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名古屋 その 1 名古屋城、清洲城

この夏に訪れた先として、先に犬山市を採り上げたが、その前後で名古屋の歴史的な場所を集中的に訪れているので、今後数回の記事でご紹介して行きたいと思う。今回はまず、城を二つ採り上げることとしよう。だが、名古屋地区の古い城と言えば、以前の記事でもご紹介した犬山城のみ。それ以外に小牧山城もご紹介したが、それは博物館として昭和の世に建てられたもの。また、このブログを始める前に岡崎城も訪れたことがあるが、家康生誕の地として歴史的な価値が高いその城の天守閣も、昭和の時代の再建だ。そしてここでご紹介する二つの城の天守閣もまたしかり。だが、それぞれに大変興味深い歴史のある場所なので、当然ながらこの文化ブログの対象になるものである。

まず最初はもちろん、ここだ。尾張名古屋は城でもつ。特別史跡、名古屋城。
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現在の名古屋の中心地の北側なのであるが、関ヶ原の 10年後、徳川家康が諸大名に命じて建てさせたこの城こそ、当時の築城技術の粋であり、またその後の泰平の世を象徴するものであって、その城を中心とした街づくりの独創性には、さすが家康と唸らせるものがある。まぁ、名古屋の街自体は、実はほかの土地からそっくり移してきたものが中心になっているのであるが、その点はまたのちほど。この城では現在、発掘調査が行われており、また、あとで触れる通り、かなり壮大な再整備計画が立てられている。この地図の赤線部分が、現在調査中の部分。
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さて、堂々たる門の手前に、このような石碑が立っている。「恩賜」とはもちろん、皇室からの頂き物という意味であり、「元離宮」とあることからも、この城が以前、皇室の所有になったことが分かる。調べてみると、明治時代、陸軍卿の西郷従道がこの名古屋城と姫路城の保存を決定。1893年に宮内庁管轄として、名古屋離宮と称されたらしい。1930年に土地建物が名古屋市に下賜されたため、このような碑が建てられたようだ。裏面には確かに昭和 5年とある。名古屋城の知られざる歴史である。
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門を入ると何やらこのような木組みが見える。実はこれ、この名古屋城の巨大天守閣を木造で建て替えようという壮大な計画を示す、1/30 の模型である。名古屋の河村市長の号令のもと進められている計画であると理解するが、この規模の建物を木造で作るとなると大変なこと。500億円の費用をかけ、竹中工務店を起用して 2022年に竣工予定と発表されている。
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現在の天守閣の姿が木々の向こうに見える。堂々たる姿。この城にそれぞれ 3つある重要文化財の櫓と門を目にして、あるいはくぐって、天守閣に進んで行こう。これは、本丸西南隅櫓と、表二之門。
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さて、進んで行くと、天守閣に到達する前に、絶対に外せない見どころが現れる。それは、本丸御殿である。
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このあたりで種明かしをすると、家康が作ったこの貴重な城郭は、戦争中まで残っていた。天守閣もさることながら、この本丸御殿も、その際に炎上してしまった貴重な文化遺産なのである。1615年に完成し、1634年には徳川家光の上洛の際の際の寝所として増改築されたものらしく、二条城二の丸御殿 (国宝) と並ぶ城内御殿の双璧であったと評価されている。惜しくも戦火で灰塵に帰したが、現在ある建物は、名古屋市が 2002年から資金を集め、木造で再建を進めて、2013年に一部を一般公開にこぎつけたもの。2018年度には全体公開を予定しているらしい。これが、この御殿の中に展示されている、天守閣と御殿のありし日の姿の写真。
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だがひとつの救いは、狩野派の絵師たちの手になるこの御殿の襖絵は、すべて戦時中疎開されていたため戦火を免れ、現在は重要文化財に指定されている。その数は実に 1,049面に及ぶ。現在、復元なった御殿では色鮮やかな模写が展示されており、実物のうち何枚かは、天守閣の中で見ることができる。上の写真を見ると、この御殿には襖絵だけではなく、豪華な欄間彫刻も施されていたようだが、さすがにそこまでの復元はなされておらず、改めて失われてしまった文化財の価値の高さを思うのである。ともあれ、この御殿の中は清々しい木の香りがしており、江戸時代初期の新築時もさながらの雰囲気である。建物内の写真撮影も許されていて嬉しい。
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さあそして、いよいよ天守閣に到着である。1959年、鉄筋コンクリートによる再建であるが、その姿は往年のものを忠実に再現している。さすがに堂々たるものである。明治時代に姫路城と並ぶ名城として知られていたのも無理もない。もし戦火に遭わなければ、国宝・世界遺産間違いなしであったろう。金のしゃちほこも見えますなぁ。
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しかしながら、この天守閣、再建後半世紀以上を経て、どうやら耐震性に問題があるらしい。なるほどこれが再建が必要な理由であるのか。
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上記の通り、天守閣内には、重要文化財に指定されている御殿の襖絵のうちのいくつかが展示されていて、興味深い。上で見たような立派な虎の絵ではなく、これらは風俗図である。御殿の中でも部屋によって様々な画題が取り上げられているわけである。
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このように、戦争という人間の手による災禍によって失われてしまった文化遺産を偲びながらも、今でもそこに残る歴史的な佇まいを感じ、また未来に向けての新たな整備を前向きにとらえることは、なかなか貴重な体験ではないだろうか。

さて、ここでもうひとつ採り上げるのは、清洲城である。もちろん、映画にもなった「清洲会議」(本能寺の変後の織田氏の後継問題を話し合う会議で、秀吉が信長の孫である三法師 (のちの織田秀信) を担ぐ機略によって織田の家臣の中で有利な立場となった) の舞台である。私は以前から、新幹線に乗ると、名古屋と岐阜羽島の間の車窓からすぐ近くに見える小さな城がそれだろうと思っていたのだが、なかなか訪れるチャンスがなかったので、今回ようやく念願を果たしたわけである。尚、表記としては「清須城」という字も使われ、実際に城のあるのは清須市というところだが、現地を訪れると、川の中州に築かれた様子がよく分かるので、「清洲」の字を使うこととする。これは駐車場から見上げたところ。
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城の敷地から一旦出て、正面の門の外から城を見ると、大変に絵になる。あ、よく見ると私の手元にある「名古屋・三河」というガイドブックの表紙は、これと同じようなアングルの清洲城の写真である。なかなか絵になりますな。但し天守閣自体は古いものでもなく、その姿も、建っている位置も、当時のものとは異なっているようだ。1989年に清洲町施行 100周年を記念して建てられたもの。
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さてこの清洲城、若き日の織田信長が 1555年から 7年間まで居城としたことで知られる。その当時の清洲は、鎌倉街道と伊勢街道の合流地点として人・物の交通において非常に重要な場所であったらしい。天守閣の中には当時の賑わいを偲ばせるこんな展示があって、楽しい。
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実は、冒頭近くに述べた通り、徳川家康が作り上げた名古屋の街は、名古屋城築城の際、1612年から 1616年までの間に、この清洲の街をそっくりそのまま移転したものが始まりである。それは「清洲越し」と呼ばれているのであるが、地理的に日本の真ん中あたりに名古屋という大都市を作り上げた家康の天才ぶり (それは、巨大都市江戸の開発とは少し違ったものだ) は、そのような大胆極まりないプランにおいて発揮されたのだと知ることには、大いに意味がある。もちろん、清洲越しに伴ってここ清洲は完全に廃れてしまったわけであるが、歴史が大きく動いた戦国時代から江戸時代に移行する際の、三英傑のこの土地との関わりは、実に面白い。そう、面白いと言えば、この天守閣の内部には様々な映像や解説、模型などで当時の様子を様々な角度で知ることができて、大変面白い。ご家族での歴史の体験という点でも、訪れる価値のある場所だと思う。当時の大事件をスポーツ新聞の記事にしたててあるのも、いやいや大変な凝りようだ。
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そして、世に名高い清洲会議に集まった 4人の武将たち。
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この城は、五条川という川のほとりに建っていて、天守閣上層階からの眺めも、なかなかに清々しい。
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但し、昔の敷地内を現在では新幹線が通っている。そう、私がこれまでこの城を眺めたのは新幹線の車窓であることは既に述べたが、確かにこんな風に、すぐ近くを新幹線がビューンと通り過ぎて行く。
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激動の時代は既に過去のものとなってしまい、当時を偲ぶ遺跡は何も残っていないとはいえ、この土地が過去に辿った経緯を知ることで、遥かな歴史のロマンを感じることは充分にできるのである。

by yokohama7474 | 2017-10-26 02:18 | 美術・旅行