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メナヘム・プレスラー ピアノ・リサイタル 2017年10月16日 サントリーホール

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前日のアファナシエフに続き、尋常ならざる素晴らしいピアノを経験した。演奏したのはメナヘム・プレスラー。ドイツ生まれのユダヤ人であり、1939年に家族とともに移住したイスラエルで音楽教育を受け、戦後すぐに国際的な活躍を始めた。ええっと、今年は 2017年で、戦後 72年経つのだが、ではこの人は一体何歳だろう。驚くなかれ、1923年 12月生まれ。つまり、あと 2ヶ月で 94歳なのである!! 実はこのブログでは、過去に何度か彼の名前に触れている。興味がおありの方は、ブログ内検索で「プレスラー」と入れて調べて欲しい(余計なことだが、間違って「プロレスラー」と入れても何も出てきませんのでご注意を。私自身の失敗談です)。6つの記事が該当する。だがそのいずれも、プレスラーの演奏を聴いたものではなく、その周辺情報なのである。それぞれの記事に思い出はあるが、中でも残念であったのは、2015年 11月にこのプレスラーが来日を予定していたのに、それが彼の体調不良によってキャンセルされたことだ。リサイタル以外に、当時 91歳のネヴィル・マリナーが指揮する NHK 交響楽団との共演が予定されていたため、その両方を聴く予定であった私は、当時 92歳のプレスラーの実演を聴くことは、もうできないのか・・・と思ったのである。だから今回、93歳で再度来日してくれたことには、本当に心から嬉しく思うのである。その前の来日は 2014年。その時はヴァイオリンの庄司紗矢香の伴奏で、私も聴きに行ったが、実に素晴らしい演奏であった。その時のライヴは CD で聴くことができる。
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このピアニストは、若い頃から活躍しているとは言っても、世界最高の巨匠ピアニストとしてずっと尊敬されてきたかと言えば、必ずしもそうではなく、ある室内楽グループのメンバーとして長く活動してきたので、ソロ活動は多少なりとも限定的であったはずだ。そのグループの名前は、ボザール・トリオ。活動期間は 1955年から 2008年までの実に 53年間であるが、その間一貫してメンバーだったのはこのプレスラーのみである。この団体は、トリオとしては他の追随を許さない人気を持ち、ありとあらゆる三重奏のレパートリーを録音している。私も以前からフィリップスのベートーヴェンのトリオなどを少しは聴いていたが、最近になって 60枚組の集大成を購入。うーん、将来ブログを書かなくなったら、ゆっくり聴き通す時間がきっと生まれることだろう (笑)。今回ちょっとハイドンのトリオなどを出して聴いてみたが、やっぱり素晴らしい。これがそのアンソロジーと、その中に掲載されている設立当時のボザール・トリオの写真。ピアノはもちろんプレスラーである。
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さてこのプレスラー、このトリオでの活躍ぶりから、遅咲きという言葉は必ずしも適当ではないものの、ソロピアニストとして脚光を浴び出したのは 90歳前後ということではないか。人間には大変な力が宿っているものだと思うと同時に、いつもこのブログで触れている通り、音楽を聴く際に、年齢とか国籍とか性別という要素はあまり必要ではないというのが、私の信条である。何より、虚心坦懐に音楽に耳を傾けたい。

そうは言うものの、大柄な女性に脇を抱えられ、杖をついてゆっくりと舞台に登場したプレスラーを見て、「あぁ、よくぞこの高齢で遠い日本まで来てくれました!!」という感情が沸き起こるのは、人情としては当然のこと。繰り返すが、あと 2ヶ月で 94歳である。歩くだけでも大変なことなのに、これからピアノ・リサイタルを開くのである。人間にはなんという凄まじい力が秘められていることだろう。そしてその曲目に驚かされる。
 ヘンデル : シャコンヌ ト長調
 モーツァルト : 幻想曲ハ短調 K.475
        ピアノ・ソナタ第 14番ハ短調 K.457
 ドビュッシー : 前奏曲集第 1巻から デルフィの舞姫たち、帆、亜麻色の髪の乙女、沈める寺、ミンストレル
        レントより遅く
        夢
 ショパン : マズルカ第25番ロ短調作品33-4、第38番嬰ヘ短調作品59-3、第45番イ短調作品67-4
      バラード第 3番変イ長調作品47

なんと多彩なプログラムであろうか。バロックから古典派、フランス近代に移ってからロマン派に戻るというものであり、高齢であるという事実には一切関係がないものである。だが実際、実におぼつかない足取りで、手を引かれながらステージの袖からピアノまで歩く姿には、ハラハラさせられる。ピアノに辿り着いてからも、鍵盤に蓋をして、そこに手をかけて、ゆっくりと慎重に腰を下ろす。その椅子は通常のピアノ用のものではなく、オフィスにある事務用の椅子の骨組みだけのようなものに座布団を敷いて、キャスターを除いたような形状。そうしてようやく演奏の準備が整うと、彼は自分で鍵盤の蓋を開け、譜面を見ながらおもむろに演奏し出したのである。

ヘンデルの開始早々では、音色はきれいであっても、ちょっと安定感がないかな、と思ったものだ。だが、数分聴いているうちにそれが杞憂であることが分かる。前日の鬼才アファナシエフのピアノを、世界の終わりにひとりで歌う歌と形容したが、このプレスラーは全く違う。彼は聴衆のために演奏し、生きている人たちに訴えかける。彼にとっては、人前で弾くことこそが生きることなのではないだろうか。前半はヘンデルとモーツァルトがすべて続けて演奏されたが、そこに聴こえてきたのは、澄んだタッチの中に宿る人間性であった。ここで注目したいのは、モーツァルトの 2曲はいずれも短調であったこと。生きる喜びを歌う曲ではなく、暗い情念すら感じさせる内容である。だがここでのプレスラーの演奏では、暗さも人生の一部なのであるという調子で、淡々と弾きこなされて行く。この宙を漂うような感じの演奏は、いかに暗い内容の曲であっても、決して人を落ち込ませることはない。また、モーツァルトがこのような短調の曲を書いたのは、決して聴衆を落ち込ませるためではなく、立ち止まって人生を考えさせるためであったのではないか。このプレスラーの朴訥とした演奏には、そのような重要なメッセージがこもっていると思われた。尚、今回演奏されたモーツァルトの 2曲を収録した CD は、未だ一般には発売されていないが、会場のみでの先行販売で売られていた。今この記事を書きながら聴いているが、CD は実演よりもさらに精妙な表情に聴こえるものの、やはり実際に耳にした音の感動の方が上回っている。
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後半のドビュッシーとショパンも、技術的に水際立っているというイメージではなく、やはり朴訥とした味わいであったと思うが、それでも、技術において破綻は一切ない。ドビュッシーは、独特の五音音階が東洋的に響くこともあって、我々日本人にとってはどこか懐かしいような音楽でもあるが、プレスラーはことさらにノスタルジックに弾くというよりは、ただ音の命じるままに指を動かすことで、先鋭的でない音楽を奏でていたと思う。これは、聴衆がいるからこそ成り立つ音楽。決して密室で自分のために弾く音楽ではない。ショパンも同様で、愛国の士が祖国の舞曲を力強く再現した音楽というよりは、音の運動を、現在の彼の運動能力が許す限り続けてみたという印象であった。選曲も実はよく考えられていて、「ミンストレル」から「レントより遅く」にかけては舞曲であり、ファンタジックな「夢」を挟んでまたマズルカで舞曲に戻り、最後のバラードでは明るく締めくくるという流れは、聴いていてスムーズであり、実際にドビュッシーの演奏中から、彼の右手は時折宙に円弧を描いていた。そういえば、奇しくもショパンのマズルカ第 45番は、前日のアファナシエフがアンコールで弾いた曲。それぞれのピアニストの個性の比較にはもってこいであった。

そして、演奏後に彼が見せてくれた人懐っこい表情と、ステージ後ろの客席への挨拶という聴衆への気遣いは忘れがたい。一旦ピアノを離れると、さすがに年齢を感じるが、それでも 2曲のアンコール、すなわちショパンのノクターン第 20番嬰ハ短調 (「映画「戦場のピアニスト」で使われたあの名曲だ) と、ドビュッシーの「月の光」を弾いてくれたことで、聴衆は本当に心から音楽の素晴らしさを味わうことができた。大きなブラヴォーはさほど多く出ないものの、自然と客席が総立ちのスタンディング・オヴェイションになるコンサートが、一体どのくらいあるだろうか。

是非これからも健康に留意して頂き、また感動的な音楽を聴かせてほしいものである。
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by yokohama7474 | 2017-10-17 01:44 | 音楽 (Live)