正門硝舎 (1908年) である。ちょうどこのあと私たちが訪れることとなり、既に記事も書いた、あの迎賓館赤坂離宮の前に実際に立っていたもの。当時の写真も展示されている。
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このあたりで既に歩き疲れて朦朧として来た。坂の上では、先刻まで降っていた雨が、太陽の熱によって地面から蒸発する様子を見ることができる。これは珍しい光景だ。
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この 1丁目にはあと 2つの重要文化財がある。聖ヨハネ教会堂 (1907年) と、西郷従道邸 (1877年頃) である。いずれも素晴らしい建物であるが、前者は明治におけるキリスト教の教会として、風格があってこの上なく立派。後者は、当時の政府要人の西洋風邸宅としては、さすがのものである。
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明治村のすごいところは、あらゆる分野の建物が揃っている点である。これは、森鴎外と夏目漱石が、10年の時をおいて住んだ家 (1887年頃)。もともと文京区千駄木にあったもので、漱石はここで「吾輩は猫である」を執筆している。いやー、よくぞ現代まで残ったものである。内部は漱石の書斎を再現している。
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さあ、足が棒になろうとも、まだまだ先に進まねばならない。4丁目である。ここは谷のようになっていて、歩くだけでも結構体力を消耗する。と思ったら、歩兵第六聯隊兵舎 (1873年) が、期間限定のお化け屋敷となっていた。最近よく名前を聞くお化け屋敷プロデューサーの五味弘文の手になるものだが、時間の関係でパス。この頃には青空が広がり、暑くなっていたが、そこここに浴衣姿の若者たちがいて、なかなかよい雰囲気だ。
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さてこれは大変規模の大きい重要文化財で、宇治山田郵便局舎 (1909年)。中では当時の郵便に関する資料があり、今でもここから葉書を送ることができる。
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小規模な日本家屋が 2軒並んでいる。本郷喜之床 (1910年頃) と、小泉八雲避暑の家 (1868年頃)。後者は駄菓子屋になっているが、その名称の通り、小泉八雲 (ラフカディオ・ハーン) が時折身を寄せた焼津の家。前者は、2階に何やら人の等身大の写真が見えるが、これは石川啄木。彼は実際にこの床屋の 2階に下宿していたという。
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これまた大変貴重な建物。芝居小屋の呉服座 (くれはざ、1892年) である。大阪の池田市にあったもので、重要文化財。驚くべきことに、今でも芝居を上演できるようだ。
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さて次が、私がこの明治村で大変感動した建物ベスト 3に挙げたい、聖ザビエル天主堂 (1890年)。京都にあったもので、巨大な聖堂そのものを移築して来ている。長崎の教会を巡ったときのことを思い出させる建築であり、その気になれば、今でもすぐそのままミサに使えるものなのである。
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かと思うと、非常にユニークな教会もある。大明寺聖パウロ教会堂 (1879年)。遠目には風呂屋か何かかと思うが、中は立派なキリスト教の聖堂になっているのだ。文化の伝播とその受容のあり方を思わせる貴重な遺構である。
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次も実に興味深い建物で、金沢監獄中央看守所・監房 (1907年)。当時の監獄の様子が生々しく分かるようになっている。
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この 5丁目の小高い丘の上に、階段状の、ちょっと不思議な建物がある。
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この廃墟のように見える建物は、川崎銀行本店 (1927年)。もともと日本橋に建っていた堂々たる建築であるが、今はこの明治村の地で一部だけが保存されている。そう、さすがにこれだけ巨大な建造物はすべて移築することは困難なので、このような形になったものらしい。当初の姿はこのようなもの。
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さて、5丁目の最も奥に、この明治村で最も有名な建造物がある。もちろん、フランク・ロイド・ライト設計になる帝国ホテル中央玄関だ。
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村内のバスに乗ると、主な建物についての説明を運転手から聞くことができて興味深いが、大変驚いたのは、この帝国ホテル玄関を移築するのに要した時間と費用である。なんと、17年、11億円だそうである!! 移築完了が 1976年だから、その当時の 11億円とは実に大変な額である。そうすると、ここにある様々な建造物の移築に要した労力とコストは、まさに天文学的な数字になるだろう。もちろん、名鉄だけですべてを賄うのは無理な話であり、国や地方自治体、あるいは企業の寄付等があって初めて可能になるものと思う。そう考えると、これだけの広大な敷地にこれだけの数の貴重な建築を保存していることの意味を、改めて思うのである。

さて、前述の通り、ここまでの所要時間はざっと 6時間。その日はそこで力尽きてしまったが、見ることのできなかった 3丁目は、後日訪れた。ここには 3つの重要文化財がある。まず、西園寺公望別邸「坐漁荘」(1920年)。大変気品のある、純日本風の建物である。
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それから、残る重要文化財は、品川燈台 (1870年) と、菅島燈台附属官舎 (1873年)。いずれも日本最古の灯台関連建造物である。
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幸田露伴住宅「蝸牛庵」(1868年頃)。古い日本家屋だが、文豪の生きた場所が残っていることは極めて貴重である。
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芝川又右衛門邸 (1911年)。その時代にしては非常にモダンな洋館である。以前の記事で触れたことがあるが、私はこの家の所有者の子孫筋にあたる方と面識があるので、個人的にも大変興味深い。
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ほかにも沢山の建造物があり、本当に興味の尽きない場所であるという以上に、近代の日本の歩みに思いを馳せることのできる場所なのである。最近、企業の不祥事が相次ぎ、この国は本当に大丈夫かと思うことしきりだが、そういう時こそ、過去 150年間我々日本人がいかなることを考え、また達成してきたかということを振り返ってみる価値があるように思う。村内を歩くのはなかなかに骨の折れることであり、上で触れた SL や市電に加え、このようなレトロなバスを有効活用すればよいと思います。文化に興味のある人には必見の場所なので、最近までの私のように、37年前に一度行っただけで分かった気になっていては、大変もったいないのです (笑)。
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by yokohama7474 | 2017-10-15 23:23 | 美術・旅行 | Comments(0)
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