カティア・ブニアティシヴィリ ピアノ・リサイタル 2017年11月 6日 サントリーホール

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このピアニストを知らない人がこのチラシを見て、どう思うだろうか。うーむ、これは一体どこの女優だろう。そういった感想を漏らして全く不思議ではない。かく言う私も、数年前から CD を通して彼女のピアノに親しみながら、ある日 BS プレミアムで放送された番組で、森の中を歩んでピアノに辿り着き、そこでリサイタルを開く彼女を見て、改めてこの人が女優ではないことに驚いたものである。だが何よりも、彼女のピアノに漂う何か人間的なものに感動したので、いつか生演奏で聴いてみたいと思っていた。昨年も日本でリサイタルがあり、NHK 交響楽団とも共演したが、いずれも実演では聴くことができなかったので、今回は待望のリサイタルということになる。
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だが、私はそのように彼女のピアノに強い興味を抱きながら、ひとつの悩みがあった。彼女の名前の「カティア」から先、つまりはファミリーネームがどうしても覚えられないのだ!! (笑) 実は似たような例があって、それは現代を代表する若手ヴァイオリニストのひとり、リサ・バティアシヴィリである。彼女の名前も、私は「リサ」としか覚えられないのである・・・。このふたりの女性演奏家には共通点がある。それは、ジョージア出身ということだ。ジョージア? 米国であろうか。いや違う。我々日本人にとっては、「グルジア」という表記になじみがある、トビリシを首都とする中央アジアの国。旧ソ連、CIS 諸国のひとつであるが、最近では「グルジア」ではなく「ジョージア」という発音が正式なものであるようだ。実際、英語ではこの国は以前から「ジョージア」と呼ばれていたので、それを正式名称にしようという動きがあるようだ。私の職場の同僚で、この国との取引を目指して営業活動した人がいるのだが、その彼も確かに、現地の人たちは「グルジア」ではなく「ジョージア」と呼んで欲しいと希望していたと言っていた。実はこの国、あのスターリンの出身地であり、そのこともあってか、ロシアの影響をことさらに否定したがっているようで、国の名称変更もそれに基づくものであるのだろう。

さて、そのジョージア出身のカティア・ブニアティシヴィリは今年 30歳、実に年間 150ステージをこなすという、世界でも引っ張りだこの人気ピアニストである。もちろん、この容貌は人気のひとつの理由にはなりうるし、本人もそれは自覚しているであろうが、音楽は顔やスタイルで行うものではないので (笑)、彼女の演奏が世界の多くの人たちに支持されているのは、何よりもその音楽性によるものであろう。今回のリサイタルではそのことを実感した。そのユニークな曲目は以下の通り。
 ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ第 23番ヘ短調「熱情」作品57
 リスト : ドン・ジョヴァンニの回想
 チャイコフスキー (プレトニョフ編) : 演奏会用組曲「くるみ割り人形」
 ショパン : バラード第 4番ヘ短調作品52
 リスト : スペイン狂詩曲 S.254
 リスト (ホロヴィッツ編) : ハンガリー狂詩曲第 2番嬰ハ短調 S.244

実は、当初の発表では、最後の曲としてストラヴィンスキーの「火の鳥」から 3つの踊り (アゴスティ編) が予定されていたが、それがショパンのバラード 4番とリストのハンガリー狂詩曲 2番に変更されたのであった。また、当初発表では、リストのスペイン狂詩曲は、「ドン・ジョヴァンニの回想」のあとに演奏されるはずであったので、曲目変更に伴い、もともと予定されていた曲の順番も一部変更になったわけである。
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この演奏会、全体的な感想としては、リストが圧巻であった。彼女のピアノは、例えばユジャ・ワンのようにバリバリ弾くという感じではなく、もう少しふくよかな音が鳴る。換言すれば、一音一音の粒立ちがよいというタイプではなく、音楽全体としての説得力こそがその真骨頂であると思うのである。それゆえ、ベートーヴェンとはあまり相性がよいとは思えない。いかにロマン性漂うこの「熱情」ソナタであっても、本来ならもう少し形式感を感じさせる、あえて言えばきっちりとした演奏の方が、曲の持ち味がよく出るものと思うのである。だがその一方で、まさにそのロマン性、ベートーヴェンならではの劇的な部分において、カティア (すみません、苗字を覚えられないもので...) の演奏にはやはり、聴くべきものがあったとも言えると思う。例えば第 2楽章をポロポロと弾き出したその雰囲気は、古典派を弾くという感じはなく、まるで後半のショパンのバラードの冒頭を弾き出したときの雰囲気とそっくりであった。そこには、独特の浮遊感がある。そうだ、静かな音楽を演奏するときに彼女のピアノには馥郁たる香りが漂い、それは曲の形式を超えて、すべて彼女自身の音楽にしてしまうのである。また、私は上記でちょっと矛盾したことを言っているだが、バリバリ弾くタイプではないのに、リスト、つまり、ピアノが壊れそうなほどの強烈な音の渦をしばしば必要とする悪魔的な作曲家の作品の演奏がよかった、というのは一体なぜか。いや、もちろん、彼女のピアノには充分な音量もあり、色彩感もあって、リスト演奏では実に強烈な音の渦が聴かれたことは確かである。だが、それにも関わらず、彼女の演奏は常に美しい。それは、音の強い部分も弱い部分も、劇的な部分も抒情的な部分も、常に美しくふくよかなピアノが鳴っているということなのだと思う。圧倒的という言葉は少しイメージが違っていて、なんというか、聴いていて心が温かくなるような感じがする。それゆえ、抒情的な部分をあまり持たないこのプログラムにおいては、やはり劇的なリストの音楽が、最も心に迫る結果になったのではないだろうか。だが実は、聴いていて、フランス音楽を聴きたいなぁと思い始めた。つまり、この上なく抒情的で、洒脱で、奔流とは異なる浮遊感のある音楽。そう、つまりは、ドビュッシーの「月の光」のような音楽を希求したのである。そして、アンコールの最初に演奏されたのがまさにその「月の光」であったことに、私は驚いた。このピアニストは、聴衆が何を欲しているかを理解する能力があるようだ。そのゆったりとしたテンポの中には無限のニュアンスが込められ、音楽における悪魔的なものからの解毒作用が含まれていた。この「月の光」を含めてアンコールは以下の 4曲。

 ドビュッシー:月の光
 リスト:メフィスト・ワルツ第1番
 ヘンデル (ケンプ編):メヌエット
 ショパン:前奏曲第 4番ホ短調 op.28-4

最後のショパンは、本人が「あとちょっとだけ」と身振りを示して弾いたもので、明らかに聴衆へのサービスであろうが、それまでのドビュッシー、リスト、ヘンデルの順番が心憎い。中でもヘンデルのメヌエットは、彼女の小品集アルバム「マザーランド」にも収録されている美しい曲で、本当に心が澄んだ思いになる名曲なのであるが、原曲はクラブサン組曲第 2番の中の曲で、往年のドイツの巨匠、ウィルヘルム・ケンプの編曲になるもの。これぞまさしく浮遊感漂う至福の時を味わえる曲であり、演奏である。これがその「マザーランド」のジャケット。彼女のピアノの長所が堪能できるので、お薦めである。
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この演奏会は、チケットの値段がそれほど馬鹿高くは設定されていなかったこともあってか、かなりの盛況であったが、コンサートが進むうちに、本当に演奏家と聴衆の間にコミュニケーションが生まれるような、そんな体験であったと思う。面白いシーンがあって、それは何かというと、1曲目の「熱情」のあと、リストがモーツァルトの名作歌劇から自由に抜粋した面白い作品である「ドン・ジョヴァンニの回想」に入る前に、彼女は椅子の高さが気に入らなかったと見えて、二度・三度と自分で高さを調節したのである。鮮やかな深紅のドレスを着たピアニストが、自分で床に膝をついて、椅子の高さを調整したのですよ!! (笑) そこには気取りは全く見られず、ひたすら、その場に集まった聴衆に自分の音楽を聴いてもらおうとする音楽家の真摯な姿があったと思う。また、終演後には舞台の前後に投げキッスを送るという、クラシックのコンサートにしては珍しいシーンに遭遇したが、これも、何も女優を気取っているわけではなく、聴衆とのコミュニケーションを取りたいという彼女の純粋な思いによるものであろう。好感が持てた。

このカティア・・・・えっと、ブニアティシヴィリは今回、東京の前に名古屋で既にリサイタルを行ってきており、今後は大阪と札幌でリサイタルが予定されているが、その間を縫って、上岡敏之指揮新日本フィル、及びハンヌ・リントゥ指揮広島響とそれぞれ 2回ずつ、チャイコフスキーのコンチェルトを演奏する。恐らくどこの土地でも、聴衆との密なるコミュニケーションが図られることだろう。今後目が離せないピアニストであることは間違いないので、また実演を聴ける機会を楽しみにしたい。

by yokohama7474 | 2017-11-08 00:36 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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