パターソン (ジム・ジャームッシュ監督 / 原題 : Paterson)

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ジム・ジャームッシュの新作映画が 2本、同時期に上映されている。ひとつはこの「パターソン」。もうひとつはドキュメンタリー映画で、「ギミー・デンジャー」という作品。2本とも見てから連続で記事を書きたかったが、今日からまた出張に出てしまい、一週間程度は不在にするので、2本目は当分おあずけである。実はこの 2本、共通する要素があって、「ギミー・デンジャー」でドキュメンタリーの対象になっているミュージシャン、イギー・ポップの名前は、この「パターソン」でも出て来るのである。この 2本の間にいかなる連関があるのかは、また追って考察することとして、この「パターソン」について語ろう。

このブログでジャームッシュの作品について記事を書くのは今回が初めてであるが、過去に「クリムゾン・ピーク」と「ハイ・ライズ」の記事において、出演俳優トム・ヒドルストンが以前に出演したジャームッシュの前作「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」に触れたことがある。もともとニューヨークのインディーズ系の映画監督としてスタートしたジャームッシュとしては、その作品が吸血鬼ものであることは若干奇異な感じがしたが、私としてはそれを大変に楽しんだのである。だが今回の「パターソン」こそ、彼の原点を想起させる、日常を描いたものであり、古くからのファンは、この映画に一種の安心感を覚えるようなこともあるだろう。ジャームッシュは 1953年生まれの 64歳。
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さてこの映画であるが、ジャームッシュの原点を思わせるには理由があって、ここには人間に危害を加える怪物も異星人も出て来ないし、目を覆いたくなるような殺戮もなく、また驚天動地の SFX もない。主人公はニュージャージー (マンハッタンから西にハドソン川を越えると、もうそこはニュージャージーだ) でバスの運転手をしている若い男の日常が淡々と描かれているだけだ。彼はまた詩が好きで、自身でも詩作を行っている。明るくアーティスト指向の妻と、忠実な (?) ブルドッグとの生活は、決して派手でも日々の変化に富んでいるわけではないが、彼は日々、人々の生活を見ながら感性を高め、それなりに充実した生を営んでいる。この種の映画は、監督が自身で脚本を書いているケースが多いが、この作品も、過去のジャームッシュのほぼすべての作品と同様、ジャームッシュ自身の手になる脚本である。これが主人公を演じるアダム・ドライヴァー。
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実はこの一見平穏極まりない映画には、そこここに、観客にほどよい刺激を与える隠し味が仕組まれているのであるが、まずはこの役者である。バスの運転手がアダム・「ドライバー」なんて、出来過ぎてはいないか (笑)。実は彼は、あの超大作「スターウォーズ」の現在のシリーズで、未熟ながら選ばれた血筋を持ち、ダークサイドに落ちた騎士であるカイロ・レンを演じている俳優だ。
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ハリウッドの SF 超大作で主要な役を演じている「ドライバー」さんを、日常生活を描いたこの静かな作品の「ドライバー」役に起用することに、まず監督がこの作品に込めたメッセージを読み取ることができるのではないか (監督は偶然だと発言しているが)。また、彼の役名にももちろんメッセージがある。それは「パターソン」。舞台になっている街と同じ名前の役である。この「パターソン」は、苗字か名前かも判然とせず、普通なら苗字であると考えたいが、彼がファースト・ネームで呼びかける職場の同僚は、彼のことをただ「パターソン」と呼んでいるのである。つまりこの男、舞台になっているパターソンという街の象徴のような存在ということであろう。それから実は、作中でワンシーンだけ、日常の時間に突然切れ目が走る瞬間があるのだが、その場面では、このパターソンの勇敢な行為によって日常が取り戻されるのである。ただの人のよい運転手兼詩人ではないように思われる。

このパターソンの一週間が淡々と描かれるのだが、月曜日に始まって次の月曜日までの毎日、決まって彼と妻のローラのベッドの俯瞰から始まる。こんな具合だが、ここにはエロティックな要素は一切なく、若く善良で真面目な人たちの日常のリズムがうまく表現されている。
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妻ローラ役のゴルシフテ・ファラハニがとてもよい。イラン出身で、リドリー・スコットの「エクソダス : 神と王」や、最近では「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」にも出ていたようだ。ここでは、ニュージャージーでのささやかな生活を楽しみながら、アーティスティックなものにこだわりを持ち、実はカントリー歌手を目指すという秘めたる野心を持つことで、意識することなく亭主に負担をかける (笑) 妻を、自然体で演じている。
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それから、忘れてはならないのが、2人の愛犬、ブルドッグのマーヴィンである。犬好きにはたまらん名演技を披露している。劇中ではオスだが、実際には元救助犬のメスで、本名はネリー。その名前はエンドタイトルで確認したのだが、映画の最後に「ネリーの思い出に」と出て来るので、このワンちゃんは既に亡くなっていることが分かる。あとで調べると、この映画での演技が認められ、カンヌ映画祭で犬に与えられるパルムドールならぬパルムドッグ (2001年創設) を受賞するはずだったが、その前に死んでしまったという。それを知ると、涙なしには見られない、ここでの演技である。
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もうひとり、日本から永瀬正敏が出ている。ジャームッシュの作品では、もうかなり以前の話になるが、工藤夕貴との共演で「ミステリー・トレイン」に出ていた。記憶ではその映画でのセリフは確か日本語であったが、今回はちゃんと英語での出演で、主役のアダム・ドライヴァーと語り合う日本人の詩人の役である。主人公パターソンがよく佇む滝があって、その風景からジャームッシュが日本を思い出し、久しぶりの永瀬の出演を念頭にこのシーンを書き上げたという。なんとも名誉なことではないか。
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なんでもない日常の中で、例えばたまたまバスに乗り合わせている様々な人々の語る言葉に、いかに人生を考えるためのヒントが隠されているかを知るのは面白いし、あるいは、どんな人にもそれぞれの信念 (それが誰かへの恋愛感情であれ、日常への不平不満であれ、あるいは詩を書くことへのこだわりであれ) があって、それはこの地球上においては些細なことであっても、それぞれの人生の中では重要な意味を持つのだということに気づく。そのようなさりげない示唆に富んでいる点、見逃すべきではないだろう。劇中で主人公が作る、これもさりげないが美しい詩は、ロン・パジェット (1942年生まれ) という米国の詩人の手になるもの。また、そもそもこのパターソンという街、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ (1883 - 1963) という詩人の長編詩のタイトルになっていて、主人公が詩作に取り組むのも、永瀬演じる日本の詩人がこの地を訪れるのも、この詩への憧れがあるからという設定になっている。私は、詩は決して得意分野ではなく、この詩集のことも恥ずかしながら今回初めて知ったが、ちょっと興味がある。ただ、日本でも翻訳が出ているが、まさにこの作中のセリフにある通り、翻訳詩を読むのは、「雨具を着てシャワーを浴びるようなもの」。原語でないと詩の面白さはなかなかに分かりづらいことは確かだろう。
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この映画を、ただの日常を描いているだけだと思う人もいるかもしれないが、上で少し見た通り、必ずしもそうではないだろう。最後に指摘したいのは、やたらと双子が登場することであり、主人公夫婦の会話にも、子供ができるなら双子がよいという話題が出て来る。このことの意味するところは明確ではないし、プログラムに掲載されたジャームッシュのインタビューでも何らヒントは発見できないが、何かパラレルワールドのようなイメージを感じると、的外れであろうか。つまり、人が今日あるのは、その過去の歴史における、ちょっとした違いの集積の結果である。たとえ同じ顔、同じ性格の人であっても、生きていくということは、その過程においてそれぞれの人生の要素のひとつひとつを、時間とともに不可逆的に作り上げて行くということなのではないだろうか。この映画における双子たちは、そのような偶然の積み重ねの結果の、人によって異なる人生を象徴していて、実は彼自身が街そのものであるパターソンは、そのような人生の積み重ねをじっと見続けている・・・。そんな解釈をすると、この映画の静謐さに、何かとても尊いものを感じてしまうのである。・・・うーむ。ではジャームッシュがこの「パターソン」と「ギミー・デンジャー」を続けて制作したのも、双子の映画という意味か??? 片割れの映画を見る際に、注意しておきたい点である。まぁ、まるっきり違っているかもしれませんけどね (笑)。

by yokohama7474 | 2017-10-17 13:49 | 映画 | Comments(0)
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